
小池百合子氏は、昨年の東京都知事選挙で、左翼・リベラル・多くのマスコミが推す、鳥越俊太郎や自民党が推す元岩手県知事「増田 寛也」氏を破り、都知事となった。
昨年の都知事選挙自体は、左翼・リベラルが推す候補者が、日本を戦争をする国にさせないというトンチンカンなスローガンであった為、政治家「小池百合子」氏が乾坤一擲、満を持して挑んだ勝負に勝てるはずもなく、舛添後継、東京都連のドン内田氏傀儡のイメージを払拭できなかった増田氏も及ばなかった。
今回、昨年の都知事選挙の仇敵であるはずの、小池百合子氏を左翼リベラル派は自分達の候補のように扱い、反安倍、反自民であれば歓迎のような、論調であった。猿芝居にも程がある、国政最大野党の民進党は、都議会において自民党よりも絶滅危惧種になったという事実も自民大敗と合わせて報道すべきであろう。
私は、多数決主義の投票で決める、デモクラシイを尊重する立場である。故に、小池氏の勝利は都民の選択として、私は小池氏勝利を尊重する。(今後の国政を考えると、憲法改正を願う保守の立ち位置から見ると、必ずしも歓迎できるものではないが、結果は尊重する。)
確かに、デモクラシイは多くの問題を抱え、完璧な制度ではないが、現時点においては、共産主義や、独裁主義より、修正が効く可能性が高く、選択できる政治制度の中では最も優れた制度であると思います。
デモクラシイの基本原理は、多数決である為、多数を取った側が勝利となる。
多数を取るということは、多くの選挙民(大衆)が支持した側が勝利する基本原理である。
私は、昨年の米国の大統領選挙で、トランプ氏が勝利したことを、米国民の民意として尊重している。勿論、米国のリベラル派はトランプの勝利をポピュリズムだといって批判を繰り返し、反トランプ派暴力に訴える輩も多数出ている。これはデモクラシーへの反逆、反デモクラシーであると私は思います。
選挙結果を尊重せず、ポピュリズムのレッテルを貼り、批判するやり方は、デモクラシーに反すると、私は思う。ポピュリズムとレッテルを貼るジャーナリズムや、官僚、学者は反デモクラシーであると言って、過言ではない。トランプや安部政権をポピュリズムだとを言う輩は、自分たちが攻撃されるとレイシズム、レイシストだと騒ぐ連中と被る。不思議なことに、今回の小池百合子の勝利をポピュリズムだと騒ぐ人がいない。
今回、多くのメディアも小池百合子率いる都民ファーストの会を歓迎する論調だ。
メディアの多くは、米国民が選んだトランプ大統領を批判するメディアと重なり、矛盾であり、ご都合主義でとしか言いようがない。
小池百合子氏はワールドビジネスサテライト時代から私はファンではあるが、今回の選挙こそポピュリズムではないかと疑問を持つのは、私ぐらいかもしおれない。
50人の大半が素人の新人が立候補して、49人が当選する状況は、空気(ニューマ)による選挙で、ポピュリズムであると言って過言ではないでしょう。
普段ポピュリズムを引き合いに出す連中がまったく騒がないところを見ると、小池陣営に、好ましくない組織の人たちが混入した可能性を疑いたくなる。
私は、小池百合子氏は日本で最初の女性首相になる政治家と資質があると私は高く評価しておりますが、豊洲問題で、問題の本質を考えるのではなく、豊洲問題を政治利用してしまった点で、少々裏切られたような気がしています。
さんざんもめて、豊洲も築地2つとも残すという計画、まさに実現性の限りなく低い政策を出しておいて、気がつけば都民は多額の税金を払うことになる。神奈川県民の私からすれば関係がない話かもしれないが、道路の建設遅延も含め膨大な税金を、政治家小池百合子氏を選んだ、都民が払うことになるわけです。
それでも都民は今の自民党ににお灸を据えた方がいいという判断をしたと思います。ただ、冷静に判断してほしい、森友学園問題も、加計学園問題も、安倍内閣からしてみれば言い掛かりに近い。どちらも官僚側に落ち度があり、安倍政権側が慢心しているというのは、イメージ戦略にすぎない。
ただし、自民党を中心に若手議員の度重なるスキャンダルが「安倍一強の慢心イメージ」作りで、安倍政権にとって致命的であったのだと思う、「このハゲ」!
