イメージ 1

■英語に頼らずにすむ知的蓄積

 日本語を母語とする人にとって、科学の分野でノーベル賞を受賞するにはどれぐらいの英語力が必要だろうか。たとえば2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英は、その受賞講演会で「アイキャンノットスピークイングリッシュ」と冒頭で述べて、日本語で講演した。逆に、高い英語力をもった研究者が多い韓国ではなかなかノーベル賞受賞者が生まれず、なぜ日本がこれほど多くの受賞者を生みだせるのかに強い関心が寄せられている。英語がどこまで堪能なのかは、科学の分野で世界的な仕事をなすうえで本質的な問題ではないのだ。

 では何が本質的なのか。本書によれば、それは日本では英語に頼らなくても日本語で科学することができる点にある。じつは、欧米以外の国で、英語に頼らなくても自国語で最先端の科学を学び、研究することができる国はそれほど多くない。江戸末期以降、日本は西洋から近代文明を必死にとりいれ、新しい単語を創出しながら日本語のなかに近代的な知の体系をつくりあげてきた。その蓄積が日本語で科学することを可能にした。さらに本書は、日本語の特性が科学の探求や発展に大いに資したのではないかとも指摘する。もちろんそれを論証することは困難だが、その状況証拠となるような具体例を本書は数多くあげている。

 ことばとは知の活動におけるもっとも基本的な土台である。私たちはことばをつうじて考え、認識する。それは科学の分野でも変わらない。日本の創造的な科学者たちにとって最大の武器は日本語による思考だと本書はいう。たしかにそこでは英語力も必要だろう。しかし、いまの日本のアカデミズムや教育行政ではその最大の武器が忘れられ、英語で論文を書くことばかりが重視される。日本の国際競争力を高めるには英語力をつけるべきだとナイーブに考えてしまう人にこそ読まれるべき重要な本だ。
    ◇
 筑摩選書・1620円/まつお・よしゆき 51年生まれ。元「日経サイエンス」副編集長。『日本の数字』など。
久々に知的好奇心が刺激され、久々に書評を書きたくなる本であった。

この本を手にした時、江戸時代後期から明治時代初期の幕臣、官僚で東大の前身である
蕃書調所における西周」の業績を称える本であろうと思ったが、もっと奥が深い本であった。

西周(1829~1897)は、日本近代の重要な啓蒙思想家・哲学者であり、初めて系統的に西洋哲学と社会科学を日本に紹介した学者であるため、「近代日本の哲学の父」「百科全書式の学者」 「日本近代文化の建設者」 と言われている。英語を漢文の素養を基に「哲学」、「理性」、「主観」、「客観」、「悟性」、「現象」、「実在」、「感覚」、「知覚」、「観念」、「意識」など、大量の造語は今でも漢字文化圏で広く使われており彼の功績は余りある。

母国語=日本語で科学ができる世界でもまれな国
p55-57
 このように、西周などによって、近代四欧の学術用語が、日本語漢語に翻訳されたことは、東アジア文化圏にとって、僥倖であったとしか言いようがないであろう。それはどういうことかというと、現代の私たちは、母国語で科学ができるということ、母国語で心理学や哲学の議論ができるということなのだ。

 このことを大声言言っているのだが、一部を除いて、なかなか理解してもらえずに苦労している。世界中の人は、科学技術の分野において、サイエンス(科学)とかアトム(原了)とかセル(細胞)とか呼んでいるのだが、もし私たちの日平語に原子や細胞という言葉が作られなかったら、同じ英語の言葉を使うしかなかった。もしそうなら、私たちはただの表音記号でしか術語を知らないことになっていたのだ。

 英語が母国語の人であれば、例えばセルというものは「細分化された一区画」だとわかり、セルラーホン(携帯電話)の周波数割当方式も同じイメージだと直観できるであろうが、私たち日本人にはその類推ができないことになる。しかし、細胞であれば、小さな膜に包まれたものという意味だから、おのずとイメージが湧いてくる。宇田川榕庵が一八三三年に「細胞」と翻訳してくれたのだ。

