
旧聞になるが「アンパンマン」などで知られる漫画家、やなせたかし(本名=柳瀬嵩)氏が昨年10月13日、心不全のため死去した。
私はあんぱんまんで育った世代ではないので、やなせたかしといえば、「手のひらを太陽に」(いずみたく作曲)の作詞者、雑誌「詩とメルヘン」(私が通った歯医者によくおいてあった)である。
やなせたかし氏のヒューマニズム、単純な正義感のメッセージは1960年以降に生まれた日本人の心の奥底には刻まれているとわたしは思う。
わが身をちぎり与える「正義」、アンパンマンの“遺言”…やなせたかし氏が「最後のインタビュー」で伝えてくれたこと 2013.10.19 07:00
13日に94歳で亡くなった「アンパンマン」などで知られる漫画家、やなせたかしさん。昨年6月30日、アンパンマンの劇場版の映画についてインタビューするため、東京の自宅兼スタジオを訪れた。子供たちに夢や希望を届け、精力的に仕事を続けたやなせさんは「僕の“最後のインタビュー”だよ」と話していた。約2時間にわたる取材。やなせさんの「最後の言葉」の一部を綴る。(橋本奈実)
劇場版24作「それいけ!アンパンマン よみがえれ バナナ島」
テーマは復興です。初めは友情を、と言われていたが、絶対に復興だ、と。生々しいものではなく、天変地異でバナナ島が危機に陥り、それをリバイバルさせる映画にしようと。
バナナは、子供も大人も好き。実は僕もバナナが好きで毎日食べるんです。デパートへ買いに行きますが、なんと四時半になると売り切れちゃう。人気の果物なんですよ。
島を救うため、アンパンマンとばいきんまんが協力するのもポイント。我々の住む世界の危機に、敵も味方もないんです。共にこの世界を守らないと。現在、私たちの地球は相当、危なくなっているんですよ。それなのに互いに戦争をして殺し合いをしているのは、僕は実に愚劣だと思うんですね。
暮らしていく上で毎日大変だ、どうなのか、と泣いている訳にはいかない。その上で、なるべく楽しく暮らして、いざというときに互いに助け合わねば。そういうことを表現したかったんです。
正義というものはいったい何か。ミサイルで相手をやっつけることなのか、あるいはそこに来た怪獣をやっつけることなのか。僕はそうでないと思ったのね。本当の正義の味方だったら、そこにお腹をすかせた子供がいたら、その子供にパンをわけて与える人が正義の味方なんだと思ったんです。
海外にはストリートチルドレンがいっぱいいるし、次から次へと子供たちが命を落としている。それはなぜか。飢えで死んでいるんだ。食べるものがない。本当に正義の味方だったら、飢える子供を助ける方が先なんじゃないか…。
だから飢えている子供を助けるヒーローを作ろうと。その場合、一番簡単なファストフードは何か。日本でいえば、「アンパン」だと思ったんです。
飢えを助けることができるし、甘いからお菓子にもなる。それに音の響きがいいでしょ。ジャムやクリームというより、「アン」「パン」という韻を踏んだサウンド。アン、パン、マン、という音の響きの良さで選びました。
アンパン、僕自身も好きですよ。俺の子供の頃は、「アンパン」「せんべい」「キャラメル」くらいしかなかったんだよ。
アンパンマンの中身は「正義」
アンパンマンが出来た頃は、評論家がこぞって批判したんだ。自分の体をちぎるような残酷なものはだめだとかね。認めてくれたのは2歳くらいの子供だったんだよ。
出版社でも評判が悪かったのに、幼稚園に行くと子供が奪い合って読む。アンパンマンの本だけがぼろぼろになっている。僕はあちこちの図書館へ本を寄付したんですよ。
アンパンマンの中にあるのは『献身』なんだよね。正義は自分を犠牲にしなければどうしてもできない。自分が傷つくことなしにはできない、という僕の考えが入っているんだよね。
僕はもともと幼児向けのものを描かない、描けないと思っていた。ですから、最初のアンパンマンは、スリムであまり可愛くない。幼児向けには作っていなかったんです。ヒットして、いや、驚きました。
東日本大震災
震災の時、僕はすぐに現地に行こうと思ったんですよ。ところが入院してしまったんですね。心筋梗塞と肺炎と腸閉塞と3つ一緒にやってしまって救急車で運ばれて、生き返ってしまったのね。でも現在も、目がほどんど見えない。体は相当痛んでいますよ。でも生きている間はやれることはやると決めたわけ。
