前内閣法制局長官の山本庸幸(つねゆき)最高裁判事が就任会見で、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認は困難だとの見解を表明した。

違憲立法審査権をもつ最高裁の判事が、判決や決定以外の機会に、憲法にかかわる政治問題に対して見解を示すことは極めて異例だ。菅義偉官房長官も「非常に違和感がある」と不快感を示した。

内閣法制局は、憲法を含む法令の解釈について、内閣に意見を述べる役割を担っている。しかし、行政府としての憲法解釈は、最終的に首相と閣僚で構成する内閣において行われるべきものだ。

安倍晋三首相は国会答弁でも繰り返してきた通り、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更に信念を貫いてほしい。

山本氏の発言は、前法制局長官としての考えを示すことで、行使容認への反対論を展開したものと受け止められている。

昭和56年以来の政府の憲法解釈は「わが国は国際法上、集団的自衛権を有するが、わが国を防衛する必要最小限度の範囲を超えるため、憲法上その行使は許されない」というものだ。

それ以前の35年には、当時の林修三法制局長官が「集団的自衛権を私は日本の憲法は否定しておるものとは考えません」と答弁したこともあった。内外情勢や時代の変化に伴って憲法を含む法令の解釈変更は適宜行われてきた。国際情勢に合った解釈をすることは当然だ。

山本氏自身も記者会見で「国際情勢が緊迫化し、安全保障環境も変わっており、それを踏まえて内閣が決断し、新しい長官が理論的な助言を行うことは十分にあり得る」と語っている。

軍拡を続ける中国は尖閣諸島の領有を主張し、東シナ海などで挑発行為を重ねている。北朝鮮は国際社会の懸念をよそに核・弾道ミサイル開発を続けている。

日米同盟の維持強化は急務で、そのためにも集団的自衛権の行使容認が求められている。たとえば、公海上であれ日本を守るため行動中の米艦船が攻撃された場合、自衛隊が守れるようにすることは欠かせない。

行使容認は憲法の条文改正によるべきだとの意見もあろう。しかし、安保環境が急速に悪化している以上、解釈変更による行使容認を急ぐ必要がある。
木村 正人 | 在英国際ジャーナリスト
安倍晋三首相が憲法解釈を担う内閣法制局の長官に元外務省国際法局長の小松一郎駐仏大使を起用したことで、集団的自衛権の行使をめぐる議論が喧しくなってきた。

先の参院選で自民党は大勝したものの、憲法改正を支持する勢力で衆参両院の3分の2以上の議席を確保するには至らなかった。3分の2は憲法改正案の発議要件である。

憲法改正は時期尚早と判断した安倍首相は、それなら憲法の解釈変更で集団的自衛権を行使できるようにしようと小松氏に白羽の矢を立てた。

歴代内閣法制局長官は集団的自衛権の行使について「違憲」と解釈してきた。これに対して、小松氏は憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認しようという解釈改憲派だ。

中国が海軍力など軍備増強を進める中、日本にとって集団的自衛権の行使容認は避けては通れない喫緊の政治課題だ。

同盟国の米国がアジア・太平洋地域で第三国の攻撃を受けても日本が「平和憲法」の制約で指をくわえてみているだけという事態が生じれば、日米同盟の根幹は大きく揺らぐ。

それこそ南シナ海、沖縄県・尖閣諸島のある東シナ海での勢力拡大を狙う中国の思う壺である。

護憲の砦
内閣法制局の元長官2人がこうした安全保障環境を考慮せずに、安倍政権による解釈改憲の動きを批判している。

阪田雅裕氏(在任2004~06年)は朝日新聞のインタビューに、「国民を守るために外国の攻撃を排除するだけの実力組織として自衛隊の存在は許されるのだから、それ以外の目的で海外に出かけて武力行使をするところまで憲法9条が許容しているとは憲法全体をどうひっくり返してみても読む余地がない」と述べ、集団的自衛権の行使、集団安全保障措置、多国籍軍への参加を容認するような憲法解釈はできないとクギを刺した。

安倍首相に退任させられた山本庸幸前長官も最高裁判所判事への就任会見で「集団的自衛権は、我が国が攻撃されていないのに、我が国と密接に関係のある他の国が攻撃された時に、共に戦うことが正当化される権利だ。従来の解釈を変えることは私は難しいと思っている」と述べた。

2人とも集団的自衛権の行使を容認するなら憲法改正をと主張している。2人は改憲派かと言えば、決してそうではない。これまで、何人かの内閣法制局関係者から取材した印象を率直に言わせてもらえば、内閣法制局こそ護憲の砦だった。

以下略
安倍晋三政権が発足して本格的に集団的自衛権問題が動き出した。
安倍首相に退任させられた山本庸幸前長官も最高裁判所判事への就任会見で「集団的自衛権は、我が国が攻撃されていないのに、我が国と密接に関係のある他の国が攻撃された時に、共に戦うことが正当化される権利だ。従来の解釈を変えることは私は難しいと思っている」と述べた。
これに対し、
菅氏は21日の記者会見で、山本氏の発言について「最高裁判事が公の場で憲法改正の必要性まで言及したことについて、非常に違和感がある」と指摘。「(最高裁判断が)確定するまで、政府として憲法解釈を行う必要がある場合は、内閣法制局の法律上の専門的知見などを活用しながら第一義的には内閣が行うものだ」と強調した。

集団的自衛権について「保有しているが行使はできない」としてきた政府の現行憲法解釈は、日本の安全保障体制にとって最大の欠陥でしたが、その見直しはあまりにも当然のこと。
そもそも集団的自衛権とは
国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもつて阻止する権利を有しているものとされている。
我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている。
なお、我が国は、自衛権の行使に当たつては我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することを旨としているのであるから、集団的自衛権の行使が憲法上許されないことによつて不利益が生じるというようなものではない。
1981年の政府答弁書

日本はアメリカとの間で「日米安全保障条約」を結んでおり、この安保条約に基づいて、日本が攻撃されればアメリカは日本を守るとされている。
しかし、日本は1981年の政府答弁により「集団的自衛権」を行使できないため、もしもアメリカが他国から攻撃された場合、日本がアメリカを守ることはできない。
この点は、日米同盟の「片務性」と言われる。すなわち、万が一の場合にアメリカは日本を守ることになっているのに対して、日本は同盟国アメリカを守らず、片方(アメリカ)のみ義務を負っているのだ。
国際情勢は冷戦構造から大きく転換しました。これまでの憲法解釈が前提としていた国際情勢が変わったのだから、憲法解釈が見直されるのも当然である。
この憲法解釈は 内閣法制局が管理している。内閣法制局は政府官僚機構の一部にすぎません。官僚は国民の審判を受けませんから、政治的に責任を問われることなく、憲法解釈を自由に変えてきたのである。このことはおかしなことであり官僚任せにするのではなく、政治が責任をもって行うのがあるべき姿と思います。
憲法解釈を変更に留まらず憲法を改正すればいいのだが、まだ、国内には東京裁判史観の洗脳から覚醒している国民はまだ少数派だ。

先日ヒストリーチャンネルで、NHKスペシャルの海軍反省会についての番組を見た。
そこには今も昔も変わらず、組織の利益が最優先される、日本人の習性を見た。国益より予算獲得、組織増殖、組織防衛が優先された結果、無謀な戦争に突入していったことが見えてきました。
内閣法制局も、財務省も外務省もすべて同じ。組織の論理で動いている。自分の所属する組織の利益を最優先する結果、長期的な戦略にかけてしまう日本人の変わらぬ習性は民族として最大の弱点かもしれない。