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11 世界一美しい食事――京都 2

http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/dorama/cabinet/bkimg/200x/833/32800135.jpg?_ex=300x300&s=2&r=1僕が知っているなかで一番美しい料理本といえば、豊富な写真で京都の料亭、菊乃井の料理の四季をたどる『KAISEKI』だ〔『菊乃井-風花雪月』村田吉弘、久間昌史著、講談社インターナショナル、2006年刊の英語版〕。著者は菊乃井の主人で料理長でもある村田吉弘氏で、エル・ブジのフェラン・アドリアとノブ・マツヒサが序文を書いている。                                                                                              
この本に載っているレシピは、気が遠くなるほど手聞かかかる114種類もの素材を下ごしらえしておかなければならないものもある。でも、圧倒されるほど美しくて、どれもが季節の食材をみごとに引き立てている。
p146-148
フランスと日本で修業を積んだ村田氏は、このふたつの国の料理をどう比較しているのだろうか? 「僕は、日本とフランスの料理の違いはこういうことやと思います。日本料理では、僕らは食材は神様からの贈り物やと思うて、手を加えすぎんようにします。たとえば大根は、ありのままの姿形が最高やと考えるんです。

僕に言わせれば、フランスのシェフは往々にして素材を変えてしまいたいと思っている。素材に自分ならではの個性を与えようとしています」言い方を換えれば、日本の料理人は神様からいただいたものを調理し、フランスのシェフは自分が神様だと思っているということか。

村田氏は、これと同しことを本にも書いている。「若いときは、あらゆる食材に”味をつける”ことが僕の仕事やと思うてました。でも今では、そのアプローチはおこがましいんやないかとわかってきました。『食材が本来持っている味を引き出す』のが僕らの本当の仕事じやないかと考えるようになりました」

 村田氏は、別の表現もした。僕が聞いた限りでは、そこには日本と欧米の料理の基本的な違いがにじみ出ていた。「オートキュイジーヌでは、異なる素材の風味を込み入ったやり方で加えたり重ねだりします。けど日本では、とりわけ京都では、主に野菜を中心に料理しますが、その目的は、それぞれの素材の、たとえば苦味とか、あまり好まれない風味を抑えるようにして、素材の本質的な味を引き出すことにあります。日本料理は、引き算の料理なんです

 世界が懐石に注目するようになったのは嬉しいことですよね、と僕は言った。                                                 「そうです、ほんまに、とても嬉しいです。世界から深い関心を寄せられる日が来るなんて、思うてもみませんでした。日本の料理は文明が熟成した時代に実にしっくり合うということに、世界の人が気づき始めたんでしょう。非常に多くの素材を使っていますが量は少しずつで、すべての料理をいただいてもちょうど1000キロカロリーほどです。これはぼくのライフワークですよ」村田氏は満面の笑みを浮かべて、深々と椅子にもたれた。

 今、ニューヨークでは懐石の店が大流行ですが、世界を征服できると思いますか? 僕はそう尋ねた。

「可能性はありそうですが、懐石は油脂を使いませんから、ほとんど脂っ気のない料理です。幅広く受け入れてもらうのは、そう簡単ではないでしょう。懐石を理解して、懐石のよさがわかるには、何回も食べて感覚を慣らしていただく必要があります。 

たとえば、初めてトリュフを食べたとき、あの風味をすぐには理解できませんよね。同じように、懐石を初めて食べた人には、あのおいしさはわかりません。調理していない魚が欧米で食べられるようになるまでには、どれはどうまみがあるかを知ってもらうまでには、かなりの年月がかかりました。

今はまだ、欧米の人の味覚からしたら、懐石はとてもとらえにくいものやと思います。たとえばワサビはどうですか。あれは、わかろうとせな、わからん味でしょう。日本人は、パンを好きになるのに努力しました。初めは、あんこなんかを入れて甘くしたんです。フランスパンは日本人にとっては固すぎるので、自分らの味覚に合うように、軟らかくしたんですよ」

 「それに、文化の違いもあります」村田氏は、そう続けた。

「以前、アメリカで和食に招待されたことがあります。焼き鳥、鮨、照り焼きが出てきて、彼らはそれが懐石やというんです! ノー、これは懐石じゃない、と僕は言いました。懐石にはふたつの要素がないといけません。身心の栄養と季節です」

 前の晩に楽しんだ食事では、あの革新的で奇をてらった「モラキュラー・キュイジーヌ」にずいぶん近いと思える料理がいくつかあった。ジョエルー・ロブションなどフランスのシェフが先駆けとなった欧米のマルチコース・スタイルの食事は懐石の影響を受けていることや、モラキュラー・キュイジーヌのシェフたちがそれをさらに極端なところまで推し進めたことも知っているけれど、はたして村田氏は何か類似点があると考えているのだろうかと、僕は思った。

