
『「軍事研究」の戦後史 科学者はどう向きあってきたか』=杉山滋郎・著 毎日新聞2017年2月5日 東京朝刊 (ミネルヴァ書房・3240円)
科学者が軍事研究をしてよいのかどうかが、いま問われている。科学者の代表機関・日本学術会議は昨年、軍事研究を否定した声明を半世紀ぶりに見直す検討を始めたが、軍事研究の定義などを巡り、推進派と反対派の議論はかみ合っていない。
本書は科学史家である著者が国内外で積み重ねられてきた軍事研究に関する論争の要点を丁寧に追い、入り組んだ議論の出口を探る試みだ。
「自衛のためなら軍事研究ではない」「いや、軍事組織から資金を得れば軍事研究だ」。こうした最近の論点は過去にも繰り返されてきた。著者は民生用と軍事の技術が「相乗り」する新たな傾向を指摘し、入り口だけで線を引く発想に一石を投じる。また戦後、声明は実際に守られてきたかと問う。それは、あたかも政治権力に翻弄(ほんろう)される被害者然とした科学界への疑問でもあるだろう。
歴史研究が直ちに具体的処方箋を出せるわけではないが、最終章では解決につながる問題提起も試みている。そこからは科学者が「軍事研究に手を染めない」ために本当に必要なのは観念論ではなく、歴史の教訓と時代変化を踏まえた主体的取り組みであるとの思いが伝わる。(千)
軍事研究禁止を継承、日本学術会議が新声明案
【2017年3月13日】 大学ジャーナルオンライン編集部
軍事研究をしないとする過去の声明見直しを検討してきた日本学術会議の検討委員会(委員長・杉田敦法政大学教授)は過去の声明の基本方針を継承するとした新声明案をまとめた。4月の日本学術会議総会で正式決定される見通し。
声明案によると、防衛装備庁が進める軍事、民生両面で利用可能な技術研究は、防衛省による研究への介入が著しく、学術の健全な発展という見地から問題が多いと指摘。むしろ必要とされるのは科学者の自主性や自律性が尊重される民生分野の研究資金充実だとした。
さらに、研究成果が科学者の意図を離れ、軍事目的に転用されて攻撃目的に使用されることもあるとし、大学など研究機関は軍事面、安全保障面での研究とみなされる可能性のある案件に対し、適切性を技術的かつ倫理的に審査する制度を設けるべきだと主張している。学会などがそれぞれの学術分野でガイドラインを設定することも求めている。
日本学術会議は1950年に戦争を目的とする科学研究を絶対に行わないとする趣旨の声明、1967年に軍事目的のための科学研究を行わないとする声明を発表している。
しかし、防衛装備庁が2015年から軍事研究への助成制度をスタートさせ、助成制度応募の可否をめぐって大学内で混乱が見られたことから、2016年から検討委員会を設置して声明を見直すかどうかの対応を検討していた。2月には東京都内で安全保障と学術の関係に関するシンポジウムを開き、軍事研究をしないとする過去の声明の取り扱いについて意見交換したが、その際軍事研究に反対する声が続出した。
日本の科学者の任意団体「日本学術会議」が、「軍事研究禁止を継承」という声明案をまとめた。左翼が忌み嫌う「日本会議」の親戚か?そうではないらしい、大学で研究を行う象牙の塔の科学者の任意団体が、世俗の事情も知らず、理想論を「言い放ち」正義面している呆れたニュースが流れた。
「日本学術会議」に所属するマッドサイエンティストの身勝手な信条と異なるからといって安全保障技術研究推進制度 を「軍事研究禁止を継承」という声明案までまとめ反対する権利はないはずである。学術研究者は全員同じ左翼信条でなければならないというのが、「日本学術会議」の言い分だ。共産主義にシンパシーを感じることが平和を守ると言う、彼らの考え方はまるで論理的ではない、個々の信条を認めないと言う「日本学術会議」の行動様式はまさに例外を認めない専制的な共産主義国家と同じである。
日本国民の生命と財産を北朝鮮や中国から守りたいと考える科学者の研究を妨げることは犯罪だ。
北朝鮮が何の非もない日本を狙って核ミサイルを打ち込むかもしれない、中国が国内情勢の悪化から目をそらすために、沖縄を獲りにくるかもしれないなど、以前に無かった危機が確実に高まっているこのご時世に・・・マッドサイエンティストにもなれないバカ科学者達は新聞テレビを視ないのか?
