
本庶佑氏にノーベル医学・生理学賞 がん免疫治療薬を開発
【産経ニュース】2018.10.1 18:34
スウェーデンのカロリンスカ研究所は1日、2018年のノーベル医学・生理学賞を、免疫を抑制するタンパク質を発見し、がん免疫治療薬「オプジーボ」の開発につなげた京都大特別教授の本庶佑(ほんじょ・たすく)氏(76)ら2氏に授与すると発表した。免疫を抑える働きを阻害することでがんを治療する画期的な免疫療法を確立し、がん治療に新たな道を開いた功績が評価された。
他の受賞者は米テキサス州立大のジェームズ・アリソン博士。
日本人のノーベル賞受賞は2年ぶりで計24人。昨年のカズオ・イシグロ氏ら外国籍を含め計27人となった。医学・生理学賞は大隅良典氏に続き計5人。
現在の抗がん剤は、がん細胞を直接攻撃するタイプの薬が大半を占める。これに対し本庶氏は、がん細胞が人の免疫力から逃れて生き延びる仕組みを阻止し、免疫細胞の攻撃力を高めて治療する全く新しいメカニズムの薬を開発した。
このタイプの薬は「免疫チェックポイント阻害薬」と呼ばれ、一部のがんに劇的な効果が確認されており、がん治療を一変させる新薬として近年、世界的に注目を集めている。
本庶氏は平成4(1992)年、免疫を担う細胞の表面にある「PD-1」というタンパク質を見つけたと発表。マウスを使った実験で、がん細胞への免疫を抑えるブレーキ役として働いていることを突き止めた。
このタンパク質に対する抗体をマウスに投与したところ、ブレーキが外れたことで免疫が強まり、がんの増殖が抑えられることを確認。小野薬品工業(大阪)が臨床試験を行い、26年にオプジーボを発売した。既に世界60カ国以上で承認されている。
国が承認した治療対象は当初、皮膚がんの悪性黒色腫だったが、その後に肺がんや胃がんなどに拡大。他の多くの種類のがんでも臨床試験が国内外で行われており、将来はがんの標準的な治療法の一つとして普及が期待されている。
アリソン博士は別のブレーキ役のタンパク質を抑えてがんを治療する手法を1996年に発表し、世界初の免疫チェックポイント阻害薬を開発した。ただ、オプジーボの方が効果や安全性は優れるとされる。
授賞式は12月10日にストックホルムで行われ、賞金計900万スウェーデンクローナ(約1億1500万円)が贈られる。
「第四のがん治療法」失望繰り返し復権 本庶氏ら貢献の免疫療法
【産経ニュース】2018.10.2 05:00
免疫の力でがんを治療する「がん免疫療法」。数十年前から多くの試みが行われ、そのたびに期待を集めたが、十分な効果が得られず失望を招くという歴史を繰り返してきた。しかし本庶佑氏らが開発した免疫チェックポイント阻害薬の登場で、「第四のがん治療法」として普及していく可能性が高まっている。
がん免疫療法の発想は古くからあるが、1980年代になって研究が活発化した。免疫細胞から分泌されるサイトカインと呼ばれるタンパク質を投与することで免疫力を高める方法が検討され、「夢の抗がん剤」と注目されたインターフェロンなどが使われたが、期待はずれに終わった。
がん細胞に現れる特有の物質をワクチンとして投与するがんワクチン療法も行われた。しかし、がん細胞では多くの遺伝子変異が起きているため、目印となる物質も変化してしまう。このため効果は限定的で、今世紀に入るとワクチン療法は下火になった。
その後、患者の免疫細胞を取り出し、活性化させて体内に戻す方法などが行われ、一部で効果があったものの、広く実用化するには至らなかった。
こうした中で登場した免疫チェックポイント阻害薬は、従来と全く違う仕組みで目覚ましい効果を発揮。これを受け米科学誌サイエンスは科学界でブレークスルーを起こした2013年の十大成果の第1位に、がん免疫療法を挙げた。
がん治療では手術、放射線、抗がん剤が三大療法となっているが、本庶氏らの貢献で免疫療法が“復権”を果たし、4つ目の治療法として存在感を高めている。
「何だこいつは」偶然の発見 好奇心と執念で実用化 本庶佑さんノーベル賞
【産経ニュース】2018.10.1 20:15