 この地球上で、母国語で科学をしている国は、そう多くはないと思う。欧米言語圏で、例えば科学という言葉に限っても、ラテン語系の「サイエンス」に類似する言葉以外を当てているのは、たぶんドイツ語のヴィッセンシヤフト(Wissenshaft :l知の根幹という意味)だけではないか。それでもドイツ語の科学用語では、多くのラテン語系の言葉をそのまま流用している。

 あとぱ、漢字文化圏つまり、日本と中国とおそらく朝鮮半島の人々だけが、サイエンスとまったく別の表現を採用している。それが「科学」という言葉である。すでに述べたように、この「科学」という言葉を「サイエンス」という概念の漢語訳として採用したのが、十中八九、西周なのだ。断言できないのは、これが確たる証拠だ、というものが残されていないことと、科学という言葉が科挙の学問という別の意味ですでに使われていたらしいからである。

 付け加えておくと、幕末から明治にかけて、西欧の概念を漢語に置き換える際に、すべて新しく造語したわけではなく、すでにあった漢語を別の意味に転用・流用したケースもかなりあったという。


北里柴三郎、高峰譲吉、長岡牛太郎、池田菊苗……
p62-65
 もちろん、今日の中国語では、科学、物理学、天文学、化学、動物学など、科学技術に関する言葉の多くが、日本と共通の言葉として使われている。 一時、中国では、例えば「化学」のようなもともとは中国で作られた言葉でさえ、日本で作られたと認識されていたらしい。少なくとも二〇年ほど前はそうだったという話を、中国で教鞭をとられた経験を持つ日本人数学者に聞いたことがある。

 いずれにしても、ここで謎を解こうとしている「科学」という言葉の普及については、なお「これだ」という明確な証拠は見つかっていない。日清戦争の一〇年後の一九〇四(明治三年)年から○五(明治三八)年、帝政ロシアと日露戦争を戦い、実質上はともかく名目上は勝利しているわけだいちょうどこの二〇年の間に、科学という言葉は、辞書に載っていない言葉から流行作家が普通に使う言葉へと変容した。日本が帝国主義国家を完成させ、外に向かって動き出した日の出の次期に当っているのが興味深い。  

  この時期、日本の科学分野においても、めざましい成果が輩出している。北里柴三郎による破傷風菌の培養(一八八九〈明治二二〉年)、櫻井錠二(一八五八~一九三九)による沸点測定法(一八九三〈明治二六〉年)、高峰譲吉(一八五四~一九二二)によるタカジアスターゼの発見(一八九四〈明治二年〉年)、志賀潔(一八七一~一九五七)による赤痢菌の発見(明治三〇年)、南方熊楠(一八六七~一九四一)の海外での活躍(一八八七〈明治二〇〉~一九〇〇〈明治三三〉年)、長岡半太郎の土星型原子モデル(一九〇三〈明治三六〉年)、池田菊苗(一八六四~一九三六)の旨みの発見(一九〇七〈明治四○〉年)……。これらは、今日の評価レベルで見ても、世界でトップクラスの成果と言ってよい。ということは、まさにこの時期に、日本の科学はすでに世界入射を並べる高い質を持つに至ったのである。

 ところで、言葉にこだわれば、これら日本科学の先人たちは、いったいどの程度、日本語による科学用語を自らのものとしていたのだろうか。

北里柴三郎博士の文章や評論を読むと、大筋において、今日使われている医学用語が使われ、きちんとした合理的で科学的な議論が重ねられていることがわかる。
つまり、研究室においては、今日の日本の科学者回禄、日本語と英語ないしは日本語とドイツ語の二カ国語を使って、科学という知的な営みが進められていたのかもしれないが、少なくとも公式な場では、今日と変わりないレベルで、日本語による科学が展開されていたようだ。

日本人は母国語で科学的思考ができる世界でも稀な国民であり、このことは世界がグローバル化していくなかで、英語が出来ないと不利だという説を覆して余りある。

翻訳など、そのうちAIがやってくれる作業であり、思考のプロセスが母国語である重要性が高まっているのではないか。

それゆえ、ノーベル賞は母国語で科学的思考ができる国の科学者ばかりが受賞するのである。

松尾教授は英語を小学校から教えることをナンセンスだと主張する。これはわたしも同意するところです。

 英語の準公用語化なんて、ナンセンス
p73-75
 英語教育に絞って話を進めよう。いまの九月大学入試の話には、「何かグローバル化か?」という大事な議論があるのだが、それも、たぶん英語と日本語の話を詰めていくと、おのずと議論の俎上に乗ってくると思われる。

