

バブルが崩壊する最中1991年に『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』を読んだ。勿論私の本棚の一冊である。
「失敗の本質」は、ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ沖海戦、沖縄戦と第二次世界大戦前後の日本の主要な失敗策を通じ帝国陸海軍の失敗の原因を追究すると同時に、大東亜戦争研究と組織論、日本論、社会学を組み合わせ名著であった。
大東亜戦争当時の帝国陸海軍が維新から日清日露戦争を戦った元勲たちがすべて引退し、試験で選抜されたエリート達が官僚化して組織として硬直化し、目的を遂行できなかったことを指摘した名著である。
最初に出版されたのはジャパンアズナンバーワンで日本的経営がもてはやされていた1984年、80年代の絶好調な日本企業に死角があるのではないかとということを見抜き当時の日本への警告の書でもあった。大東亜戦争における詳作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、これを現代の組織にとっての教訓、あるいは反面教師として活用することを狙った書であった。
この失敗の本質を読むと、帝国陸軍参謀本部と帝国海軍軍令部の無用な確執。
陸軍に利するくらいなら米国とも手を結びかねない海軍、陸軍もその逆、このような陸海軍バラバラな軍隊が挙国一致で連合国に勝てる戦も勝てるわけがなかった。
私は以来ずっと帝国陸海軍が駄目な組織であると思い込んでいたが、本書は、この「失敗の本質」とある意味で真逆な本である。「失敗の本質」は「自虐史観」の本ではなかったが、本書の指摘する明治維新の真の目的である白人の植民地主義からの日本を守り独立を保つという大日本帝国の国家戦略は貫徹できたと本書は指摘する。
本書は列強に囲まれるアジア地域で、なぜ日本だけが富国強兵を実現できたのかに焦点があてられている。明治維新の意義に始まり、鉄道や電信網の国産化、汚職の少なさ、地租改正による農業生産力の向上などアジアの盟主清との対比も興味深く、経済力の差を跳ね返し世界有数の軍事力を持つに至った経緯を理解できる。
大東亜戦争においては昭和19年7月までは開戦前の領土を失っておらず、最大の敗因はその後の落とし所のなさ、つまり外交で負けたとの指摘している。しかもポツダム宣言を受諾し、原爆を落とされたにもかかわらず、結果的にアジアの解放を成し遂げ、戦後復興した日本は結果として戦略目標を達成したと本書は指摘する。
大東亜戦争においては昭和19年7月までは開戦前の領土を失っておらず、最大の敗因はその後の落とし所のなさ、つまり外交で負けたとの指摘している。しかもポツダム宣言を受諾し、原爆を落とされたにもかかわらず、結果的にアジアの解放を成し遂げ、戦後復興した日本は結果として戦略目標を達成したと本書は指摘する。
大東亜戦争の原因として、憲法の欠陥や国民自身が戦争を望んだことにも言及され、軍部の暴走や非科学性、ファシズムなど、ステレオタイプで自虐的な東京裁判史観を超克する目から鱗の一冊である。また、「失敗の本質」でダメな組織の代表と私の頭に刷り込まれた、帝国陸海軍を改めて見直す(か、といっても、愚かな対米戦争を始めてしまった軍令部と参謀本部を絶賛するつもりはない)本であった。
まえがき…………………………………………………………………2
第一章巨大プロジェクト「大日本帝国」 13
1 【欧米の侵攻を食い止める、壮大な国家戦略】
大日本帝国は国家プロジェクトだった……………………………14
2 【中央集権体制の確立させた驚異の制度改革】
明治維新最大の改革゛廃藩置県」………………………………19
3 【「廃藩置県」と並ぶ明治新政府の大ファインプレー】
日本経済を劇的に変えた「地租改正」……………………………23
4 【国家戦略実現のため、武士が自らの特権を捨て去った】
特権階級の犠牲で成り立った明治維新………………………28
5 【最先端の知識や技術を導入し国家運営に役立てる】
西洋の文化゜文明を貪欲に吸収した………………………………33
6 【欧米以外では初の自国での鉄道建設】
