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今年、沢山本を読んだが、なかなか書評を書きたいと思う本に出会えなかった。
だが、「戦争にチャンスを与えよ」エドワード・ルトワックは前作のチャイナ4.0同様皆様にもお勧めしたい、今、是非とも読むべき本であると思う。

全部紹介したいところだが、今回は北朝鮮問題を中心に紹介したい。


 日本の読者へ  
日本の新たな独立状態と平和

 日本は、世界の中でも独特な場所に位置している。世界の二つの大国と、奇妙な朝鮮半島の隣にあるからだ。これは、イギリスとフランスという、近くに規模も大小さまざまで、敵にも味方にもなる隣国を持つ、二つの密接な関係を待った国同士とは大きく異なる状況に置かれていることを意味している。

 英仏を始めとするヨーロとハ諸国とは対照的に、日本は、歴史的にはごく最近まで、敵国も同盟国も持たずに発展してきた。日本を守ったり脅したりするような「大国」は存在せず、〔「大国」とは言えない〕中国が、重苦しい存在感を示していただけだったのだ。

 こうした日本の際立った歴史的な戦略的孤立状態は、一八五四年の二度目のペリー来航と「日米和親条約」によって、突然破られたわけだが、この戦略的孤立状態が本当に終わったのは、一九四五年のことであった。

 その後の日本は、敗北、破壊、占領から立ち上かって、まったく新しい状況に直面した。

経済的恩恵と低コストでの安全保障を同時に与えてくれる、超大国の。つを同盟国としかからである。

 当初、これは、もっぱらアメリカからの働きかけによるものであったが、一九五〇年六月に北朝鮮が韓国への攻撃を開始してからは、日本政府も、同盟国として積極的に活動し始め、非常におとなしい形ではあるが、自国の独立を次第に主張し始めたのである。

 ところがこの状態も、岸信介が一九五七年二月から一九六〇年七月まで首相を務めることによって終わりを告げた。日本が「自らの独立的選択」によってアメリカの忠実な同盟国となったことを岸首相が完全に明確化したからだ。

 このことの意味は、数年後に明らかになる。アメリカがベトナムにおいて大規模な軍事介入を開始した時のことだ。韓国は、数年間にわたって数十万人もの戦闘部隊をベトナムに派兵したが、日本政府はまったく派兵しなかった。これは憲法の制約によるものではない。「自らの独立的選択」にこそ、その理由があった。

 岸首相のパターツ〔独立的選択〕から動き出し、アメリカの忠実な同盟国でありながら「責任を担うパートナー」となりつつある現在の日本の首相が、岸首相の‘孫の安倍晋三であるのは、単なる偶然の一致かもしれないが、それでも象徴的だ。

 この動きは、すでに領土を新たに獲得しただけでなく、さらに拡張しようとしている拡張主義の中国が急速に台頭してきた状況や、朝鮮半島の特異な状況のさらなる悪化に対する、唯一実行可能で現実的な反応である。

 日本にとってほぼ利益のない朝鮮半島において、北朝鮮が、暴力的な独裁制でありながら、使用可能な核兵力まで獲得しつつある一方で、韓国は、約五〇〇〇万の人目規模で世界第一一位の経済規模を誇りながら、小国としての務めさえ果たしていない。

 国家の「権力」というのは、結局のところ、集団としての結束力を掛け算したものであるが、韓国はこれを欠いている。アメリカが長年にわたって軍の指揮権の譲渡を提案しているのに、韓国が継続的に拒否しているのも、その証しだ。

 それとは対照的に、日本は、新たな独立状態を獲得しつつある。これは、日米の対露政策の違いからも、新たな責務を担おうとする日本の現政権の姿勢からも明らかだ。要するに、日本政府は、国民に露骨に物理的脅威を及ぼしている北朝鮮の問題に本気で取り組もうとしているのであり、それと同時に、アメリカと共に中国に対して、「国際的な海空救難所にする」といった口実で、南シナ海のような場所で不法に埋め立てた人工島を根拠に領有権を主張しないように説得するための、準備を始めているのである。

 もしこの人工島が軍事基地として存続すれば、ペルシャ湾や欧州に至る日本のシーレーンにとって脅威になるし、ベトナムにとっては直接的な脅威になる。ベトナムは、日米にとって非公式だが強力な同盟国となりうるし、フィリピン、インドネシア、マレーシア連邦なども、潜在的な同盟国である。

 このような同盟関係を築いても、戦争勃発の危険を高めることにはならない。そうしなければ、むしろ戦争勃発の可能性が高まる。「効果的な抑止」以外の選択肢というのは、「暖かな平和」ではない。云れは、「慢性的な不安定」であり、あるいは「戦争」かもしれないのだ。

 もちろん日本は、手厚い児童手当によって人口問題に対処すると同時に、予測不能な自然災害にも対処しなければならない。こうした問題を別にすれば、日本の国民は、平和を愛する人々であり、寛大な対外援助も行っており、外国の脅威に不安を覚えながら生きるのではなく、安心して平和に過ごすだけの資格が十分にあるのだ。

