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佐藤優氏は典型的な量産型の売れっ子執筆家である。沢山の本が佐藤優氏の執筆で量産されており全て読破したわけではない。佐藤優氏の本の中でも知的好奇心をそそる一冊である。


裏表紙
下がる賃金、厳しい就活、ひろがる格差。あなたの仕事がつらいのは、世界がすでに「新・帝国主義」時代に入っているからだ。食うか食われるかのゲームのルールを見極め、それを打ち破る武器としての「物語」を手に入れよ。日本とあなたが生き延びる道がわかる「国家論」決定版。
P7
日本を取り巻く国際環境も、危険がいっぱいな状態だ。国際社会のゲームのルールが、十九世紀末から二十世紀の帝国主義に類似したものになっている。もっとも、古典的帝国主義のような、植民地分割をめぐる帝国主義国間の戦争は起きにくい。それだから、新・帝国主義の時代と呼ぶことにしたい。旧来の帝国主義も、新・帝国主義も「食うか、食われるか」の弱肉強食を原理とする。帝国主義国は、相手国の利益について考えず、まず、自国の利益だけを最大限に主張する。そして、相手国が怯み、国際社会も沈黙すると、帝国主義国は平然と自国の権益を拡大する。相手国が必死になって抵抗し、国際社会からも 「ちょっとやりすぎじゃないか」と顰蹙を買うと、帝国主義国は国際協調に転じる。これは帝国主義国が心を入れ替えたからではない。やりすぎると諸外国の反発を買い、結果として自国が損をするという状況を冷静に計算して、妥協するのである。新・帝国主義の時代には、情報収集、収集した情報の精査と分析などとともに、これらの情報をもとに、いかに自国の国益を増大するような「物語」を構築できるかという、ストーリ-テラーとしての能力が必要とされる。

 一般的に「新帝国主義」という言葉は15世紀から19世紀初頭にかけてのヨーロッパ諸国(英仏蘭西葡)による植民地化獲得競争の「帝国主義」に対して、19世紀から20世紀初頭にかけての従来の英仏蘭西葡に加え新興ヨーロッパ諸国(ドイツ・イタリア・ベルギー)にアメリカ合衆国、日本などによる植民地拡大を「新帝国主義」と定義されています。

佐藤氏の言う「新帝国主義」は正確には「新々帝国主義」もしくは「NEO帝国主義」という植民地獲得競争とは異なる国家が生き残るための概念をさしていると思います。
 佐藤氏は神学部出身だけに「神、愛、家族、民族、国家」から生まれてくる21世紀を生き残る為に必要な叡智をインテリジェンスと定義している。それは人間を含む動物が生き残るために必要となる情報や知恵をしています。私は保守主義者なので日本列島という地理的国土・日本人という縄文時代から混血し続けた日本人と自覚している民族、明治以降近代国家としての日本が生き残る為にどうしたらよいか?
このblogにおいても常に考えています。
p12-13
東京大学のサバイバル

いま、東京大学が九月入学制に変えようという動きを進めています。これは、東京大学の当事者がどれくらい意識しているかは別として、教育を新・帝国主義の現代に適応させようとする動きなのです。

これまでの日本の教育システムは、非常に特殊でした。端的に述べると後進国型の教育システムをとっていました。後進国というのは、なるべく早く外国語のわかる外交官を育て上げて外交交渉をしないといけない。また、なるべく早く税務署長をつくって国の税収を上げないといけない。そのために国家はどうするか。記憶力のいい若者を集めてくるのです。そして促成栽培で、事の本質を理解しなくてもいいからともかく暗記させる。暗記したことを再現できる官僚を養成する。明治以来、東京大学を頂点とする日本の教育システムは、そういう後進国型の詰め込み式で、それは戦後になっても変わっていません。その結果、いま日本の官僚が恐ろしく低学歴になっている。

低学歴というと奇異に聞こえるかもしれませんが、こういうことです。たとえば、国際会議に出て来る各国官僚の局長クラスで、PhD(博士号)やMA(修士号)を持っていない人はまずいない。ところが日本は、局長でもMAを持っていないどころか、大学を卒業していない人もいる。特に外務省の場合は、東京大学を三年で中退し、国家公務員I種試験(いわゆるキャリア試験)に合格して官庁に入るのがエリートということになっているのですから。大学入試の十八歳か十九歳の時点でどれだけ記憶力がいいか、その記憶を再現する能力があるかを問うて選別し、あとは企業や官庁に入れてから育てるという発想です。そのために企業や官庁は教育にすごく投資してきた。

ところが、グローバルな形での資本主義化か進みつつある中で、その余裕がなくなってきたのです。もはや企業も官庁も、教育はしない。入る前に自分で力を付けて来いといって、国際スタンダードで見て力のある者を採用することになる。国家公務員試験も、民間の入社試験も、そういうふうに変わってくると思います。東大が推進しようとしている秋入学はその一つの現れです。いろいろな大学で九月入学制にしたり、在学年限をフレックスにしたり、ということが起きるでしょう。
それは、現今の就活システムとか、終身雇用システムが崩れていく一つの流れであり、あられもない資本ド義のグローバリゼーション=帝国主義化のなかで、大学や企業が身悶えしているのです。

最近我が社の新人の高学歴ぶりには呆れかえっている。東大・一ツ橋、早慶は掃いてすてるほどいる。我が課の新人君は従業員数十名いるベンチャー企業を立ち上げたが会社を譲って我が社に入社してきた・・・だが我が社の支店営業においては学歴はまるで関係ない、その個人が持つ資質がすべてだ。

