ひらがなにも意味がある! 実は極めて高度な「日本語」【CGS 縄文のコトダマ 第3回】

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動画 書き起こし抜粋
そうですねこの48音通常は50音ございますけれども重なるところがあるんで48ということになってます。
よくあの小学校の教室の後ろに貼ってあったので非常に馴染み深いはずですが
しかしこの一音一音に意味があると表情とかイメージがあるということまでは案外知らないですね。

漢字に意味があるのはもちろん知ってますけど、まさか、ひらがなに意味があるって言うのは全然(知らなかった)そのことをイメージしながら言葉を考えると情緒深い情緒感じるというか感性が豊かになる気がする。

あなたとか君とかいいでね。君って人のことだと思うけれど、実は「キ」と「ミ」に意味があるって言うのを聞くと「はぁー」って僕は思いました。

あのこの一音一音に意味があるというのは明らかな日本語の特徴なんです。
世界の言語との大きな違いなんです。一音一音というのは一音節でして、日本語の場合は仮名一文字が一音節なんです。

音節というのはちょっと難しいことを言えば、母音を中心にまとまった子音などしてまとまった言葉の最小単位なのです。

しかし、世界の言語においてはこの一音節の段階ではまだ意味はない。音節が組み合わせるなどしてワードになって初めて意味が出るのです。

そうですねアルファベットの「 a 」に意味が無い。

そういうことです、しかし日本語の場合「あ」というのは広くの意味があるのです。

口を大きく開けるから「あ」は開く、明るい開けるの「あ」ですね。

閉じるのは「う」なんです。「俯く:うつむく」「呻く;うめく」という「う」なのです。

「う」は母音の中で一番口を閉じているんです。

ちょっと私の口みてくださいね。「あ」「え」「い」「お」「う」 と閉じていくわけですよ。

「う」は閉じるですから閉じる音でてくるんです。

気持ちいいことなんて言いますか?
気持ちいいこと?
「あーなんて今日は、何とかな日だろう」
「爽やか」?「さわやか」の「SA・WA・YA・KA」って全部あの段
だから「さわやか」の「SA・WA・YA・KA」って広く開く入るイメージアで表せるわけです。

これ「さわやか」「SA・WA・YA・KA」やかを「ウ/U」段に変えたら何になるかわかりますか?まあ考えれば分かりますが「すうゆく:SU・WU・YU・KU」ですよ。
「SU・WU・YU・KU」と「SA・WA・YA・KA」どとらが爽やか?と聞かれれば、さわやかと意味を我々は解っていますからそれは「SA・WA・YA・KA」に決まってるだろうということになりますが、私たちはこのイメージにおいても爽やかなイメージ、「SU・WU・YU・KU」って言うとなんかこうちょっと閉じている感じだなっていうことがわかるわけです。

今日三回目は日本語の特徴ということを話したかったわけですけれども・・・

まず日本語は孤立語なんです。孤立語っていうのは親戚の言語がありません。

今申し上げたようなかな一文字が一音節ということそれ自体が世界の言語に比べたら極めて特殊です。孤立語ということを表す一つになっているわけです。

そして音読みと訓読みということが日本語の特徴です。

私の苗字「林」「RIN」名前の英臣(ひでおみ)「エイシン」と読める。
実はたまに「リンエイシン:RIN・EISIN」って呼ばれてですね中国の人と思われて・・・。かつて神戸で講演会やりました時に、私は前座で、私の後の先生が「林道春」って書いて「リンドウシュン」という神戸華僑総会の課長さんだったんですね。「林英臣;リンエイシン」「林道春:リン ドウシン」ってどう見ても誰が見てもですね中国の講師が2人だと思われて、だから休憩時間 休憩中にですね「リン」先生日本語お上手ねって言ってくる参加者がいまして、これ関西の、何かこう(突っ込み)を突っ込んで来てるのかなと私も思いまして、「これでも苦労してアルヨ」と・・・ですね、お笑いですがあったことがあります。

「リンエイシン:RIN・EISIN」と読まれれば音読みですよ。
「はやしひでおみ」と読だら訓読みです。
この音訓交える、なんで音訓交えることができたかっていうと、
漢字すべてを訓読みしたわけですよ。

「神谷:かみや」さんだってね「シンヤ」て読んだら音読みだけど、いやいや「シンコク」と読んだら音読みでしょう。「神谷:かみや」と読んだら、大和言葉になるわけですよ。

我々は漢字じすべてを大和言葉で読めるようにしたんです。これはものすごい文化事業だった。

(例えば)英語英単をすべて大和言葉で読めるようにする、これは意味を訳すのとはちょっと違うのです。そのように発音できるようにしてしまったということは、凄い文化事業なんです。