維新からわずか5年で鉄道を作った………………………………38
7 【値下げ競争でアメリカ商船、イギリス商船に勝利】
日本沿岸から外国商船を駆逐した………………………………45
8 【アジアでいち早く電信網を整えた】
通信先進国だった大日本帝国……………………………………48
9【勉強ができれば身分を問わず出世ができた】
富国強兵を実現した教育制度……………………………………53
第二章明治日本の領土攻防戦 57
1 【アジアで唯一、列強から領土の侵攻を受けなかった国】
明治日本はなぜ領土を守れたのか……………………………58
2 【幕末にあった2度の対外戦争で見せた外交力】
巧みな外交で領土を守った幕末の日本……………………61
3 【大国が目をつけた小笠原諸島をすばやく領有した】
イギリスから領土を奪った明治日本…………………………69
4 【幕末から続くロシアとの領土問題】
明治にもあった北方領土問題…………………………………74
5 【領土に無頓着だった清、心を砕いた日本】
尖閣諸島をすばやく領有した…………………………………77
6 【日本と清、"二重属国"状態にあった琉球藩】
沖縄もすばやく領土に組み込んだ……………………………81
7 【近代化を拒み、頑なに鎖国をし続けた韓国】
韓国はなぜ失敗したのか?……………………………………84
第三章安くて強い軍をつくれ! 87
1 【費用対効果が悪かった旧軍を解体した】
明治維新は軍制改革だった……………………………………88
2 【国民の税金も決して高くはなかった大日本帝国】
少ない費用で軍を効率良く強化した……………………………96
3 【日露戦争直後には、戦艦まで自国で生産していた】
世界に並んだ軍艦製造技術……………………………………103
4 【実は清に二度も敗北していた日本軍】
大日本帝国を強くした二度の敗北………………………………109
5 【鎮台から師団へと生まれ変わった陸軍】
日清戦争が変えた大日本帝国軍………………………………114
6 【日清戦争直後から軍の拡張に乗り出した大日本帝国】
たった10年でロシアを倒す軍をつくる……………………………120
7 【ロシア海軍を装備で圧倒していた日本海軍】
科学力の勝利だった日本海海戦……………………………125
第四章本当はすごかった日本軍の科学力 131
1 【実は世界の最先端を行っていた日本軍の兵器】
日本軍は科学技術が強くした…………………………………132
2 【いち早く「航空戦の時代」到来に気づいていた日本軍】
世界に先駆けて空母を実戦投入した…………………………135
3 【世界的な名機、ゼロ戦はなぜ強かったのか?】
航空技術の粋が結集されたゼロ戦……………………………142
4 【連合国を驚かせだのはゼロ戦だけではなかった】
他にもあった優れた航空兵器…………………………………149
5 【誘導ミサイルの研究まで進めていた】
ロケット技術も世界最高レベルたった…………………………155
6 【欧米の先進国をもしのぐ、圧倒的な性能】
世界一の魚雷を開発した………………………………………159
7 【太平洋戦争では自動車を使った快速部隊が活躍】
実は自動車大国だった大日本帝国……………………………162
8 【兵隊の食料、携行食゜にも科学の力が生かされていた】
世界に先駆けていた日本車の携行食…………………………166
9 【マイクロ波を使った秘密兵器まで研究されていた】 幻に終わった日本軍の超科学兵器……………………………171
第五章実はボロ負けではなかった太平洋戦争 177
1 【難航不落の真珠湾を創意工夫で攻略】
真珠湾攻撃で大戦果をあげた一番の理由……………………178
2 【戦史に残る大勝利だったフィリピンの戦い】
史上初めてアメリカ軍を降伏させた……………………………183
3 【アメリカ本土を潜水艦と水上機で攻撃】
史上唯一、アメリカ本土を空襲した……………………………187
4 【イギリス軍が誇る東洋艦隊を壊滅させた日本軍】
イギリス艦隊を太平洋から駆逐する…………………………191
5 【歴史に残る電撃作戦で。世界最強の国ヽを追いつめる】
イギリス軍を近代で初めて降伏させる………………………195