政策で本来選ばれることが本来望ましい選挙でありますが、小池さんが初当選した日本新党ブームのころから、本来議員になど成れぬようなヤクザな人物が大量当選する時代になったと思います。小泉チルドレンや小沢レディースなど、これは一種のポピュリズムだったと思います。
政策で本来選ばれることが本来望ましい選挙でありますが、小池さんが初当選した日本新党ブームのころから、本来議員になど成れぬようなヤクザな人物が大量当選する時代になったと思います。小泉チルドレンや小沢レディースなど、これは一種のポピュリズムだったと思います。
日本においてポピュリズムの大きな弊害と思われる一つは、政策や人物本位の代議員が当選するのではなく、失業者や勘違いのエリートが、追い風空気で、なんら苦労せず代議員になってしまうことが問題のような気がします。選挙の投票判断基準が、選挙より経歴と見た目であるような気がしてなりません。豊田真由子氏はまさに理想的候補者だったような気がします。
そのように、苦労せず地元の有権者に信頼と地盤が無い人間は、代議士様になった途端、慢心し、傲慢に振る舞ってしまう。ある意味苦労をしないでなった場合やむをえない現象なのだ。私だって、もし突然代議士になったら、同じく勘違いするに違いない。自分は選ばれた人間になったと、生まれが卑しいので、そう思ってしまうにちがいない。そう思わないのはよほど優秀な人間だけである。
小泉元総理の時代から風の扱いが上手い人が強くなってきた。今回自民党都議の知事就任時の大人気ない対応、区長選での敗戦に対する反省の皆無、そして国政における印象操作の仕掛けに対する対応不備など自民党のオウンゴールで、全部都民ファーストが仕掛けたわけではない。しかし、小池百合子は天才であった。彼女の戦略は見事でした。
ということは、おそらく今回当選した49人のうち何人かは、どうしようもない、豊田真由子、ガソリーヌ山尾 志桜里 、超勘違い上西小百合、還付金詐欺疑惑の自由党 森裕子、ストーカー重婚の中川俊直、おんぶ視察の務台俊介、初の育児休暇を取得して不倫をしていた宮崎謙介、金銭詐欺、未成年男子を買春した武藤貴也のようなクズも何人かは混入しててもおかしくはないでしょう。いやむしろ確率は高そうな気がします。
私は、今回の都民ファーストの会の圧倒的勝利がポピュリズムだと危惧していますが、トランプ大統領の勝利をポピュリズムだと批判するメディアは小池百合子をポピュリズムと言わないのは明らかに矛盾だと思います。
そもそもポピュリズムの定義があいまいである。「ポピュリズム」を定義するのは本当に難しい。ポピュリストには右も左もあり、保守派も進歩派もあり、国粋主義者もいれば社会主義者もいる。どのような定義をするにしても、それらすべてを一つの定義のもとに包摂することはできない。そして実は、まさにそこにポピュリズムの固有な特徴がある。
私が定義づけをするならば、ポピュリズムとは、民主的な選挙において、多数派ではなかった側が、反対派の勝利に対して侮辱、侮蔑する言葉が「ポピュリズム」だと思います。
近年世界中で「ポピュリズム」が台頭してきたとマスコミは書き立てるが、世界中で民主主義が台頭してきたとは書かない。
ヨーロッパでは「反移民」を、ポピュリズムで、ポピュリズムが現代民主主義の舞台から消えてなくなると騒いでいるが、私は違和感を感じてならない。
ポピュリズムを悪者扱いする見方こそ浅薄で、メディアや既成権力といった体制側の有権者蔑視を露呈させるもにしか見えない。
米国のトランプ大統領の誕生は、国民が正当なルールに基づいて現在のエスタブリッシュメントに対する自分たちの不満を表明した結果であって、むしろ民主政治が健全に機能したことを示すものであると、なぜ日本のマスコミや有識者は言わないのか、はなはだ疑問に感じる。