アニメでは正義の科学者たちは科学忍者隊を組織してエイリアンが率いる悪の秘密結社を壊滅していたが、現実の日本の科学者はなんと愚鈍でだらしないのだろ。
日本学術会議の科学者の頭の中は、いまだに1945年のままである。目前に迫っている北朝鮮や中国の核攻撃や弾道ミサイルの恐怖、あるいは、国際社会が直面しているテロとの闘いという現実を正しく分析する能力を持っていない。
日本学術会議の科学者たちは、ただ、「軍事研究」とは、人を殺害する武器を「つくる悪である」という幼稚園児なみの認識しかないのである。軍事研究イコール殺戮の武器研究という「単純正義」に基づくイデオロギー集団と化した「日本学術会議」に科学を担ったり語ったりする資格はない。
本来の科学者の「役割と使命」を知る人々が、こんな政治集団からは早く抜け出して「新団体」をつくって欲しいと思う。
戦争は向こうからやって来る
日本学術会議の「軍事研究しない」は独善の利己
【JBpress】2017.5.3(水) 森 清勇
日本は北朝鮮がノドンやムスダンなどを展開した前世紀末から射程内に入っている。核の小型化こそ未完であったが、核と同様に大量破壊兵器に分類される生物兵器や化学兵器も大量に装備しているとみなされてきた。
しかし、日本自身が安全保障の観点から問題視することはなかった。改めて気づかされることは、日本は自国の安全に無頓着で、何らの対策もしてこなかったということではなかろうか。
一昨年の安保法案審議でも見たように、実質的、かつ具体的な議論は一切避けて、憲法論議に終始した。今回明らかになったような脅威が一切議論に上らないため、いつの間には「日本が危機に直面することはないかのような」錯覚に捉われてきた。
実は北朝鮮以上に潜在的な脅威が中国であることは先にJBpress拙論「『国の守り』を放棄する学術会議でいいのか」で述べた通りである。
ともあれ、日本では隣国の脅威などを議論するのをタブー視して、ただ米国の抑止力をあてにするだけである。
普通の国家であるならば、普段から英知を集めて非常時に備えた準備をするのが当然であるが、日本ではそうした意識が欠落している。その最たるものは日本学術会議が「軍事目的の科学研究を行わない」と決めたことであろう。
安全保障は何を差し置いても優先されるべきことであり、科学研究の総力結集が欠かせないからである。
現代戦の様相
言霊信仰の強い日本では、「戦争」という言葉は忌避される傾向にある。特に戦後生まれの日本人は軍事に関する認識をほとんど持ち合わせていない。
そこで、実戦場裏としてはベトナム戦争映画の「プラトゥーン」か、仮想空間で得体の知れない何かが作用して通信遮断などによる混乱をもたらす状況などではなかろうか。
かくて、戦争は戦場にある将兵たちの戦い、あるいは関係する少人数の領域のことくらいの認識である。従って、軍人をはじめとした特定の人に任せておけばよいというものである。
しかもその様相は、爆撃機が侵入してくる敵軍に対して爆弾を投下して阻止・減殺する。その後、当方は侵攻してきた残余の敵に対して、戦車や大砲などの火力支援を受けた歩兵が相手の陣営に突入するという第2次世界大戦からベトナム戦争までくらいのパターンである。
しかし湾岸戦争では、偵察衛星と巡航ミサイルの組み合わせによって、敵に発見されずに従来は考えられなかった遠隔地の主要人物や施設などをピン・ポイントに攻撃できるまでになり、当方が被害を受けることなく破壊率を著しく高めることができた。
これはエレクトロニクスの活用によるIT技術の急速な進歩で、軍事革命(RMA:Revolution in Military Affairs)が主張され、軍の改革で兵器・装備と共に指揮統制システムが一新されたからである。
緊急な対応が必要な場合には、第一線部隊である歩兵中隊が、直上の大隊、連隊、旅団等の指揮を受けることなく、師団長から直接指揮される状況さえ生起する。これは、第一線部隊の状況やそれを指揮するに必要な情報が上級レベルでも共有され同時並行的に処理できる情報処理システムなどが開発されたからである
こうした先進技術を駆使して編み出されたのがエアー・ランド・バトルと称された「空地戦」構想であった。地上部隊がエレクトロニクス化され、指揮通信衛星などを介して空軍部隊や陸軍航空部隊と連携しながら作戦戦闘を遂行できるまでになってきたのであった。