6 【ベトナム戦争にも引き継がれた日本軍の戦法】
ゲリラ戦法でアメリカ軍を苦しめる……………………………200
7 【謎のベールに包まれた陸軍のスパイ養成機関】
陸軍中野学校とは何だったのか?……………………………206
第八章なぜプロジェクトは失敗したか? 213
1 【陸海軍の作戦計画はすべて実現していた日本軍】
太平洋戦争の目標は達成していた…………………………214
2 【大日本帝国のアキレス腱は、諜報”だった】
情報戦に敗れた大日本帝国……………………………………219
3 【日米開戦を食い止める力が政府首脳になかった】
外交能力の欠如が敗戦を招いた………………………………225
4 【責任の所在が明らかでないという歪な権力構造】
大日本帝国憲法が国の迷走を招いた…………………………229
5 【電撃戦だけでは通用しなかった太平洋戦争】
日本車は総力戦の意味を知らなかった…………………………233
6 【潜水艦での戦艦攻撃に固執したのは失敗だった】
潜水艦の運用で後れをとった日本車……………………………238
7 【自国で開発した技術を見逃していた日本軍】
優れたレーダー技術を生かせなかった…………………………242
8 【暴走する軍部を後押しする国民】
国民自身が戦争を欲していた……………………………………245
あとがき……………………………………………………………………250
主要参考文献………………………………………………………………253

第五章実はボロ負けではなかった太平洋戦争において、昭和19年4月から9月に行われた大陸打通作戦についても述べるべきと思った。太平洋戦線で次々と玉砕を重ねていた昭和19年日本軍は大陸で北支那方面軍司令官岡村寧次陸軍大将旗下、連合国一角中国国民党軍を徹底的に撃破し、大陸を南北に掌握した。
枢軸側でイタリアが脱落し、ノルマンディに上陸されたドイツも東西戦線とも撤退につぐ撤退をかさねるなか、大東亜戦争の中国戦線において、日本軍は投入総兵力50万人、作戦距離2400kmに及ぶ大規模な攻勢作戦で、計画通り中国大陸の北京から広州に至る南北の大規模な地域の占領に成功して日本軍が勝利した。
昭和18年(1943年)11月のカイロ会談に呼ばれた蒋介石が、大陸打通作戦で国民党軍が壊滅的な打撃を被り、圧倒的に戦局が不利となった蒋介石率いる国民党政権は連合国の中でも発言力が小さくなり、昭和20年(1945年)2月のヤルタ会談に招待されなかったことを本書は書くべきであったろう。
『短期間でアジア最強になった 大日本帝国の国家戦略』武田知弘著【産経ニュース】2013.6.1 08:03
■無駄なくし安く早く近代化
暗黒の時代、軍国主義の時代、戦争で多くの国民が犠牲になった時代…。大日本帝国は負の歴史として語られることが多い。しかし、その歴史をつぶさに見ると、大日本帝国は必ずしも負の側面ばかりでないことに気づかされる。
大日本帝国が生まれた19世紀後半のアジアは、欧米列強による植民地獲得競争の渦中にあった。アジアの国々は強大な軍事力を持つ欧米列強に次々とのみ込まれていった。しかし、日本は違った。わずかな間に強力な軍隊を築き上げ、アジアで唯一、欧米に対抗し得る国になったのだ。なぜ日本だけが躍進を遂げることができたのか。著者は、その理由が「大日本帝国の優れた国家戦略にあった」と説く。
戦前の日本は経済力という重いハンディを背負っていた。欧米の先進国に比べれば、国家の運営費や軍事費もはるかに規模が小さかった。その限られた資金を、どのように使えば最大限の効果を発揮できるのか。徹底的に無駄を排除し、できるだけ安く、早く資金を投入する。その戦略のもと、国家が一丸となって近代化に取り組んだからこそ、大日本帝国はアジア随一の強国になれたのだ。
大日本帝国の歴史にはたしかに負の側面がある。しかし、その国家の運営手法は現代から見ても学ぶべき点は多い、と著者は語る。昨今、近隣諸国との関係悪化で自国の歴史を見なおそうとする動きが高まっている。戦前の日本が目指した国家像はどのようなものだったのか。いまだからこそ読んでほしい一冊だ。(彩図社・1365円)
彩図社編集部 権田一馬
