[MLB]イチロー 途中交代 ベンチ裏までノーカット 引退



引退試合のないMLBでイチローだけが味わえた最高の引き際をお膳立てしたマリナーズの配慮と神様の配剤
【Yahooニュース】3/22(金) 12:30菊地慶剛  | スポーツライター/近畿大学法学部非常勤講師

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【偶然がもたらした感動的なカーテンコール】

 7年ぶりに開催されたMLB日本開幕戦。最終戦となった第2戦途中で、イチロー選手現役引退をチームに伝え試合後に記者会見を開くという共同通信が配信した第一報が世界中を駆け巡ることになった。もちろんその情報は東京ドームに集結したファンの間にももたらされた。もちろんシリーズ前からある程度の予測をしていたファンは多かったはずだが、改めて彼らはこの試合がイチロー選手の“ファイナルステージ”だと理解した。
 試合は延長12回までもつれ、試合終了はNPBの公式戦では考えられない午後11時を過ぎていた。それでも多くのファンは最後まで試合を見続け、終了後も席を離れようとはしなかった。これがイチロー選手の現役最後の試合と分かった以上、誰もが感謝の言葉を伝えたかったのは当然だろう。そうして試合終了後30分以上が経過していたにもかかわらず、ファンの熱意に応えるようにイチロー選手が再びグラウンドに姿を現すと、感動的なカーテンコールが始まったのだ。
その様子を動画付きでツイートしたマリナーズは「言葉では表現できない」とメッセージを付け加え、イチロー選手自身も会見で目頭を熱くしながら「今日のあの球場での出来事…。あんなもの見せられたら(引退を決意したことに)後悔などあろうはずがありません」と口にするほど、あまりに“完璧すぎる”終演だった。

【引退試合のないMLBでは想像もできない特例中の特例ともいえる引き際】

 これまで1995年から2017年春までMLBを現場取材してきたが、シーズン開幕したばかりの試合でこれほど見事な現役最後の試合を飾った選手を他にお目にかかったことは一度もない。そもそもMLBにはNPBのように引退試合という慣習が存在しない。どんなに実績を残したベテラン選手でも、現役選手としてユニフォームを着てグラウンドに立ってファンに別れを告げられるのは数えるほどしか存在しないのだ。
 稀有な例としては、つい最近ではデビッド・オルティス氏のようなケースだ。シーズン開幕前にそのシーズン限りでの現役引退を表明し、最後のシーズンを全うし、現役選手として最後まで試合に出場したような場合で、彼らはNPBの引退試合に近い見送られ方を味わうことができる。
 それ以外の選手たちの引き際は、実に寂しいものだ。今回日本開幕戦で始球式に参加するため来日した、MLB通算盗塁記録(1406)を持つリッキー・ヘンダーソン氏、通算本塁打歴代7位(630本)を誇るケン・グリフィーJr氏は殿堂入りを果たしているMLB史上類稀な選手たちだが、彼らはいずれも現役選手のままグラウンドでファンと別れを告げる場を与えられていない。
 大抵は松井秀喜氏の場合もそうであったように、すでに引退した実績あるベテラン選手の功績を考慮し、古巣チームが引退セレモニーを設けてくれるのが一般的だ。だがそうした引退セレモニーが用意されるのもごく限られたスター選手たちで、ほとんどの選手たちは静かにグラウンドから姿を消していくしかない。
 今回のイチロー選手のケースが、まさに特例中の特例であることが分かってもらえるだろう。たぶんMLB選手の中で、こんな感動的な現役最後の試合──しかも外国人選手が生まれ育った母国の球場のグラウンドで──を迎えられる選手は二度と現れないだろう。
 