   二〇一七年三月一四日 メリ-ランド州チェビー・チェイスにて
                             エドワード・ルトワック

まずルトワック氏のことを知らない方に、著者について
エドワード・ルトワック
Edward Nicolae Luttwak

ワシントンにある大手シンクタンク、米戦略国際問題研究所(CSIS)の上級顧問。戦略家、歴史家、経済学者、国防アドバイザー。 1942年、ルーマニアのトランシルヴァニア地方のアラド生まれ。イタリアやイギリス(英軍)で教育を受け、ロンドン大学(LSE)で経済学で学位を取った後、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学で1975年に博士号を取得。同年国防省長官府に任用される。専門は軍事史、軍事戦略研究、安全保障論。国防省の官僚や軍のアドバイザー、ホワイトハウスの国家安全保障会議のメンバーも歴任。著書に『中国4.0』『自滅する中国-なぜ世界帝国になれないのか』『クーデター入門一その攻防の技術』ほか多数。
本書の著者紹介だけでは紹介しきれていない。

単なる研究所の研究員ではなく、実際に戦争コンサルタントとして現場を経験している。彼の革新的な政策のアイデアは戦略戦術として採用されており、湾岸戦争でも彼の意見は採用されたと言う。

彼の著書クーデター:実践ハンドブックでは、大国が地域戦争を鎮圧しようとすると、実際には紛争がより長期化することなど、イラク戦争でも実証され、18カ国後に翻訳され、戦略』(Strategy: The Logic of War and Peace)、世界各国の戦争大学の教科書として使用されています

ルトワックによれば戦争においてはしばしば逆説(Paradox)が働いていると考えられる。例を挙げれば、目標地点に向かう接近経路の選定の問題において一般的には最短距離の道路が選択されるものであるが、戦争においては敵情に応じては迂回することになる悪路を選択すべき状況が考えられる。なぜならば敵の行動を考えれば前者の方が敵の警戒や防備が十分である可能性がある一方で、後者の方を選択すれば奇襲する可能性があるためである。このような逆説は戦争の本性として認められるものであり、平和維持活動に対しても適用できる。ルトワックは改訂版の本書で紛争の休戦を助けるよりも、むしろ両勢力のどちらかが完全に打倒されることで最終的な平和が確立されるものであると主張を展開している。

本書P63に安倍晋三首相がルトワック氏と会談し、アドバイスをしたことが書いてある。安倍首相がルトワック氏から教えを乞う為の会談であったと思われます。
 尖閣をめぐる状況は変わりつつある                           
 最初に申し上げなければならないのは、残念ながら、先日の安倍総理との会談内容については守秘義務があり、いっさいお話しすることはできないということだ。ただ、これだけは言える。私か見たところ、安倍総理はまれに見る戦略家だ。
 日中関係で日本のみなさんが最も関心を持つのは、尖閣諸島に関する問題だろう。
 私は、二〇一六年三月に上梓した『中国4・O――暴発する中華帝国』という本の中で、尖閣の問題について「封じ込め政策」を提案した。これは極めて受動的な政策で、ひたすら中国の出方に「反応する」ことに主眼があった。中国が何かするまでは、日本は何もしないが、何かした時のための準備は周到に整えておく、という考え方だ。
そのルトワック氏は、北朝鮮についてどう対応するかが書いてあります。
おそらく、安倍首相はルトワックの考え方に大いなるヒントを受けているであろうし、
安倍首相を頼りにしているトランプも、同じ考え方をしている可能性が高い。

5 平和が戦争に繋がる―――北朝鮮論
P107-108
「戦略」は「政治」よりも強い

「戦略」は、完全に「パラドキシカル・ロジック(逆説的論理)」によって動かされている。

 このロジックが働いていると、たとえば、最悪の状況、つまり真夜中の道の状態の悪いところから攻撃するのが最善、ということになる。あるいは、戦闘に勝利しつづけて前進すると負けがこんでくるような、状況の逆転が生じる。前進すれば、次第に本国から遠のき、距離が不利に働くようになり、逆に相手は、次第に本国に近づくからだ。よって勝利が敗北に変わり、敗北が勝利に変わる。撤退すれば、本国の基地に近づくことになるし、それまで味方だった、もしくは反対していた勢力も、つく側を変えたりするからだ。

 これを言い換えれば、「パラドキシカル・ロジック」は「政治」よりも強い、ということになる。そして「戦略」は、「政治」よりも強い。

 だからこそ、一九七二年に、反共産主義の代表的な存在であるリチャード・ニクソソのような人物と反資本主義者の権化である毛沢東のような人物が、協力して同盟関係を結ぶようなことが起こり得るのだ。これは、「政治」よりも「戦略」が強いことの証しとなる。