ノーベル医学・生理学賞に輝いた京都大特別教授の本庶佑さん(76)。免疫の力を引き出してがんを治療する画期的な新薬は偶然の発見から生まれた。20年に及ぶ研究を支えたのは未知の現象に対する好奇心と実用化への執念だった。
きっかけは大学院生の提案だった。本庶研究室に在籍していた石田靖雅さん(57)=現奈良先端科学技術大学院大准教授=が、新たな研究テーマを本庶さんに持ちかけた。
「細胞死に関わる遺伝子を探したい」
細胞死は「アポトーシス」とも呼ばれ、遺伝情報に基づいて細胞が自ら死んでいく不思議な現象で、生命科学の重要分野の一つだった。
石田さんは、免疫細胞の一種であるT細胞が自殺するときに働く遺伝子を見つけようと毎晩、実験を繰り返した。平成3年9月、ある遺伝子を突き止め、その塩基配列を調べて驚いた。
「何だこいつは」
全く新しい配列で正体は見当もつかず、急いで本庶さんに報告した。この遺伝子が作るタンパク質を、細胞死(プログラムド・セル・デス)との関連を期待して「PD-1」と名付けた。
翌年、本庶さんらと共同で論文を発表。だが細胞死とは無関係なことが約2年後に分かり、その機能は謎として残った。
本庶さんは「その構造から、細胞内にシグナルを送る分子らしいことは分かったが、何をしているのか分からなかった」と振り返る。
当初の狙いとは違う物質なので、研究を打ち切って方向転換する選択肢もあったが「割と面白そうなので、続けようと思った」。当時はこれが薬になるとは全く思っていなかった。
◇
PD-1の正体を明らかにするため、まずこの物質を作る遺伝子を欠損させたマウスを作製してみたが、症状は何も出なかった。
「大した役割は担っていない遺伝子なのかもしれない。だけど、この遺伝子はマウスでも人間でも存在する。重要なものは(進化の過程で)よく保存されているので、何かあるんじゃないかと感じた」
読みは的中した。マウスの系統を変えて実験したところ、免疫反応が強まり、人の自己免疫疾患によく似た症状が現れた。この物質を持っていないと免疫が強まるということから、この物質が免疫を抑えるブレーキ役として働いていることを突き止めた。
当時の医学界では、人の免疫力を強めてがんを治療しようと、さまざまな方法が試されていたが、どれも十分な効果が得られていなかった。
「病気に役立つ研究をしたい」。その思いから、がんの新たな治療薬を目指す実験を開始。この遺伝子を欠損させたマウスにがんを移植してみると、ブレーキが外れたことで免疫が強まり、がんの増殖が遅れることが分かった。
増殖の遅れは当初、普通のマウスとわずかな差しかなかったが、「この差には意味がある。効くんじゃないか」と直観した。
PD-1を抑える抗体を投与したところ、予想した通り、がんの増殖が抑えられることが分かり「治療薬になると確信した」。実用化を見越して特許を出願し、14年に論文発表した。
◇
しかし、実用化には厚い壁が立ちはだかった。研究室と以前から交流があった小野薬品工業(大阪)に開発を持ちかけたが、がんの免疫療法は失敗続きだった時代。同社はリスクの大きさに尻込みして、協力できないと返答してきた。国内企業はどこもやりたがらなかった。
だが本庶さんは諦めず、米国のベンチャー企業に開発を打診。すると人の抗体の技術を持つ別のベンチャーが小野薬品に共同開発を持ちかけ、同社が方針を転換。ようやく治験が始まり人でも効果が証明され、26年に小野薬品から「オプジーボ」の商品名で発売された。PD-1の発見から実に20年が過ぎていた。
「ネズミで効いても、人で試したら駄目という例はいくらでもある。でも僕は行けると思っていた。僕は分子生物学の研究から始めて、その後に免疫をやったので、がんは素人。だから先入観がなく、真っすぐ行けた」
本庶さんは「いろいろな偶然があり、非常に運が良かった」と控えめに振り返る。だが生命現象に対する深い洞察、科学者としてのずば抜けたセンス、患者の治療に生かしたいという強い思いがあったからこそ、成功につながった。
「研究の結果、本当に人に役立つ薬ができた。自分の人生として意味があった。非常に満足しています」と穏やかに語った。
今年もこの季節になったか!
