
アべノミクスは完全に正しい! 世界で最も著名な経済学者が金融緩和の力、日銀の使命、日本経済の未来を解析。山形浩生氏の解説も必読。
「日本人が耳を傾けなかった天才・鬼才のアイデア」浜田宏一氏(イェール大学名誉教授)「アベノミクスの未来は本書のなかにある!」宮崎哲弥氏(評論家)
アベノミクスによって日本経済の風景は一変した。黒田東彦日本銀行総裁による「異次元の金融緩和」は人びとの度肝を抜いたが、その黒田日銀が打ち出す「2年間で2パーセントの物価上昇」というインフレーションターゲットを最初期に提唱した人物こそ、ノーベル賞経済学者であるポール・クルーグマン氏である。
バブル崩壊以降、政府・日銀の無為無策をクルーグマン氏は痛烈に批判しつづけた。1998年の論文「It's Baaack!」で示された処方箋を15年越しでいま、「アベノミクス」という政策で日本が実践している。自らの申し子ともいえるアベノミクスをクルーグマン氏はどのように評価しているのだろうか。
「失われた20年」は人為的な問題であり、デフレ期待がいかに悲惨な結末をもたらすか。論議を呼んでいる「中央銀行の独立性」をどう考えればよいのか。そうした本質論はもちろん、「インフレ率2パーセント達成後の日本」をもクルーグマン氏は大胆に見通す。そこで日本の財政、株価、人びとの暮らしはどう変わるのか。
さらには早くも語られはじめた金融緩和の「出口戦略」や、「歳出削減」「増税」に対するクルーグマン氏の知見から、いまの日本が学べるものは少なくない。そして日本経済の未来のみならず、10年後のアメリカ、中国、そして新興国の未来までをも本書は射程に収めている。
「この政策実験がうまくいけば、まさに日本は世界各国のロールモデルになることができる」。世界最高の知性がアベノミクスのもつ世界史的な意義までを見据え、日本の読者のためだけに語り下ろした一冊。クルーグマン氏の業績をいち早く日本に紹介した山形浩生氏の本質を突いた解説も必読である。
〔内容例〕世界標準の方法論に反対した日本の識者たち/リーマン・ショック時の政策対応は正しかったか/アメリカはアベノミクスを支持している/金利の議論は経済学理論のよいテスト/デフレ化での独立性はむしろ有害だ/さらなる金融緩和競争のすすめ/緊縮政策推進派の学者はいまや冷笑の的/日本はOECDのアドバイスを無視すべき/オバマはなぜ「チェンジ」できなかったか/中国のボトルネックは環境破壊/いまこそ世界は日本を必要としている
当ブログにおいてポール・クルーグマンは蛇蠍のごとく批判させていただいている。正直単純に私は保守主義者としてポール・クルーグマンが嫌いなのである。
わたくしが作成した下記パロディ画像はグーグルでポール・クルーグマンを画像検索するとよくヒットします。
しかし、侮日的な態度が鼻についたクルーグマンが一転日本経済とアベノミックスを絶賛しているので、私は彼に敬意を払い本書を購入し、印税を払ってやった。
14~15年前、ポール・クルーグマンやバーナンキFRB議長は、日本は積極的な金融緩和で不況を乗り切るべきであり、一向にそうせず、財政出動ばかりに頼っている日本を強く批判していた。 積極的な金融緩和策をとることを拒否している日銀を頑迷固陋と批判していたのだった。
ところが、2009年リーマンショックが発生すると米国経済学界の主流派を自負していたこの2人が、金融政策は万能ではなく財政出動も必要な時があることに気付いた。バーナンキFRB議長は直ちに金融緩和を行うとともにあれほど批判していた財政出動を行った。
ポール・クルーグマンも金融政策万能論であったが、彼もリーマンショック後バーナンキと同じく金融政策偏重から財政政策+金融緩和へといつの間にかスタンスを変え、今では異次元金融緩和と財政出動がセットのアベノミックスを絶賛している。
厚顔無恥としか言いようがない!
