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「敵」をつくりだす国家http://www.uniqlo.jp/uniqlock/swf/blog_small.swf?user_id=Bo4uxIuSX6BfwXZC
大胆に整理して言ってしまうと、中国はいまネーションービルディング(民族形成)をしているということだと思います。これまでの中華帝国の「漢人」とは異なる、中華人民共和国の「中国人」という民族が生まれてきている。これは中国に特殊な現象ではなく、近代化、産業化と民族形成は必ず八ツケージになるものなのです。そこに、極めて成熟した、あるいは老成したナショナリズムをもつ日本が対峙させられてしまっている。
ネーション・ビルディングには、「敵」のイメージが必要になります。中国は、日本を敵のイメージとして利用しているのです。これは日本にとって迷惑なことです。たとえば中ソ対立当時も以後も、ロシアを敵のイメージにする可能性が相当ありました。ところがロシアはうまくそれを回避し、ロシア以外のところへ行くように誘導したのです。
それからアメリカが敵にされる可能性も十分ありました。一九九九年にユーゴスラビアの中国大使館をNATO(主力は米)軍機が誤爆した事件の直後は、中国全土で反米デモが広がり、アメリカ領事館襲撃までありました。ところがこれも収まった。初動段階のナショナリズムだから、どこを敵のイメージにするかは操作可能だったのです。
いまになって思うと、日本はこの段階で無策無能でした。自分たちは悪いことをしていないのだからと油断して、あえて対策を講じなかった。そのために敵のイメージが日本に固定されてしまったのです。だから、歴史教科書の問題が解決したと思ったら靖国問題が出て来るし、靖国が終ったと思ったら尖閣問題が出て来るし、尖閣が終ったと思ったらまた南京大虐殺が出て来るしで、きりがない。この現象は`、中国のネーションービルディングが終るまで、つまり敵のイメージに依存しないでも中国人だという感覚が十分つくれるようになるまで、続きます。
ちなみに日本で、核武装論とかTPP反対とか歴史修正主義とか、真珠湾攻撃はアメリカの陰謀であったとかいう議論が出て来るのも、ねじれた形の反米主義、アメリカを敵のイメージにしようとする潜在的な動きです。
ただ日本の場合、前の戦争で壊滅的な打撃を受けたので、アメリカと戦うと国家と民族の存亡の危機を招くという危惧が徹底的に刷り込まれているから、抑制が働くのです。しかし裏返して言うと、それだけ肌に寵っているから圧力も増大するわけで、もしも日本全体を統合するほど強大な敵のイメージが必要だとしたら反米をもってくるのがいいということにもなります。
反韓国などではイメージとして弱い。その程度のナショナリズムではエリート層を動かせません。ナショナリズムは民衆の運動ではないのです。エリート層、とくに文化エリートの運動で、それがパワーエリートに波及するかどうかがカギになります。
中国の反日ナショナリズムはいま、パワーエリートのところまで達しています。その下支えになっているのは、識字率の向上だと思います。文字を読むことによって、「われわれ中国人」という意識が共有されるようになっている。文字を通じた形での支配が強くなっています。二十年前までは自分の名前は書けても新聞や雑誌を読むことは困難な農民層が圧倒的多数だった。一九九〇年以降、中国で反日が広がった背景に、実質識字率の著しい向上があると思うのです。
さらに根本的に捉えると、産業化か進んだということです。工場のマニュアルが読めないと作業ができないし、基本的な算数の訓練も、産業化に不可欠なのです。歴史的に見れば、世界で起きていることは、ほとんどヨーロッパで起きたことの反復で、産業化も中国に特殊な事情ではありません。しかし人口的、地域的に規模が非常に大きいし、インドと比べても中国は外に向かう傾向が強い。インドには独自の世界観があるので拡張志向にならないのですけれど、中国はその意味でヨーロッパに近い。世俗的であり、実利を追う文化です。
中国は新しい帝国になれるのか
それではこの中国のネーションービルディングがうまくできるのかというと、たぶんできない。しようとしても、まずウイグルとチベットが離反する。状況によっては回族、イスラム地域も統合が難しい。内モンゴルは、ほとんど中国に同化しているけれども、歴史の記憶が出て来るとどうなるかわかりません。
毛沢東は中国が抱える民族問題に気づいていました。資源は少数民族地域にあるが、人口は漢族の地域に集中している、とはっきり言っています。中国は漢人が「中国人」になったことによって、国民統合に失敗した国家なのです。中国全体を包むような、すなわちウイグル人やチベット人も含めた新中国を建設し、新しい中国人をつくる――このネーションービルディングに失敗しています。それは共産党の中国になる以前の、中華民国をつくるときからの課題であり、失敗なのです。
中国は、ネーションができていない、プレモダンな国でした。それが、モダンな世界が限界に達したところに周回遅れで、いや二周遅れで来たものだから、あたかもポストモダンに対応できるように見えたわけです。先進国の知識人は、文化大革命をポストモダンとしてとらえ、近代的なネーションーステートを超える新しい人開か生まれているのだと考えた。中国人自身も自分たちが世界の先端を行っていると思ったでしょう。しかし、それは大いなる誤解でした。
ソ連のスターリン体制もポストモダンを目指しました。民族を超克した新しいソビエト人が出現する、ソビエト国家は形態において民族的で、本質において社会主義的であるというテーゼをスターリンが唱え、それをスースロフ(ブレジネフ時代のソ連共産党イデオロギー担当書記)が現実の政策に適用しました。全く意味をなさないようなテーゼですが、ソビエト人という、民族を超えるアイデンティティが生まれるのだからポストモダン国家であり、ネーションーステートを超えているのだと主張したのです。(略)しかし実際のソ連は、前章で述べたように帝政ロシアとの連続性が強いプレモダンな帝国でした。