直輸入じゃないですね、ちゃんと転換/変換し、使いこなしている。

まあ、その結果日本語は複雑で面倒くさいと言われたんです。
タイプライターなども英語でやれば、英文であればね大文字小文字と後は記号程度でいい、和文タイプっていうのはほとんど使いにくかった。

しかし、ワープロができパソコンが普及してですね、今はかえってこの日本語の能力が優れているので、それをすべて我々はパソコン等で使いこなすことができるという、世界で最も情報力のある言語を用いて、世界に送るあらゆる情報文化を自分のものにすることができる。

そういう能力を持っているのが日本語ということになってきています。

最初は漢字を発音記号のように使ったわけです。やがて漢字の意味というのを我々受け止めながら、大和言葉を駆使したということです。

「ハナ」という言葉があります。「ハ」は出るもの「葉っぱ」とか「刃物」の「ハ」、「払う」「晴れる」の「ハ」

「ナ」は調和、「和やか」「滑らか」「仲間」「並ぶ」「舐めす」の調和です。

「ハナ」というのは出ていてまとまっているものを表したのです。

この(顔の)真ん中の「ノーズ:nose」これはあの顔の真ん中にまとまって出ていて、一つのまとまりだから「はな:鼻」

それから野に咲く「フラワー:flower」も「ハナ:花」
それから、「端っこ」のことも「ハナ」、「ハナカラ(端から)」って言いますよね。
これは、先端が一つのまとまりを持っているから「ハナ(端)から」、最初からしっかりしていることを「ハナカラ(端から)」って言います。

それからまた見えないまとまったもの、はこれは中華の華と書いて「ハナ」というわけです。

いろんな「ハナ」があったんですいろんな「ハナ」があるなかで漢字にあてはめていうことによって、「ハナ」が分類できたのです。

漢字が入ることによって日本語は格段に進歩した。

それを受け入れるだけのキャパシティが本来 大和言葉の側にあったということを我々もっと誇りに思うべきではないかなと考えております。

一音一音が明瞭ということに触れたわけでありますが、この48音すべてに意味があるんです。

でそれはですね母音で言いますと、母音は「あ・い・う・え・お」ですね。
「あ:A」は開く、そして「い:i」は、この発音のポイントが前にある。
調音点というんですが、「い:i」って言りますよね「い:i」って、ですから前に出ていく積極性が起こるわけですよ。「命」「行往く」「生き生き」という「い:i」

それから「う:U]は閉じるでしたね。

「え:e」」は、ニュートラルな位置にあるんです。次の言葉に移りやすい・・・
何かモノを考えるときに我々は大抵 「エー」 を言います。「エ~っそれから」「エ~そうですね」・・・。「え:e」~ からは次の言葉に移りやすいということです。

そして「お:o」、これは「重い」「主に」という偉大なものを表す。

この「あ:a」「い:i」「う:u」「え:e」「お:o」という母音語この母音がベースになってそこに何らかの発生の工夫を加えていくと子音になるわけです。

例えば「サ」行の「さ・し・す・せ・そ」であれば舌の先を歯茎の歯の裏側ぐらいにつけて、「さSa・しSi・すSu・せSe・そSo」という摩擦を起こしているわけですね。

あるいは、「ま・み・む・め・も」「な・に・ぬ・ね・の」という「ま」行「な」行いうのは鼻から息を抜くんですよ。

鼻を押さえると言い難いんですよ。

鼻を押さえて、「あ・い・う・え・お」「か・き・く・け・こ」と言うと、結構大丈夫です。

鼻を押さえて、「ま・み・む・め・も」「な・に・ぬ・ね・の」ちょっと言い難い。
鼻詰まった時に言いにくいのは、「ま・み・む・め・も」「な・に・ぬ・ね・の」なんですよ 。
鼻音 と言いますから、言いにくいわけですが、この鼻音は柔らかなイメージが出るんですね。
和やかな、柔らかいイメージが鼻音からは出るんです。
反対に破裂音と言いまして、息を破裂させるように出す破裂音は「カ」行「タ」行がベースです。

「か・き・く・け・こ」だから、掛け声というのは「カ」行、あるいは「タ」行は、かけやすいです。

「ターッ」っとか「ドーッ」とか「カーッ」ってやりますよね。それがさっきの鼻音で「マーッ」では力が入らない。「ナーぁ」じゃ力入らない。剣道をやっている人に(試しに)やってもらいたい、「ナーッ」とかですね。まあ入らない。