仙台の女の子から手紙が来たんですよ。「私は地震が来ても少しも怖くない、アンパンマンが来てくれるから」と。非常に責任を感じちゃってね。なんとかして元気づけなくちゃいけない。ということで、ポスターを作って配ったり、ハンカチやバンダナを配ったり、被災地に歌手を派遣したり、いろんなことをやりました。
戦争体験と震災
戦時中、飢えが一番辛くてね。食べるものがなくてタンポポ食べたりしたんだけど。飢えは本当に我慢できない。
戦争が終わって引き上げてきたとき、広島を通過したんです。何にもないんだよ。本当に何もなんだよ。呆然としたよ。でも今は広島は復興していますよね。
阪神大震災も相当ひどかったよね。東北は今も大変。でも、戦後復興した日本なら震災からも立ち直れると思っているんだ。
放射能の問題にしても、本当に何が起きるか分からない。これが我々の住んでいる世界。だから、力を合わせて克服しなければ。困難があっても知恵を合わせてやっていけば、いつか解決すると僕は思っています。
アンパンマンは実在する?
子供たちにとってはアンパンマン実在します。サンタクロースと同じなんですよ。僕もそうだったよ。サンタクロースが本当にいると思って、うちに煙突がないのですごく心配してね。サンタクロースが入れないといけないと思って、寝るときに寒いのにちょっと窓を開けていた。
「大きくなったら食パンマン様と結婚する」という子供もいる。大人になってもそうだとお母さんは困るだろうけど、子供の時は実在しているものなんです。
子供たちからの手紙はある程度残していますよ。
お母さんから来た手紙もあるんですよ。物干し竿に子供がアンパンマン宛ての手紙を毎日結んでいたそうでね。邪魔だからほどくと「アンパンマンが飛んできて読むために置いてあるのに、持って来ちゃダメ」と。お母さんは「届けてあげる」と言ったけれど、どこに届けるのか分からないのでやなせさんにお送りますとね。なんかいいよね。僕は返事を出しました。「アンパンマンより。あなたの手紙読みました」とね。
漫画家への道〈アンパンマンのテーマ曲の冒頭の歌詞から…〉
我々は何のために生まれ、何をして生きるか。ところが大学を卒業して何をすればいいのか分からない人が結構いる。まあ、僕もそうでした。
デザイン学校を出たから絵を描くことは決めていたけれど、その中でも色々あるから。自由に仕事がしたい、と漫画家になったんだ。
でも漫画家にもいろんなジャンルがあり、どこにいっても大天才がいるので負けてしまう。自分の道を長い間探し求めて、やっとこの見つけたのはメルヘンチックな方向だった。
「詩とメルヘン」の編集はサンリオの社長に「詩の本を出したい。売れないから原稿料はいいから」と頼んで始めました。わかりやすい詩を集めて出したいと思ったことが少女たちに響いたのかな。
これから…
やってみたいことはもうないよ。見えないし、聞こえないし、動けない。いよいよ天命の尽きるときが来たかな。何もできないけれど、生き返ったら何でもやります。でも生きているということはまだやることがあるという使命。その間に、やれることはやると決めたんだ。
がんは手術をしても2カ月で再発するんですよ。医者が「あなたの年でこんなに早く再発しないです、よほど細胞が元気なんですね」と。望みとしては奇跡が起きて治るかもしれないと思っているんだけどね。
私はアンパンマンではなく鉄腕アトムで育った世代の日本人である。
鉄腕アトムは手塚治氏の思想と夢が我々世代の意識の根底に子供時代に植え付けられたと思っています。大人になったらアトムのようなロボットを創ってみたいと考えた多くの子供たちがやがて世界最先端をはしる現代日本のロボット工学を生んだと言って過言ではないと思います。
やなせたかし氏の本を読んだ。

やなせ氏を批判したくはないのだが、少々愕然としてしまった。
やなせ氏が描く世界は性善説が成立するファンタジーの世界である。おそらく日本も性善説が成立する平和な社会なのだからだろう。
我々日本人の心理に刻まれている正義の正体があまりに従順で単純ですぎて危うく、良く言えば「勧善懲悪」、悪く言えばあまり深く正義を疑うことを知らないいのではないか?
