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決定版!日本と反日ドイツの関係。敗戦を克服したドイツ、呪縛される日本。異なる二つの敗戦国を世界情勢から徹底比較。軍事力を拡大し、EUを操り、反イスラエルを画策し、アメリカにさえ牙をむくドイツは中国と蜜月関係を結び東方へ拡大する。『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』の著者エマニュエル・トッド氏は現在のドイツを、第四の「ドイツ帝国」を名づけた。ヒトラーの「第三帝国」を示唆しているのだが、今のドイツはEUの頚木があるのでどちらかというと神聖ローマ帝国の復活だと思っている。かつてのように張り子の虎で終わるのか、あるいは実行力を伴ったものになるのかは、これからの歴史の流れ次第だ(まえがき抜粋)

まえがき―――3

第1章 ドイツ人はなぜ「日本嫌い」なのか

ドイツのメディアはなぜ日本を悪く書くのか―――12
「フランクフルターアルゲマイネ」特派げに見るドイツの「反日―――17
メルケルの発言を平気で曲解―――23
日本嫌いのインテリたち―――26
相互に薄れる日本人とドイツ人の関心―――29
”自虐史観”の具として利用される謝罪問題―――35
変質するドイツ文化―――37
「閉ざされた幸福」を「置き去りにされた不幸」に変えたドイツの教育改革――41

第2章 戦後は日米が隣国であって日中は隣国ではない

ひたすら隣国に許しを乞うたドイツのサバイバル作戦―――47
韓国の日本攻撃は病的だ―――53
日本にとっての中国・韓国は、ドイツにとってのロシア・ポーランド、だ―――58
「加害者・被害者」を棚上げした独仏関係の知恵―――64
独露のような”大人の関係”は”駄々つ子”中韓には望めない―――67

第3章 地球上に広がる「文明の衝突」

イスラムと中韓に通底するのは”分家”に追い抜かれた”本家”の怨み―――73
「イスラム国」の行動は十字軍への仕返しだ―――79
テロ対策が厳重なヨーロッパと無防備な日本―――87
「時間の侵略」が始まった戦後と「日本の孤独」―――90

第4章 戦争が異なれば戦後も違う

ドイツの戦争と日本の戦争はこれほど異なる―――97
かくも「戦後」が異なったドイツと日本―――103
戦後七十周年を機にドイツの謝罪は減っていく?―――112
ドイツの謝罪が縮小するであろう、これだけの理由―――116
「アウシュヴィッツ・リューゲ」という欺瞞―――124
ヴィンクラーの「戦後七十周年」スピーチをめぐって―――127
過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す―――135

第5章 難民・移民問題で苦悩するヨーロッパ

”スキ”を見せたドイツを襲う「難民問題」という危機―――141
EUは明らかに「難民の悲劇」に責任がある!―――147
ますます強まる「ヨーロッパの閉鎖性」―――151

第6章 東へ拡大する「ドイツ帝国」の狙い

「ロシアに代わって東ヨーロッパを支配する国」ドイツ―――160
中国の高速鉄道の車両買い入れを発表したドイツの”怪”―――167
軍拡に乗り出したドイツ・これだけの徴候―――175
最新式大型潜水艦「そうりゅう型」売り込みに見る逡巡―――180
戦後を終わらせたドイツ、終わらせていない日本―――184
ドイツはEUをどこへ引っ張っていくのか―――189

第7章 原発再稼働か脱原発か

エネルギー政策を転換し、さらに反転させたメルケル首相―――200
矛盾だらけのドイツの再エネ発電政策―――203
日本がドイツの「脱原発」をマネしてはいけない三つの理由―――206
私(西尾)はなぜ「脱原発」を主張しているのか―――210
原発のお寒い警備状況―――215
「脱原発」をめぐる甲論乙駁―――217
日本の原発をめぐる数々の課題―――220

あとがき―――224


この本は久々の目から鱗が取れる本であった。2015年の今を理解し2016年以降の世界を予想する為には読むべき本であると思う。

いま起きていることは・・・米国Vs欧州、欧州は強力な統一国家へ向かうか瓦解するかの二者選択に来ている。ドイツ帝国によってギリシャを含め欧州を救済するのなら強力な統一国家へ向かうが、ドイツは欧州の他の弱い国々を救う意思がない。ドイツがギリシャを救うどころか邪険にしている。おそらく欧州は瓦解するであろう。
『膨張するドイツの衝撃 日本は「ドイツ帝国」と中国で対決する』