【感動的な終演を作り出したマリナーズの配慮と神様の配剤】

 だがこの感動的な終演は、イチロー選手とファンの存在だけでは成立することはなかった。その裏にはイチロー選手に最大限の敬意を示したマリナーズの配慮と、偶然にもイチロー選手に7年ぶりの日本開幕戦の機会を与えてくれた神様の配剤があったからこそだろう。
 イチロー選手が引退会見で話しているように、ヤンキースに移籍して以降は常に現役引退と背中合わせの日々を過ごしていた。そして実際に2017年オフにマーリンズから戦力外通告を受けていた彼は、このままグラウンドを去る覚悟を抱きながら、すでにキャンプが始まっている中1人黙々と神戸で自主トレを続けていたと明かしている。
 そんなイチロー選手の元に届いたのが、古巣マリナーズからのメジャー契約のオファーだった。まさに青天の霹靂ともいえる出来事だったはずだ。もしキャンプ中に主力外野手が故障で戦線離脱していなかったならば、イチロー選手が話すように、あのまま現役を終えるしかなかったはずだ。これもやはり神様の配剤というしかない。
 さらにマリナーズはイチロー選手を迎える時期に、すでに7年ぶりの日本開幕戦を戦うことが決まっていた。改めてジェリー・デォポトGMが語っているようだが、すでにイチロー選手を迎えるにあたり、どんなかたちであれ彼を日本開幕戦までプレーさせる青写真を描いていたようだ。だからこそ昨年はシーズン途中で出場登録枠から外しても、会長付特別補佐としてシーズン最後までチームに帯同させたのだ。

【イチローに残されたやるべきこと】

 こうしてイチロー選手は最高のかたちで日本のファンに別れを告げることができた。だがまだ彼は、長年支え続けてくれたシアトルのファンに感謝の気持ちを伝えてはいない。本人が悔しがるように現役選手として本拠地球場のグラウンドに立つことはできないが、必ずマリナーズがお別れの場を設けてくれるはずだ。つまり彼は現役選手として最後まで試合に出られただけでなく、現役を去ってもファンと別れる場を与えられるのだ。こんな幸せなことはないだろう。
 昨晩の出来事を振り返りながら、偶然の積み重ねがあの感動的なシーンに結び付いたのだが、逆にイチロー選手だからこそ偶然を引き寄せたのだと考えてしまう自分がいる。野球選手としてのみならず、日本が生み出した傑出のアスリートと同じ時代を過ごせたことに感謝しかない。

イチロー選手が引退した。オンタイムで見てはいなかったが、感動的だった。

イチロー選手に掛けるべき言葉は、「お疲れ様でした」ではなく、「ありがとうございます」がふさわしいだろう。

引退前からすでにレジェンドであったイチロー選手、現役引退を表明する会見で、大リーグ、マリナーズのイチローは「後悔などあろうはずがありません」と言い切った。

わたくしも、そろそろ定年が視界に入ってきた。私はイチローのように言い切れるようなサラリーマン人生ではない。世間を揺るがす事件に巻き込まれ、途中で出世をあきらめ、仕事だけが人生ではないと割り切り、少し忸怩たる思いをしている私からすれば、眩しく、羨ましい。 

アスリートに限らず多くの人は、現役に未練を残して引退してく。しかも、人知れず
ひっそりと引退していくものだ。イチローの引退に東京ドーム詰め掛けた観衆の大歓声は、まさに生きる伝説の英雄イチローがやり遂げてきた成果に対する評価なのだ。

プロ選手としてのデビューはオリックス時代の平成4年なので、まさに平成の一時代に日米の野球界に燦然と輝くスターだったのだ。

確か200本安打を日本のプロ野球で初めて達成した平成6年のシーズンオフ、イチロー選手は久米宏のニュースステーションに出演した。画面には、グレーの安っぽいパーカーを着た20歳の青年が座っていた。見た目は彼はあどけなく初々かったが、ストイックなこの若いサムライは、既に達人の域に達した武芸者のようなオーライを発していた。ああ、この青年が未来のレジェンド・イチローなんだと始めて認識したと思う。

久米宏のインタビューを聞いていると、あと20年してこの選手が引退する頃には、もしかしたら、王選手や長島選手を超える選手になっているかもしれないが、さすがに王・長島超えはないかと思ったが、どうだろう?超えていると判断してもいいだろう。