いきなり本庶特別教授が受賞のニュース、外国籍を含めると27人目の日本人の受賞である。もはや、ノーベル賞受賞者27人の名前すべて言えたら、かくし芸のひとつになり得る受賞者数となった。めでたい事である。
物理学賞
(1)1949年 湯川秀樹 京都帝国大学理学部卒、理学博士(大阪帝国大学)
中間子の存在の予想。
(2)1965年 朝永振一郎 京都帝国大学理学部卒、理学博士(東京帝国大学)
量子電気力学分野での基礎的研究。
(4)1973年 江崎玲於奈 東京帝国大学理学部卒、理学博士(東京大学)
半導体におけるトンネル効果の実験的発見。
(11)2002年 小柴昌俊 東京大学理学部卒ロチェスター大学大学博士課程修了
(Ph.D.)、理学博士(東京大学)
天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献。
(13)2008年 小林誠 名古屋大学理学部卒、理学博士(名古屋大学)
小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学 への貢献。
(14)2008年益川敏英 名古屋大学理学部卒、理学博士(名古屋大学)
小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理 学への 貢献。
(20)2014年 赤崎勇 京都大学理学部卒、工学博士(名古屋大学)
高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明。
(21)2014年 天野浩 名古屋大学工学部卒、工学博士(名古屋大学)
高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明。
(24)2015年 梶田隆章 埼玉大学理学部卒、理学博士(東京大学)
ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動の発見
化学賞
(6)1981年 福井謙一 京都帝国大学工学部卒、工学博士(京都大学)
化学反応過程の理論的研究 。
(9)2000年 白川英樹 東京工業大学理工学部卒、工学博士(東京工業大学)
導電性高分子の発見と発展。
(10)2001年 野依良治 京都大学工学部卒、工学博士(京都大学)
キラル触媒による不斉反応の研究。
(12)2002年 田中耕一 東北大学工学部卒、工学士(東北大学)東北大学名誉 博士 生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発。
(16)2008年 下村脩 旧制長崎医科大学附属薬学専門部卒、理学博士 (名古屋大学)緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献。
(17)2010年 根岸英一 東京大学工学部卒ペンシルベニア大学博士課程修了 (Ph.D.)クロスカップリングの開発。
(18)2010年 鈴木章 北海道大学理学部卒、理学博士(北海道大学)
クロスカップリングの開発。
生理学・医学賞
(7)1987年 利根川進 京都大学理学部卒、カリフォルニア大学サンディエゴ校
博士課程修了 (Ph.D.)多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明。
(19)2012年 山中伸弥 神戸大学医学部卒、大阪市立大学大学院医学研究科
博士課程修了、博士(医学)(大阪市立大学)
様々な細胞に成長できる能力を持つiPS細胞の作製。
(23)2015年 大村智 山梨大学学芸学部卒、東京理科大学大学院理学研究科 修士課程修了、薬学博士(東京大学)、理学博士(東京理科大学)
線虫の寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関 する発見。
(25)2016年 大隅良典 東京大学教養学部卒、東京大学大学院理学系研究科
博士課程単位取得満期退学、理学博士(東京大学)
オートファジーの仕組みの解明。
(27)2018年 本庶佑 京都大学医学部卒、医学博士(京都大学)
免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用
文学賞
(3)1968年 川端康成 東京帝国大学文学部国文科卒、文学士(東京帝国大学)
『伊豆の踊子』『雪国』など、日本人の心情の本質を描いた、非常に繊細な
表現による叙述の卓越さに対して。
(8)1994年 大江健三郎 東京大学文学部仏文科卒、文学士(東京大学)
『個人的な体験』『万延元年のフットボール』など、詩的な言語を用いて現 実と神話の混交する世界を創造し、窮地にある現代人の姿を、見る者を 当惑させるような絵図に描いた功績に対して。
平和賞
(5)1974年 佐藤栄作 東京帝国大学法学部卒、法学士(東京帝国大学)
非核三原則の提唱。