 本気で日本の科学をグローバル化しようとするなら、結局のところ、いずれは莫語を準公用語にして、小学校入学時から英語教育を始めようという話になると思われる。日産自動車がゴーン社長のリーダーシップの下に、社内の会議や文書の英語化を実施し、外側から見る限り、ソコソコうまく行っているように見えることが、推進派を勇気づけているのかもしれない。ビジネスは英語でも行ける、というのだ。しかし、設計システム分野で日産と仕事をしている友人の話を聞くと、日産社内の英語公用語にまったく問題がないわけではない。その正否は時間が教えてくれるだろう。

 英語教育に関しては、日本全国の小学校ではすでに、正規な教科ではないものの「外国語活動」として五年生から英語教育が実施されている。文科省は、これを、三年生開始まで前倒ししようとしている。

英語教育の充実自体に異論をはさむつもりはないが、それよりは国語教育、科学教育の充実の方がけるかに先であろう。また、英語教育をそんなに大事に思うのであれば、極端な条件、つまり英語の拳公用語化か何をもたらすのか、少しは考えてみた方がよい。

 こういう話の反証に出して大変に申し訳ないのだが、フィリピンでは公用語はフィリピン語と英語だという。確かに日本に来ているフィリピンの人は英語を自在に話す人が多いように思う。

それならフィリピンはグローバル化しているのか。
 たぶん、している。何か本当の目的かは知らないが外国人が多くフィリピンを訪れ、またフィリピンの人は日本も含め、さますまな国に出稼どないしは移住しているからだ。例えば米国では、フィリピン系アメリカ人は四〇〇万人いるといわれ、アジア系としては中国系に次ぐ多さだそうだ。困ったことに、フィリピンの富裕層が自国を棄てて移住してしまい、社会の発展繁栄に必要な知と財が、自国に供給されないらしい。この傾向はお隣りの国々と似たような話だ。

 フィリピンは確かに国際化ないしはグローバル化しているのであろう。では、こういう形のグローバル化か、はたして人類のめざす理想の形なのであろうか。もちろんそうで言ないと思う。

日本とフィリピンを比較しようとしても、人目や経済規模や社会福祉など、そもそも比較にならないばどの差加ついてしまっているではないか。科学技術においては比較どころの差ではない。

アイデンティティーのないグローバル化など、百害あって一利なしである。

 これを見ても、「英語の準公用語化によって、国際化ないしはグローバル化を達成する」というテーゼが、社会に幸せをもたらすものなのかどうか、理解できるであろう。グローバル化とは、簡単でも正しいものでもないことがわかる。「英語の準公用語化でグローバル化かできる」という理論には、付帯事項がついているのだ。

 そもそも目本の科学界は、毎年、数で言っても世界で第六~七位の科学論文を生み出している。
内容を勘案すればもっと大きな貢献をしている。科学においては、事実上、アジア=日本なのだ。

非常勤講師をしている東京農工大学での感想だが、数年前に比べて、留学生の日不語がとても上手になった。彼らは、日本語で科学する意味とメリットをきちんと理解しはじめているのではないか。

(略)
※このことについては先日読んだ黒川伊保子さんの「日本語はなぜ美しいのか」に母国語取得の最終工程が小学校であり、小学校での英語教育がナンセンスであると同じ事を主張されている、こちらも書評を書こう!
日本語の利点は漢字かな交じりである点だ、ハングルも福沢諭吉らが漢字ハングル併用であったものが、漢字を廃したため元の漢字の読みが同じであれば皆同じ表記となってしまい書き手と読み手で意味を取り違えてしまう。

朝鮮人は自国の歴史もわからず、怒りやすい国民性は自分の意思が相手に伝わらないもどかしさもあるのではないかと私は思う。そして、ノーベル賞を取れない理由は漢字を全廃したハングルにある。

 日本語ローマ字表記論
p106-109

 日本人は、世界で最も多くの文字種を使う国民ではないだろうか。まず漢字がJIS第一水準だけで三〇〇〇文字ある。ひらがなとカタカナで一〇〇文字、それにアルファベットもアラビア数字も時計文字(ローマ数字)なども、けば日常的に使っている。このような現実をみれば、明治期に欧米文化と直面した先人たちの一部が、日本語を口-マ字で表記するように変えてしまえばよい、と考えても仕方ないだろう。

