韓国人の慶応大准教授ジョンキムとの対談で・・・
僕は科学者ですから、ノーベル賞を取った業績の多くを愛していますが、一方でノーベル賞といっても、大したことのないものもあるわけです。だから、日本人がノーベル賞を取ったとバカみたいに騒ぐのは、ずっと不快でしてね。自分たちは何も考えていなくて、どうしてスウェーデンのストックホルムの人たちがノーベル賞だと決めたら、そんなにありがたがるのか、と。僕は中国の政府に対して決して好意的ではないけれど、劉暁波がノーベル平和賞を取ったときに、そんなこと知るかよ、と言ったのは、ある意味では爽快でした。と発言して顰蹙をかっています。
素直に、おめでとうございますと一緒に喜ぶことが自然だとわたしは思います。
人として当たり前のことを素直に表現できない茂木某氏の脳内構造はいったいどのようなものか?ちょっと左翼脳が大きすぎるのかもしれませんね。
彼の脳の中では、本当はノーベル賞を自分も取りたい・・・けれど取れないからノーベル賞の権威を否定することで脳内の安定を保っているのでしょうね。
茂木某さんはノーベル賞に劣等感を抱くお隣の某キムチ民族と同じ精神構造かもしれませんね。
もし仮に、茂木某氏本人がノーベル賞を受賞したらご本人は冷静をよそおいつつ狂喜乱舞するであろうことも透けて見えます。でもまあ、タレント活動が忙しくって、とても受賞できるような研究などしているようには思えません。実際はわかりませんがね・・・
ノーベル賞といえば湯川博士だが、茂木某氏は湯川博士の受賞が間違いなく終戦で焼け野原になった故国に希望を与え、そして日本人を鼓舞した事実をどう彼の脳内で処理するのか?
湯川秀樹博士は誰もが知っての通り1949年(昭和24年)日本人として初めてノーベル賞を受賞した物理学者である。当時の日本は、終戦から4年目、復興の兆しすら見えない状況が続いていた。食糧事情は改善せず、インフレ抑制の政策の反動で、デフレ不況に突入していた。物価が下落し、中小企業の倒産が相次ぎ、街には失業者が溢れていた。 湯川の受賞を報じた号外には、「われわれ日本人は、全く思いがけなかった采きと喜びを爆発させた」「科学万歳!その国際性万歳!そして文化と平和の民族万歳!」との見出しが躍っていたそうだ。
湯川の受賞は敗戦国の国民として、ともすれば卑屈な気持ちになり、脱力感に打ちのめされていた日本人を狂喜させた。その精神を鼓舞し、博士の受賞は間違いなく日本人を鼓舞した日本再生の端緒となったと言ってもあながち間違いではかった。
1948年、湯川博士は第二次世界大戦当時ロスアラモス国立研究所の所長としてマンハッタン計画を主導し原爆の父、オッペンハイマーからプリンストン高等研究所の客員教授として招聘を受け湯川博士は快く引き受けた。
オッペンハイマーが湯川を招聘したのは、湯川博士の字者としての資質を評価してのことであることは言うまでもないが、湯川博士が28歳の時に投稿した「中間子論」を当時オッペンハイマーは全く評価せず、彼が査読を担当していた専門誌に湯川論文の掲戴を拒否したこととオッペンハイマーが開発した原爆が日本に投下に対する贖罪と言われている。アインシュタインも贖罪意識を持っていた。
1939年ナチスが先に原爆を持つ前に原爆開発の必要性をルーズベルトに進言したのがアインシュタインであった。アインシュタインは「何も罪のない日本人を、原爆で傷つけてしまった。許してほしい」。肩を震わせながら、何度も何度もこの言葉を湯川博士に言ったと言う。
米国の科学者達の贖罪意識は間違いなく湯川博士へのノーベル賞受賞となったことは間違いないであろう。広島長崎の悲劇は、図らずも有色人種のノーベル賞受賞という扉が開いたのである。日本人がノーベル賞を貰って喜ぶ陰には、広島と長崎市民の犠牲があったということを左脳でっかちの茂木某は認識できないのであろう。
湯川博士がノーベル賞を取るまで、今の基準からすれば受賞して当然であった科学史における重用発見をした日本の大科学者達が人種差別で受賞できなかった。
湯川博士が道を開いたとはいえ、2000年以前に受賞したのは、1965年朝永振一郎博士、1968年川端康成、1973年江崎玲於奈博士、1981年福井謙一博士、1987年利根川進博士他2名に留まった。
北里柴三郎
出典
www.kitasato.ac.jp
北里柴三郎
第1回ノーベル医学・生理学賞「ジフテリアの血清療法の研究」の決定的理由となった論文の大半の研究成果をあげた人物。受賞は共同研究者だったドイツのフォン・ベーリング
北里大学と慶應義塾大学医学部の創始者である北里柴三郎が第1回ノーベル賞の最有力候補だった出典ノーベル賞の不思議
ノーベル賞が創設された1901年の第1回ノーベル医学・生理学賞は、ドイツのフォン・ベーリングの頭上に輝きました。受賞理由は「ジフテリアの血清療法の研究」です。
このベーリングの業績は、北里と共同で行われた研究であり、受賞の決定的理由となった論文の大半は、実は北里のやった研究成果です
高峰譲吉
出典