経済学賞
ノーベル経済学賞を受賞した日本人はいない。
日本出身の受賞者
日本出身(外地を除く)で受賞時外国籍の受賞者
物理学賞
(15)2008年 南部陽一郎 東京帝国大学理学部卒、理学博士(東京大学)
素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見。
福井県福井市にて生まれ育ち、東京帝国大学を卒業、東京大学で理学
博士号取得。ノーベル賞として評価された研究は渡米後のものだが日 本国籍の時のものである。その後1970年に49歳でアメリカ国籍を取得 した際に日本国籍を失っており、受賞時にはアメリカ国籍。 晩年はイリノイ州シカゴだけでなく大阪府豊中市の自宅にも居住してい た。
(22)2014年 中村修二 徳島大学工学部卒、博士(工学)(徳島大学)
高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明。
愛媛県西宇和郡瀬戸町(現在の伊方町)生まれの大洲市出身
(小学校時代に転居)。徳島大学工学部を卒業後、同大学大学院工学 研究科修士課程修了。1994年になって徳島大学で博士(工学)の学位 を取得。
徳島県阿南市の日亜化学工業社員時代に青色発光ダイオードの開発 を社長に直訴し、1993年に世界に先駆けて高輝度青色LEDを発明、実 用化した。 1999年に同社を退職し、2000年にカリフォルニア大学サン タバーバラ校教授に就任。アメリカで研究を続ける都合により、米国籍 を取得。
文学賞
(26)2017年 カズオ・イシグロ ケント大学卒、M.A.(イースト・アングリア大学)
感情に強く訴える小説群により、世界とつながっているという我々の幻 想に潜む深淵を明るみに出したことに対して。
長崎県長崎市で生まれる。漢字表記は石黒一雄。1960年、海洋学者 の父が北海で油田調査をすることになり、一家でイギリスのサリー州
ギルドフォードに移住、1978年、ケント大学英文学科卒業。
1980年、イースト・アングリア大学大学院創作学科でMaster of Artsを 取得。 1983年、イギリスに帰化。
昨年も書いたが、ノーベル財団公式サイト発表の受賞者の国を発表する際、出生国が受賞時の国籍と異なる場合は出生当時の国となるので、昨年ノーベル文学賞のカズオ・イシグロ氏の受賞国は国籍は英国でも日本とされている。
人口減少超高齢化社会が進む日本は科学技術立国として生きていくことが、もっとも最善の未来にたどり着く道だと思う。
科学技術立国の堅持へ大学改革を
韓国では、今年は文在寅がノーベル平和賞を貰えるだろうと高をくくっているので、今年の発狂度が小さいが、朝鮮半島が非核化はまったくしていない現在、平和賞を貰うのは時期尚早である。
しかし、日本はこれからもノーベル賞をとり続け、科学技術立国としてやっていけるのか、黄色信号が点っている。ノーベル賞受賞者や、科学界の識者達は、近年日本の科学行政について警告をあげている。なかでも研究の根幹を担う国立大学で、活力の低下が指摘されている。
科学技術立国を維持するには、大学や研究機関に自由で多様な研究を行う環境を提供し、少ない予算を効率的に配分する難題を乗り越えねばならない。
科学技術立国の堅持へ大学改革を
【日経新聞】2017/4/16 2:30
日本は科学技術立国を堅持できるのか。そんな不安を抱かせる指標や分析が発表されている。なかでも新しい産業の芽や社会的価値を生む役割が期待される大学で、活力の低下が指摘されている。
人口が減る日本では研究者数や研究費を右肩上がりでは増やせない。科学技術立国を標榜し続けるには、研究の多様性を保ちつつ、生産性を高めるという難題を乗り越えねばならない。遅々として進まなかった大学改革に、いまこそ危機感をもって取り組むときだ。
年功崩し若手登用
「日本の科学研究はこの10年で失速し、この分野のエリートの地位が揺らいでいる」。英科学誌「ネイチャー」は3月、日本の科学研究の弱体化を厳しい表現で指摘した。
同誌によれば、この10年間に世界で発表された論文数は80%増えたが、日本は14%増にとどまる。日本の世界シェアは2005年の7.4%から、15年には4.7%に低下した。お家芸だった「材料」や「エンジニアリング」などでもシェア低下が目立つ。
国連の専門機関である世界知的所有権機関によれば、日本は研究開発の産物である特許の登録件数で長く世界首位だったが、15年に中国に抜かれ2位に落ちた。有力研究機関が公表する競争力ランキングでも日本はじりじりと順位を下げている。
日本では研究開発投資の約8割を企業が担い、科学技術全体が急速に弱っているかどうかは議論の余地があろう。だが大学の活力低下は国際化の遅れなど他の指標からも見て取れる。ネイチャーの警告は重く受け止めるべきだ。
何が活力を奪っているのか。大学関係者からは、国が支給する運営費交付金の削減をあげる声が多い。交付金は教員数などに応じて配分され、大学運営の基礎となってきた。政府は04年度の国立大学法人化を機に毎年減額し、この10年間で約1割減った。