文芸春秋1999年11月号でポール・クルーグマン教授とリチャード・クー氏の対談が載っていた。その中で今後日本政府が採るべき経済政策、つまり景気対策の方法についての対談であった。経済コラムマガジンにその記録評論が残っています。
リチャード・クー氏
企業や個人のバランスシートは、バブル崩壊に伴って相当傷がついている。このような状態では、今日の低金利でも、人々は債務の返済を優先し、投資は伸びない。したがって現状では金融政策だけでは限度がある。したがってバランスシートの改善が済むまで、大胆な財政出動により景気の下支えを行うべきである。
ポール・クルーグマン教授
当分財政支出による需要の喚起も必要であるが、これにも限度がある。また日本は現在深刻なデフレの状態である。そこで今一番必要なのは大胆な金融の緩和である。
まず日本の経済の深刻な現状については、両者の認識は一致している。また日本の経済は流動性のワナにかかっており、金利政策の有効性が失われていることについても両者の意見はほぼ一致している。
しかしそれに対する政府が採るべき政策について、両者の間に大きな相違が存在するのである。リチャード・クー氏は一段と大胆な財政支出を、そしてクルーグマン教授は、金融政策の有効性が小さくなっていることは承知しているが、一段と大胆な金融の緩和を柱にすべきとそれぞれ主張している。特にクルーグマン教授は持論の「調整インフレ」の必要性を強調している。
日本においては昔から、不況時の景気対策について何を重点に行うかがいつも議論になった。ちょうど両者がここで議論しているようなことが、日本ではこれまでも何度となく論争のテーマとなったのである。
従来は、日本の経済が金利の動向にあまり敏感に反応しない体質にあり、景気対策の柱はやはり財政政策と言うのが一般的であった。たしかに最初に機動性に富む金融政策、例えば公定歩合の引下げが行われが、これはこれから景気対策を行うと言うアナウンスメント効果となるが、本格的な景気対策は予算の執行を伴う財政政策であった。
例外的なのは、プラザ合意以降の円高不況時の景気対策である。当時、財政再建に固執する財政当局は、財政出動による景気対策をある程度渋った。その分金融政策の負担が大きくなり、これがバブルの原因ともなった。
両者の主張には大きな違いがある。これは両者の日本経済の現状の見方が異なるからと筆者は考えている。つまり議論する上で、両者が想定している前提条件に違いがあるからである。リチャード・クー氏はこれ以上の金融緩和は無効と考え、財政政策に重点を置くべきと考えている。一方、クルーグマン教授は、たしかに日本は流動性のワナにかかっているが、人々が想像する以上の大胆な金融緩和を行えば、必ず効果があると考えている。そして財政政策だけでなく、日銀の一段の金融緩和が必要と主張しているのである。
両者の議論は、この一点、つまりこれ以上の金融緩和が効果的であるのかどうかで白熱する。バランスシートの改善が済むまで、どれだけ金融緩和を行っても、準備預金が積み上がるだけで、実体経済には影響を及さないとリチャード・クー氏は主張する。これに対してクルーグマン教授は、全ての企業や人のバランスシートがバブルで傷ついた訳ではないのだから、金融の量的緩和は必ず効果があると反論する。さらにこれに対してリチャード・クー氏は、土地などの資産価格の下落が続いている現状では、余裕のある者も投資を控えており、どれだけ金融緩和を行っても、資金需要はないと反論する具合である。
筆者の感想と意見
両者の議論は、他に為替動向や米国の日本の経済政策に対する姿勢などにも及んだが、これらの具体的な内容については割愛する。ところで両者のような有力なエコノミストの議論に、筆者ごとき者がコメントするのはおこがましいと承知しているが、筆者にも若干の意見があり、それらをここで述べることにしたい。