走攻守世界最強の右翼、ネット際で見事なプレーは本当にミラクルであった。
ネットウヨクなる言葉を2000年代初頭に初めて発見した時には、まだネトウヨと略していなかったせいか、イチローの華麗なボール捌きのようだという意味なのかと思った(冗談抜きでwww)。

右に左に安打を打ち分け、当たり損ねは俊足で内野安打とする。守っては「レーザービーム」と称賛された強肩で走者を刺し、塁上では巧みな走塁と滑り込みで「忍者」と呼ばれた。最強の右翼外野手としてのプレーでイチローのレーザービームはかつて広島カープ第一次黄金時代に在籍したライトのライトルの強肩以上に痺れるプレーを見せてくれた。

イチロー選手の特番を各ニュース番組で視たのだが、やはりベストプレーは全会一致で2009年WBC韓国との決勝戦のサヨナラヒットであろう!


WBC侍ジャパン優勝に思う 2009/3/25(水) 午前 1:51

阪神大震災が起きた平成7年(1995年)には「がんばろう神戸」を合言葉に、オリックス優勝の立役者となった。イチローと仰木監督、仰木監督との出会いがあったからこそ、日米で活躍し、日米の野球/ベースボールをより身近なものにしたと思う。

MLBのパイオニア野茂投手を育てたのも仰木監督である。仰木監督は長谷川滋利、イチロー、田口壮をMLBに送ったのだが、鈴木一郎をイチローで登録、まさにイチロー選手の生みの親である。

仰木のオリックス監督就任直後、登録名を「イチロー」と改名するという仰木の提案に、「今はいいですが、この先、子供ができて父親がイチローではおかしいでしょう」と譲らなかったイチローに対し、仰木が佐藤和弘を呼び寄せ、「おまえは来年から登録名を佐藤から別のものにしよう。                                                                        おまえの頭はパンチパーマだからパンチでいこう」と口説くと、佐藤は快諾、矢継ぎ早に「先輩の佐藤が変えるんだから、おまえも来年からイチローで登録だ」と強引に納得させ、その後イチローが「オリックスの顔」、さらにMLBで大記録を打ち立てるまでになったきっかけを作った大恩人である。
7年連続首位打者の日本記録とともに海を渡ると、マリナーズの1年目にリーグMVP、新人王、首位打者を独占した。

その後もシーズン最多安打なシューレス・ジョー・ジャクソン、ウィリー・キーラー、ジョージ・シスラー、タイ・カッブら、歴史上の名選手の記録を次々に塗り替えていった。
しかし、イチロー選手は引退会見でやがて自分の記録は塗り替えられていくでしょうとも言い、ひょっとして大谷翔平選手へのエールなのかもしれません。

もし、イチローより先に大谷選手が生まれていたら、、いやもしイチロー選手より先に両刀使いの選手がいたら、イチロー選手は両刀使いでその天才っぷりを発揮していたかもしれません。もしかしたら、大谷翔平選手に嫉妬しているのかもしれません。イチロー選手の引退は後継者大谷翔平選手のメジャーデビューしたことによって決心がついたのだと私は思います。

イチロー選手以前のMLBはパワー重視のあまりにステロイドなどの薬物摂取が蔓延していたが、イチロー選手の登場は本場の野球観を変えさせてしまった。

これを支えたのはサムライのように、長年たゆまぬ鍛錬をし続けたイチロー選手の存在であろう。イチロー選手のストイックさは、道を究めようとする、剣豪の風貌、生き方はなかなか真似ができるものではない。イチロー選手は努力の天才と言われるが、天才が努力したからこそ真のスーパースターになったのであろう。

野球発祥の地アメリカの野球観まで変えてしまったイチロー選手は、まさに殿堂入りにふさわしい、歴史的な名選手だったのだ。サムライ・イチローと同時代を生きられたことに私も感謝したい。

さて、イチロー選手は引退後どのように生きるのか?とても興味が湧くところです。