 そもそも、今日の学術用語の基礎の基礎を翻訳した西周でさえが、「洋字をもって国語を書するの論」という短文を 「明六雑誌」の創刊号に書いているくらいなのだ。ただし、西周博士のローマ字表記論というのは、きちんとした日本語を使えるだけの訓練・素養を積んだ上で、つまり漢字やかな交じりの日本語をきちんと読み書きできるようになった上で、それと並行するような形で、ローマ字表記にしたらよい、ということのようだ。

 一〇項目ほどの効用をあげているが、西周の眼目は、七番目の翻訳に便利、八番目の欧米の印刷技術を流用できること、九番目の学術用語を翻訳せずにそのまま使うことあたりにあったらしい。

 ローマ字表記論というのはその後も生き残り、第二次大戦直後などもかなりの勢力を待ったようだ。でも、もちろん、日本語はローマ字表記にはならず、現在のように、さまざまな文字種を使う状態を継続してきた。これは本当に幸いなことだったと思う。もしもローマ字表記などにしてしまったら、今日の韓国や北朝鮮のハングルが直面している厳しい文化状況と、似たようなことになったかもしれないからだ。

 全ハングル化にも長所はあるのだろうが、欠点は、表音文字のため、元の漢字熟語の読みが同じであれば、みんな同し表記となってしまうことだ。これも仕事上の経験だが、例えば漢字なら「新風」「神風」「信風」と書き分けるものもみな「シンンパラム:새바람」という発音の表記になってしまう。だから、著者は「神風」のつもりで書いているのに、読み手は「新風」だと勝手に理解してしまう。こうした行き違いが山ほどあるらしいのだ。

 ましてや、微妙なニュアンスの伝達など望むべくもないと思う。しかも、漢字文化をほぼ棄ててしまったため、あれほど自分たちが大事にし、また誇りに思っている李朝朝鮮について、その歴史古今古丈言を読める人がほとんどいなくなってしまった。歴史が消えたのだ。もちろん、言葉を厳蜜に定義できない状況では、母国語によるまともな科学などできようはずがない。同じことは、ベトナム語のクオックーグー(國語)にも言えるかもしれない。

 日本語ワープロの発明が、問題を解決

 これに比べて、つくづく、日本語は早まったことをしなくてよかったと思う。科学と技術が、問題を解決してくれたからだ。当時、東芝にいた森健一博士(一九三八~)たちを中心に、「日本語ワードプロセッサー」が一九七八年に開発されたのだ。最初は六七〇万円と非常に高価だったが、またたくまに値段は下がっていったっそしていまでは、携帯電話やスマホなどでも普通に目本語が使われるようになっている。すべて森博士たちのおかけだ。

 おそらく、日本語ワープロほど、日本の文字文化に革命を起こした技術はないと思う。もし、「日本文化へ最も貢献した科学技術は何か」と聞かれれば、私ほまちがいなく、「日本語ワープロ」と答えるだろう。異文化を取り入れる許容度が非常に大きく、それゆえに、日本語は、世界で最も多種類の文字を日常的に使う状態となった。そのような私たちが、何の違和感もなく、インターネットや携帯電話やスマホで日本語を使えるのは、すべて、あの森健一博士の日本語ワープロからスタートしているのだ。

 しかも、この日本語ワープロの枝術は、中国の漢字体系はもちろん、さまざまな国の言語の電子化にも流用されていった。その当時、アジアの国々の文字やそのコンピューター処理に関する研究者が、東芝や富士通の研究所に大勢やってきて、共同で研究開発を進めている現場を私は見ている。世界貢献という意味でも、日本語ワープロは、日本人が世界に誇っていい大発明だ。なぜ文化勲章とかノーベル平和賞とかが贈られないのか、不思議なくらいだ。

 日本語というのは、明治初期には、欧米言語に対して一掃のハンディキャップをもっともの、というような捉え方をされていたのかもしれない。だから西周などは、ローマ字表記をしたらどうかと堤案したのであろう。しかし、日本語ワープロの発明で、その危惧はきれいさっぱり、全部解決した。
日本語ワープロの発明はもっと評価されていいと思う。