 ■とるべき進路を多角的に

 ギリシャ危機への対応や殺到する難民問題など、今注目のドイツだが、総合的に論じられる識者は日本ではそう多くないだろう。ドイツに30年以上暮らし、最新のヨーロッパ情勢を届ける川口マーン惠美氏とドイツ文学者の西尾幹二氏による対談は「決定版日本とドイツ」と言っていい内容となった。

 「ドイツ人はなぜ『日本嫌い』なのか」という意外な事実から対談は始まるのであるが、その一方でドイツは中国とは経済を中心に蜜月関係を築いている。ドイツメディアは尖閣問題などでも中国側の言い分どおり報道し、驚くことに大惨事だった高速鉄道の死亡事故や上海株の暴落など中国に不都合なことはほとんど報じられないと川口氏はいう。

 また、西尾氏による、ドイツにとって真の隣国はフランスであり、日本は中韓ではなく米国こそ「隣国」であるとの対比は、安倍談話の実質第一の相手がアメリカであったことを鑑(かんが)みても正鵠(せいこく)を射た鋭い分析だといえる。

 あくまでアメリカに日本の戦争の意義を説くべきだと強調する西尾氏に対し、国際関係のリアリズムから欧米は決してそれを認めないだろうという川口氏の激論の場面はスリリングである。

 実はタイトルはずいぶん迷った。「日本・アメリカVSドイツ・中国」という案もあったように本書は世界情勢論が中心であるが、「教育」「難民移民」「脱原発」などこれからの日本がとるべき進路も多角的に論じている。(ビジネス社・1400円+税)

 ビジネス社編集部 佐藤春生

ドイツのメディアはなぜ日本を悪く書くのか
P15-17
西尾 日本に”犯罪の同伴者”でいてほしいという心理かあるからではないでしょうか。
これがいちばん大きい。ここで”犯罪”というのは、もちろんヒトラーのユダヤ人絶滅計画(ホロコースト)に代表されるナチス・ドイツの戦争犯罪です。日本をそうした”犯罪の同行者”に仕立てたいという彼らドイツ人のうしろ暗い心理が働いているからだと思います。

 ナチス・ドイツの計画表では――ユダヤ人とジプシー(最取近は「ロマ」と呼称している)を絶滅させたら、次はポーランド人、ウクライナ人……という順序で次々に民族を消し去ることになっていました。じつにおぞましいプランです。しかも、当時の成年男子の二人に一入はナチスの協力者だったといいますから、そうした”歴史の大罪”はとてもドイツ人だけでは背負いきれない。そこで、とんでもない言いがかり誤認ですが、なんとしてでも日本も”犯罪の同伴者゜につなぎ止めておきたいのだと思います。

 二番目の理由としては、イギリス、フランス以下の他の欧米諸国はアジアに向かって植民地を拡大してきた歴史をもっているのに対し、ドイツはそうした植民地獲得競争に立ち遅れていた。そのため、アジアのことをあまりよく知らない。その状態がいまだに続いているという側面もあるのではないでしょうか。

 イギリスやフランスのほうがまだ日本のことをよく知っています。さらによく知っているのはアメリカです。アメリカは太平洋をはさんで直接、日本とかかわりをもち、お互いに戦い、加害者であると同時に被害者でもあったからです。そして占領を通じて日本のことにいっそう通暁するようになった。それに較べれば、ドイツは日本に関して無知に近いといっていいでしょう。

 もう一つ言えるのは、八〇年代に経済大国の看板を追い抜かれたことです。兄貴だと思っていたのに弟分にやられた。口惜しい。これが案外にも根源かもしれない。 この三点から、ドイツのメディアは日本ときくとなんでもネガティブになる。

  おまけに――これは後の章で詳しくお詰しいたしますが――「同じように悪いことをしたけれど、謝罪したわが国ドイツに較べ、近隣諸国にきちんとした対応をしていない日本はもっと悪い」と中国や韓国と同じように考えている節もあります。

  ドイツ人がよくいわれるそうした動機をもっているのかどうかよくわからないのですが、そうした動機に似たものが一貫してあるのも事実ではないでしょうか。だから、深く考えもしないし、反省もしないで日本のことを悪くいう。それがドイツのマスメディアではないか。違いますか?
  (略)