で、「め」は「ま」行です「まにむめ・・」ですから、ところが「め」ではなく「めん~:面~」と「メン~:MEN~」と「~ん:~N]と打ってくる。

これが「メ」だけだとダメですね「メ」「メッ」

赤ちゃんを怒るかんじですね、「メッ」優しい感じがします。

赤ちゃんに「ゴーンッ」なんて言ったら泣いちゃいます。
「メッ」だったら諭すことができます。

まあ、こういう一音一音が明瞭で、その子音「か行」「さ行」「た行」「な行」「は行」「ま行」これ全てに意味があります。
そして、「あ・い・う・え・お」という五母音が、縦横マトリックスになっているわけです。
縦横の組み合わせると一音一音の意味がはっきりするというのがこれが日本語の
特徴になっている。

これね位は皆さんどうですかねこれをご存知でした私は先生か聞くまで知らなくて
(略)そう考えると「きみ:君」ですとか「あなた」とか開いて調和を求めて
「た」ってどういう意味なんでしたっけ?

「た」は「高い」「保つ」「立つ」「平ら」で表に堂々と現れる様子が「た」です。「田んぼ」の「た」、「民」の「た」です。

「あなた」ということはやっぱり敬意を持っているんですね。「お前」じゃなくて「あなた」

特に相手を「な」で呼びかけるのは今も東北・青森地方等に残っています。自分は「あ」一番最初に来る音が「あ」だから自分は「あ」。相手は「な」、「な」は調和の音ですから「仲良くしましょう」。私とあなたは仲いいんですと言って呼びかけるのが「な」です。

ここにいない人がは。はっきりしないんです。はっきりしないものは「か」、神谷さんの「か」なんです。

「影・風・隠れる・霞む・殻」、はっきりしないということを(「か」)奥深いです。
奥深いものを「カミ:神」といったんですよ。奥深くて尊いもの、尊いものは上にあるでしょ、ですから上下(かみしも)の「かみ:上」、「かなた:彼方」。

ここにいないから「かれ:彼」「かのじょ:彼女」「かなた:彼方」の「ほう:方」

私は「あ」、目の前の人は「な」、ここにいない人は「か」で表している。

(略)
今日はですね日本語一音一音には意味があるということを皆さん認識していたと思います。
(略)

以上日本語の一音一音すべてに意味があるという、音義説である。

最近、眼から鱗が落ちる知的好奇心が大きく刺激を受けることが少なくなってきたと思っていたが、久々に、私の知的好奇心を大きく刺激する音義説を知った。

音義説を端的に書けば、五十音図の各音、もしくは各行の音にはそれぞれ固有の意義があるとみて、大和言葉の単語の意味や語源の説明をしようとする考えである。

主に江戸時代の国学者日本語の語源研究の一定の成果である。平田篤胤鈴木重胤らが、各行に意義ありとする一行一義説賀茂真淵の『語意考』や橘守部堀秀成らが、各音に意義ありとする一音一義説を唱えた。

日本古来の言霊 (ことだま) 思想に通じるものである。例えば、擬声語や音象徴という、音と意味との間にある程度の必然性のある現象が確かに存在し、アは明るく大きなもの、イは鋭くとがったものなどという印象があるという考え方である。

これは、インド古来の仏典の梵字五十字門や四十二字門の字義説では、たとえば、アは無常の義であるという一種の語源学、文法学成立の基礎となった、悉曇(しつたん)学が基となった考え方である。梵字と同じく、日本古来のやまと言葉にはどのような意味があるのか研究した、一種の言語学である。

しかしながら、日本語学界においては、音義説は科学的価値に乏しいとされ、多くの言語学者はこの学説に対し否定的である。

確かに、戦前に橋本進吉博士によつて再発見された上代特殊仮名遣によって、ひらがな・カタカナ成立以前の日本語では、母音はa i u e o の5音ではなく、多くの母音の別があったとする説が主流で、さらに、上代特殊仮名遣で区別されている音は、あとから成立したもので、それ以前の古代日本語の母音は四つであり、南方語の系統の言語する大野晋他説など、現代の日本語は、南方や北方の諸言語が流入し、混交した結果、日本語が成立した可能性が高く、単純に一つの原則に基いて語が形成されているとは考へ難いとして、一音一義説が否定されている。

日本語学会で否定されているのか、勉強が足らないのか、私は知らなかった音義説であるが、アカデミズムのように全否定するのはいかがなものか?
私は、冒頭のCGSの動画には信憑性を感じてならない。

近年、アメリカ、ドイツ、アルゼンチン、スイス、オランダなどの科学者たちからなる言語学者、物理学者たちの国際研究グループが広範な研究を行った結果、「世界の言語は《音》と意味の面で著しく共通していることが見出された」という説も存在しているらしい。