佐藤氏の言うPhD(博士号)やMA(修士号)も関係ないと思う。例えば東大工学部スタンフォードのPhD(博士号)を持っている鳩山由紀夫は世界的な馬鹿にしか見えない。いや世界一の馬鹿だと思う。やはり東工大を出た菅直人も馬鹿で無責任にしか見えない。私は明治大学商学部を卒業した。明治大学の偏差値は東大の足元にもおよばない。だが、逞しいバイタリティや個性を持った学友先輩後輩が非常に多かった。偏差値競争には負けたけれど質実剛健、自由な校風には面白い魅力的な人間が多く集まっていたと思う。おそらく現在もそうなのだろう、最近我が母校の評価が高まってきているが、佐藤氏のいう新帝国主義の時代に求められるのは東大的な人間ではなく、明治大学的な逞しいバイタリティや個性を持った人間が重要な時代となったのだと思います。(すいません勝手に母校愛を告白してしまいました。

学歴など何の意味もない。日々読書をして勉強をし続けなければどんなに学歴が高くとも日々馬鹿になると私は思う。ネットだけで本を読まない人間はネットと同じぐらい(当ブログの読者を除いて)薄っぺらいのだ。

P14
なぜあなたの給料は上がらないのか

今後、就職活動はますます厳しく、難しくなるでしょう。就職できたとしても、給料はいまのレベルの横這いにとどまるか、もしくは減っていってしまう。一方で金持ちの人たちは前より貧乏になるわけではなく、むしろさらに金持ちになる。社会の真ん中より少し下くらいの層で、どんどん格差が広がっていく。

それは労働の内容が、日本人でも中国人でも韓国人でも、あるいはタイ人でも、誰でもできるものになっているからです。世界中でヒトーモノーカネの移動が自由化して、中国の労働力と日本の労働力が簡単に交換できるようになった。そのために日本国内では産業の空洞化が起こり、格差が広がっていきますが、別の観点からすると、中国の労働者と日本の労働者の賃金格差は、かつてなく縮まっているのです。日本で工場が閉鎖され失業者が出ることは、中国やタイやベトナムなどで何倍かの労働者が雇われることを意味します。

つまり、いまの不況や雇用の問題は、日本人の賃金が中国人の賃金と同じまでに下がらないと解決しないことになります。たとえば大学卒の初任給が四万円くらいに下がって初めて解決するということです。
秋葉原通り魔事件に思う。フラット化した世界
トーマス・フリードマンのフラット化する世界上下を読んだことがある人間ならだれでもこの単純な事実を知っているだろう。

P20-21
国家には、密度、暴力性が強まる時期と、それが希薄になる時期がある。振り子のように振幅があるのです。冷戦崩壊以降、グローバル化か進むなかで、国家の介入が薄まったのは事実です。しかし、だからといって、よく言われるように世界がフラット化して、資本の論理だけでやっていけるのかというと、そうはならない。再び国家の機能強化への逆転が生じてくることになる。

いまは再び振り子が国家の機能強化の方向に振れようとしています。先進国はみなそうです。リーマンショック後のアメリカの対応もそうですし、債務危機に対するユーロ加盟国の対処の仕方もそうです。

そういう世界の状況への対応の一つとして、日本でも東京大学が九月入学へ動くということが起きているのだと思います。そのようにしなければ国民の知的な潜在力を日本国家がもはや吸収できないのだという集合的な意志が働いている。当事者がどこまで意識しているかは別として、国家というのは、国家自身の生き残りを考え、そのためには何でもするものです。

ドイツやロシアに「魚は頭から腐る」という諺がありますが、国のエリート層がおかしくなると、国全体がおかしくなってきます。それを裏返せば、エリート層をしっかりさせることによって、国家全体の再建がなされてくる。東京大学は、知的エリートを集めている機関として、無意識のうちにその危機を感じているのです。国家の生存本能が、東京大学の人たちを動かしているといってよいでしょう。
レーニンの規定した19世紀末~20世紀前半までの帝国主義とは違い21世紀の現在、帝国主義大国間では植民地争奪をめぐる戦争に至るということはない。

しかし、遅れてきた帝国主義の中国を見ればわかるように、新帝国主義であろうと帝国主義とは国家のエゴ(国家の生存本能)を剥き出しに相手国の立場など考えずに、自国の利益を最大限に主張することである。

 アメリカもロシアも帝国主義がよくわかっている。一方、中国は、どこまでわかっているか怪しい。中国は見るからに帝国主義国として振る舞っていますが、やり方が非常に稚拙で、国際社会においても少しやり過ぎだとみなされた場合には、国際協調に転ずることもありうる、ということがわかっていない。ゴリ押しすると結果として世界中で顰蹙を買い中国は孤立化しはじめた。中国に従うのは2000年来の属国である南朝鮮ぐらいだろう。

ちなみに日本という国のは、帝国主義のゲームのルールがよくわかっていない。
帝国主義とは力の均衡ゲームでもあるのに、憲法九条のせいで自ら国際秩序を作れるだけのパワーを持っているにもかかわらず行使していない。故に戦後国家間のゲームに負け続けているように思える。しかしながら主体的に動かなかった結果、思わぬ成果が上がり今日の日本が存在しているようにも思う。