第六章で湯川博士の中間子の発見と木村資生博士の「分子進化の中立説」という進化論で世界中の生物学者でもっとも有名な博士の例で日本語でなければこの二つの大発見はされなかったであろうという論を書かれている。

中庸か二律背反か
p119
 なぜかは知らないが、私たちのこの国、この社会では、中間ということを素直に認めてしまうのだ。しかし、あちらの国々では、とくにキリスト教が強い影響を与えているのではないかと勝手に憶測しているのだが、少なくとも私たち日本文化ほどに、中間派に対して寛容ではない。右か左か、イエスかノーか、神に愛でられし人々かそうでない人々か、人間か人間以外か。対称つまりシンメトリーな二律背反なのだ。日本人の感覚にとって、これはなかなか厳しい区分ではないだろうか。でも、あちらの人々はそう明確に区分した方が気分よく生きられるらしいのだ。これは日本人には理解できない。少なくとも私はそう思う。
やはり、中庸という考え方は素晴らしいと思う。中庸≠中道=半分で割って真ん中をとる。わかり易く言うと、今の安倍政権は中庸だと思う。マスコミや左翼から見ると安倍政権は右翼で中庸はではないと思うが、ネットウヨや反米右翼から見れば中庸だ。

聖書の精神的束縛とは無縁の日本の科学
p140-143
 話をもう少し本題に戻すと、再生医療のようなテーマと向き合う時、日本の社会でなぜ西欧社会ほど抵抗感を持たないかといえば、要するに聖書の縛りがなく、生命体に素直に向かい合えるからではないだろうか。私はそう感じている。それもあって、次のような疑問を持ったのである。

西欧の人々、特に科学者にとって、受精卵つまりES細胞を研究に使うという行為は、ある種の抵抗感、つまり聖書ないし神への冒涜とか罪の意識が多少なりともあったはずだ。少なくとも日本人よりはそれが大きかったに違いない。そうだとすれば、日本人研究者以上に、IPS細胞のようなES細胞の代わりとなる研究手段の開拓に、一生懸命取り組んでいいはずである。もし日本が逆の文化的土壌を持っていたら、そうしたのではないだろうか。

 それなのに、ある意味で、倫理観が最も反対側にあった日本人、そう山中仲弥博士によって、その深刻な倫理的問題を根本から解決するような仕事がなされた。その当時も今も、日本の幹細胞研究はなかなか充実していて、ES細胞を含めて多くの成果があかっており、そうした中から、山中博士の仕事が生まれたという見方もできるのだ。

 「なぜ日本だったのか」、「なぜアメリカやドイツやフランスではなかったのか」という私の中の問いかけば何年か続いた。その期間は、ちょうど、ネイチャー・ダイジェスト詰の編集長として、毎週毎週、ネイチャー誌に欠かさず目を通すことになった時期だった。ニュース記事の中には、もちろん山中博士の仕事を讃えるものや、その背景にある書き手の意図や意見を感じさせるものも多かっと。そうした多数の記事を通して、西欧社会に住む人々の真の思いが手にれるようにわかってきどのである。

 そして、私なりに出した結論は、やはり、研究ど取り組む時に、ある種の抵抗感を持几ざるをえない状況においては、革命的な発想どか試みどか、あるいは勇気などは生まれにくい、どいうものだっど゜西欧社会の科学は、キリスト教の束縛どいうハンディを負っていどのではないだろうか。

それに対して、山中博士に直接お聞きしてみないどわからないが(お聞きしてもわからないどは思うが)、やはり、例えば西欧文化に縛られど研究者に比べて、抵抗なく素直な形で、真摯に正面からIPS細胞の研究に取り組むこどができどのではないだろうか。

 もう一点、ネイチャー・ダイジェスト誌でいっしょに仕事させていどだいた編集者の宇津木光代さんから、大事なご指摘をいただいどこなぜ日本から画期的な発見が相次ぐのだろうか、どいう議論の中での話である。宇津木さんは、日本の科学が大きな仕事を生かのには、「見どものを信じる力も大きいど思います。関係あるかわかりませんが、キリスト教教育では、目で見どものは本当の姿でないから、それよりも見えないものを信じろど教わりましど」ど言うのだ。なるほど、神様は目に見えない! 私には、なぜか知人・友人・上司・取材先にクリスチャンが多い。