 アメリカと中国の同盟を強いたのが「戦略」なのだが、これは、ソ連の軍事力の規模が一定の限界を越え始めたからだ。つまり、強大化していったソ連の軍事力が、「勝利の限界点」を越えてしまったのである。そして米中の協力関係によって、ソ連の弱体化が始まったのだ。もしソ連が、軍事力の増強を「勝利の限界点」の手前で止めていれば、米中の協力関係は生まれなかっただろうし、ソ連も、はるかに強い地位を維持できたはずなので
ある。 
大東亜戦争において、帝国陸海軍が陥った初歩的な戦略ミスがその敗因であり、補給線が伸びきることによる勝利の崩壊が、パラドキシカル・ロジックで説明できる。

21世紀の諸葛孔明か孫子と称えられるルトワックの考え方からすれば、トランプがプーチンに宥和しようという考え方は正しい。

ロシアゲートだといってトランプを陥れ、同時期、安倍首相に対しては森友・加計問題では産経新聞を除いたマスコミ総動員で、安倍首相に対し、イメージ操作を仕掛けている大元は同じであるように思える。

米露が友好国になることを妨害しているのは、中共のエージェントの息がかかった米国のリベラル政治家と大手マスコミではないだろうか?中共のエージェントが暗躍している可能性が高いのではないか?

p108-110
平和は戦争につながる

 「戦略」において、すべては反対に動く。

 戦争で国家や国民が被害を受け続けるのは、日常生活や平時における通常のロジックと紛争や戦時におけるロジックがまったく異なるからだ。また、そのことを理解するのが難しいために、被害がさらに拡大することになる。

 最も難しいのは、「戦争ではすべてのことが逆向きに動く」というのを理解することだ。
たとえば、「戦争が平和につながる」という真実である。戦えば戦うほど人々は疲弊し、人材や資金が底をつき、勝利の希望は失われ、人々が野望を失うことで、戦争は平和につながるのだ。

 ところが、逆に「平和が戦争につながる」ことも忘れてはならない。

 人々は、平時には、脅威を深刻なものとして考えられないものだ。平時に平和に暮らしていれば、誰かの脅威に晒されていても、空は青いし、何かが起こっているようには思えない。友人との飲み会に遅れないことの方が重要で、脅威に対して何の備えもしない。

 つまり、脅威に対して降伏するわけでも、「先制攻撃を仕掛ける」と相手を脅すわけでもない。そのように何もしないことで、戦争は始まってしまうのである。

 平時には、脅威が眼前にあっても、われわれは、「まあ大丈夫だろう」と考えてしまう。脅威が存在するのに、降伏しようとは思わず、相手と真剣に交渉して敵が何を欲しているのかを知ろうともせず、攻撃を防ぐための方策を練ろうとも思わない。だからこそ、平和から戦争が生まれてしまうのである。

 平時には、誰も備えの必要を感じない。むしろ戦争に備えること自体が問題になる。そうして行動のための準備は無視され、リラックスして紅茶でも飲んでいた方がよい、ということになり、そこから戦争が始まるのだ。

 平和は戦につながる。なぜなら平和は、脅威に対して不注意で緩んだ態度を人々にもたらし、脅威加増大しても、それを無視する方向に関心を向けさせるからだ。日本にとって、その典型が北朝鮮問題だ。
これは、小室直樹先生の名著「新戦争論」でも語られている。

「平和主義者が戦争を引き起こす。」この当時の私の常識を根本的にひっくり返した。目から鱗が落ちるどころか、アシタカのような曇りなき眼(まなこ)にしてもらった気がする。私の東京裁判史観と薄っぺらな平和主義の幻想を打ち砕いてくれた、一節である。

「憲法守れ、戦争反対」などとお題目を唱えれば、平和が訪れるという“非論理的な念仏主義”は、平和を招くどころか、悪魔や鬼とともに、戦争を引き寄せる行為であることを、小室直樹先生は喝破し、戦後教育に汚染された私達の脳味噌を、除染してくれたのであった。

 第一次世界大戦後のヨーロッパにおいても「もう戦争はこりごりだ」という市民の想いが全土へ平和主義運動(パシフィズム)という拡がりを生みます。

平和主義運動が欧州中に蔓延していました。戦火で灰燼となったドイツではヒトラーでさえも当初は平和を訴え当選したのです。当時は平和主義運動(パシフィズム)に反対する者は全員落選したのです。当選したヒトラーは在野時代と打って変わり、平和のみが政策であると演説しているのです。

平和を訴える演説をして、欧州の人々を油断させた裏で、ヒトラーは着々と侵略の準備を整え、フランスとの中立地帯ラインラントへ軍を進駐させ、空軍の創設、戦車隊の増員などといったベルサイユ条約の露骨な蹂躙を行います。

ところが平和主義運動の蔓延がイギリスの首相チェンバレンやフランスにナチスドイツへの軍事制裁を躊躇させたのです。なぜなら英仏両国の政治家は平和主義者の反対の声に迎合せざるを得なかったのです。その後、ヒイトラーはオーストリア併合、ズデーテン地方の割譲と次々にエスカレートさせていったのです。