しかし、大学予算全体はそれほど減っていない。政府は交付金を減らす代わりに、公募方式で研究者に資金獲得を競わせる「競争的研究費」を増やしてきた。本質にあるのは研究費不足ではなく、もっと構造的な問題とみるべきだ。
ひとつが研究者の高齢化だ。ノーベル賞級の独創的な成果は若い頭脳から生まれやすい。1980年代、大学では40歳未満の若手教員が4割を占めたが、いまは25%にまで下がった。代わりに50~60代が半数近くを占める。産業界などでは崩れてきた年功序列が、大学ではいまだに残ったままだ。
政策も失敗が続いた。文部科学省は博士号をもつ若手を任期付きで雇用する「ポスドク」を増やしたが、任期後の就職先がなく、収入や身分が不安定な「高学歴ワーキングプア」と呼ばれる若手研究者が増えてしまった。
閉塞感を打ち破るには、若手を積極的に登用する政策が欠かせない。政府は科学研究費補助金を若手に重点配分したり、国のプロジェクトで登用したりする制度を始めたが、これだけでは足りない。
各大学が若手に責任あるポストを用意し、意欲を引き出す改革が不可欠だ。企業の研究との兼業を認める「クロスアポイントメント」という制度も活用すべきだ。
企業の資金生かせ
研究費を国だけに頼るのではなく、企業などから受け取れるように「稼ぐ力」もつけるべきだ。
日本は欧米に比べ産学共同研究が大幅に少なく、金額ベースでは米国よりも1桁少ない。連携を仲介する専門人材を増やしたり、企業の設備を借りたりすることで共同研究を増やす余地は大きい。
研究評価の方法も見直しが要る。公募型の研究が増え「数年先に実用化が見込める研究ばかりが評価される」との声があがる。実用性が不透明な基礎研究はさらに資金を得にくくなる心配がある。
研究の多様性を保つには、研究費を配分する日本学術振興会などの役割が重くなる。欧州では「経済効果は基準に含めない」「論文の本数だけでは評価しない」などと、10年単位の長い目で研究の価値を評価する例が増えている。日本でも参考にしたらどうか。
政府の総合科学技術・イノベーション会議は昨年度から5年計画で始めた科学技術基本計画に数値目標を盛った。大学についても「40歳未満の若手教員を3割にする」「企業などからの資金調達を5割増やす」などと掲げた。
それらの達成に向け、政府が細かく指示を出し、研究活動を縛っては、かえって大学の活力をそぐ。大学の自発的な改革を加速させるときだ。
この季節、名物なのは、朝鮮民族は、全てにおいて日本より優越しているというカルト教育を行った結果、ノーベル自然科学賞がゼロという自己矛盾で、発狂する韓国国民の姿を見ることだ。いわゆるノーベル症、脳レベル症というやつだ。
秋の季語としてどこかの歳時記にでもそのうち登録されるのではないか(笑)。
「風過ぎて、ネットで愛でる、ノーベル症」(Ddog)
2018年9月13日、韓国中央日報報道、韓国山林庁の国立樹木院は、「遺伝子分析の結果、日本のソメイヨシノと韓国の王桜は別の種類であることが判明した」ソメイヨシノは韓国産ではないという、100年前からわかり切っていた事実が報道報道され、ようやく観念したようだ。韓国人もネットで、ようやく少しづつ色々な事実を知るようになってきた。韓国内では、イルべ民という、事実を冷静に理解できる人々も増えているようだ。
だが、ネットで今年も日本人のノーベル医学生物学賞受賞を知ると、その書き込みに呆れてしまった。
山中教授の時も、大隅教授の時もそうだったが、日本が医学生物学賞受賞を受賞できるのは、731部隊の成果があるからだという書き込みを必ず見る。
70年以上前の研究データでノーベル賞が取れたという言いがかりは、さすが韓国人、日本人を罵倒する能力だけはノーベル賞級、「もとい!」ノーベル症級。
朝鮮人がノーベル賞取れないのは、事実を事実と受け入れられず、こうあってほしいと抱く悲しい妄想を、事実だと思いこみ、それが正しく、事実を受け入れなくなってしまうことだ。
2004年にES細胞をねつ造した黄禹錫が未だに韓国の医学界では健在だという。自然科学の分野では事実だけがすべてであり、日本では考えられない。朝鮮人は歴史でも、自然科学でも、全てにおいてこうであったらいいなという妄想に現実を強引にあわせようとしたり、買収できるノーベル平和賞みたいなものはロビー活動を行ったり買収しようとする。これでは1000年経っても、ノーベル賞はもとより世界で権威ある科学賞は受賞することはないだろう。
まあ、基地外が発狂する姿は、日本人として見ていて滑稽で、韓国人の罵詈雑言、不甲斐ない韓国自然科学学会への悪口の数々、日本人ノーベル賞受賞とともに、この季節の風物詩となっている。
なにはさておき素直に本庶教授のノーベル医学生理学賞受賞を祝いたい





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