戦後、憲法9条を固守している護憲派の正義の正体のような気がした。
もちろん、現代においても、小林よしのりに感化された単純な「ネットウヨ」も本質には もしかしたら やなせたかし氏のヒューマニズムがその根底に流れているような気がした。
もちろん、やなせ氏も天皇陛下が現人神から人間宣言を行い急性アノミーを経験した世代であるから、一応正義を疑っている。
p20-22
どっちが正義でどっちが悪?
戦争で感じた大事なことがもう一つあります。それは、正義というのはあやふやなものだということです。
ぼくが子どもの頃は、天皇は神様である、天皇のために忠義を尽くし、日本を愛しなさいと教えられていました。子どもですから、先生が言えばその通りだろう、それが正しいのだと思っていました。
二十一歳で戦争に行った当時は「天に代わりで不義を討つ」と歌う軍歌がありました。「この戦争は聖戦だ」と勇ましく歌う歌です。ぼくも兵隊になった時は、日本は中国を助けなくてはいけない、正義のために戦うのだと思って戦争に行ったのです。
でも、聖戦だと思って行った戦争だって、立場を変えてみればどうでしょう。中国の側から見れば侵略してくる日本は悪魔にしか見えません。そうして日本が戦争に負け、すべてが終わると日本の社会はガラッと変化しました。
それまでの軍国主義から民主主義へ。それまでは天皇が神様だと言っていたのに、急にみんな平等だ、民主主義だと言われるようになりました。民主主義が何かということは本当はまだ誰にも分かっていませんでしたので、みんな右往左往していました。ぼくも状況がのみこめるまでぼんやりした感じでした。でも、だんだんはっきりと分かってきたことがあります。 正義のための戦いなんてどこにもないのです。
正義はある日突然逆転する。
逆転しない正義は献身と愛です。
それは言葉としては難しいかもしれないけれど、例えばもしも目の前で餓えている人、がいれば一切れのパンを差し出すこと。それは戦争から戻った後、ぼくの基本的な考えの中心になりました。
正義が何かというのは難しい。後になってから気がつくことはあるけれど、その時には何か正しいのか分かりません。昨日まで正しいと思っていたことが、明日には悪に変わるかもしれない。戦争だって、両方とも光と陰があって絶対的な悪かおるのではない。アラブにはアラブの正義、イスラエルにはイスラエルの正義がある。相手をやっつければいいかというとそうはいかない。そんな
簡単なものじゃない。このことはまた後で詳しくお話しします。
逆転しない正義は献身と愛その通り!しかし、皇室を残すために汚名を被り巣鴨の露と消えた東條英樹の命ら靖國神社に祀られているA級戦犯の汚名を着せられた祭神を中国や韓国、反日日本人達は正義ではないと言っている。
中国・韓国は反日日本人の影響で靖國のA級戦犯を問題視する。反日日本人の根底には、終戦による急性アノミーと米国による洗脳である東京裁判史観が大きな影響を与えている。
私が尊敬し、敬愛して止まない小室直樹先生が日本はアノミー状態にある」と1976年出版の「危機の構造」副題日本社会崩壊モデルですでに喝破されています。
現代日本における急性アノミーp162~165
現代日本における急性アノミーは、社会を根底からくつがえす契機を内包しているが、 その源泉は、①天皇の人間宣言、②デモクラシー神話の崩壊、③共産主義神話の崩壊の三者である。もとより、最も致命的であるのは①であり、②も③も、①の原形をたどりつつ急性アノミーに導かれたことに注目されるべきである。