どちらの考えが正しいかと言えば、筆者の考えでは、それはリチャード・クー氏の方である。まさに正論である。しかし両者の考えを同時に実現する方法もあると筆者は考える。大きな財政支出を行い、それに伴う国債を日銀が直接引受けるのである。これにより財政政策による需要の増加と、仲介機能が不全になっている銀行を飛び越え、市中に資金を供給することが同時に実現するはずである。しかしリチャード・クー氏は国債の日銀引受けの可能性については、どうも触れたがらないようである。筆者は、国債の大量発行と言うことになれば、どうしても日銀引受けと言う話が浮上してくると思われる。筆者は、リチャード・クー氏がニューヨーク連銀、つまり中央銀行の出身と言うことが影響し、どうしても中央銀行による国債の引受けと言う事態に抵抗があるのではないかと考えている。
まあ、本ブログでいままで批判してきたポール・クルーグマンへの総括はここまでとして、本書の内容にはいりたい。
p48-53
アメリカはアベノミクスを支持しているそして日本経済が世界の希望になるとのお題目なのだが、本書を読んでいるとほとんど、「俺が言っていることが正しい」、「俺の言うことを聞かなかったから20年もデフレだったんだ」という歪んだ自意識が鼻につく・・・P48-52はそういったところが少ないのでコピペしました。
日本に視点を戻そう。はたして「アベノミクス」は人びとの「期待」を動かせるのか。留保すベきは、アウトサイダーが財政政策を診断するのは難しい、ということである。それほど多くの財政刺激策が計画されていない、という懸念は当然あるだろう。そこで絶対的に必要な矢が、すでに欠けているかもしれないというわけだ。
だが「第三の矢」といわれる構造改革がそれを決めるとは、私は思わない。というのも、ほとんどすベての人がそうみなしているほど、それは重要な矢ではないからだ。為政者は誰もが構造改革を約束するが、そうした態度自体を私は疑っている。
ほんとうに国民に大きなショックを与えたければ、フランスのように出産を奨励し、移民を開放するような手段が必要になる。そうすれば、国民の期待は大きく動く。しかしそうした施策を日本はとりそうもない。私かいまもっとも関心を抱くのは、その政策を信用あるものにするためには何か重要なのか、ということだ。
アベノミクスは「日本がはまった罠」から脱却するためには必要だが、十分なものかどうかはまだわからない。OECD(経済協力開発機構)は日本経済の見通しについて、二〇一三年度の実質経済成長率を〇・七パーセントから一・六パーセントヘと大幅に上方修正したが、これを「アベノミクス効果」と呼ベるのか。
アベノミクスがもたらしたもっともわかりやすい変化は円安である。投資の分野でもある程度の変化がみられた。しかし、これは対照実験ではない。いまの段階で何かを語るのは時期尚早だろう。
二パーセントというインフレ目標の数値についてはどうか。以前から私は四パーセントのインフレ目標が適切だ、と主張してきた。日本だけではなく、OECD諸国全体にとってもそうである。
しかし、いますぐ四パーセントのインフレ目標を提示することが政治的に不可能であるなら、まずはニパーセントという数字は妥当だ。しばらく様子をみたうえで、さらに大きな数字を主張する、というかたちでもよいだろう。
他国のインフレ目標も、公式、あるいは非公式に二パーセントを目標としている。現在インフレ目標を採用している二〇力国の中位値も二パーセントだ。二パーセントの根拠は何か、と聞かれることも少なくないが、端的にいうなら、歴史の偶然といってよい。
二パーセントのインフレ目標は、理論上も「流動性の罠」に陥らない「ちょうどよい数字」である。しかしいま、明らかになっているのは二パーセントではもはや十分ではない、ということだ。もちろん、より高いインフレ目標をもつことは不健全、とみなす人もいるが、ローレンスーボール(ジョンズーホプキンス大学教授)はもっと高い目標こそ必要だ、と主張している。オリビエーブランチャード(IMFチーフェコノミスト)も高いインフレ目標は合理的、と慎重に提案している。