ja.wikipedia.org
高峰譲吉
副腎皮質ホルモンを世界で始めて結晶化し、アドレナリンと名付けた。しかし、米国人のJ・アクセルロッドが、アドレナリンを脳伝達物質として理論付けノーベル賞を取ったその後、野口英世が1911年に梅毒の病原体スピロヘータを、マヒ性痴呆患者の大脳の中から発見して世界に示しました。
廃棄される家畜の内臓物を用いてアドレナリンの抽出研究をはじめ、1900年に結晶抽出に成功。世界ではじめてホルモンを抽出した例となった。アドレナリンは止血剤としてあらゆる手術に用いられ、医学の発展に大きく貢献した出典http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B0%E8%AD%B2%E5%90%89
野口英世
出典plaza.rakuten.co.jp
野口英世
精神病の病理を、明らかにした医学史上最初の人物
厳密な意味で、精神病を医学の対象にした最初の人物でもあるわけです出典ノーベル賞の不思議
つまり、彼の業績は、精神病の病理を、明らかにした医学史上最初の成果でもあったわけです。彼もノーベル賞候補に2回推薦されますが、最終候補にも残りましたが結局、受賞には到っていません
鈴木梅太郎
出典
dictionary.goo.ne.jp
鈴木梅太郎
ビタミンB1(オリザニン)の発見者出典ノーベル賞の不思議
歴史上初めてビタミン類を発見した人物
ビタミンB1(オリザニン)の発見者の鈴木梅太郎
人類を脚気(かっけ)から解放した大偉業だが、これまた米国人のC・フンクがビタミンと言い換えて発表した。
まず、日本人が名付けた名を消し、次に業績も
「米糠(こめぬか)に脚気の治癒効果がある」
と予言したオランダ人のC・エイクマンがノーベル賞を受賞した
山極勝三郎
出典
www.alpico.co.jp
山極勝三郎
人工癌研究のパイオニア出典ノーベル賞の不思議
人工癌の研究以前に胃癌の発生、および肝臓細胞癌についての研究を行う
「環境、とくに繰り返される刺激がガン細胞を作る」との仮説を立て、実験を開始実に3年以上に渡って反復実験を行い、1915年ついに人工癌の発生に成功します
山極勝三郎の「コールタールによる発ガン説」に対しては、「寄生虫による発ガン説」のフィビガーがノーベル賞を受賞しています。しかも、山極勝三郎が正しく、フィビガーが間違っていたにもかかわらずです
武井武
出典
common.pref.akita.lg.jp
武井武
ビデオからステルス性能まで生み出したフェライトの父と呼ばれる
ビデオからステルス性能まで生み出したフェライトは昭和五年にTDK創姶者の武井武が発明した。
オランダのフイリップス社がこれに興味を持ちサンプルを求めてきた。
武井が親切にサンプルを送ると、同社はギャロと同じことをした。サンプルを分解し、理論を突き止めて世界に特許を申請した。
戦後、GHQの命令で日本はフィリップス社の特許を飲まされた。武井武の名は消しさられた。
さすがに同社はノーベル賞までは言い出さなかったが、それを見た仏物理学者ルイ・ネールが武井理論を自分名で出してノーベル賞を受賞した
出典 変見自在 高山正之の本は面白い16 ノーベル賞は白人が横取りする - 昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本
小林六造
出典
optomo.biz
小林六造
慶応医学部の小林六造は猫の胃から螺旋菌を見つけた。あの強い胃酸の中に菌がいる。大いなる発見だが、小林はさらにその菌をウサギに接種してみた。ウサギは胃潰瘍を起こした。出典 ノーベル賞を盗み取られた日本人たち: 木漏れ日の里
彼はそれをヘリコバクタ菌と命名した。
オーストラリアのバリー・マーシャルはその螺旋菌を自らの胃に接種した。胃潰瘍が起きた。ピロリ菌の発見だ。
彼はノーベル賞を受賞したが、小林の名と業績を語ることはなかった
このように、20世紀初頭、何故か日本人の業績は海外では認められていません。というのも、当時は現在とは比較になぬほど人種差別(いわば、白人の優越感)が強く、しかも人種差別への声もほとんど聞かれず、今日では想像も出来ませんが、それが美徳ですらあった時代でした。
つまり、ノーベル賞候補であった北里らが、遠い異国の日本人であり、文明程度の低い日本人にノーベル賞を与えるよりも、同じヨーロッパ人に受賞させたいとする人種的偏見が奥深く働いたのでしょう。
欧米人が、白人にしかできないと思い込んでいた自然科学の分野で、日本人も多くの業績を残すようになりました。この時期、自然科学を「欧米人と肩を並べて研究出来る」と確信した有色人種は日本人だけだったわけです。したがって、その後有色人種の活躍が始まるようになったのも、日本人のこの分野への貢献が大きく影響したと考えてよいでしょう。
いずれにしても、当時の感覚では、下世話に言えば「日本人は業績はいいが、顔色が悪い」ということだったのでしょう。