つまり、戦後デモクラシーも共産主義も、天皇の人間宣言によって「失われた秩序の再確立」を目指したものではあったが、そのために必要た条件が満たされず、同様た過程をたどりつつ(逆コース。スターリソ批判および中ソ論争)崩壊したと思われる(本稿では、この点に関する分析省略)。ゆえに、以下では①に焦点を合わせて分析を進める。戦前の日本において、「象徴としての、『天皇』は、或は、『神』として宗教的倫理の領域に高昇して価値の絶対的実体として超出し、或は又、温情に溢れた最大最高の『家父』として人間生活の情緒(ゲミユート)の世界に内在して、日常的親密をもって君臨する。しかし又その間にあって、『天皇』は政治的主権者として万能の『君権』を意味していた」のである。ゆえに、天皇の人間宣言は、根本規範(グルントノルム)の否定であり、全宇宙の秩序の崩壊である。このことによって生じた急性アノミーは致命的なものとならざるをえない。そこで、頂点における天皇シソボルの崩壊によって、「国民の国家意識は、・・・・その古巣へ、つまり社会構造の底辺をなす家族・村落・地方的小集団のなかに還流」することにたる。
このことによってのみ、致命的な急性アノミーによって生じた「孤立感と無力感を癒し」、「大衆の心理空白を充たす」ことが可能であるからである。いかにも、村落共同体(およびそれを原形としてつくられた集団)こそ、底辺から天皇制を支えた日本の基底であった。
ところが、村落共同体もまた安住の地ではありえない。すでに村落共同体は、身分秩序と共同体的生産様式に内在する矛盾の展開により解体の危機に直面していたが、終戦とともに、確実に解体を開始する。そして、この解体過程を全面的なものとし決定的に加速化したものこそ、高度経済成長のスタートである。
共同体的機能集団への再編解体した村落共同体にかわって、組織とくに機能集団が運命共同体的性格を帯びることにたる。これを、共同体的機能集団と浮ぶ。このことこそ、現代日本の最大の組織的特徴であり、現代の危機の構造も、かかる杜会学的特徴をもった共同体的機能集団の独特な運動法則によって規定される。
この、共同体的機能集団こそ、大日本帝国の組織的特徴たる頂点における天皇制的官僚機構と、底辺における(村落)共同体的構造とを再編し、一つに統合するものである。
丸山真男教授は、「日本の近代国家発展のダイナミズムは、一方、中央を起動とする近代化が地方と下層に波及・下降して行くプロセスと、他方、右のような『むら』あるいは『郷党杜会』をモデルとする人間関係と制裁様式…が底辺から立ちのぽってあらゆる国家機構や杜会組織の内部に転位して行くプロセスと、この両方向の無限の往復から成っている」とし、大日本帝国の特徴を、頂点における天皇制官僚機構と、底辺における共同体的構造とその社会的媒介としての共同体を基礎とする地主=名望家支配としてモデル化し、意識的にその結合をイデオロギー化したのが、いわゆる家族国家観であるとする。たお、このような大日本帝国は、「官憲国家としての身分秩序と資本主義経済という相互に矛盾した契機の微妙な均衡を基礎」としつつ存立しえたともいえよう。
現在においては、共同体的身分秩序と資本主義的機能集団(としての要請)という相互に矛盾した契機の微妙な均衡は、この共同体的機能集団という同一の集団に基礎をおくこととなる。
官庁、学校、企業などの機能集団は、同時に生活共同体であり運命共同体である。各成員は、あたかも「新しく生まれたかのごとく」この共同体に加入し、ひとたび加入した以上、他の共同体に移住することは著しく困難である。しかも、彼らは、この共同体を離れては生活の資が得られたいだけでなく、社会的生活を営むことすら困難である。
かくて、共同体は、各成員の全人格を吸収しつくし、個人の析出は、著し<困難なものとならざるをえたくなる。
