2013.9.5 11:57
米国の対中東外交が漂流し始めた。オバマ大統領はシリア政府軍による化学兵器使用を確信し、限定的軍事介入を決断しながら、なぜか対シリア攻撃につき米議会に承認を求めた。米国外交をフォローし始めてはや35年以上たつが、これほど中途半端で稚拙な中東外交は見たことがない。同盟国の最高指導者を批判するのは本意ではないが、それにしても今回の対シリア政策はあまりにひどすぎないか。シリア情勢を見て思ったことがある。シリアを放置すべしというホワイトハウスの中で米軍をシリア攻撃に向けさせようとするケリー国務長官の行動は異常だ!
2008年、オバマはイラク戦争の終結を約束して大統領に当選した。彼の仕事はイラク・アフガンからの米軍撤退と米国内の再建であり、海外での新たな関与や軍事介入には極めて慎重だった。当然ながら、いわゆる「アラブの春」への関与も必要最小限、エジプトでクーデターが起きようが、シリアで内戦が激化しようが、オバマは米国の積極的関与を避けてきた。
本年6月、そのシリアでの化学兵器使用疑惑が報じられた際もオバマ政権は沈黙を守った。ところが8月に入り、大統領は突然対シリア政策を変更し、「シリアにおける化学兵器の使用はレッドラインだ」と表明する。レッドラインとは越えてはならない一線、すなわち米国の軍事介入を強く示唆する表現だ。
一体何が大統領を動かしたのだろうか。筆者には見当もつかない。オバマ大統領は冷静沈着な政治家だったはずだが、化学兵器の非人道性を思うあまりの衝動的な発言だったのか。理由は何であれ、大統領の発言は重く、その一挙手一投足には必ず結果が付いて回る。
オバマ大統領が好むと好まざるとにかかわらず、米国は大国である。大国の最高指導者が一度「レッドライン」に言及した以上、その一線が破られれば、具体的な行動を取らなければならない。軍事力投入を躊躇(ちゅうちょ)すれば、各国はその指導者を信用しなくなり、米国は大国でなくなるのだ。
さらに理解できないのは大統領が米議会に対シリア攻撃権限の承認を求めたことだ。失礼ながら、この時点でオバマ外交は終わったと感じた。こうした政治判断は外交ではなく、内政である。まして、憲法上米軍の最高司令官である大統領の政治判断の責任を議会関係者にも負わせようとする手法は大国米国の大統領にふさわしくないものだ。
この判断の外交的悪影響も計り知れない。シリアのアサド政権は一息ついて態勢を立て直せる。どうせ限定攻撃しかできないとなれば、シリアは米国の足元を見る。内戦は続き、化学兵器が再び使用される可能性すらあるだろう。
米国の迅速かつ毅然(きぜん)とした対応を期待した欧州・中東の関係国も一様に落胆したはずだ。彼らには今後の対シリア戦略を根本から見直す必要があるかもしれない。
いずれにせよ、この問題は化学兵器使用という非人道的行為に対する国際社会の一致した対応という大義ではなく、今や米国大統領の権威とクレディビリティー(信頼性)の維持という小事に矮小(わいしょう)化されてしまった。
もはや国連安保理決議採択は不可能。シリア政府のサリン使用が証明されたとしても、世界の関心は問題の本質から既に逸脱している。この責任は残念ながら米国の議会ではなく、大統領自身が負わなければならない。
それでは米国のシリアに対する限定的・懲罰的軍事介入は非難されるべきかといえば、それは違う。今徹底的に糾弾されるべきはアサド政権の自国民間人に対する無差別サリン攻撃であるはずだ。
かつて欧州の政治家が「最終的には米国を支持するしかない、たとえ彼らの判断が誤っているとしてもだ」と語ったことを思い出した。米国の大統領が決断した以上、米議会はこれを支持する。いかなる経緯があるにせよ、アサド政権には正しいメッセージを届けなければならない。
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【プロフィル】宮家邦彦
みやけ・くにひこ 昭和28(1953)年、神奈川県出身。栄光学園高、東京大学法学部卒。53年外務省入省。中東1課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任し、平成17年退官。第1次安倍内閣では首相公邸連絡調整官を務めた。現在、立命館大学客員教授、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。
2013.9.2 08:07
ケリー米国務長官は1日、シリアのアサド政権が化学兵器を使用したとする米報告書を念頭にロシアのプーチン大統領が「途方もないたわ言」と述べたことに対し「証拠に疑いの余地はない」と反論し、プーチン氏が意図的に証拠を無視していると批判した。
ケリー氏はABCテレビでロシア側には報告書の内容を説明したとした上で、ロシアは意図的にアサド政権の化学兵器攻撃を「少なくとも公には認めないことにした」と強調した。
オバマ米大統領やプーチン氏が出席し20カ国・地域(G20)首脳会合がロシアで5日から開催されるのを前に軍事介入方針を決めた米政権と反対するロシアの駆け引きが激化してきた。
米政府は1日も、軍事介入の承認を目指し、議会への説明を続けた。与党民主党が多数を占める上院の外交委員会は開会日程を前倒しし、祝日レーバーデー(労働者の日)明けの3日にも審議を開始する予定。民主党のリード上院院内総務は9日の週に採決する方針を示した。(共同)
2013.9.2 19:04
大統領の「変心」は最側近ですら誰ひとり予想できなかった-。オバマ米大統領がシリア攻撃を土壇場で先送りし、議会承認を求める方針に転じたことについて、米主要メディアは2日までに、議会の「お墨付き」は不要と考えていた高官らが仰天したと伝えた。デニス・マクドノー大統領首席補佐官ら中東専門家達がシリアに介入するなと必死に説得しているにもかかわらず、突然態度を豹変させた。