そしてご存じのように最後のポーランド侵攻を皮きりに、第二次世界大戦がはじまってしまったのです。

まるで、現在はそのデジャビューを見ているような世界である。


小室直樹著「新戦争論」序文

戦争は高度な文明の所産である。

それゆえ「野蛮な戦争はもうごめんだ」。という主張は、自己矛盾をはらんでいる。戦争は野蛮な行為ではないからである。

第一次大戦と第二次大戦の戦間期に、パシフイズムといわれる運動が、ヨーロツパを席巻したことがあった。パシフィズムとは「平和主義」という意味だ。学生も労働者も野蛮な戦争はもういやだ、絶対に銃はとらないと叫んだ。どの国の政治家も、この運動に賛意を表した。そうしないと、次の選挙での当選が望めなかったからだ。失言して本心を言ってしまい、大臣の座を追われる政治家の多い日本の現在と、似ている。

それでは平和がもたらされたか。歴史は皮肉なことになった。パシプイズムは、世界史上、もっとも悲惨な、もっとも大きな戦争をもたらした。彼らの平和運動は、ヒットラーの揺藍(ゆりかご)となったのだ。なぜ、そんな馬鹿なことになったのか。それは、一にかかって、全員が、戦争を野蛮な行為と誤解した点にある。

本質を誤った運動は、たいへんな副作用をもたらす。平和をとなえ、願えば平和がくるという、心情的な「念力主義」は、役にたたないだけでなく、危険だ。戦争を、人類が生みだした最高の文明として、とらえ直し、論理をそこから再出発させる必要がある。

戦争は制度である

国家とか経済とか家とか学校とか、われわれの社会は、多くの制度を生みだした。制度とは、何かの目的を達成するための枠組みである。戦争も同じ制度なのだ。その目的は、国際紛争の解決、ということにある。

この前の大戦を、日本は、世界中を相手に戦った。この大戦の原因を一言で言えば、北東アジア大陸の支配権をめぐる抗争ということになろう。日米両帝国主義の存続にかかわる大紛争だった。紛争は解決されなければならない。そのままでは、国際社会は「中毒症状」におちいり、機能しなくなる。癌の重症患者のように、たとえ危険度は高くても、手術=戦争を行なうよりほかはない。手術は実際に行なわれ、国際社会は健康になった。

健康になって得したのは、戦勝国だけではない。日本もそうだ。日本は、戦争なしで、当時の満州や中国での利権を放棄する用意はなかった。当たり前のことだ。敗戦によって強制的に放棄させられた。死闘の後だから、あきらめもついたのだ。 完全にあきらめさせられたために、戦後まったく別の大戦略に転換できた。そして高度成長を達成し、自由貿易の利益をほとんど独占的に享受できるという幸運に恵まれたのだ。

制度としての戦争を、結果として、もっと有効に利用した国こそ、日本なのだ。この事実がありながら、多くの日本人は、それをまったく意識していない。奇妙なことだ。

戦争は高度に文明的な制度である。この大前提を、ひとりひとりが、しっかりと把握することなくして、われわれの社会から、戦争がなくなることはないだろう。    (略)

 

新戦争論・・・・・”平和主義者”が戦争を起こす
小室直樹著 光文社 カッパビジネス  昭和56年発行.
目  次
1 ”平和主義者”が戦争を起こす


みんなが平和を愛した結果が第二次大戦となった
戦争は個人の「心のうちなる」問題ではない
台風の上陸を法律で禁じようとする平和主義者
日本の「平和主義者」は神州不滅主義者か
ヒットラーの奇跡はなぜ可能だったのか
猫を虎に育てた「平和主義」
平和への讃歌を逆手にとったヒットラー
「平和主義」という宗教は、「戦争」を過小評価している
日本は上手くやっているといると信じる人は「センス」のない人だ

2 戦争を否定すると近代文明は崩壊する

「戦争」と「けんか」はどこがちがうか
戦争のないのが平和、というのはまちがい
戦争とは、つける薬がないものにつける薬である
日本の敵はソ連と決めつけるのは早い
侵略戦争にも歴史の必然がある
満州、朝鮮をめぐる「必然」とはなんだったか
真珠湾攻撃は、「突如」ではない
全面降伏論は、まるっきりのナンセンスだ
日本の非武装中立は白昼夢である
尖閣列島、竹島問題の解決法は例外
北方領土は、戦争によらなければかえって来ないのか
紛争をそのままにしておくと、文明が崩壊する
戦争は、消極的な意味で、万能薬である 
「現状維持」をめぐる二つの正義
第二次大戦で「猛毒」を除いて成長した日本
「戦争」の語を、あまり法技術的な意味にとってはいけない
国際紛争解決の手段でない戦争なんてありえない
オルテガ・イ・ガセの戦争論
建前と実体があまりにはなれると、その国は破滅する
日本は清帝国の二の舞にならないか                            以下略