このようた共同体的機能集団が、日本的社会構造の所産というよりも、むしろ現在の組織的特徴を表わすものである。
ところが、現代日本は 共同体的機能集団であった官庁、学校、企業などがコストカットや個人情報保護法などで共同体としての機能が果たせなくなってしてしまった。擬似共同体は単なる機能集団となってしまった。つまり現代の日本は共同体を失ってしまったのだ。
共同体を失った個人は孤独であり、特に宗教を持たない日本社会における規範の喪失を埋める穴はTVや新聞などメディアが担っている。
やなせたかし氏の価値観は手塚治氏が今の日本人に与えた影響のように明日の日本を担う世代の日本人の心の奥底に影響を及ぼしていると思う。
単純な性善説を信じていると性悪説の国というか人を騙したり歴史を改ざんして平気な韓国や中国と付き合うちょいと気が重い。
p25-27
アンパンマンは太陽みたいな存在でね。みんなあまり気がついてないけど、アンパンマンに対比して他のキャラクターを好きになっているのですね。これはぼくも話を書き始めてから気がついたことだけど、アンパンマンはやっぱり主役で中心なのです。アンパンマンの光を受けて他のキャラクターはみんな生きている。一番光を受けているのはばいきんまんですが、他のキャラクターもみんな受けています。
その点でアンパンマンは非常に重要です。面白いキャラクターはたくさん出
てくるんですけど、その時アンパンマンがいないとあまり面白くないのです。
悪を見破るのって難しい
ばいきんまんは悪役だけれど、ある面では愛嬌があるんです。よく変身して登場しますが、みなさんがご覧になると、一見してばいきんまんが変身していると分かるような変身の仕方なんだよね。
例えばジャムおじさんに変身すると、一目でばいきんまんが変身していると分かるのに、みんなが「あ、ジャムおじさん」と偏されてしまう。なんで分からないのか、作者のぼくが何回見ても不思議なくらいです。
アンパンマン側の人は人がいいのですね。そういうところが物語としての一種の面白さでもあるけれど、これは実は、現実の世界でも同じことがあるのです。
現実の世界のばいきんは、生活の中にたくさんいます。ばいきんのせいで病気になることだってよくあります。誰だって病気にはなりたくないから、はじめから病気になると分かっているような、ばいきんがたくさんあるところへは誰も行きません。
でも、ばいきんは、一目見てすぐには分からない。「しまった、あの時にうっかり」と思うような時に病気になります。
ばいきんまんを登場させた時にそこまでの意味を考えていたのではないですが、現実もそうだということなのです。
悪についてもうちょっと考えてみましょうか。悪いものは、いかにも悪い感じで現れるとは限りません。我々の社会は、なんてあんなことで騙されるのだろうということで簡単に騙されるものなのです。
偽の子どもになりすまして電話をして、その親からお金をだましとる事件があったでしょう。自分は絶対にあんなものでは騙されないと思っていても、あっさり騙されてしまう。自分かその場に立つと理性を失ってしまうのですね。悪を見破るのは簡単なことではありません。
騙すという行為は確かに良くないけれど、騙される側にも信じやすいとか、人が良すぎるとか、ややまずいところがある。だから詐欺罪は罪としては強盗傷害や殺人に比べると意外と軽いのです。だからあっていいかというと、あっては良くないんだけど。全員まっ正直というわけにもいかないというのが、この世の中なんだよね。
ま、まるで平和な日本・・・・日本以外だったら悪人は平気で人を殺す・・・
やなせ氏の世界観は子供に対しても所詮お子ちゃま向けの世界観にすぎない。
そんな甘い世界観が戦後の日本人の心の中にも蔓延していると感じます。
