
安倍晋三首相は10日夕、官邸で記者団に対し、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に参加している陸上自衛隊の施設部隊について、5月末を目途に撤収させる考えを明らかにした。あまりも唐突な撤収表明だった。現地情勢が突如悪化したとは思えないが、私はとりあえず撤収に賛成である。
このまま、自衛隊員の犠牲が出ないまま撤収できることを願いたい。
なぜなら、現憲法下では安保法制が出来ても、もし現地武装勢力や盗賊をやむを得ず射殺したとしたら、殺人犯になったのでは、あまりにも酷い。
国連はPKO受け入れ国との間で地位協定を結んで現地の法律による訴追を免除されますので、例えば「米兵が誤って現地の一般市民を殺害した場合」、当該兵士はアメリカ本国の軍事裁判によって裁かれます。
しかし駆けつけ警護の任務を付与された自衛隊には軍事法廷自体がありませんから、現状では一般日本人と同様に日本の刑法で裁かれることになります。日本では未だ前例がなく、どのような裁判になるのかはわかりませんが、野党やリベラルのマスコミが焚き付ければ、最悪の場合、状況次第で殺人罪も有り得る。
また、自衛隊員が死亡した場合、最大9000万円が支払われるとはいえ、現憲法下で死亡したのでは割にあわない。
もともとは、民主党野田政権時代の2011年7月、国連安保理決議に基づいて、11月15日に自衛隊の南スーダン派遣を閣議決定し、11月28日に司令部要員が出発し、年を明けた2012年1月から先遣部隊が派遣されたものでした。
南スーダン建国後すぐ内戦に突入し、以来5年間に渡って無防備に等しい状況で、現地土人達の部族紛争に付き合わされる事になった。
自衛隊の現地任務はインフラ整備のための道路工事だったが、周辺には武器を持った武装勢力やテロリストがうろつき、他の国連部隊が攻撃されても自衛隊は戦うことができなかった。
安倍首相は2013年にPKOでの問題点を糺す為、安保法制の整備方針を示し、2014年に国会提出したが、SEALDsのバカ学生やプロ市民、野党、マスコミ、言論人が戦争法案だとして大反対したが、安保法制が可決されても、自衛隊は戦争を行える状態ではない。
バカなパヨク達のおかげで安保法制は骨抜きになってしまい、結局、敵から攻撃され、自衛隊員が死傷するまで反撃してはならない状況は何も変わらなかった。
南スーダンは事実上紛争中の国家に自衛隊が非武装で駐留している状態にもかかわらず、軽装甲車両しか送れず、駆けつけ警護に必要な装備(96式装輪装甲車等)は現地に送ることができなかった。「駆け付け警護」任務が加えられたが、装備はほぼ非武装に近かった。戦闘行為をするなら89式装甲戦闘車やUH60でも持って行き、自衛隊員や、現地で活躍する外国人NGO職員の安全を確保するよう整備すべきだ。だが、反対する野党勢力やそれを支持する日本の護憲リベラルに問題があるが、安保法制も片手落ちで放置した安倍政権にも問題がある。
意を決して南スーダンに赴いた武士(自衛隊員)にとっては、屈辱的な決定であろうが、現憲法下ではやむを得ない。早期の憲法改正が必要だと痛切に感じる。
暴言を書かせてもらうが、アフリカの国々はもっと内戦を行い、欧州が経験した中世~近代まで続いた殺戮の時代を経験するべきかもしれない。日本も、戦国時代を経験し、織田信長によって、近代の戸が開かれ、徳川家康が江戸幕府を誕生させるまで、血で血を洗う戦国時代(内戦)を経験したからこそ、近代国家を成立させることができた。アフリカの人々は自分達自らで近代の戸を開く歴史を築かない限り、部族間紛争は終わることができないだろう。土人の部族紛争に自衛隊がこれ以上付き合うことは無い。