 「フェラン・アドリアはいい友だちですし、もちろん、ここへ来てくれたこともあります。彼は 天才ですよ。でも、僕の考えでは、食べ物はおいしいか、おいしくないか、おもしろいか、おもし ろくないかのどっちかです。他の人が僕の料理を何料理と呼ぼうが、お客さんに喜んでいただく ためならできることは何でもするというのが僕の哲学ですし、アドリアもおんなじ考えやと思います。彼のお客さんが液体窒素を使うと喜ばはるというんやったら、僕も異存はありません。僕が逆立ちした方がええんやったら、そうもします。もっとも、僕は逆立ちはできませんがね」彼は、そう言って笑った。

「あえて言うならば、彼はマイナス270度で天ぷらを揚げるかもしれませんが、僕はやはり、そういう天ぷらよりも本物の天ぷらの方がおいしいと思いますし、味は見た目の驚きに勝ると思うんです。けど、そうは言うても、伝統を受け継いでいくには何かを守らんといけませんが、同時に伝統を破ることかて必要です。僕が料理するのはお客さんのためであって、自分のためでも後世の大のためでもありません。賞賛というものには、興味ありません」

>日本の料理は文明が熟成した時代に実にしっくり合うということに、世界の人が気づき始めたんでしょう。

その国が成熟してくると日本文明・とりわけ日本料理が如何に素晴らしいことか理解されてくるものだと思う。アングロサクソン人は全員味覚障害ではないかというのは、私の偏見であった。英国人であるマイケル・ブース氏がたとえ村田氏とインタビューしても、理解していなければこの文章は書けなかったはずです。

本書は日本人の私にも、懐石料理の哲学について学べる優れた日本料理の本ではないかと思います。




16 奇跡の味噌とはしご酒――大阪 2

p206-213
「おでんにトライしたことがないって、どういうこと?」僕のしがめつ面を的確に読み取ったトニーがそう言った・「おいしいよ・ぜひ食べてみて」おでんというのは、日本風のシチューのようなもので、いろいろな具が入った身体が温まる料理だ。なかに入っているのは、四角く切った豆腐、肉類、ゴボウ、大根、ジャガイモ、フィッシュケーキ〔練り物〕、昆布、ゆで卵などだ。興味深いこんにゃく――粉来状のコンニャクイモの根から作る、味がなくて弾力のある肉っぽいもの――にもお目にかかれる・料理人が手を触れたものは次々とつゆのなかへ入り、最高のおでんは永遠に続くといわれる――桶は絶えず火にかけられていて、日々のつゆに新しいつゆを継ぎ足していくからだ。

料理人がいくつか見つくろってよそってくれた――揚げた豆腐、柔らかなポーク、大根、そして固ゆで卵oおいしい・もっとも、そう感じたのは、この料理にあまり期待していなかったせいかもしれない。

大阪人の気質は親切で寛容だが、よそから来た婿でもそれは同じらしい(トニーはおでんの代金を払うと言ってきかなかった)。大阪人の温かさは、翌日の晩、知人の知人である地元の食通たちに会ってみて、一層はっきりとわかった。彼らが、自分かちのグルメ手帳のなかから選んだおいしい店へ連れていってくれることになっていた。

待ち合わせは、国立文楽劇場の前だ。おそらく40代前半くらいのヒロシはカンゴールの帽子をかぶり、サーファーシャツを着ていた。もうひとりは、ヒロシと同年代の小柄でかわいらしい女性、チアキだ。自己紹介のときはふたりとも日本風に遠慮がちだったが、食べ物の話になったとたん、気後れしたようすはどこかへ消し飛んだ。「大阪大は、ひと晩のうちにいろんなところで食べるのが好きなんです」ヒロシが、いたずらっぽい笑いをちらっと浮かべていった。それは冗談でも何でもなかった。僕らはその夜、半ダースほどの店を回ることになったからだ。しかも、タパスの食べ歩きとはわけが違う。

まずは、衝撃的なお好み焼きだ。その店、千草は汚れて古びていたが、僕らの目の前にある黒い油がこびりついた鉄板で焼き上げてくれた。ヒロシによれば、大阪で一番のお好み焼きということだったが、それは間違いなさそうだった。「大阪では、直接コテで食べるんよ」と、チアキが自分のコテで切り分けながら言った。「ほら、うちらって、せっかちやから」店の人は、その日の晩にワールドカップの日本対イングランド戦があるせいか、しきりにラグビーの話題を振ろうとしていたが、僕はそれよりも、彼がお好み焼きに塗っているソースに興味があった。「シークレット・レシピ」彼はそうささやいて笑った。

はっきりいって、これは健康的な食べ方じやないけれど、日本人は、欧米人と同様にというか、むしろ欧米人を凌ぐほど、食事の楽しみ方を知っている。               
次に寄ったのはだるまという、今や日本中で名を知られる串カツ屋だ。お好み焼きと同じく、この串カツ――肉、魚、野菜などにパン粉をまぶし、串に刺して揚げた料理――にしても、いまだに世界で旋風を巻き起こしていないのはなぜなのか、理解に苦しむ。これも大阪のすばらしいファストフードで、天ぷらや焼き鳥――串カツと形態が似ている――と同様、日本を代表する料理として世界中に広める価値がある。串
カツの衣は独特で、これまた特別な、濃厚で甘みのある黒光りしたソースを、ひと□大の肉、魚、野菜の串にたっぷりつけて食べる。