悪い人にも正義感はあるこの例えはあまりに酷くて・・・
世の中には`気の毒だけど悪の役をやらなくちゃいけない人もいるんですね。
オオカミは悪党の役をやる代表格です。
他の動物を食ってしまいますからね。でも、そうしないとオオカミは生きられないじゃない。手塚治虫の『ジャングル大帝』のライオンのように昆虫を育てて食べる物語もありますが、ライオンはどんなに優しくても弱い動物を食べないと生きられないのです。
弱肉強食というのはうまくできていて、自然の中の一つの流れに沿っているのですね。ネズミやウサギ、シカなどの弱い動物は数が多く、どんどん増えていきます。そして適当に問引かれてバランス、が保たれていくようになっているのです。ある程度の間引きは必要悪なんです。強いライオンが弱い動物を食べているのは悪に見えるけれど、そうしないと増え過ぎて、バランスが崩れてしまうのですね。
人間にも悪党役の人がいます。でも悪人の中にもある種の正義感はあって、完全な絶対悪というものはありません。
厚生労働省の元事務次官を襲撃する事件、がありました。犯人に、犯行理由を聞いてみると、昔飼っていた犬のかたきをうつためと言ったといいます。本当のところは分かりませんが、犯人は優しい心だって持っていたのだと思います。
ぼくが書いた絵本に『チリンのすず』という作品があります。
オオカミに両親を殺されたひつじのこども「チリン」が、そのオオカミに弟子入りして強くなり、最後には復讐してオオカミをたおす話です。
チリンのお母さんは、チリンをかばって死にました。オオカミはチリンが住んでいた牧場を襲って親を殺してしまった仇です。
でも、チリンがオオカミに弟子入りしようと「ぼくはこひつじのチリンです。
ぼくもあなたのような強いオオカミになりたい。ぼくをあなたの弟子にしてください」とお願いに行くと、オオカミの心の中がふわーっとあたたかくなるのです。いつもは嫌われ者でそんなことを言われるのが初めてだったのですね。
チリンはオオカミの元で毎日強くなるために訓練をします。三年がたつと、チリンはすっかりたくましく育ち、どこから見てもひつじには見えないものすごいけだものになります。
そうしてある嵐の日、チリンはいよいよ仇をうつためにオオカミを裏切り、するどい角でオオカミを突き刺します。
そうするとオオカミは、「ずっと前からいっかこういう時が宋ると覚悟していた。お前にやられて良かった。おれは喜んでいる」
と言いながら死んでいく。チリンは三年かけてお母さんの仇をとりました。
ところが夜が明けた次の日の朝、チリンは、岩山の上で「ぼくの胸はちっとも晴れない」とうなだれます。オオカミが死んで初めて、オオカミは先生であり父のような存在であったことがチリンには分かったのです。
ものすごいけだものになったチリンは、もうひつじに戻ることはできません。
悪者は最初から最後まで完全に悪いわけではありません。
世の中にはある程度の悪がいつも必要なのです。現実の社会はそういうところが厳しい。ぼくはみなさんが社会に出る厳しさを思うと、そういう絵本も読んだ方がいいのではないかと思って『チリンのすず』を書きました。
この本は、多くの人たちに支持されて、ロングセラーになりました。
オオカミは完全に良いやつじゃあないか?オオカミは羊を食べる生態系の役割を担っている。羊は逆恨みに近い・・・恩人を裏切り騙す悪い奴ではないか?
羊=善良 オオカミ=悪 戦争反対と念仏を唱えること=善 軍隊=悪
この単純な固定観念のレトリックから抜け出せないのが護憲派のような気がしてならない。
執筆中


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