南スーダンPKO、陸自撤収は大英断だった
今しかなかったタイミング、自衛隊はしばらく国内に注力せよ
【JBpress】2017.3.21(火) 渡部 悦和
安倍晋三首相は、3月12日、南スーダン国連平和維持活動(UNMISS)に従事している陸上自衛隊の撤収を決断し、その旨を発表した。
積極的平和主義を掲げる安倍首相にとって、今回の決定は苦渋の決断であったと思うが、英断だと高く評価したい。現地で活動する自衛隊員とその家族も安倍首相の決断に感謝していると思う。
日本の一部の野党やマスメディアは、安倍首相の英断に奇襲を受けたのであろう、「なぜ、今なのか。撤収の理由は何か」などと愚かな質問を発している。しかし、撤収のチャンスは情勢が小康状態にある今しかないのだ。
南スーダンの情勢は今後さらに悪化する可能性(飢餓の発生に伴う情勢の悪化など)がある。情勢が混沌として抜き差しならない状況での撤収は困難である。
自衛隊が撤収することに対して批判する国々は出てくるであろうし、現地の自衛隊員に対しあからさまに「卑怯者」とののしる者も出てくるだろう。過去においても、UNDOF(国連兵力引き離し監視軍)からの撤退の時もそうであった。
一方、国連のハク副報道官や南スーダンのマヤルディ大統領が「日本が南スーダンでしてくれたことに感謝したい」と述べたように、自衛隊は5年の長きにわたり立派に活動してきたと思う。
実際の撤収は現在活動している部隊の交代時期の5月末になるが、粛々と撤収準備を行い全員無事の帰国を祈念したい。
本稿においては、安倍首相の撤収決断までの国会での議論などの経緯を振り返り、我が国が抱える安全保障上の諸問題や国際平和協力活動をめぐる諸問題を指摘し、それら諸問題に対する解決策を考えてみたい。
結論的に言えば、それら諸問題の根本原因は憲法第9条の問題であり、憲法改正が喫緊の課題であることを指摘したい。
撤収のタイミングとして今が最適である
PKOに参加する自衛隊の撤収を判断するには、以下のようないくつかの要素を検討しなければいけないが、私は安倍首相の撤収決断のタイミングは適切であったと評価する。
安倍首相に反対する党やマスメディアは、「治安の悪化でないなら、なぜこのタイミングか。」と批判しているが、これは自衛隊の撤収作戦を全く知らない者の批判である。治安が小康状態だからこそ撤収するのだ。
●自衛隊の撤収作戦が難しいか容易か
主として現地の治安状況が大きな要素
自衛隊にとって、治安が悪い状況下における撤収作戦は難しい作戦となる。情勢が小康状態の今こそ撤収のチャンスなのだ。
撤収作戦は襲撃される可能性のある難しい作戦であることを理解してもらいたい。まず撤収の準備を自衛隊の宿営地を中心として実施しなければいけない。撤収準備間に襲撃される可能性があるので警戒を厳重に行いながら、同時並行的に撤収準備をしなければいけない。
撤収の際には徐々に部隊がいなくなるので、残される部隊が攻撃される可能性は徐々に増してきて、最後に撤収する部隊が最も狙われやすいので特段の注意が必要になる。
撤収準備は宿営地のみならず、撤収のための全経路において行うことになる。その際の最重要事項は安全の確保であり、予想される危険に対して万全の対策を講じる必要がある。
現地の治安状況が悪化すると、撤収間の安全確保が難しくなるので、情勢が小康を保っている今が最適なのだ。
●我が国を取り巻く安全保障環境
撤収に際しては、日本を取り巻く厳しい安全保障環境を考慮すべきで、この考慮要素は自衛隊の活用について国内任務で使うのか、国外任務で使うのかという問題でもある。
一部の野党やマスメディアの議論で抜けているのは、日本を巡る厳しい安全保障環境だ。日本は今、内憂外患が絶えない厳しい環境にある。