この平和を希求することが、戦争を引き起こすという戦争と平和の原理・論理を安倍晋三を引きづり降ろそうとしている、愚かな左翼や中国の工作員による誘導ともしらず、公道で「戦争反対」「安倍は辞めろ」とデモをする単細胞生物達の脳細胞に、ちょっとでも届いてほしいものだ。

話をルトワック氏の「戦争にチャンスを与えよ」に戻そう。

p110-111
北朝鮮への日本の態度

 北朝鮮は、特異な政権である。特異な点として、二つ挙げられるだろう。

 一つは、リーダーのヘアスタイルがひどい、ということだ。金正恩の髪型は本当にみっともない。

 もう一つは、北朝鮮の軍事関連の技術力は侮れない、ということだ。根本的な意味で、日本やアメリカ以上の底力を持っている。

 もちろん、彼らのミサイルは、塗装されていない。アメリカや日本のミサイルは塗装されているが、そもそも爆発させるミサイルを塗装した方がよいかどうかという問題は、ここでは論じないでおこう。とにかく北朝鮮のミサイルは塗装されていないことが多い。

 その一方で、北朝鮮は、人工衛星を打ち上げ、中距離弾道ミサイルも発射した。さらに弾道ミサイルを潜水艦からも発射しているのだ。ミサイルに搭載可能な核弾頭の爆発実験も成功させた、と見られている。

 しかもこれらすべてを、彼らは非常に少ない予算で短期間に実現しているのだ。

 もし日本政府が国内メーカーに、中距離弾道ミサイルとそれに搭載可能な核弾頭、宇宙に飛ばす人工衛星の開発などを命じても、おそらく年間の国防費以上の予算と、調査、研究、開発に一五年ほどの時間が必要になるだろう。

 したがって、北朝鮮の軍事関連の技術者を侮ってはならない。彼らは、他国の技術者の五倍以上の生産性を有している、と言えるからだ。たとえば、イランは、核開発に北朝鮮の五倍もの時間をかけながら、一発の核兵器に必要な核物資さえつくりだせていない。人工衛星の技術もない。

 要するに、北朝鮮の軍事開発力は、極めて危険な域に達しており、真剣に対処する必要かおるのだ。
祖父、父親から相続してしまった、この王朝を守るため、最も最善の索としての核武装は、金正恩の立場からすれば、その選択一択しかないのである。

核武装の目標を立て、少ない資源と予算と人財で、父親が始めたNY/ワシントンも狙える核ミサイルの開発成功は、バカではできない。もし西側に生まれていたら、有能な経営者であり、有能な三代目であったに違いない。けっして支持や賞賛はしないが、少なくとも、金正恩は16号でも、金豚でも、黒電話でもない。生まれついての侮れない独裁国家の有能な後継者なのだ。ルトワックの分析は私も正しいと思います。


いっそのこと、有能な豚に降伏してしまえとルトワックは日本を揶揄します。
p111-112
 北朝鮮への降伏

 私は戦略家であり、政治家ではない。ましてや教師や牧師でもない。倫理道徳の価値観の教介は専門外だ。したがって、私か日本政府に対して言えるのは、「何もしないのが最悪の選択肢で、以下の選択肢のうちの一つを実行せよ」ということぐらいである。

第一の方策は、「北朝鮮に降伏する」というものだ。 
                 
 北朝鮮政府が真に何を望んでいる。かを聞き出し、経済制裁をすべて解除する。祖国への朝鮮総連の送金に対する制限も解除し、金一族を讃える博物館を表参道に建て、北朝鮮に最も美しい大使館を建てさせる。

 代わりに、日本政府は、北朝鮮に五00キロ以上。射程を持つミサイルの開発を止めてもらう。五00キ口以上の射程。ミサイルは、国際的な「ミサイル技術管理レジーム」(MTCR)で。制限の対象となっている。またそれだけでなく、これは、幸いなことに偶然にも、朝鮮半島。非武装地帯から下関まで。距離と同じなのだ。

 これは、北朝鮮に対する制裁をすべて解除し、彼らに名誉を与え、国家としての彼らの存在を認めることで、五〇〇キロ以上の射程。ミサイル。脅威を取り除く、という道だ。
冗談じゃない、ルトワック氏は朝鮮民族を解かっていない。
日本とシナに挟まれ、戦争に勝ったことがほとんどなく、文化もなく、恨と火病の住民のほとんどがサイコパスな民族である。


そんな国に降伏しようものなら、南の国民性をひっくるめて、沖縄米軍基地外に屯する基地外以上の基地外、サイコパスで基地外の国民で構成される国家に、そんなことをしようものなら、どれだけ日本に災いを及ぼすか?降伏などトンデモナイ話だ!

