本日、伊勢の国一宮「椿大社」に参拝をしてきました。椿大神社は、紀元前三年「道別大神の社」として造営された日本最古の神社であり、知る人ぞ知るたいへんなパワースポットとのことで、参拝しお祓いを受けてきました。伊勢神宮にも劣らぬ神々しい気に満ちた空間であった。伊勢神宮があるにもかかわらず、伊勢の国の一宮として崇敬を集めるだけのパワーに満ちているような気がして、納得できました。
一宮(いちのみや)とは、古(いにしえ)よりの六十六ヶ国の各々において、朝廷からのお達しなどを最初にその神社に伝えることになっていた神社で、多くはその国において最も格式の高い神社とされています。伊勢の国においては、伊勢神宮は別格とのこと、伊勢神宮は日本の一宮ということなのかもしれない。
日本全国いたるところに縄文時代から由来が貫流すしている神社が存在し、今日なお日本人の心の拠り所となっている。日本人は古来より仏教や道教、儒教、キリスト教など外国の思想が流入してきても、すべてを飲み込み日本教へと換骨堕胎を繰り返してきた。
日本人とは何か日本の運命と未来について参拝の行きかえりに考えることがあった。現在安倍総理が獅子奮迅の戦いで戦後日本の歪みを必死に立て直そうとしています。アベノミクスが成功するか否かはさておき、安倍総理の出現は、安倍総理の個人的な資質ではなく、多くの日本人の集合的無意識が安倍総理の出現をもたらしたのではないかと考えるのであります。
スイスの心理学者カール・ユングは、個人的な意識の領域を超えた,民族・集団・人類など人々の集合のもつ無意識として集合的無意識の存在を提唱しました。
ユングは「すべての人の『意識』は、その奥底で、『集合的無意識』につながっている」つまり私達個人の「意識」の奥底には「個人の潜在意識(無意識)」があり、さらにその奥底では、私達は「人類共有の共通意識(集合的無意識)」につながっているということを、ユングは発見しました。日本においてよく使われる「空気を読む」の「空気」とこの「集合的無意識」とは実は同じものではないかと私は思うのであります。
私達は、肉体という一面だけで見ると、一人一人が分離した個体なのですが、心の側面から見ると、すべてに人間は奥底で一つにつながっているわけです。
これらは、人間の意識が奥底でつながっているから起こるのです。集合的無意識には、人類が過去の時代から体験してきたことの記憶が蓄積されています。
つまり、私達の祖先の体験も記憶されているわけです。例えば、子どもの多くは、ヘビを見るとなんとなく気味悪がるのですが、これは、世界のあらゆる民族に共通する傾向です。人類共通の体験として「ヘビの危険性」が、集合的無意識に記憶されているのです。
また、集合的無意識の力は、時間と空間を越えています。集合的無意識には、過去だけでなく、未来の情報も含んでいます。
ユングは、ひんぱんに予知夢を見ています。ヨーロッパ中が血だらけになる夢を、第一次世界大戦の数ヵ月前から、何度も見ています。
また、ジョセフ・マーフィーは、第二次世界大戦が始まる何ヵ月も前に、夢の中で、「ハワイの真珠湾に爆弾が落下している光景」ならびに「日本とアメリカの間に戦争が始まったことを報じる新聞」を見たのです。その後、夢で見たとおりのことが実際起きたわけです。
また、多くの発明や発見が、「夢」や「ひらめき」からヒントを得たものです。集合的無意識からの情報が、「夢」や「ひらめき」になることがあるのです。これは、心が、あることに非常に集中しているときに起こります。
我々がよく言う、「幸運なチャンスに恵まれた」「ある選択が、人生の転機になった」などといった人生を変えるような、人との出会い、きっかけとの出会い、情報との出会い・・・これらは、偶然出会っているようで、そうではないのです。
自分の生き方が、それにふさわしい人やチャンスや情報を引き寄せているのです。これこそ、意味のあるシンクロニシティです。
では、「集合的無意識」は人間だけに特有の現象なのでしょうか?