日本語の中に従来の学説では説明不可能な古語、例えば、古代天皇陛下のことを「スメラミコト」とも、「スメラギ」、「ミカド」、「明津神」と呼んだが、シュメール語で解釈すると、解釈できるという説がある。
「スメ(皇)、スメラ(天皇)とは古代バビロニア語のスメル(Sumer)と同語で、ル、ラは助辞の変化、シュメールとも発音された。このスメとは神の意で、ラテン語のスメ(Summae)も至上至高の意で同系語である。スメ(皇)をすべ(統)の意に解して“統制”の意にするのは、はなはだしい間違いで、天皇=神であり、スメル国は皇(スメ)国と一致して神国ということなのだ。また、スメラギとはスメル、アグ(AK)の複称であり、ミコト(尊、命)、ミカド(天皇)の言語はミグト(Migut)の転訛で“天降る開拓者”すなわち神ということ。明津神とは、シュメール語の日神ウツ(Ut)の御子たる火神アグの権化として、この国土に降りたまわったのだ」
シュメール語のほかにも、日本語には古代ヘブライ語が混ざっているとも言われている。日ユ同祖論や、シュメール起源説など、「トンデモ」とレッテルを貼り、学術的ではないと否定するアカデミズムの学者の方が科学的ではないと思う。

ヤマトとは、古代ヘブライ語の「ヤ・ウマト」すなわち「神の民」という意味になるし、「ハッケーヨイ、ノコッタ」はヘブライ語では「撃て、やっつけろ、打ち破れ」の意味。「じゃん、けん、ぽん」も、ヘブライ語では「隠して、準備して、来い」となる。

重たいものを持ち上げたり、引っこ抜いたりするときに使う「よいしょ」「どっこいしょ」であるが、ヘブライ語の「イェシュ」(神よ救けたまえ)、「ドケイシュ」(退かすので、神よ助けたまえ)が語源なのではないかと、研究家の間で言われている。

偶然にしては多すぎると私は思う。


日本語のルーツの中には古代ヘブライ語(へブル語)や、シュメール語の存在の可能性は、もはや否定できないのではないか?

バベルの塔崩壊以前はかつて世界は一つの言語であったという聖書にも書かれた神話が存在するが、もし、仮に神話通り、古代文明が栄えた頃に人類は一つの言語であったとするならば、日本の古語、一音一義説の中に真理が隠されている可能性もあるような気がしてならない。

イギリスの王立協会の研究にれば、猿が異種間同士でも言語が通じているということがわかり、人類が話している言語は共通の起源があり本当にかつて人類の言語は一つだった可能性は否定できないと思います。

最近ヒストリーチャンネルで放映している古代の宇宙飛行士説ancient astronauts theoryに、私ははまっていが、最近発見されたギョベクリ・テペ遺跡などこれまで信じられてきた人類史は大きく覆されてきている。

古代の宇宙人説を単純に疑似科学であると否定することは容易いが、100年後誰もが知る一般常識になっている可能性はゼロではない。疑似科学批判を行う者が十分な論証や検討を示さず、頭ごなしに非科学的・非論理的な「批判」を行うことがある。これは疑似科学批判として逆に非科学的すぎる。

疑似科学批判を行う者が十分な論証や検討を示さず、非科学的・非論理的な「批判」を行うことがある。最たるものは、西洋科学が針灸を今でも疑似科学であると断定していることなどである。

鍼灸を疑似科学とする根拠は、東洋医学の主張する経絡は、人体のどこにも目に見える経絡など存在しないからである。針灸を疑似科学や非科学的だと否定する方が間違っている。

同じく現代の主流学派で音義説も同じく否定されているが、最近妻の取り説がベストセラーとなっている黒川伊保子氏のベストセラー怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか (新潮新書)2004年は、21世紀の音義説であると思います。

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ゴジラ、ガンダム、ジャンプ、マガジン「怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか」は、男たちを興奮させる濁音四音(B,G,D,Z)が膨張+放出+振動という発音構造からきているからとしています。確かにこの4音は、ブレイクスルー系清音(T,P,K)に振動を加えたもので、これが男性の生殖行動と同じ象を持っているから、男性は男性的なものとして喜びを覚えるとしています。

プーチンよりもゴルバチョフのほうが何となく強そうのは同じ理由のようだ。 ロシアを牛耳るプーチンはどこか優しく感じる。実際は別にして、名前だけはそれまでのゴルバチョフ、ブレジネフに比べると印象は柔らかでした。

黒川氏は濁音に迫力を感じ、清音に爽やかさを感じるか?音が脳に潜在的に語りかける「音の力」だと分析しています。脳生理学、物理学、言語学を縦横無尽に駆使して「ことばの音」のサブリミナル効果について話していましたが、先ほど本棚から出して読み返しましたが、音義説については言及していませんでした。

とはいえ、時に黒川伊保子氏の本も時にトンデモ本扱いを受けています。

音義説=平仮名には意味があるという説、私は信じたいと思います。