それでも、このような大事な事実を知る機会はなかったし、気もつかなかっど。もちろんこれは 一部でしがないが、まさに私が仮説においてきど概念が証明されどような気分になっどた。

 文化と科学的思考の関係はなお考えていきどたいと思うが、山中博士の仕事は、まさに、西欧社会の根幹にある聖書にどっての危機、つまり、難病治療か受精卵保護かどいう二つの命の選択、厳しい二律背反を回避したのである。

これは間違いのない事実である。私はこのこどを理解した時、いかにIPS細胞の意味が大きいかを悟った。でも、治療の試みくらいの段階を経てから、ノーベル賞授賞になるのだろうど見通していどいしかし、そうではなかった。ノーベル賞は西欧社会の賞だど言われて久しい。二〇一二年の生理学・医学賞は、まさにそのこどを証明しどど思う。科学よりも、たぶん大切なキリスト教的倫理観どいうのがあって、その危機を救済しどのであるから、それはもう別格なのだ。

 そう考えているどき、「ニューズウィーク」の記事に、「ヤマナカの仕事はノーベル倫理学賞でもあるのだ」どいう記事が出ど。その通りだど私は思うし、そういう救済ども言える奥深い仕事が、西欧にどって”地の果て”とも言える日本から生まれたことかこを、心からうれしく思う。福沢諭吉などが明治期に正しく評価した西欧文明へのお返しだ。こういうこどとに対しては、日本人はもっと誇りに思っていいどと思う。

 二〇一三年一一月、山中仲弥教授かローマ教皇庁科学アカデミー会員に選ばれどどいうニュースが流れどが、これはまったく自然な出来事であることは、以上の経緯を知れば納得していただけるど思う。
Cool Japanが言われて久しいが、日本人はキリスト教的な束縛、もちろんイスラムはもとより仏教の戒律もなく、かなり宗教的な自由がありながら、人としての道徳感を持つなんでもありの素晴らしい土壌があるからこそ、日本人ではあたりまえでも外国人にとってとってもCoolに映るのであろう。

 異文化が科学や発想の駆動力
p143-145
 異文化どして日本だけを考えているわけではないので、その点を少し補足しておきたい。ここ数十年の中で、私か最もおもしろいと思った本の一冊に『脳のなかの幽霊』(ラマチャンドランばほか著、山下篤子訳、角川書店)がある。脳という存在が生み出すさますまな不思議を見事に描き出している優れた本だと思ったのだが、特に私か注目したのは、著者についてたった。名前から想像できるように、著者のラマチャンドラン博士(一九五一~)はインドの出身で、この本の内容には、西欧社会などインド文化圏以外で育った人間には、絶対に書けない内容が含まれていた。

それは、インドの宗教的・文化的背景から生まれてくるものだ。
 ラマチヤンドラン博士は、この本の執筆時、カリフォルニア大学サンディエゴ校の脳神経科学研究所の所長を務めていた。博士は、大学教育と医師になる教育をインドで受けた。たぶん非常に優秀だったのであろう、博士課程の教育は英国のケンブリッジ大学で受けている。そして、職をアメリカで得たのである。ラマチャンドラン博士にとって、インドに生まれ育ったことは、脳に関するユニークな視点を持つことができたという明らかなメリットとなっている。

 ともすれば、西欧社会で学ぶことが科学などの知的競争でメリットになるかのような言われ方をするが、創遣性という観点に立った時は、決してそんなことはない。むしろマイナスの面さえあると言わざるをえない。逆に、しっかりとした異文化の母国を持っていることこそが、創造性豊かな成果を生か源泉となりうるのだ。その例が、山中伸弥博士であり、ラマチャンドラン博士だと私は思う。

 さらに、もう一つ例をあげておく。特に第二次世界大戦の最中から戦後の時間にかけて、アメリカの科学は大きく飛躍した。大戦前のアメリカは、それほど科学の成果をあげていたわけではない。ノーベル賞でいえば、物理学賞七人、化学賞三人、生理学・医学賞七人で、中心はあくまでもヨーロッパにあったのだ。そのアメリカが戦後 、科学の中心になっていくのは、ヒトラーによるユダヤ人追放であった。ヨーロッパの多くの優れた科学者が、アメリカに移住したからである。私は昔、この事実の本質を見ることができなかった。単純に、優秀な科学者がアメリカに移ってきたから、アメリカの科学は繁栄してノーベル賞受賞者加山のように増えた、と考えていたのだ。