内憂については、日本は1000年に1度の地殻変動の大激動期にあり、今後、首都直下地震や南海トラフ大震災はほぼ確実に発生する。これらの大震災が引き起こす未曾有の危機に備えなければならない。
私が思い出すのが2011年だ。この年の3月11日に東日本大震災が発生したが、陸上自衛隊はハイチのPKOに派遣されていた。当時ハイチで活動する隊員は、日本に帰って災害派遣に参加したいと熱望していたが、その願いは叶わなかった。
海外での任務を優先するか国内での任務を優先するかの問題だ。
私は国内での任務を優先すべきだと素直に思う。特にハイチのPKOも南スーダンのPKOもその主体は施設部隊である。この施設部隊は災害派遣では大活躍する虎の子の部隊だ。その施設部隊が早期に日本に帰ってくれるのはありがたい。
外患については、中国、北朝鮮、ロシアの存在だ。直近の危機である北朝鮮の核ミサイルの開発や我が国に向けたミサイルの実射は、非常に危険な段階に入っている。
つまり、3月6日に北朝鮮が発射した「4発のミサイルの目標は在日米軍基地である」と北朝鮮自身が発表したように、日本が狙われているのだ。
また中国は、尖閣諸島周辺の日本の領海をしばしば侵犯し、世界第2位の経済大国となり、世界第2位の国防費で急速に軍事力を増強している中国は脅威であるし、北方四島を占領するロシアにも警戒が必要だ。
内憂外患の絶えない厳しい時代において、規模の小さな自衛隊の一部を海外任務で使うのが適切か否かの検討が必要だ。
日本が危機の時にPKO撤収を政局にすべきではない
日本が内憂外患の絶えない時期にPKO問題を政局にすべきではない。ましてや北朝鮮が日本を狙ってミサイルを発射している状況において、完全に国内の些末な問題である「森友学園問題」を巡り低レベルな議論を繰り返す日本の国会は異常である。
特に民進党は、その前身である民主党が南スーダンPKOへの自衛隊の派遣を決断し、派遣を命じたことを忘れてはいけない。撤収までの責任は、政府与党のみにあるのではなく、民進党にもある。
民進党は、治安の悪化や駆けつけ警護問題に絡めて自衛隊の撤収を主張してきた。今、安倍首相が撤収を決断したのだから、素直に撤収を喜べばいいではないか。
「森友学園問題」とPKO撤収問題を絡めて何が何でも政局にしようとする意図が垣間見える政党を誰が支持するというのか。すべての国会議員がすべきは、5年間の長きにわたり灼熱の地で黙々と施設作業に従事してきた自衛隊に感謝し、5月末の無事の帰国を祈念することではないのか。
政府の答弁に対する違和感
一方で、政府の国会答弁を聞いていると、素直には納得できない発言があった。
例えば、自衛隊の活動地域であるジュバ周辺で政府軍と反政府軍の銃撃戦があったとしても、ずっと「治安は安定している」と言い続けてきたが、その認識は国民の認識や現地の自衛官の認識とは違うのではないか。
特に現地で活動する自衛隊員にとっての治安問題は命にかかわる事項であり、現実の治安が悪化しているにもかかわらず、「治安は安定している」と言われ続けると良い気持ちはしないのではないか。
また、日誌の問題があったが、「戦闘」ではなく「衝突」が国会答弁では適切だという発言にどれほどの国民が納得したであろうか。「戦闘」と言ってしまえば、PKO参加5原則の1つ「紛争当事者間での停戦合意」が成立しなくなるという事情は分かるが、違和感はある。
政府答弁の不自然さの根本原因は憲法第9条にある。憲法第9条に整合する解釈をしつつ、何とかして国連PKOに自衛隊を参加させたいと思うから、すっきりしない政府解釈と答弁を続けなければいけないのだ。
我が国のPKO参加に関する本質的な問題点は何か?