 「フランクフルター・アルゲマイネ」特派員に見るドイツの「反日」

 川口 先生がドイツに留学していらっしやった一丸六〇年代はどうだったか知りませんけ れど、八〇年代、私がドイツヘ行ったころは、経済面で日杢がドイツを追い上げ、そして 完璧にドイツを抜き去った時期でした。日本のクルマがたくさん売れて、カメラも音響製品も、すごくいい製品がたくさん登場していました。そのせいで、ドイツ人たちは腹を立て、当時はそれが。日本叩き”の原因になっていたように思います。

p35-37

"自虐史観"の具として利用される謝罪問題

西尾 ではなぜ、戦争や謝罪という問題になると、すぐさま「ドイツと日本」という比較文化論的なテーマが浮上するのかといえば、それは、日本の左翼メディアが自国を叩くために必ずといっていいほどドイツを引き合いに出すと便利だからです。"自虐史観"を展開するためにはドイツを利用するのが、都合がいい。「ドイツの謝罪はみごとに成功している」「ドイツは戦後補償を完成させた」「それに引き換え日本は……」「日本はドイツを見習わなくてはいけない」と、そういう単純なもの言いがわかり易くて役に立つからで、日本を叩くのが目的で、ドイツを誉めるのが目的ではない。

川口 ドイツはいま、中国、韓国と、そして日本の左翼が謝罪問題を利用して日本政府を責め立てようとしていることに感づいています。ですから、ドイツ政府はどこにも利用されることのないよう、十分に警戒しています。

 先ほども申し上げましたが、メルケル首相は先日だって、「日本は謝罪していないじゃないか」なんていうことは一言もいっていません。謝罪問題に関しては 「ドイツが隣国とうまくいっているのは隣国の気持ちのおかけです」といった。正確にいえば――《私たちドイツ人は、ヨーロッパヘ、世界へ苦しみを広げたのが私たちの国であったにもかかわらず、私たちに対して和解の手が差しのべられたことをけっして忘れません。まだ若いドイツ連邦共和国に対して多くの信頼が寄せられたことは私たちの幸運でした。それがあったからこそ、ドイツは国際社会への道のりを開くことができたのです》と。いい隣国に恵まれたから助かったのだ、と謙虚に述べるだけでした。

西尾 その点、日本は隣国に恵まれない(笑)。

川口 それなのに、日本のメディアはそうした発言をまったく報じません。
逆に、「メルケル首相は日本にお灸をすえにやって来た」みたいなことを書く。
メルケル首相はメディアのそうしたやり方に気がついていますから、去年の三月、ドイツを訪れた習近平(中国主席)が「ユダヤ人大量虐殺(ホロコース土の記念施設をいっしょに視察したい」と打診してきたとき断っています。もし習近平主席といっしょに行けば―――「ドイツのメルケル首相は自国のユダヤ人大量虐殺を直視しているのに、日本の安倍は南京大虐殺から目を逸らすどころか、それを否定しようとしている」と、中国側は世界に向かって大声で叫んだことでしょう。それがわかっているから、メルケル首相はその申し出を断ったのです。中国側の。日本叩き”に利用されたくないという意思の表われだと思います。

西尾 民主党代表の岡田克也がメルケル首相と会談したとき(三月十日)、「メルケル首相から『日韓関係は和解が重要だ』という発言がめった」と、コメントしました。するとその後、ドイツ政府は「そんな事実はない」と否定しました。それを受けて、(菅義偉)官房長官も十三日の記者会見で、ドイツ政府から「メルケル首相が岡田氏との会談で過去の問題について日本政府がどうこうすべきだというような発言をした事実はない」との指摘を受けたことを明らかにしています。

 川口さんが指摘されたメルケル首相の用心深さからすれば、彼女が日本の野党の代表に会って「日韓関係は和解が重要だ」なんていうはずかおりません。そんな不用意な外国干渉をするはずがない。あの一件は明らかに岡田代表の作為の表われだと見るべきでしょう。

「閉ざされた幸福」を「置き去りにされた不幸」に変えたドイツの教育改革
P41-45
西尾 もっといわせていただけば、ドイツの民衆のレベルの低さ――これは日本人が知らなさすぎますね。はんとうに彼らはものを知らない。

川口 それは、習わないからです。ドイツの教育は、知識としていろんなことを詰め込まないほうがいいと考えていますから、教えないんです。だから、知識の量は日本の学生のほうがよほど多いと思います。

 日独では教育の目的が違っていて、日本の教育というのは新しい問題が出たとき、「こんな問題は知らない。どうやって解くのか、わからない」ということがないようにと、いろんな問題を教えて「あれにも対応できます、これにも対応できます」というふうにやっています。それが日本の教育だと思います。ところが、ドイツの教育というのは、わからない問題が出てくることを前提にしています。「さて、それをどこからどうやって解くのか」と、ゼロから解決法を考え出させる。それが教育の目的になっています。