そうなると、米軍に関係なく北朝鮮を攻撃することを選択肢にしたいが、現状策源地攻撃は、憲法上容易ではなく、装備も無く、具体的訓練などほとんどしていないのである。

p112-114
 北朝鮮への先制攻撃

 次の方策は、「北朝鮮を攻撃する」というものだ。しかもこれは、先制攻撃でなければならない。核関連施設を特定しつつ、それらすべてを破壊するのである。

 たとえば、イランの核開発の脅威に晒されているイスラエルは、先制攻撃能力を持っている。イスラエルが先制攻撃する場合は、儀式的なことは一切抜きに、ただ実行するのみだ。しかも彼らは、アメリカと違って空爆だけを用いるわけではない。空と陸から同時に攻撃を行うのである。

 もしイスラエルの首相が、「イランが核攻撃を行いそうだ」という報告を受けたら、即座に空と陸から攻撃を開始する。しかも、有人機とミサイルを使うのだ。ミサイルも、短距離ミサイルと長距離ミサイルの両方を使う。

 アメリカは、OPLANという韓国と。合同演習で、北朝鮮。核施設へ。攻撃を想定した訓練を行っているが、いずれにせよ、北朝鮮が核弾頭をミサイルに搭載したら、その時点で完全に手遅れだ。

 ここで覚えておかなければならないのは、北朝鮮のミサイルは、侵入の警告があれば即座に発射されるシステム(LOW)になっているかもしれない、という点だ。こ。システムでは、アメリカの航空機やミサイルが侵入してくれば、北朝鮮側の兵士が自動的に発射ボタンを押すことになる。 

 LOWとは、レーダーからの警告に即座に反応することを意味する。彼らは、その警告を聞いた途端にボタンを押すのだ。そうなると、北朝鮮を攻撃すること自体に大きなリスクが伴う。

 もし北朝鮮を本気で攻撃するのであれば、空からだけでなく地上からの支援も必要だ。

地上に要員を配置して、ミサイルをレーザーなどで誘導しなければならないからだ。つまり「現場の兵士」が必要となるのであり、ミサイルの着弾後も、攻撃目標が間違いなく破壊されたかを確認する必要かおる。ミサイルが着弾しても、爆発による煙やホコリが落ち着くまで写真撮影は不可能であり、破壊評価が遅れるので、現場の人員が必要になるのだ。

そのためには、北朝鮮内に何らかの方法で人員を予め侵入させておき、目標を把握しておかなければならない。

 韓国は、そうした能力を持っているとされるが、もしそうなら、作戦敢行の最も良いタイミングは、今夜、もしくは明晩ということになる。しかし、いくら能力があっても、それを使う「意志」がなければ、能力は何の意味もなさないのである。
確かに、地上に特殊部隊を配置する必要はあるだろう。
だが、北朝鮮とズブズブの韓国にそれを望むことは、作戦の失敗を意味する。
北朝鮮の中国国境に近い山奥の基地まで隈なく特殊部隊を配することは不可能である。しかもその役を韓国兵にやらせるなど、極めて無謀な作戦である。

韓国はあくまでも無いものとして、取り扱わない限り日米は、対北朝鮮予防戦争に失敗する可能性が高い。

p114-116
 「まあ大丈夫だろう」が戦争を招く

 日本国民も、一九四五年以来、他国や他民族が戦争の悲劇に見舞われてきたことを目撃してきたはずだ。街が燃やされ、多くの人間が殺され、子供も殺されたのだ。それらすべてのケ-スがなぜ発生したかと言えば、当事者たちが、「まあ大丈夫だろう」(It will be all right)と思ってしまったからだ。

 人間というのは、平時にあると、その状態がいつまでも続くと勘違いをする。これは無理もないことだが、だからこそ、戦争が発生する。なぜなら、彼らは、降伏もせず、敵を買収もせず、友好国への援助もせず、先制攻撃で敵の攻撃力を奪うこともしなかったからである。つまり、何もしなかったから戦争が起きたのだ。

 いま北朝鮮に関して生じているのは、まさにこのような状況だ。

 アメリカは、北朝鮮の核開発の阻止に関して何もしていない。アメリカだけではない。他の西側諸国も、中国も、ロシアも、何もしていない。
 さらに北朝鮮は、核兵器と弾道ミサイルを保有し、韓国を直接脅かしているのに、韓国自身も何もしていない。彼らは、北朝鮮に対して抑止さえもしていないのだ。

 韓国は、北朝鮮に何度も攻撃されているのに、反撃さえしていない。韓国の哨戒艦「大安」の沈没事件でも、誰もいない方向に砲撃しただけだ。

 要するに、韓国は、北朝鮮の脅威が現に存在するのに、何も行っていない。「降伏」も、「先制攻撃」も、「抑止」も、「防衛」もせず、「まあ大丈夫だろう」という態度なのだ。

 これは、雨が降ることが分かっているのに、「今は晴れているから」という理由だけで、傘を持たずに外出するようなものだ。ところが、このような態度が、結果的に戦争を引き起こしてきたのである。
ルトワックは良くわかっている。朝鮮人は、まったく役立たず足でまといの国であり、彼ら朝鮮民族は、戦争が起きれば真っ先に逃亡する腰抜け、歴史的には同盟した側は常に負けるのである。最悪の時に最悪の選択するDNAはそう簡単に変化しない。