今回のPKO撤収に関する国会議論の不毛さの根本的な原因は、憲法第9条第2項(「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」)にある。
●PKOへの自衛隊の参加と憲法第9条の問題
・政府の解釈
武器使用は要員の生命等の防護のための必要最小限のものに限られること、停戦合意が破れた場合には、業務を中断して撤収することができること、以上の2点をもって憲法で禁じた武力行使を行うことはない。
・東京外国語大学の伊勢崎賢治教授の主張
伊勢崎教授によると、ルワンダ内戦における大量虐殺がトラウマとなり、その反省をもとに1999年にコフィー・アナン国連事務総長(当時)が告示(国連部隊による国際人道の遵守)を宣布した。
この告示により、国連PKOは「紛争の当事者」となることが前提になった。日本政府は、国際人道法に制約されながら戦闘つまり交戦することも9条2項で禁止する「交戦権の行使」として解釈しているのだから、他国の紛争の当事者となるPKOへの自衛隊の参加の違憲性は改めて問われるべきだったと主張している*1。
また、伊勢崎教授は、「今PKOに加わることは、『紛争の当事者』になることを前提としなければなりません。それは、つまり、『敵』を見据え、それと『交戦』することです。9条が許しますか?これは9条の問題なのです」と言い換えて説明している*2。
政府としては、「敵を見据え、それと交戦する以前に撤収する」のだから9条に違反しないと解釈するのであろう。いずれにしても、憲法第9条の改正なくしてPKOを巡る明快な議論はできないであろう。憲法改正に向けて特段の努力をすべきである。
*1=“日本はずっと昔に自衛隊PKO派遣の「資格」を失っていた!”、現代ビジネス
*2=南スーダンの自衛隊を憂慮する皆様へ~誰が彼らを追い詰めたのか?、現代ビジネス
●参加5原則の問題
参加5原則は以下の5点であるが、今回の派遣から撤収までの経緯に鑑み、参加5原則の妥当性こそ真剣に議論し、必要ならば修正すべきであろう。
①紛争当事者間で停戦合意が成立していること
②紛争当事国(紛争当事者)が我が国の平和維持隊への参加に同意していること
③平和維持隊が中立的立場を厳守すること
④以上の原則のいずれかが満たされない状況が生じた場合、撤収することができること
⑤武器の使用は、要員の生命等の防護のための必要最小限を基本。安全確保業務及び駆け付け警護の実施にあたり、自己保存型及び武器等防護を超える武器使用が可能
今回、治安との関係で問題になったのが「①紛争当事者間で停戦合意が成立していること」である。
最近の平和維持活動においては、内戦に伴う「住民の保護」が主たる任務となることが多く、紛争当事者間で停戦合意が成立していなくても、「住民の保護」の任務を遂行することになる。
自衛隊だけが、「停戦合意が成立していないから撤収します」と言えば、平和維持部隊を構成する他国部隊などから批判されるであろう。停戦合意を5原則から外すか否かも含めて議論すべきだろう。
また、⑤の武器使用権限のさらなる緩和が必要なのか否か、憲法第9条の交戦権との関連での議論もすべきであろう。結果として憲法改正の議論をすべきであろう。
●いわゆる「一体化」の問題
伊勢崎教授の一体化に関する意見と政府の解釈は違うが、どちらの解釈が適切なのかは議論すべきであろう。伊勢崎教授の意見によると、自衛隊はまぎれもなく「PKF(Peace Keeping Forces)の工兵部隊」として活動してきた。
歴代の自衛隊の施設部隊は、PKFの工兵部隊であり、現場ではずっとその扱いであった。自衛隊はPKFであるだけでなく、PKFという多国籍軍としての「武力行使」に“一体化”して活動する。当たり前である、一体化しなかったら、多国籍軍としてのPKFは成り立たない。
施設部隊として送られた自衛隊が、基地に閉じこもり、全く何もしなくても、他のPKFの部隊が交戦すれば、自衛隊も自動的に交戦主体としてみなされる。国際法から見れば、自衛隊はじっとしていても、PKO参加の時点で、静的に、「武力の行使」と一体化する*3。
この問題も9条2項が禁じる交戦権の問題と関連し、憲法を改正することにより解決できる問題である。
筆者の意見
今回の安倍首相の南スーダンPKOに従事する陸上自衛隊の撤収に関する英断を高く評価する。
南スーダンからの撤収によって自衛隊が参加するPKOはなくなるが、次に参加するPKOを過早に探したりするのは適切ではない。
今やるべきことは、国際平和協力業務のみならず、我が国の安全保障全般に大きな影響を及ぼしている憲法第9条第2項の改正について議論をし、努めて早く改正することである。
憲法の改正がなされるまで、自衛隊は、我が国が直面する内憂外患に鑑み、主として国内任務に専念すべきである。ただし、例外的な国外任務として、アジアで発生した大震災(地震、津波など)に対する積極的かつ短期の災害派遣活動を重視して実施すべきである。
最後に、自衛隊に対し、この5年間の南スーダンでの活動に感謝するとともに、5月末の無事の帰国を祈念してやまない。
*3=自衛隊「海外派遣」、私たちが刷り込まれてきた二つのウソ~ゼロからわかるPKOの真実、現代ビジネス

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