元財務長官のローレンスーサマーズも、彼の書いたものから判断するにアペノミクスを支持している。先に述べたマイケルーウッドフォードも、アペノミクスのような政策こそが求められている、と示唆している。
どんな問題についても、アメリカには反対の立場をとる経済学者がみつかるだろう。おそらくFRBは金利を上げるべき、と考えている人たちは、アベノミクスを好ましく思ってはいない。しかし、いま述べたアペノミクスに対する考え方は、けっして異端ではない。それを支持する人びとは、相当数存在している。
世界各国のロールモデルになれるか
二〇一三年五月二十四日、私は『ニューヨークータイムズ』紙に「モデルとしての日本」というコラムを書いた。かいつまんで紹介しよう。
「ある意味では、安倍政権によって採用された金融・財政刺激政策への急転換である『アペノミクス』についてほんとうに重要な点は、他の先進国が同様なもの(注)コーディネートされた金融・財政政策)をまったく試していないということだ。じつのところ、西洋世界は経済的な敗北主義に圧倒されてしまっているように思われる。
日本の政策当局者が、北大西洋周辺で聞かれるような無策と同じ言い訳をするのは容易なはずだ。急速に高齢化する人口に縛られてしまっているとか、経済は構造的な問題によって押しつぶされているとか(そして日本の構造的問題、とくに女性に対する差別などは伝説的だ)、負債が大きすぎるとか(経済規模でみて、ギリシヤよりも大きい)、そして過去においては日本の当局者は実際に、そうした言い訳をするのが大好きだった。
しかし、安倍政権がどうやら理解したらしい真実は、こうした問題のすベては経済の停滞によって悪化してしまっている、というものだ。短期的な成長の押し上げは日本の病のすベてを恥したりはしないが、それが実現できれば、はるかに明るい未来へ向けての最初の一歩になりうる。
経済を立て直そうとする日本の努力についての全体的な評価は、これまでのところ良好だ。そしてこの評価がこのまま維持され、時とともに高まっていくことを望もうではないか。もしアベノミクスがうまくいくなら、それは日本にとって不可欠な成長の押し上げをもたらし、その他の世界には政策の無気力さに対して必要な解毒剤を与えるという、二つの目的を果たしてくれるのだから」
そう、この政策実験がうまくいけば、まさに日本は世界各国のロールモデルになることができる。アベノミクスによってほんとうにデフレから脱却できるなら、それは将来同じ状況に陥った国に対しても、大きな示唆になるからだ。
私はかつて”日本がスーパーマンだった時代”を覚えている。日本がやることなすことにかなうはずがない、と痛感した世代なのだ。その後、日本経済が窮地に陥ったとき、その混乱は甚だしいものだった。アメリカやヨーロッパの経済学者の一部には、もはや日本から見習うものは何もない、と考えている人たちもいる。
しかし一方で、その日本がいま、世界各国から注目を浴びている。日本の成功は自国のみならず、世界経済にとっても、大きな貢献になりうるからだ。
ポール・クルーグマンはデフレの根本原因を少子高齢化だと藻谷浩介氏の著書「デフレの正体」と同じようなことを言っています。 しかし、同じ少子高齢化のドイツがデフレで悩んではいない。日本がデフレになる必然性もない。
この点をクルーグマンはP34で
少子高齢化によって労働力人口が減少すると、労働力が減少し その結果、労働分配率が上昇し、効率的な資本の動きを示す資本の限界生産力(企業が一単位の資本を追加的に増やしたときに得られる生産量)は低下する。
ゆえに少子高齢化が進む経済においては、企業が資本を過度に蓄積しないよう、実質金利を低く抑えなければならない。そのためには、むしろマイルドなインフレが必要とされている・・・
と説明している。
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