インテリはいつも「国民の声を聞け」と言って政府を批判するのに、選挙の結果が自分たちの意に沿わないと見るや、今度はそれを「大衆迎合」「ポピュリズム」という名で非難する。これはいかにも身勝手で侮蔑的な「上から目線」であると思います。
トランプ大統領が、ポピュリズムと非難されるのは、イデオロギー的な理念や厚みのある信念が存在しないという点が弱みである。
トランプ大統領は、実は全体的な将来構想をもってはいない。あるのはただ、「雇用」「移民」「テロ」など、その社会がその時点でもつ特定の政治的アジェンダに限定した語りかけの言説である。だからポピュリストと既得権者やメディアから足をすくわれてしまうのである。
トランプ大統領に方向性や信念一貫性が感じられない、だが、信念の無さが柔軟性と時と場合に応じて自由に変幻する可能性もある。トランプのポピュリズムを理解することが難しいのは、この芯の無い軟体構造のゆえであるのかもしれません。
反知性主義とトランプにレッテルを貼る欧米メディアや知識人は、「ポピュリズムはしばしば反知性主義と一体になって発現する。どちらも、既成の権力や体制派のエリートに対する大衆の反感を梃子(てこ)にしているからである」。これも、欧米知識人が、有権者を尊厳ある個人ではなく、無知な動物であるかのように見下すことに、私は反感を感じます。
反知性主義だとか、ポピュリズムという言葉はすべて、個人がネットを自由に使い、
マスコミ・メディア・エリートが情報を独占操作できなくなってきたから出てきた言葉ではないかと私は思う。
トランプ大統領が選挙期間中によく赤い野球帽を被っていたのも、庶民と同じ目線であると主張する戦術である。アメリカ的な文化象徴体系においては、野球帽を被ることには強いメッセージ性がある。それは、「反インテリ」で「反エスタブリッシュメント」という立ち位置の宣言である。
トランプ政権成立の原動力の一つが、ラストベルトと呼ばれる地域の貧しい白人層であった。自動車や鉄鋼などの産業が海外企業との競争に破れ、企業も海外に流出する中で、厳しい経済状況に追い込まれた人たちだ。アメリカの雇用を守る、海外からの移民を制限する、中国からの輸入に関税をかける、などと声を荒げるトランプ大統領の主張は説得的に映ったのだろう。
しかし、トランプ大統領の、輸入に関税をかけるとか、米国の貿易赤字を解消するために海外に圧力をかけるといった政策は、かりに実行されたからといって、プアホワイトと呼ばれるトランプ支持者の人たちを豊かにするものではない。むしろ、彼らの生活をさらに追い込む可能性さえあるのだ。・・・・
自分は、小難しい議論をする堅苦しいエリートではなく、「打ち解けた」「話のわかる」大衆の味方だ、というアピールである。反知性主義の起爆力は、ここでも最大限に発揮されている。この戦略はデモクラシーにおける選挙の戦術としては許される正当な戦術である。
一般にポピュリストは、服装から言葉遣いに至るまで、あくまでも自分が専門家集団の外部に立つアマチュアであることを強調する。プロの政治家はみな腐敗した権力構造の虜で、さまざまな陰謀をめぐらせて既得権益を守ろうとするが、素朴な民衆はいつも騙されて搾取される被害者である。そして自分こそそういう民衆の利益代表者だ、という想定である。 小池都知事とトランプ大統領は似ているではないか!
ただ、小池都政はトランプ政権の将来より、遥か明るい。現在トランプ政権は熱狂的支持者も多いが、歴代の政権でも突出した低い支持率でスタートしている。半分以上の国民がトランプ政権を支持していないのだ。
トランプ大統領とロシアとの関係の疑惑については、毎日のように報道が流れている。もはや風前の灯火で、小池都政とはだいぶ差がある。しかし、私の目から見れば、小池百合子氏の都民ファーストの会とトランプ氏の勝利は、本質的に同じであるということだけは間違いないような気がしてならない。

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