【武田知弘氏インタビュー】大日本帝国の経済成長の裏には何があったのか? 【ビジネス・ビット】2012年02月22日
『教科書には載っていない大日本帝国の真実』著者 武田知弘氏インタビュー
【武田知弘氏インタビュー】大日本帝国の経済成長の裏には何があったのか? 日本が転換期を迎えている中、歴史から成功した点や反省点を探り出すことは重要だ。武田知弘氏は、『教科書には載っていない大日本帝国の真実』(彩図社)で多くのイメージに覆われた大日本帝国の実態について光をあてた。その狙いや今の日本がそこから何を学ぶべきか、著者にお話を伺った。
知っているようで知らない、大日本帝国の社会、政治、経済
――本書は大日本帝国の知られざる側面について多くの指摘を行っていますが、まずどうしてこのテーマにご関心をお持ちになったのでしょうか?
武田知弘氏(以下、武田氏)■大日本帝国というと、言論の自由もなく、貧しい「暗黒時代」というイメージを持っている方が多いようです。しかし、日本は敗戦によってまったく別の国に生まれ変わったわけではありません。国名は変わっても、同じ国民が形成している国であり、良かれ悪かれそれまでの歴史を引き継いでいるわけです。
戦後は、アジア諸国に対する配慮などもあり、「戦前と戦後はまったく別の国ですよ」といったポーズをとる必要があったのかもしれません。しかし、アジア諸国との関係も大きく変わり、もうそのようなまやかしをしなければならないような時代ではありません。戦後60年以上が経過し、戦前の生々しい記憶というものは、消えようとしています。逆に言えば、戦前のことを冷静に考えられる時期がようやく来たともいえるのです。
こういう時期だからこそ、大日本帝国を客観的に分析する必要があるのではないか、と思います。過去の事を「良い時代だった」「悪い時代だった」というような単純な二元論で分析しても、我々は何も学べないと思うのです。
大日本帝国というのは、最終的には第二次大戦で焼け野原になって降伏するという不幸な出来事とともに終焉したわけです。その不幸な出来事はなぜ起きたのか? そこに至るまでの過程を淡々と追っていかなければ、我々はそこから何も学ぶことはできない、と考えます。そういった文脈で、大日本帝国の興亡を、イデオロギー論議を排して淡々と客観的に追っていくということに非常に関心がありました。
――明治維新について“「政権を自ら返す」という奇妙な革命”と書かれています。この一風変わった革命が生じた背景をお教えいただけますか。
武田氏■明治維新は、世界史的に見ても非常に珍しい“革命”です。政権を持っていた者が自ら政権を返還するということは、世界史を眺めてみてもほとんど例がありません。これは、実に日本的な現象であり日本人だからこそできたものだったように思われます。日本人は、どの時代を見ても、生きるか死ぬかの血みどろの戦いをし、最後まで殺し合って勝者を決めることを好みません。ある程度の形勢が判明したところで歩み寄り、話し合いで解決する、という傾向があります。それは日本中が戦いに明け暮れていた戦国時代でもそうです。
日本人は、根の部分で「和」を重んじる性質を持っていると思われます。それが明治維新を成功させた要因であり、ひいては日本が欧米列強から侵略されなかった最大の要因といえると思います。幕末の知識階級は、欧米列強がアジアを侵攻していることを知っており、危機感を持っていました。そして「今は国内で争っている場合ではない」「日本人は団結するべき」と思っていました。それは、幕府側も、薩長や尊王攘夷派の面々も同じです。つまり、敵味方ともに、大枠では同じ方向を向いていたのです。だから、大した内戦もなく、長く続いた封建制度を解消し、強力な統一国家を作れたのです。
これが、他のアジア諸国と大きく違うところです。他のアジア諸国のほとんどは、欧米が乗り込んで来たとき、国内が動揺し群雄割拠や、内戦状態に陥ってしまいました。欧米諸国は、そこに付け込んで侵略していったのです。
――現在も北方領土問題などが懸案として存在している日露関係ですが、両国の領土問題はそれこそ江戸時代から起き続けている、と本書では指摘されています。両国が激突した日露戦争は、大日本帝国にとってどのようなインパクトを与えたのでしょう?
