国難に際し、政府が機能を果たさなくなった時、日本には皇室という成文憲法や法律を超越した存在があるのだと思います。首相が3.11当時の管直人みたいな無能で無責任な人物であっても皇室がある限り日本は大丈夫であると国民の多くは思ったことでしょう。
皇室の存続、日本の国体の存続のために両陛下が一貫してとり続けてきた姿勢が、国民と共にある皇室というものです。日常の公務だけでも頭が下がる思いだが、災害時における被災地や避難した人々への慰問は、両陛下のこれまでの歩みそのものであると言っても過言ではないだろうと思います。正座をしながら被災者一人一人に声をかけ、年齢を考えるととても普通の人間では出来るものではありません。本当に頭が下がる思いです。
日本には宗教がなく当然その規範が無い。しかしながら3.11に遭遇した日本人の行動を見れば、宗教的規範がなくとも暴動や略奪は皆無で世界でも最も民度が高い国の一つである。このことは、あの反日の中国人や韓国人ですら認め、もちろん多くの世界中の人々が認めるところです。
日本における規範とは皇室がその範を示しているのだと思う。天皇陛下は、日本で最も権威がある人間にもかかわらず、謙虚で偉ぶらず、質素である。常に温和で心優しく、他人(国民)の為を思う心を持ち続けている。成果をあげた者を称え、、弱者を護る。皇室の存在は単なる象徴や王家ではなく、正気な多くの日本人にとって、知らず知らずに宗教の役割を担っていると言って過言ではないと思います。
科学がどれだけ進歩してもその先には必ず未知が存在し、大自然の驚異の前には人は唯々無力な存在です。宗教が果たしてきた役割には自分の存在理由を教え
生きていく為に、魂を救済する役割を担っています。魂を救済することは、社会を構成する人々規範を与え、精神や道徳を整える役割があるのです。皇室が行っていることは厳然とした宗教とは異なるが、日本の社会に規範を与え、魂を救済しているように思えるのです。
正気な多くの日本人にとっては宗教がなくても皇室が存在する限り正気を保てるのです。いわば、皇室の存在=日本教という宗教であると私は思います。
それゆえ、昨年李明博前韓国大統領が多くの日本人から非難を受けたのは、竹島に上陸したことよりも、天皇陛下に対する侮蔑発言ではなかったかと思うのです。
平成の今、天皇陛下は人間であって神だと思う人は皆無です。しかし、皇室を侮辱された場合多くの日本人は烈火のごとく怒るのです。これは自分の神に対する冒涜なのです。故に皇室の存在は平成の今でも擬似的宗教であって、天皇陛下はカトリックにおける法王以上の存在と言えると思います。
そう思うと、この玉音放送は神の慈愛を感じるがごとき有難さを感じざるを得ません。
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