有名な話に「百匹目の猿現象」というものがあります。
宮崎県の幸島に棲息する猿の一頭がイモを洗って食べるようになり、同行動を取る猿の数が閾値(仮に100匹としている)を越えたときその行動が群れ全体に広がり、さらに場所を隔てた大分県高崎山の猿の群れでも突然この行動が見られるようになったというものです。これは、仮説として用いられていますが、以下の様な、動物の不思議な能力も「集合的無意識」であると考えられます。
日本人の特性として空気に支配されていると最初に気がついたのは「空気の研究」の著者、山本七平氏である。池田信夫氏もブログで「空気の研究」に興味があることが書いてあった。
毎年のように首相が代わり、歳出が際限なく膨張する日本の政治と、グローバル資本主義の中で大胆な事業再構築のできない日本の企業には、共通の欠陥がある。それは中枢機能が弱く、利害の対立する問題を先送りすることである。このまま放置すると、経済の停滞が続いて財政が破綻するのは時間の問題だが、これを是正することは容易ではない。その根底には、これから説明するような日本社会の構造があるからだ。>日本に誇りを持っていないとは、戦後教育の仇花で、本当に情けないと私は感じます。
役所や企業のタコツボ的な自律性が強く、人々がまわりの「空気」を読んで行動するため、責任の所在が曖昧で中枢機能が弱い。部下が上司の足を引っ張る「下克上」の風潮が強いため、長期的な戦略が立てられない。こういう特徴は多くの人に指摘されてきたが、なぜ日本社会にそういう特徴があるのかはよくわからない。
もちろん「日本人」という人がいるわけではなく、その特徴が日本人以外にまったくみられないわけではない。しかし統計的にみても、日本人の思考や行動には独特のパターンがある。これを「あなたはどう考えているか」と質問する国際的なアンケート調査でみると、日本人が特に上位にあるのは次のような答である 。
祖先には霊的な力がある:34ヶ国中1位
宗教を信じていない:93ヶ国中5位
自然を支配するのではなく共存する:60ヶ国中1位
リスクはすべて避ける:51ヶ国中2位
職場では人間関係がいちばん大事だ:81ヶ国中1位
仕事より余暇のほうが大事だ:79ヶ国中1位
余暇は一人で過ごす:34ヶ国中1位
自国に誇りをもっていない:95ヶ国中4位
国のために戦わない:90ヶ国中1位
ここから典型的な日本人を想像すると、宗教は信じていないが祖先信仰は強く、自然を支配するより調和が大事だと考え、リスクは徹底的に避ける。職場では人間関係が大事だが、仕事より余暇が優先で、わずらわしい人間関係から離れて一人で過ごしたい。日本に誇りをもっていないので、国のために命を捨てる気はない――という保守的で他人に気を使い、政府を信頼していない人物像が浮かび上がってくる。読者のみなさんにも、思い当たる節があるだろう。
欧米のキリスト教の国々は、その根本書である聖書が予言している破局、ハルマゲドンを常に意識していて、クリミアを巡る争いも、目には目を、歯には歯をといった争いに見える。
チャーチルが米国を対独戦争に巻き込むために、日本に真珠湾攻撃をさせ始まった太平洋戦争は、人類史上はじめて原爆が投下され、またB29による無差別爆撃は日本人一般市民が米軍によって虐殺される結果となった。
戦争犯罪を行った米国はじめ連合国は日本が「目には目を」の対米報復戦争を起こし、復讐の悪鬼と化することを恐れた。連合国は当然それを何よりも恐れたから戦後は日本に非武装化を課した。
その後事態が変って、ソ連が出現し、ソ連崩壊後は中国が新たな敵対国として登場したために、米国は表面上は日本軍備強化を求めるように変わってはきたが、しかしもし日本が核兵器を持ち米国の戦力に対抗しうる軍備をするような事態になれば、日米関係は同盟から敵対関係に変わるリスクもある。対米報復戦争を恐れた連合国は日本=悪という自虐史観を戦後徹底的に教育させたのである。日本に誇りを持てない日本人が多いのは、戦後自虐史観の結果であることは、皆気がついてきた。
それにしても連合国は余計なことをしてくれた。欧米や中国朝鮮文明の本心は「俺は生きる、お前は死ね」といった世界観であるが、日本人は何によらず対決は不毛であり、お互いに相手の立場を察して譲り合えば、共存しうるものと考える民族である。和をもって尊きを成す十七条の憲法をはじめ、日本人はそんな不毛なことはしない文明なのだ。戦前の皇国史観ですら八紘一宇、人類は兄弟であると、本心から性善説で世界をとらえているのだ。
日本人の〈達観〉からすれば、「目には目を」の対米報復戦争の応報はわが身