串カツの秘密はとにかく衣にあって、だるまの場合、ピューレ状にした山芋、小麦粉、卵、水に、11種類のスパイスを特別にブレンドして作る。薄くカリッとした衣に揚がるのが特徴だ――僕らは、ビーフ、エビ、ウズラ卵、チェリートマト、アスパラガス、チキン、ホタテを食べた。串を揚げるのは190度のビーフオイルだ。ソースは共用の容器に入れてカウンターに置いてあり、「No double dipping [二度づけ禁止〕」と英語で書いてある。

ところで、だるまは大阪を象徴する通天閣のすぐそばにあるが――こういう塔も、水族館や観覧車と同じく大都市のシンボル的存在だ――その目立つお隣さんよりもけるかに歴史が古い(創業80年)。僕らはカウンター席に着いたが、小さなオープンキッチンで働くスタッフが身体をかがめたり忙しく動き回ったりするたびに、足元に水が飛んできた。粗末な店かもしれないが、串カツというものを知るのにこれ以上の場所はない。しかも、ウズラ卵とトマトはずば抜けているし、薄くパリッとしていてサンドペーパーをかけたみたいに均一な衣は、□のなかでカリッと割れてとろりとうまい中身と混じり合う。値段は1本50ペンス以下なので、食べすぎると入院する羽目になるというリスクを順に入れておかないと、どこまでも手が出てしまう。

「この後、まだどこかに行く予定なのかな。もしそうなら、この辺でストップしておくよ」僕はある程度のところで、ヒロシにそう言った。でも、次へ行く予定かあっても、結局やめられなかった。串とビールがいつまでも続いた。店を出たときはもう6時で、とても大勢の人が店の前に行列していた。「何キロも続く列が、毎晩できてますよ」ヒロシがそう言った。フェラン・アドリアも――ストーカーに遭っているみたいに、僕の行くところ行くところで、彼の名前が登場する――

(略)                                              [立ち飲み屋 エノキで、こういった店で道路工事のおっさんも、企業のトップも肩を並べて飲むことを紹介]

次に入った店は、チアキが選んだうどん屋、てんまだった。僕は、このとどめとなる最後の一軒に抵抗した。満腹すぎるくらい満腹で、けろ酔いどころじゃなく酔っていたからだが、でもチアキが僕を説き伏せてくれてよかった。そのチアキのひいきのうどん屋で、天国を味わったからだ。

それは、だし汁のなかにカリガリに揚げた小さな餃子が浮かんでいる、シンプルな料理だった。

話は、だんだん突っ込んだ内容になっていった。「マイケルさん、好きな食べ物は何? 人生最後の食事は何かいいですか?」ヒロシにそう訊かれた。

僕はしばらく考えた。デュカス〔パリの3つ星レストラン、アランーデュカスを初め、世界各地でレストランを経営するシェフ〕やロブションの店の手の込んだ料理にしようか、本場イギリスのローストビーフがいいか? 生ガキ、ロブスター、軽くソテーしたフォアグラも気になるし、日本に来てから食べた忘れられないような料理の数々も、死ぬ前の食事にふさわしい。でも本当のところ、そのときの僕は、このだし汁ほどうまいものはかつて食べたことがないと感じていた。

もぎたての豆のように甘く、しかも海の味わいが複雑に絡まり合い、餃子をかじるとみごとなポークのパンチがネギと香草の刺激と一緒に口のなかに広がる。相当酔っていたとは思うけど、今でもその味は、過去に食べた幾多の料理と同様、鮮明に覚えているほどで、僕は正直にふたりにそう言った。

チアキとヒロシの顔がはころんだ。お世辞じゃないとわかってほしいと願うばかりだ。

このだし汁がどういうふうに作られているのか、僕は知る必要があった。あっけにとられる友人たちを尻目に、立ち上がって、よろめきながらオープンキッチンのなかへ入っていった。日本人はそういうことはしないだろうけれど、たいていの場合、外国人は無知で行儀が悪いという暗黙の了解が、あらゆる立ち入り禁止エリアヘのパスポートになる。僕の質問がどうにか伝わって、昆布だしに加えて煮出す3種類の乾燥させた魚を見せてもらったIそれは、鰹節とイワシとサバの煮干しだった。

この最後のキッチンめぐりで、その日の食べ物屋めぐりは終わった。結局わずか10時間かそこらで、1週間分を食べつくした気がする(OK、撤回する、2日分だ)。その晩、どうやってホテルヘ戻ったのかまったく覚えていないし、あちこちどこを食べ歩いたのかまるで思い出世ないけど、正真正銘の大阪人であるチアキとヒロシが僕に一切支払いをさせなかったことは、ちゃんと覚えている。
大阪B級グルメの外国人レポートとしては超A級です。

水戸生まれのわたし(Ddog)の人生最後の食事を選ぶとしたら、採れたての新米で炊いた炊き立てのご飯とくめ納豆がついた旅館で味わう和食の朝食を選びたい。




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