武田氏■日露戦争は、ロシアとの国境問題を日本に非常に有利な状況で解決するとともに、日本人に大きな自信を与えました。が、日露戦争というのは、当時の指導層が知恵をふり絞り、死力を尽くして、なんとか勝てたもので、当時の日本にしてみれば、ちょっと出来過ぎの感がありました。それが、過信につながっていったと思われます。
大日本帝国が、満州事変以降の泥沼の戦争に突き進み、あげくアメリカとまで戦ったのは、「我々はロシアに勝てたのだから」という意識があったからだと思われます。また日露関係の問題は、日露戦争でまったく解決したわけではありません。陸軍にとって、最大の仮想帝国はその後もロシア(ソ連)であり続けましたし、太平洋戦争前にもノモンハンでの武力衝突などもありました。
日露の国境問題は、第二次世界大戦の終結でも、完全に解消されたわけではなく、ご存じのように現在も続いているものです。ロシアという国は、巨大でありながら、国土の多くが極寒の地であり南下しようとする本能のようなものがあります。日本は、そういう国と隣り合わせているのです。日本はロシアのそういう性質をしっかり見極めた上で、付き合っていかなければならないということです。
現代日本と大日本帝国の政治システム
――武田さんは本書で大日本帝国の凄まじい経済成長率についても触れておられます。鎖国していた江戸時代から急激な成長ができた理由について教えてください。
武田氏■大日本帝国の急激な経済成長は、単に政府が「富国強兵政策」を実施したから成し遂げられたということではありません。あまり知られていませんが、日本は江戸時代からすでに世界レベルに達している産業をいくつか持っていました。その1つが生糸です。
生糸の生産技術は、ヨーロッパなどと比較しても高度なものを持っていました。江戸時代以前、日本は生糸の輸入国でしたが、江戸時代に鎖国をしたことで、生糸があまり輸入できなくなり、自国で生糸を生産する技術が非常に発達したのです。日本の生糸の技術がどれくらい高かったか、興味深いエピソードがあります。それは、江戸時代の日本の生糸の技術書が、欧米で翻訳されていたのです。そのため幕末の日本は、開国すると同時に生糸の大量輸出を始めたのです。それが、日本の近代化の原資となり、さらなる経済成長の誘い水となったわけです。
また、教育を素早く充実させたことも、大日本帝国の素早い経済成長の大きな要因となっていますが、教育も実は江戸時代の段階でかなり整備されていました。武士のみならず、町民や農民たちも、寺子屋という私塾で教育を受けていました。明治初期の小学校の多くは、元寺子屋だった寺社などの施設が代用されていました。日本人が勤勉で教育熱心だったのは、江戸時代以前からのことであり、その国民性が大日本帝国の経済成長を支えていたと考えられます。
――また、大日本帝国の政治については、悪い点が多いことを指摘され、かなり厳しく評価されています。改めて政治の失敗が起きた背景などをお話しいただけますか。
武田氏■大日本帝国というと、現代の我々は天皇中心の上意下達型の専制政治を想像しがちですが、実像はそのまったく逆です。大日本帝国では、最終的には普通選挙も実施されており、形の上では、民主主義国家の体を持っていたのです。そして権力があちこちに分散されていて、責任の所在がまったくわからない状態だったのです。