 しかし、それは半分正解で半分間違いだ。単に優秀な科学者が集まっただけではなく、さますまな異なる文化を持った人たちだったことが、一番のポイントだったのではないだろうか。原子爆弾開発に深く関わったシラード(一八九八~一九六四)の文章を見ると、英語とはいいながら、奇妙な表現が山ほどあることに驚かされる。ヨーロッパ、特に東欧地域の人々などは、その地方地方の歴史や文化を引きずりながら、アメリカに移ってきたに違いない。そうした背景と、もとからの才能や、新たな厳しい境遇の中から、またそうした人々との間の切磋琢磨、異文化衝突を通じて、知のカオス状態が生まれ、創造的な学問が生まれたのではないだろうか。

なるほど、異文化でいることが、物凄いメリットであるわけだ。
ガラパゴス万歳だ!

 グローバル化か、ローカル化か
p145-147 
最近の、例えば生命科学、ゲノムの話が登場して以降のバイオサイエンスなど、
本当におもしろい話題が少なくなったと思う。毎週ネイチャー誌を見ていて、つくづく思うのだ。アメリカ人のノーベル賞受賞者も、戦後すぐに比べて相対的に減っているだろうし、そもそも、アメリカ発の科学の内容が、本当につまらなくなったと思う。

もちろんここで言う「おもしろさ」は個人的な印象であるが、いま私たちが持っている常識を引っくり返して、その意外性や夢を遠い先まで見通させてくれるような成果のことだ。それがおもしろい科学だと思う。独創的で心をわくわくさせるような話のことである。

 おそらく、アメリカ科学における多様性が少なくなっているのではないか。アジア系の著者の名前が増えて、一見すると多様性は増えているように見えながら、研究成果がおもしろくないのはなぜだろうか。

もっとも、ヨーロッパ発の科学も昔に比べるとおもしろくなく、辛うじて、日本発のテーマに「これは!」というのがあるのが救いとなっているくらいなのだ。

 もしかしたら、今日のグローバル化という流れが、科学を衰退させる方向に働いてしまっているのかもしれない。科学論文はほとんどが英語で書かれてしまうし、まあそれは仕方ないとして
も、ピアレビューという専門家同士の査読制度が、ものの見方や評価基準をますます均一化、画一化させるように作用している。はね上がりを認めないのだ。しかも、このような査読談制度をとるしか、公平なやり方はないという状況なのだから、個性的で独則性の高い成果は、ますます生まれにくくなっているのかもしれない。

 こうした中で、いまの科学界あるいは日本の科学界は、どちらの方向を指向したらよいのだろうか。私は、グローバル化の反対の方向、つまり日本ローカルでよいから、個性的で地域的な発想力を磨き育てる方向に向かうことではないかと思う、英語は通用する程度で十分だと思うし、必要なら、見てチェックしてくれる人間を雇えばよいのだ。それより何より、日本語できちんと考え、論理を構築し、正しい議論を重ね、明快な実験を通して、疑いのない成果を出していくことだ。日本語できちんと科学すること、もっともっと日本語で科学すること、それがいま、最も普遍的で世界に百獣する道だと思う。

 論文誌などにしても、ネイチャー誌やサイエンス誌の役割が没個性化を進めることになっているのだから、もっと小さな専門に特化した科学論文雑誌が登場するべきだし、これまでともすれば軽視されてきた日本語の論文、あるいは日本語の論文誌を充実させることも人事な対策かもしれない。

 ともあれ、日本の科学は、世界の科学を支える何本かの柱であるのは間違いない。それは、ネイチャー誌のフィリップ・キャンベル編集長(一九五一~)が私に打ち明けてくれた話だ。だとするなら、日本の科学は、今日の世界の科学の停滞を打ち破るためにも、もっともっと大胆でわくわくする成果を提供していかねばならない。本当にそのことを世界が期待しているように思えるのだ。

執筆中