米主要紙によると、オバマ氏がこの方針をライス大統領補佐官(国家安全保障問題担当)らに伝えたのは、方針公表前日の8月30日午後7時からの会議。
オバマ氏は側近らを前に「とびきりのアイデアがある。君たちと試してみたい」と表明。米国の法制度に照らし、議会による事前承認は必要ないとの考えでまとまっていた側近らは非常に驚いたという。
オバマ氏は米軍制服組トップであるデンプシー統合参謀本部議長との最近の会合を通じ、介入の時期はさほど重要ではないとの感触を得たといい、それが「変心」の理由の一つとなった可能性もある。(共同)
2013.9.4 12:46
はっきりさせたい。米国が動かなかったらアサドがまた化学兵器を使う可能性が高まるのではないか。この質問に答えられますか」。シリアへの軍事介入に批判的な議員に、ケリー米国務長官が詰め寄った。
シリアのアサド政権に対する攻撃を承認すべきか否か。米議会審議の皮切りとなる3日の上院外交委員会公聴会で議員の追及にケリー氏らが敢然と反論する場面が目立ち、攻撃容認決議の獲得を目指すオバマ政権の意気込みを感じさせた。
議論が白熱したのは軍事介入に反対する共和党のポール議員とケリー氏のやりとり。米国が攻撃しなくても影響は「不明だ」としたポール氏にケリー氏は「不明?」と聞き返し、「不明ではない。米国が責任を取らせなければアサドが再び化学兵器を使うことを保証してしまう」と主張した。
反戦活動家が攻撃反対を叫び審議が中断される場面も。ベトナム戦争の従軍経験のあるケリー氏は若いころは「同じような考えだった」とし意見の違いも尊重したいと語った。(共同)
2013.9.5 09:16
ロシアのプーチン大統領は4日、ケリー米国務長官がシリア反体制派武装勢力内に国際テロ組織アルカイダ系グループが「いない」と発言したと指摘、長官は「うそをついている。悲しいこと」と批判した。大統領直属の人権評議会で述べた。タス通信が伝えた。
AP通信によるとプーチン氏がケリー氏のどの発言を指しているのかは不明だが、ケリー氏は3日の米議会公聴会で反体制派の大半がアルカイダだという見方には同意できないなどの趣旨の発言をしていた。
プーチン氏はオバマ政権がシリア軍事介入の承認を米議会に求めたことについて国際法上、国連安全保障理事会の決議なく他国攻撃を承認する権限はいかなる議会にもないと主張。「承認は侵略の承認だ。原則的に容認できない」とした。
サンクトペテルブルクで5日に始まる20カ国・地域(G20)首脳会合でシリア情勢をめぐる議論が始まる前に首脳会合の議長であるプーチン氏は対米批判のトーンを強め、オバマ大統領を迎える構えだ。(共同)
ケリー長官の開戦への執念は尋常ではない。
何か別な動機があるのではないかと疑うべきではないだろうか?
ベトナムでケリーはへタレだったのか英雄だったのかは評価が分かれている。ベトナム帰還後、関わった(VVAW)とその背後に中国の影を疑ってしまう。
Wikiのジョンケリーの項によれば
1971年11月12日から15日までVVAWミーティングがミズーリ州カンザスシティーで開催された。そこで、ベトナム戦争を継続する政府要人を暗殺し、クーデターでベトナム和平をめざすと言う提案がなされた。『ボストン・グローブ』誌のリポート。
ケリーのスポークスマン、マイケル・ミーハンは「ケリー上院議員は、カンザスシティー会議に出席したのを覚えていません」と、グローブ誌の質問について回答した。ケリーはミーティングが開催された11月の4ヶ月前、7月には同団体の活動から離れていたため、同会議には出席していないと言われてきた。しかしながらFBIの記録によれば、ケリーは同会議の議長を務めたとあり、会議での対立に破れ直後にケリーは辞任したとなっている。
政府要人暗殺の提案は反戦活動家スコット・カミルによってなされた。カミルへの電話インタビューで彼は「会議でケリーを見かけた記憶がない」と語った。会議で要人暗殺を話し合ったことについて当局は訴追をしなかったが、提案者のカミルは1972年8月のマイアミでの共和党全国大会襲撃計画を立案したとして仲間の反戦帰還兵7人とともに逮捕され、裁判にかけられた。
当時北ベトナムはソ連と中国に支援を受けていた。中ソはダマンスキー島事件(1969)で軍事的対立はしていたが、米中が突如手を握ったのは1972年であり、1971年VVAWカンザスシティミーティングは議長であった。要人暗殺計画は否決されたが、ケリー国務長官と中国との接点があるとするならば、ここではないかと思う。
ケリー議員の〝親中派〟ぶりは、「中国寄り」と言われがちな民主党議員の中でも突出しているという。
ケリーと中国のつながりの理由の一つとされる。ケリー氏の実妹夫婦が中国から引き取った養女アイリス.ケリー.ケイラー(Iris Kerry Kaler)の存在は親中である理由のお飾りにすぎない。(ネタ元)
ジョン・ケリーの中国贔屓は曾祖父・曾曾祖父が中国に関わったからと言う理由は薄すぎると思う。母方祖父James_Grant_Forbes は上海で生まれた貿易商だったので、アヘンを売っていた可能性なくはないが、その父John Murray Forbesは中国に渡る前はNYで牧師だったのである。
※因みに、馬鹿な陰謀論者達がジョンケリーはロスチャイルド一族の末端として、黒人奴隷の売買に従事してきた奴隷商人=雑誌「フォーブス」の一族と騒ぎ立てるが、まったくちがう。雑誌「フォーブス」の創業者Bertie Charles Forbesはスコットランド生まれの新聞記者で、親族ではない。
続く

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