電子化された基本部隊は「デジタル師団」とも呼称された。通信システムだけでなく、指揮・統制、情報処理などにおいても、デジタル処理で同時多目的対処ができる師団に改編されてきた。
しかし、科学技術の進歩は著しく、デジタル師団も「今は昔」というほど激変し、無人偵察機や偵察衛星などによって得た情報が宇宙通信衛星を経由してリアルタイムで取り入れることが可能となり、一段とエレクトロニクス化が進捗している。
そのために、作戦場面も陸に侵入される以前の海空領域で接近を阻止する「接近阻止・領域拒否」A2/AD(Anti-access/area-denial)戦略で、いわゆるエアー・シー・バトルと称されるものである。
戦争は向こうからやって来る
日本は北朝鮮の被害国である。うら若い無辜の日本人数百人が北朝鮮首領の命令を受けた工作員によって、日本の領土で拉致され連れ去られた。不法に拉致された被害者を取り戻すために、何度も外交交渉を行い、飴と鞭で対処してきたがいまだに解決に至っていない。
そうした中で、北朝鮮は6か国協議に見せかけた時間稼ぎで関係諸国を翻弄し続けてきた。また、核の小型化とICBM(大陸間弾道弾)の開発を急ぎ、米国を射程に収める核ミサイルの装備で、米国の核抑止力に風穴を開けようとしてきた。
米国を攻撃目標に設定できることで、日米同盟が機能しなくなり、日本を孤立化させることができるとみているのだ。
また、中国は経済発展に伴って軍事力が増大した1990年代以降、領海法を施行して日本の領有である尖閣諸島を自国領に組み込んでしまった。
また、東シナ海の日中中間線周辺に位置するガス田については、日中両国で話し合うことになっていた合意を勝手に反古にし、試掘を継続している。
日本は憲法前文にあるように、「国際社会における公正と信義を信頼」して、平和を愛する国家として軍隊を放棄し、また「国際条約など」誠実に順守してきた。
それにもかかわらず、上記のように北朝鮮は日本人を拉致し、日本を射程に収める弾道ミサイルを開発装備してきたし、中国は日本領の尖閣諸島を力にものを言わせてかすめ取ろうとしている。
日本が北朝鮮や中国にどんな悪事を働いたというのだろうか。北朝鮮では1995年夏の大洪水で穀物生産が約800万トンから400万トンへ半減する危機的状況に陥った。日本は世界食糧計画(WFP)などの要請に基づき、人道的観点から50万トンの米の食糧援助を決定した。
また、中国に対しては有償無償併せて総額7兆円弱のODA(政府開発援助)支援を行ってきた。今日における中国の発展の基底には、日本の支援によるインフラ整備が大いに寄与しているとされる。
このように、日本は北朝鮮と中国に多大の貢献をしてきた。しかし、両国は共産主義体制と独裁で国内に不満が山積しており、その空気抜きに外に敵を見つけてナショナリズムを高揚する政策をとっている。敵に見立てられているのは、ほかならぬ日本である。
日本は軍隊を持たず、交戦権も認めていないので戦争を仕かける意志も能力もない。辛うじて警察官の職務を準用して、専守防衛に任ずる自衛隊が存在するだけである。普段は大規模災害発生時に知事などの要請に基づき人命救助や被災地の復旧・復興の任を帯びて派遣される。
PKOなどで海外に派遣された部隊も道路・橋梁の復旧や医療・給水支援などがほとんどであり、日本や自衛隊が戦争を仕掛けるなどは思いもよらない。しかし、北朝鮮のように向こうからやって来る脅威には敢然と対処し、領土と国民を守らなければならない。
学術会議の会員に防衛意志はないのか
ざっくり言えば、北朝鮮の脅威が明らかになる以前の1990年代後半に中国が沿岸に配備したCSS-6(東風15、DF-15)が日本を射程内に入れた時から20余年間、日本は自国への危機として真剣に向き合うことなく過ごしてきた。先の安保法案審議はまたとない機会であったが、例によって神学論争に明け暮れた。
この時点でも野党はノイジー・マイノリティを煽動して、「戦争法案」だと強弁して「日本の安全」のための具体的な論議をしようなどとは考えもしなかったようである。
米国の問題視に連動して、いまようやく「ミサイルが飛んできたら」「核爆発が起きたら」という議論になりつつある。それでもいまだに「たら・れば」の仮定でしかなく、「脅威の襲来」という現実認識に至ろうとしない。