中国もプレモダンだと思います。中国人自身も、このまま敵のイメージを操作することによってネーション・ビルディングを進めると、国内的に軋轢を強めることはわかっているはずです。たとえばウイグルとの民族紛争はウルムチだけで起きるわけではなく、広東省詔関市の工場でも起きている。そこではウイグル人の寮と漢人の寮は別になっていて、襲撃事件が起きて、死亡事故まで発生しています。
では中国は帝国をつくっていけるのか。帝国をつくるには、多様な民族を統合するための神話が必要になるのですが、その神話が見えない。いまのところネーションービルディング神話でやっている。しかしそれではいずれ限界がきます。民族問題や格差問題で、国内で流血が起きる。経済発展に支障をきたすような社会的な混乱や緊張が生じる。
そこで中国は分裂するのか、あるいはあの広大な領域を維持するだけの新しい神話をつくりだせるのか、この先果たして共産党が変容するのか、共産党を捨てて新しいシステムが立つのか、その見通しが全然立だないのです。国家戦略であるとか、国家体制のありかたに関して、中国のエリート層は恐ろしく鈍感で、基準に達していないように見えます。
中国と韓国の、対日姿勢の横暴さが日々増してきている。中国も韓国も事実上の「日本敵視政策」を国策の基本に据えているのだから、日本にとっては迷惑以外の何者でもないのである。日本の国家的ストーカーである。
このblogでは何度も書いているが、福沢諭吉が清国と朝鮮を「亜細亜東方の悪友」と名付け、この両国との関係を断つよう勧めた「脱亜論」は百数十年前に書かれたのだが、今読んでも、この提言は正しいと思う。
日本は今後、支那と朝鮮と一定の距離をおき、両国を除外した国際戦略を駆使すべきと思う。インド、インドネシア、ベトナム、タイ、フィリピン、ミャンマー、モンゴル、それらの国々は親日国家であり、中国の膨張を食い止めなければならないという日本と共通した危機感もある。日本は今後、こういった「亜細亜の親日国」と連携すればよいと思う。
TPPは、中国と韓国を抜きにした経済連携協定であり、TPP参加諸国と連携することは、日本にとっての将来の経済的繁栄の保証となるだけでなく、中国からの脅威を防ぐための安全保障上の意味が大きい。米・露・欧の3極との関係強化し、TPPによる太平洋共栄圏の構築をきちんと展開していけば、日本は安泰なのである。そうなれば中国や韓国と国交断絶しても何一つ問題ないのである。
中国や韓国と関係断絶しても、あるいはこの2つの反日国家と武力による全面対決する局面になったとしても、日本の安全と繁栄がきちんと保証されるような国際関係を作り上げていくことが、今後の日本が進めていくべき外交戦略となると思います。
p122-124
日本は核武装すべきか
いまや帝国主義の生き残りには、核保有の問題が絡まってきているわけです。では日本はどうなのか。
私は「日本の核武装、是か非か」と聞かれたときは、「非」と答えることにしています。
しかし、現実は日本の核武装に関しては、ある種の与件があって、それ次第で、賛成反対にかかわりなく進んで行くことでしょう。与件の変化があると、たとえば中東でイランが核を保有する、サウジアラビアも持つ、となると、日本の核保有もいい悪いとは別に、時間の問題になります。核保有は、日本外交の現実の日程に入っているのです。二十年先まで考えると、核保有をするか、あるいはアメリカの核の傘を日本の中に及ばせる、つまり非核三原則の逆で国内に必ず核を持ち込ませるという形でコミットメントさせるか。安全保障の論理からすると、何らかの形で核の担保が必要になってきます。
ただしその際、世界の核不拡散体制を崩す最初の旗を振る必要はないという感覚が私にはあります。だから聞かれたときは「非」と答えているのです。不拡散体制が崩れたとき、日本がきっかけになったからだといわれたら、その国際的な風圧はとてもきびしくなる。
本当に現実的に日本の核保有を避けるシナリオを考えるのだったら、いま経済制成をイランに対して強化して、まずイランに核保有を断念させることです。
本来、核なんかに依存しないほうがいいのは間違いありません。日本が独自に核を持って安全保障を担保する政治的なコストは、非常に高いと思います。対米にしろ、対中国にしろ、風圧が強まる。それから東南アジア諸国の風圧も全然違ってくる。
しかしやむを得ず持つことになる状況というのは、客観的にありえますし、その可能性は低くない。しかし、そうなる前に先頭を切ってやるべき話ではないと思うのです。勇ましくではなく、国家として生き延びるためやむを得ず核武装します、という形をとるべきというのが私の考えです。それは広島・長崎の被爆感情とは別の、国際政治のリアリズムから言えることです。
外交においては、詰めたほうがいいことと曖昧にしておいたほうがいいこととがある。しかし往々にして日本人には、物事を曖昧にしておけない性質があります。非核三原則の、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」もそうです。そもそも「持ち込ませず」までいわなくても、非核二原則でいいのです。それから、武器禁輸三原則も、佐藤政権時代の、共産圏、国連決議で禁止された国、紛争当事国には輸出しないというだけでよかった。三木首相時代に追加した、それ以外の地域にも武器輸出を自粛するなどという原則は不要でした。曖昧にしておけばよかったのです。「曖昧な日本人」などといわれますが、真面目すぎるのか、国際政治のリアリズムがわかっていないのか、必要以上に詰め過ぎるところがあります。
私の日本の核武装に対する考えと佐藤優氏の考え方は同じである。
稚拙な核武装論には反対である。日本はCSM非核弾道ミサイルを配備すればよいのである。

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