内閣総理大臣の権限も今よりもはるかに小さく、かといって帝国議会が強いかと言えばそうでもありません。枢密院、元老院などの機関が乱立していて、それぞれが好き勝手に主張し合っている状態だったのです。明治維新の元勲が生きている間は、それぞれの意見をうまく調整して、国家を動かしていくということが可能でした。が、元勲たちが死んでしまった後は、国の機構はまったく統一感を失ってしまいました。
現在の日本も首相がころころ変わるので、政治が安定しないと言われていますが、戦前はもっと首相が頻繁に変わっていたのです。関東大震災や世界大恐慌などでも、政府はなかなか有効な政策を打ち出せない、そこに国民の不満が溜まって軍部が台頭していったのです。
大日本帝国の政治システムは、明治維新当時、国を素早くまとめるために付け焼刃で作られたものです。しかし、その後の指導者たちは、不完全な政治システムをきちんと整えるという作業をしないまま来てしまった。その付けが、昭和に入って大きな災いを引き起こしたといえるのではないでしょうか。
――いま、大日本帝国の歴史を振り返ることで、現代においてどのような知見が得られるとお考えですか? また本書のほかに関連書籍としてお薦めできる本などもあればお教えください。
武田氏■大日本帝国は、短い期間に非常に大きな規模での「興廃」をしています。その歴史には、現代の我々に対する教訓が詰まっていると思われます。大日本帝国は、客観的に見れば、稀に見るほどの急成長を遂げた国です。その背景を丹念に追求することで、「国家を成長させる」ということについて、たくさん得られるものがあると思われます。
また、現在の日本は、太平洋戦争前の大日本帝国と似ている部分が非常に多いと思われます。巨大地震で国が大きなダメージを受け、世界的な経済不安も起きています。これは関東大震災から世界大恐慌までの状況と非常に似ていると言えます。大日本帝国は、当時の国の危機にどう対処したのか? その結果どうなったのか? そのことを知ることで、今、我々がしなければならないことが、見えてくるのではないでしょうか?
大日本帝国の実情を知ろうとするとき、壁になるのがイデオロギーの問題です。大日本帝国を論じた書物の多くは、天皇制や全体主義を批判するものであったり、逆に擁護するものであったり、とかくイデオロギー論に傾きがちです。そして、イデオロギーが主体の本では、実際の国民の生活や社会の様子が、具体的、客観的に語られることがあまりありません。私は大日本帝国の実情を知るためには、イデオロギーよりも、実際に国民はどういう生活をし、社会はどういうふうに動いていたのか、ということの方が重要な情報だと思います。
が、残念ながら、大日本帝国の実情を客観的、具体的に書いた書物は、専門書以外では非常に少ないのです。そんな中でお勧めできるのは、伊藤隆監修・百瀬孝著『事典 昭和戦前期の日本』(吉川弘文館)という本です。戦前期の日本の社会制度全般を具体的に知ることのできる数少ない本だといえます。
●武田知弘(たけだ・ともひろ)
1967年福岡県出身。西南学院大学経済学部中退。1991年大蔵省入省。バブル崩壊前後の日本経済の現場をつぶさに見て回る。1998年から執筆活動を開始。1999年大蔵省退官、出版社勤務を経てライターとなる。
主な著書に『ヒトラーの経済政策』(祥伝社新書)、『戦前の日本』(彩図社)、『ワケありな日本経済』(ビジネス社)、『織田信長のマネー革命』(ソフトバンク新書)などがある。
ブログ:武田知弘ブログ

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