 そうした差かおりますから、知識の量それ自体は日本の学生のほうが多いのは確かです。でも、それは先生のおっしゃるような「ドイツ民衆の程度の低さ」というのとは別の話ではないでしょうか。

西尾 簡単にいうと、ドイツの教育制度はエリートにとっては有益です。しかし、エリートとそうでない大衆との落差があまりにも大きすぎる。エリートに対しては、川口さんが説明されたように、考えることを求める。考え方を引き出すようにする。そういう教育法が生きていますから、秀れた人が人勢います。

私の体験談をお話ししますと、日本でいえば科学技術庁のようなところに関係しているドイツ人が日本にやって来て、私と話をしたいというので討論したことかおりますが、いやあ、彼らのもっている文学や哲学に関する知識はじつに該博でした。そこで彼らに大学時代の専攻を訊いてみたら、みな、「工学部出身だ」という。それでもギリシャの古典や歴史の話がポンポン飛び出してくる。そんな会話は日本の財務省の官僚や技術系の友人なんかとはできません。

川口 そういう点では、ドイツのエリートはすごいですよ。

西尾 それに対して、一般大衆のレベルの低さにはすさまじいものがあります。

川口 そうそう、小数点以下の計算はできませんからね、普通の人は。日本の場合は、義務教育というか、国民全体の学力の底辺のところは揃っているんです。私かいつもいっていることですが、「最低これくらいは……」という”読みみ書きソロバン”は日本人全員ができる。じつはそのことを、『なぜ日本人は、一瞬でおつりの計算ができるのか』(二〇一五年、PHP研究所)という本で、詳しく書きました。ところがドイツの場合は、その最低線のところに達していない人がけっこういるわけです。そこが問題なのです。

 なぜかというと、昔の教育制度をそのまま残しているせいです。先ほどお話の出た教育の制度改革がうまくいかなかったのです。いまの世の中に合っていません。時代に合わない教育の犠牲になった子供たちがたくさんいて、それこそ義務教育もちゃんとなされないまま世の中に放り出される。そんなことがいまだに起こっていますから、レベルが低いということになってしまうわけです。

 昔は職人になる人とか、お百姓さんになる人は別に高等教育は要りませんでした。でも、その人たちのための学校があり、職人になりたい子供はそこへ行き、立派な職人になったわけです。そうした人たちの学校がいまも残っていて、言葉があまりできない外国人の子弟とか、家庭からのフォローがないような、落ちこぼれた子供たちのブ受け入れ場”になっています。

西尾 私かかつてドイツの教育を一つの理想としていたのは、ドイツ国民は職人には職人の道を歩ませよう、知識人には知識人の道を歩ませればいいと、相互に無関係であることに誇りをもち、自分たちの位置をしっかり固めていたと考えられてたからです。自虐や劣等感に歪められずに、いねば「閉ざされた幸福」をつくり出していた。そうしたドイツの教育システムはすばらしいと感じながら、私はあの国の教育を論じていました。
 ところが、時代の大きな変化があって、そんなことではもうやっていけなくなってしまった。世界が悄報化社会に移行し、変革のスピードは激しい。とりわけ、アメリカと日本が急激な勢いで走り出した。そういうなかでドイツは焦り始め、六〇年代に教育改革に手を染めたわけですが、結局、うまくいかなかったことはすでに指摘したとおりです。

 そのうえ、いっそう悪いのは、ピラミッドの下の部分を切り捨ててしまったことです。「閉ざされた幸せ」ではなく「置き去りにされた不幸」が生まれてしまった。”落ちこぼれ学校”ができ、「レストシューレ」(残りの学校)というのですが、そこには外国人の子供たちが集まって行くため、教育レベルはますます沈下する。政策的に完全な失敗でした。

川口 いまは職人になろうという子供もいませんし、親がマイスターであっても、子供を昔どおりのやり方で跡継ぎにしようとは考えません。まず、せめて大学へ、と考える。西尾 どの親も「大学へ行かせよう」と考えるようで、ひと昔前の日本と同じになっています。私がドイツの教育を論じたとき、いつの日にかドイツも必ずそうなるだろうと予言した記憶があります。

 日本は戦後、アメリカの教育システムを全面的に受け入れ、ドイツよりも一足先にアメリカ型の教育の大衆化に踏み切りました。大衆化は日本の高度経済成長の前提として国際競争を有利に展開するのに役立ちました。その代わり、受験競争という災厄を招いてしまったわけですが。

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