多くの日本人が誤解のうえで親近感を抱いているスイスは、ソ連が人間衛星ガガーリンを打ち上げたことで、核戦争もあり得ると予測し、核シェルターや対処訓練を地方自治体に義務づけた。各家庭には核戦争が起きた時の対処行動のための分厚い手引書を配布した。
政府主導ではあるが、どれもこれも脅威の認識と対処の必要性を国民が容易に認識できたから進められた政策である。これは「中立の維持」と「自分の国は自分たちで守る」という固い決意に根づく国民皆兵が根底にあることと大いに関係している。
国防は他人事ではなく自分事であり、国家の総力を挙げて対処すべきことであるが、日本人にはこの意識が完全に欠落している。
先に開かれた日本学術会議の総会では、軍事研究に関して「安全保障や平和と学術との関係など、より広く継続的な議論が必要」「軍事や国防とどう向き合うかといったテーマは(人文系・工学系など)色々な分野の専門家が垣根を越えて議論するべきもの」(「朝日新聞」2017年4月15日朝刊)という指摘が相次いだとされる。
こうした慎重な対応を求める声があったにもかかわらず、それを無視する形で、総会に先立つ数週間前に開かれた幹事会が決めた「軍事目的の科学研究を行わない」とした声明を追認したのである。
軍事研究に関係しなければ平和が留保され、静謐な研究環境が保証されるというものではない。スイスに見るように、むしろ、外部からの脅威は自力で払いのける努力をしなければ、安全な研究環境はおろか、言論の自由や集会(学者の場合は研究発表の場としての学界であろう)の自由までも奪われよう。
それどころか、独裁者の邪魔になるエリートたちはソ連時代のサハロフ博士などのように監房に閉じ込められ、あるいは文化大革命の中国のように農村に下放され、酷使されるのが落ちではなかろうか。
先進科学研究が日本人を救う
(1)過去の事例から
1995年に起きた地下鉄サリン事件が残した教訓は大きい。当方が攻撃兵器として使用する意志がなくても、他方に攻撃意志が存在する限り使用の可能性があり、その場合の防護法は確立しておく必要がある。
当時は既に化学兵器の存在が確認されていたが、自衛隊が防護のための研究を主張しても国会では、「けしからん」という声があり、特に野党からの批判が激しかった。
しかし、思いもしないことに、オウム真理教が朝の通勤時間帯を狙って地下鉄でサリンを散布し、大変な騒動になった。そこで、防護法を研究していた自衛隊に災害派遣が命じられた。
死者13人、負傷者6300人余に及んだが、野党の主張どうりに防護の研究もやっていなかったならば適切な処置ができず、被害は10倍、100倍になっていたかもしれない。
最近の事例でも、金正男氏殺害にはVXが使用されたし、シリアでは化学兵器自体が使用され多数の死傷者が出た。ちなみにシリアは化学兵器を1300トン保有するとされるが、北朝鮮は2500~5000トンを保有しているとみられている。
2011年の東日本大震災に伴って発生した福島第2原発事故も大きな教訓を残した。特にメルトダウンしているとみられた原子炉の過熱を防止し、放射能の散逸を少なくすることが必要であった。
しかし、核という言葉が出るだけで日本人にはアレルギーにも似た体質がしみ込んでおり、核兵器対処はいうに及ばず平和利用の原子力についても安全神話で囲い込まれ、対処についてはほとんど研究が行われていなかった。
この2つの事例からも分かるように、大量破壊兵器と総称される核・生物・化学(ABC)兵器が存在する限り、その防護法についての研究は必要不可欠である。
(2)近未来の戦争様相
大量破壊兵器は保有の誇示で抑止効果を発揮できる。従って、国際社会の監視を潜り抜けて保有に邁進する国家やテロ組織などが出てきても不思議ではない。今日では製造などに関する情報も出回っており、研究開発の費用を投じないでも比較的容易に手に入れることができる。
国際社会では核兵器や生物・化学兵器についての取り決めや査察制度はあるが、十分に機能していないため、いろいろな問題が出てきている。
また、今日ではコンピューターなしの社会は考えられない。軍隊においてもあらゆる部隊などに導入されている。従って、従来は第一線の兵士の損耗で勝敗がおおむね決したが、近未来の様相は全く異なる。
政治中枢と部隊の指揮中枢の通信システムや師団長の指揮統制システムを破壊や混乱させることで、シビリアン・コントロールが機能しなくなり、あるいは部隊の戦力発揮が阻害される。