に至り、自分達の社会を破壊するに至ることは明らかである。原爆の洗礼を受けた日本人は、アメリカを怨み、報復を誓うかわりに、広島に平和記念公園を建て、千羽鶴で飾った。だが、この敬重すべき行為は、欧米や支那・朝鮮人の目には理解を絶する。
お互いの思いやりといたわりの中に浸っている日本の社会にくらべると、支那・朝鮮や欧米諸国の個人主義社会は恐ろしく淋しい。文字通り頼れるのは自分一人だけだからだ。そして他人は敵でなければ競争者である。一見お互いに切磋琢磨して好結果を生むようにも思われるが、この社会には大きなマイナスが付きまとう。
支那文明とは異なる日本文明が持ちうる〈達観〉とは一体どんな由来のものなのだろうか。
日本人しか持っていないとなれば、それは日本人に特有な精神ないし肉体的原郷は大和時代よりもさらにずっと古いところにある。縄文時代、無土器時代、さらに大陸と陸つづきだったころにまで遡って、日本人の心の変遷を探ることが求められる。現代日本人の中核をなす人達は、きわめて古くからこの列島に住み込んでいて、縄文末期の三千年くらい前にはすでに日本は均一になっていた可能性が高い。
世界最古の土器は2万~1万8000年前の最終氷期最盛期後半に中国南部において出現したとされる。日本では、縄文人が16500年前に土器を作っていた。日本も世界最古の文明を持っていたのである。
おそらく日本列島で最初の土器が作られ始めたころは氷河期が終わりを告げる時代で、日本列島と大陸は陸続きであった。大陸より温暖な日本に中国より先に文明が芽生えたとしても何等不思議ではない。大陸の文化は、日本列島のそれにくらべ、黒潮の影響が少なく、気候が大陸的で、人間の活動には日本列島ほど好適ではなかっただろうからだ。
一万年以前でも、日本列島のほうが人口が多く、文明も進んでいたのではないか。七千年前の支那浙江省の遺跡から、縄文遺跡で見付かる首かざりと同種のものが出ている。また黄河文明灰陶土器(約4000年前)のルーツが縄文土器と考えても不思議ではない。支那が日本列島を追いこすのは、大陸の平原で農業が始まって後のことである。
しかも農業に伴う文明は、狩猟採取の前農業文明とは異種のものである。それはどちらが高いとも低いともいえない。
縄文中期の貝塚には南アフリカ原産のヒョウタンとか、トルコ原産のクロガラシ、あるいはヨーロッパ、シベリア原産のゴボウなどが栽培されていた(これはまだ耕であっ
て農業ではない)。漆塗りの土器、婦人の赤漆塗りの櫛なども出ている。漆(うるし)は支那の浙江、福建が原産である。
鏃に使う黒曜石も列島を横断する広範囲に流通していたし、縄文都市といわれる諏訪亜久遺跡の例もある。ヒョウタン、カジ、ウルシ、サトイモなどが日本列島に入ったのは、おそらく陸つづきのころで、それは人が歩いて持ってきたものだろう。これらは六千年前には列島全域に拡がっていると思われる。
縄文人の移動は地球規模であった、約6300年前、九州の南の海底に横たわる鬼界カルデラが史上空前の大爆発を引き起こしていた。 更に、約5500年前と4500年前にも南九州の指宿地方で、巨大な火山噴火が起こっている。こうした一連の巨大火山噴火が、縄文人を命の危険を冒し南米まで大航海に駆り立てた説がある。事実、この出来事以降、南九州が発祥と思われる磨製石斧などが、関東などにも広がっている。楽園を求めた縄文人
縄文早期には黒曜石の全国的流通が確認され、言語においても列島内では大和民族間では共通言語があり、列島を貫く交通、通信が行なわれていたという痕跡が近年発見されている。
縄文早期時代の日本列島の発達は、支那大陸より「活程度が高かったのである。
敗戦後の日本人は自己卑下が極端になり、自らをアジア大陸東辺の僻地、文化の吹き溜りの地とする考えがまかり通っているが、それは殷代以降、支わが縄文早期が終って後のことなのである。殷文明は中原が農業化して以降にすぎない。
日本と言う国はユーラシア大陸の東の海上に浮かぶ最果ての島国であるがゆえに、津軽地方には殷遺民の来往があり、九州から日本海沿岸には有名な徐福をはじめ支那、朝鮮から日本列島に脱出してきた人たちが、漂着した。
人類は肥沃の三日月地帯である黒海からチグリス・ユーフラテス川、シュメール文明において農業を始め文明を持つようになった。日本文明にはシュメール文明の痕跡を見ることができるとの「日本人シュメール起源説」や「日ユ同祖論」が存在します。
縄文時代には日本文明の元型が既に出来上がっていたからこそ、シュメールも殷の青銅器文明もすべてを呑み込み融解して世界でも稀な日本文明が誕生していったのだと思う。

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