今年のノーベル平和賞は、4団体からなるチュニジアの民主化貢献団体「国民対話カルテット」が受賞した。
ノルウェーは、就任まもないオバマ米大統領(2009年)や中国の民主活動家、劉暁波(リウシアオポー)氏(2010年)、ユーロ危機に揺らぐ欧州連合(2012年)などあまりにも議論を呼ぶ受賞者選定を率いたことで知られた。オバマ大統領やEUなど、あまりのも物議をかもす受賞者を選定した選考委員会の委員長のヤーグラン元首相をクビにした結果で、本来このような団体や個人を選考すべきであった。
1974年の平和賞、佐藤栄作元首相の受賞は今でこそ厚顔無恥であると非難されているが、受賞理由の非核三原則など本人が心の奥でちゃんちゃらおかしい政治的な方便だと思っていたと思う。1974年にもしノーベル平和賞を辞退したならば、その裏にいったい何があると、政治的な極秘が露見する可能性あったと思う。それゆえ政治家として何食わぬ顔で受賞したのであろう。
だが、私は戦争をせずに沖縄を米国から返還させた政治家としての佐藤栄作はノーベル平和賞に値すると私は思っています。
もう一人の作文が書ける反日運動家の大江某のノーベル文学賞の受賞は日本人として喜べなかった。
ノーベル賞といっても、大したことのないものもあるわけです。だから、その時ばかりは、日本人がノーベル賞を取ったと左翼がバカみたいに騒ぐのは、ずっと不快でしてね。自分たちは何も考えていなくて、どうしてスウェーデンのストックホルムの人たちがノーベル賞だと決めたら、そんなにありがたがるのか、と。ねぇ茂木さん!
因みに本来1994年安部公房がノーベル文学賞の最有力候補であったのだが、直前に急死したため、日本を貶め欧米人に必死に売り込んでいた大江某が受賞した。
この時はノーベル賞の選考委員会がろくなものではないと感じた。
さて、村上春樹の受賞が今年もなかった。昨年村上春樹が逃した時に書いた記事
1968年受賞した川端康成から本当は安倍公房が受賞する予定だったが急逝してしまった為1994年受賞した某左翼作家が受賞するのに26年かかった。となると次は2020年なので、気長に待てば良いのである。よしんば、ノーベル文学賞を受賞することが出来なくとも、三島由紀夫や安倍公房、谷崎潤一郎のように、優れた日本の作家の一人として評価を得ていることで十分である。おそらく100年が過ぎても村上春樹作品は古典として残っているであろう。
ノーベル文学賞は大江健三郎が北欧へ度々出向いてはスウェーデンアカデミーに媚びるような営業行為を繰り返して受賞したように、必ずしも文学的に優れた偉大な作家が受賞するとは限らない。Wikiによれば1901年第1回の選考の際には、かの文豪トルストイが存命で、有力候補とされていたが選ばれなかった。 この選考結果に対してスウェーデン国内で一部の作家たちが抗議を行うなど世論の批判があったが、トルストイの主張する無政府主義や宗教批判が受け入れられず、結局、翌年以降も選ばれることは無かったのである。
そもそもノーベル文学賞は世界各地のペン・クラブや大学、文学者などから候補が推薦され 、これをスウェーデン学士院が選考するのだが、日本の文壇の中では村上春樹の評価は芥川賞も与えられなかったように不当に低く評価されている。村上春樹の原点がアメリカ文学(フィッツジェラルド・レイモンドチャンドラー・レイモンドカ-ヴァー)やロシア文学(カフカ・ドストエフスキー)であったせいもあるが、村上春樹作品は初めから日本の文学の本流ではなかった。本人が意識してそうしたかどうかは不明だが、最近では海外にも読者が居ることを意識した作品作りとなっていると思う。
まあ、村上春樹は暫くは万年ノーベル賞候補のままで、来年もダメだと思います。
しかしながら、欧米各国語だけでなく中国語、韓国語、ベトナム語、スペイン語、トルコ語など約50カ国語に翻訳され、世界中に何千万人もの読者を持つ村上春樹が無視されるわけにもいかず、26年周期説で、2020年頃村上春樹71歳あたりで受賞というのが私の予想です。
とはいえ、最近の村上春樹はいまひとつである。最近の村上春樹文学の方向性を見失っているようだ。1Q84以来長編小説が出ていない。それに、東日本大震災(福島第一原発の爆発事故)直後の反原発のメッセージを語った「カタルーニャ国際賞」の受賞スピーチ「非現実的な夢想家として」については強い違和感を感じる。
村上春樹には政治的メッセージは不向きだ。村上春樹は高度に発達した資本主義社会の都市生活者の物語であって、人間の「喪失感」や「疎外感」、「孤独感」、「絶望感」に共感を得る文学であって、生活感がかなり希薄な物語である。
村上春樹の魅力は「僕」を自分に重ねた世界中の若者たちのSF的異界の物語である。最近のノンフィクション的な政治的なメッセージは、「喪失感」や「孤独感」などを内に抱いて生きる若者たちのファンタジーを破壊してしまうのかもしれない。
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