情報収集には衛星や無人機などが多用されるが、収集システムや伝送システムなどを混乱させるだけで、軍隊が無用の長物にならないとも限らない。
強力な電磁パルスを発射して内装しているコンピューターを機能不全に陥れ、また情報伝搬の電波より強力な電波を発信して情報伝送を混乱させる電子戦などは一層拡大の方向にある。
さらには相手の情報を盗み取り、当方に有利なように操作・改変まで行うサイバー戦などは隆盛の一途であろう。
独創的兵器・装備の必要性
電子化された部隊は、コンパクトで機動性に富むなど優れた点が多い。しかし、逆に電子戦に脆弱であり、またコンピューターに内包された情報はハッキングされ、カウンター・インテリジェンスとして利用されやすい。
セキュリティには最先端の理論と技術が必要なことは言うまでもない。それに関わる基礎研究、さらに応用研究、そして技術開発などは最高学府や研究所などに依存せざるを得ない。
また、CIA(米中央情報局)の盗聴がエドワード・スノーデン氏によって明かされ、中国開発の格安スマホ用ファームウェアには利用者の個人情報を収集する機能が組み込まれているなど、エレクトロニクス化は情報収集にも巧妙に利用される。
しかし、日本は自由民主主義という国家体制上からこうした盗聴システムなどに関心はないし、サイバー攻撃能力も持ち合わせていない。このことは、サイバー防衛能力も保有していないに等しいということでもある。
防衛能力は攻撃能力と表裏一体の関係にあり、サイバー防衛試験などのためには擬似的な攻撃装置がなければならない。
先の米国大統領選ではトランプ候補を勝利させるためにロシアがサイバー攻撃を行ったと報道されてきたし、それ以前から、中国は米欧日などの最新兵器情報をハッキングし、新兵器の迅速な開発・装備化に役立ててきたことが分かっている。
日本でもサイバー・セキュリティを任務とする部隊が新たに創設される状況にあるが、自民党の安全保障調査会(会長・今津寛衆院議員)は、ようやくサイバー・セキュリティ小委員会を新設し、自衛隊による敵基地攻撃の一環としてのサイバー攻撃能力の保有に向けた検討を始めるよう提言をまとめた段階である(「産経新聞」平成29年4月21日)。
これも、北朝鮮の脅威が顕在化したからで、概略の構想は、北朝鮮が日本向けに弾道ミサイルを発射した場合、まず「SM-3」(イージス艦搭載)と「PAC-3」(ペトリオット装着)によるミサイル防衛(MD)システムでしのぎ、敵基地攻撃手段としての戦闘機や巡航ミサイルなどと連動する形で相手のネットワークにサイバー攻撃を仕かけて第2撃以降の発射を阻止するという、極めて受動的なものである。
おわりに
北朝鮮は4発のミサイルを同時発射し、3発は日本のEEZ内で約50キロの範囲内に着弾した。「在日米軍基地の攻撃を担う部隊」が発射訓練をしたことを明らかにした。最近の緊張状態の中で発表する北朝鮮の声明には、韓国を火の海にし、日本を沈没させるというセリフもある。
日本から攻撃を仕かけなくても、時と場合によっては相手国から侵略してくることが予測される。自衛隊はこのように侵略してくる軍隊、その国家に対する抑止力として防衛力を構築している。日本から進んで他国を侵略する意志などないことを国会答弁で、また自衛隊の編制や装備の面から見ても確認できる。
すなわち「専守防衛」が日本の防衛政策の柱の1つでもある。しかし、禍は突然のようにやってくる。在日米軍基地が目標ということは、日本の領土に落下させ、日本人に被害を及ぼすということでもある。
こうした事態を抑止することは、自衛隊や防衛企業だけで為し得るものではない。国家の総力を結集した防衛態勢の確立には、理論研究を行っている大学や研究機関などの協力も不可欠である。
しかし、防衛省が先端研究を助成するために平成29年度から設けた「安全保障技術研究推進制度」に、当初は意欲を示していた多くの大学も、日本学術会議の声明を受けて、二の足を踏み始めている。
個人的な思想信条から会員の中にも反対者がいるであろうが、「軍事目的の科学研究は行わない」とする声明は自縄自縛に陥る危険性を内包しているように思えるがいかがであろうか。
新生「先進技術推進センター」が目指す橋渡し研究と今後の連携のあり方(説明資料)
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