朝鮮戦争でも、米軍が必死に止めるのを無視し、38度線を再び突破し、鴨緑江まで攻め入って、中国の介入を招き、今度は中共が攻め込んでくると、真っ先に逃亡し、米軍を窮地に立たせてしまった軍隊です。

せめて、韓国が米国と同盟を解消してくれれば、日本も余計なことに巻き込まれなくて済む。

 p116-117
 「降伏」も選択の一つ  シリア内戦の真実

 他に選択肢がないのであれば、「降伏」も、一つの立派な戦略的な選択だ。
 たとえば、シリアのアレッポに住む人々、あるいはアレッポから逃れた人々は、アサド政権側に抵抗せず、早々に反政府勢力が死に絶えたり、降伏した方が良かった、と考えている可能性が高い。降伏しておいた方が、はるかに幸福だったかもしれないからだ。

 アレッポがあれほど破壊されてしまった原因は、反政府勢力が降伏しなかった、という事実にある。反政府勢力は、アレッポを死守するだけの兵力を持っていない。アサド政権側に対しては、抑止も、先制攻撃もできなかったので、降伏してもよかったのだ。ところが、反政府勢力は、「アレッポは自由都市である」と宣言するだけで「まあ大丈夫だろう」と考えたのである。

 もしあなたが腹を空かせているとして、国際社会に何かを期待しても、そこから得るものは何もない。ところが、反政府勢力は、アレッポの防御を国際社会に期待して、「まあ大丈夫だろう」を実行したのである。

 戦略の規律が教えるのは、『まあ大丈夫だろう』という選択肢には頼るな」ということだ。なぜなら、それに頼ってしまうことで、平和が戦争を生み出してしまうからである。
ルトワック氏は日本と日本人の歴史をわかっていない。

日本は開闢以来、名誉を重んじる血が流れている。例えどんなに強い敵でも、ひとたび戦を決意したならば、玉砕するまで戦う戦闘民族なのである。

それを止めることができるのは天皇陛下の命令だけだ。

p117-118
 日本政府は自ら動くべし  「降伏」と「先制攻撃」

 したがって、私は、日本政府が自ら動くべきである、と考える。

 国際的なミサイルの制約である「五〇〇キロ」という射程は、たまたま神の与えた偶然なのか分からないが、朝鮮半島の非武装地帯から下関までの距離と同じである。したがって、北朝鮮の望みを叶えつつ、「五〇〇キ口以上の射程のミサイル」の破棄を求めるのは、日本の選択肢として十分あり得る。

 このような「降伏」、もしくは「宥和」も、立派な政策なのである。これは、無責任な態度ではない。「まあ大丈夫だろう」という無責任な態度の代わりに、一つの選択をしているからだ。

 別の選択肢としては、「先制攻撃」がある。日本の自衛隊の特殊部隊に攻撃を命じて、パラシュートやグライダーで降下させ、北朝鮮の核施設の上に到着させ、携行型のホローチャージ弾などでそれらをすべて破壊するのだ。

 もちろん、特殊部隊の九〇人が犠牲になるかもしれない。ただしそれは、背後にいる一億二〇〇〇万人の日本国民を守るためだ。
如何に最強の自衛隊の特殊部隊でも、全国の北朝鮮核施設を無力化することは不可能であるし、ビンラディンの時とは違い、金正恩暗殺などミッションインポシブルである。第一、九〇人の隊員は完全に帰還見込みのない特攻隊であり、そんなこと現憲法下では絶対に不可能だ。私が首相なら、絶対出来ない選択肢だ。

それでも誰かが行かねばならぬなら、足手まといになるかもしれないが、たとえ犬死しても、英霊として靖國に祀ってもらえるなら、私は志願したい。

p118-120
 「抑止」と「防衛」

 「先制攻撃」も一つの選択肢であるし、「降伏」も一つの選択肢だ。さらには「抑止」も。一つの選択肢となろう。

 「抑止」としては、日本が1000キ口の射程の弾道ミサイルを待ち、そこにデュアルユース(民生・軍事両用)の核弾頭を搭載するのだ。

 ここで参考になるのは、冷戦期に欧州でソ連がSS-20を配備した時の状況だ。

SS-20の配備に対し、NATOは、パーシングⅡミサイルシステムと同時に、巡航ミサイルも配備している。日本が本土上にミサイルを配備できないのであれば、潜水艦に核弾頭を積んだ巡航ミサイルを配備してもよい。

 最後の選択肢としては、「防衛」がある。これは、ミサイル防衛によるものだが、どのシステムも完璧ではない。迎撃率が九五%でも完璧とは言えないからだ。

 地球上で現在、最も精度の高いミサイル防衛システムは、イスラエルの「アイアン・ドーム」であろう。これは、短距離ミサイル用だが、より射程の長いミサイルに対しては、「ダビデ・スリング」というシステムもある。

 これらのシステムに興味を持つ日本の防衛関係者もいるようだが、アメリカ政府は拒絶するはずだ。システム開発資金の半分をアメリカが拠出し、拒否権を持っているからである。アメリカとしては、自国で独白開発したシステムを日本に売ろうとするだろう。

 「アイアン.ドーム」は、人類が開発した最高のミサイル防衛システムで、迎撃性能は九五%である。ただしこの性能向上も、実戦経験によって積み上げられたものだ。当初は八〇%、次に八五%、そして最終的に九五%まで精度を上にげてきたのである。

 すると、日本が「防衛」能力を上げるには、言い換えれば、ミサイル防衛システムの精度を上げるには、イスラエルと同様に、敵から何発もミサイルを撃ち込まれる経験が必要になってくる。

 しかし、北朝鮮が核弾頭をミサイルに搭載しようとしている現在、ミサイルー発の着弾でもあっにはならない事態だ。 つまり、最高度の装備を揃えても、「防衛」という選択肢は、十分ではない、ということだ。
私は日本の核武装に賛成できないと思っているが、策源地攻撃として、CSM非核弾道ミサイル、極超音速巡航ミサイルは保有スベシと思っています。

そして、イージス艦/イージスアショアによるSM-3BlockⅡ、THAAD、PAC-3に地上発射レールガンに、宇宙太陽光発電による、高出力レーダー衛星など、北朝鮮がくじけるくらいの防衛システムを構築すべきではないかと思う。

 p120
いずれかを選択すべし

 議論をまとめると、日本には「降伏」、「先制攻撃」、「抑止」、「防衛」という四つの選択肢がある。

 ところが、現実には、そのどれも選択していないのである。代わりに選択されているのは、「まあ大丈夫だろう」という無責任な態度だ。

 外国人である私は、日本政府に対して、いずれを選択すべきかを言う立場にない。ただし戦略家として自由な立場から言わせてもらえば、「まあ大丈夫だろう」という態度だけは極めて危険である。何かしらの行動は取られなければならない。

 私は、小泉首相が拉致問題を解決するために、北朝鮮と直接交渉したことを知っている。

彼は、国連、赤十字、アメリカ、あるいはパラグアイに相談したわけではない。北朝鮮だけと交渉したのである。そして彼は行勤し、結果を出した。

 安倍首相が北朝鮮に行くかどうかは分からないが、何かをしようとは考えているだろう。中国が、北朝鮮に対して、何も行動していないことを知っているからだ。

北朝鮮との制裁や妥協はなに一つ解決は不能である。
日米が連携して、北朝鮮軍を空と海から無力化したうえで、中国とロシアに信託統治させるのが、長期的解決策になると思う。

p121-122

 「制裁」は効果なし

 北朝鮮と中国の国境にある丹東という町に行けば、すべてが分かる。実に多くの会社が北朝鮮と貿易をしている。中国企業は、北朝鮮が求めるものをすべて売るつもりだ。

 「制裁」という言葉は、丹東では何の効力も持っていない。列車は、毎日、北朝鮮に向かい、トラックも国境を越えている。

 北朝鮮のある工科大学を見学したことがある知人によれば、実験室に不足しているものは何もなかったという。アルマーニの服や黒海産のロシアの高級キャビア、ランボルギーニなどはさすがになかったが、弾道ミサイルを製造するための資材は、すべて揃っていたそうだ。北朝鮮内で製造できないものは、国境のすぐ外にある丹束の企業からすべて買えるのである。

 たとえば、金一族は、一家の伝統として、日本の寿司が大好物であることが知られている。そこで日本政府は、経済制裁として、わさびを輸出禁止にできるかもしれない。しかし、わさびも丹東にある企業から輸入できるのだ。

 何度でも言う。現在の日本は、北朝鮮に対して何も行動しておらず、唯一選択しているのは、「まあ大丈夫だろう」という態度だが、このような態度こそ、平和を戦争に変えてしまうものなのである。
韓国と米国は敢えて同盟関係を解消し、防衛ラインを対馬に下げ、その上で、半島の非核化を進めるという選択肢もあることは、あるのだが、そうした場合、米国は中国に付け入る隙を作ってしまうことになり、それこそ米中による第三次世界大戦を招くこととなる。

私の結論からすれば、なんとか北朝鮮を挑発し、一発撃たせた後、まずはEMP爆弾を朝鮮上空で数十発爆発させ、北朝鮮の電力無線網を遮断、同時に一斉に巡行ミサイルと、B-2B-2B-52と空母艦載機による無慈悲な攻撃を加え無力化させ、金王朝を壊滅させることが、何よりの平和を構築する唯一の道であると思います。

北朝鮮がなくなれば韓国とはきれいさっぱり、何の躊躇なく、1,000年国交謝絶することが可能となります。