【Japan In-depth】2019/12/11 古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
・『ネトウヨ』は悪意や敵意の下に加工されてできた造語。・ネット右派は若い世代も含めた穏健な右派層が分厚く存在。・伊藤昌亮氏、ネット右派は「理由や根拠のある思考の表現役」私は「『ネトウヨ』という言葉は『ヘイトスピーチ(憎悪表現)』だ」と当サイトで書いたことがある。2016年1月だった。もう4年近くが過ぎたことになる。だがこの点での私の考えは変わらない。いままたこのテーマを取り上げるのはごく最近、同じ集団を「憎悪」をこめない客観的な表現で論じた本の紹介があったからである。「ネット右派」という表現だった。これなら納得ができる。そしてその表現を知って、改めて「ネトウヨ」という言葉は憎しみやあざけりをこめたヘイトスピーチだと実感した次第である。まずヘイトスピーチという言葉の意味を確定しておこう。この言葉が英語であることが明示するように、本来はアメリカで生まれ、論じられてきた用語であり、概念だった。だが日本でも広がった。その日本での定義を紹介しよう。日本の複数の辞典類での定義の総合である。「人種や宗教、思想、性別などを理由に特定の個人や集団をおとしめ、憎悪や怒りを生ませる言葉」さてこの記述で定義つけられる言葉の範疇に「ネトウヨ」が入るかどうか、である。「ネトウヨ」とは簡単には「インターネット上の右翼」という言葉がゆがめられ、悪意や敵意の下に加工されてできた造語だといえよう。その響きには侮蔑が満ちている。ネトネトとねばりつく。ウヨウヨとかたまっている。語感はきわめて不快、その対象のいやらしさが強調される。しかもその根底にはネトウヨと呼ばれる人たちの思想を危険な非民主的右翼だと断じる基本がある。ネトウヨという言葉を他者にぶつければ、使った側の軽蔑や憎悪や憤慨がにじむ。使われた側は屈辱、反発、憎悪を覚える。要するにののしり言葉なのである。なぜ「ネット右翼」ではいけないのか。さてこの「ネトウヨ」に前述のヘイトスピーチの規準を当てはめてみよう。「ウヨ」はまちがいなく右翼の略である。つまり特定の思想を指している。しかもその表現は憎悪や怒りを生む。ネトウヨと呼ばれた側は憎しみや怒りを感じさせられることが明白だからだ。現に私はネトウヨと呼ばれて、その種の憎しみや怒りの反応を自然に示した人たちを多数、知っている。見下した言葉の汚い響きは「おとしめ」という要件をも満たしている。さてこの「ネトウヨ」と侮蔑的に片づけられがちだったインターネット上の保守派、右派に新しい光を当てた本が最近、出た。成蹊大学の伊藤昌亮教授(メディア論)による「ネット右派の歴史社会学」(青弓社)である。▲画像「ネット右派の歴史社会学 アンダーグラウンド平成史1990-2000年代」伊藤 昌亮(著)出典: 青弓社私はこの書の紹介を10月7日の読売新聞朝刊の文化面の記事で読んだ。記事自体が「ネット右派の成立と興隆」という見出しだった。ネット右派とは、ネトウヨとはまったく異なる客観性を感じさせる言葉を大きく掲げる見出しだった。この記事による同書の内容紹介-には以下のような趣旨があった。「ネット右派は『ネトウヨ』などと揶揄され、愚劣で知性がないと切り捨てられることが多かった。だが伊藤氏は、先鋭的なネット右派の裾野には若い世代も含めた穏健な右派層が分厚く存在していると見る。その影響力を考えれば、受け入れることはせずとも、理解しようとする姿勢も重要だと考える」「90年代に市民主義が盛り上がりを見せ、リベラル派の言説という権威が社会を暗黙に支配している状況への反発が『反リベラル市民』のアジェンダを生み出したと見る。ネット右派は冷戦終結後の社会環境が醸成したものだと説く」「(本書は)ネット右派の言説とはリベラル民主主義に反発し、吉本隆明の言う『先端的な言語』の対極にある『土俗的な言語』を手繰り寄せながら、民衆のエートスをくみ上げようとしてきた様々な議論や談論の総体だったのだと説く。ネット右派が保守的だから権威主義的との見方はあたらず、むしろ反権威主義を自任している、という」伊藤教授は要するにネット右派はリベラル派からは侮蔑されたが、それなりに理由や根拠のある思考の表現役たちだと、いうのである。「ネトウヨ」というヘイトスピーチで片づけられるべき存在ではない論証だといえよう。トップ写真:反中国デモ(2010年) 出典: Photo by Abasaa
私は、パヨクからみれば立派な「ネトウヨ」なのであろう。
もちろん「ネトウヨ」と呼ばれることに快く思っていない。屈辱、反発、憎悪を覚えるだろう。「ネトウヨ」の意味は簡単には「インターネット右翼」だが、その響きには悪意に満ちた侮蔑を感じる。「ウヨ」という語感が悪い。ウヨウヨと蛆虫が固まっているイメージを引き出す語感がきわめて不快である。
「ネトウヨ」は、その言葉を使った左翼側が、論理・理論の論争にまったく歯が立たず、軽蔑や憎悪や憤慨を込めた「ののしり言葉」である。だからと言って右翼と呼ばれるのも、面白くない。保守派もしくは保守主義者であると自覚している。このブログも立ち居地を消極的新米保守と自称している。
今年は、愛知トエンナーレ「表現の不自由展」問題で、リベラルやパヨク(パーの左翼)による「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」のダブルスタンダードに、パヨクに対し強い嫌悪感を感じた。相次ぐBAN行為に、ネットの自由と民主主義、リアル社会でリベラルや中国共産党による自由と民主主義が侵されている。
保守派が事実を指摘することをリベラル派はヘイトスピーチと決め付け、自分達が発信する主張は、事実誤認だろうが、表現の自由と主張する。
これは全世界的なムーブメントでもあり、欧米社会では、ポリコレ(ポリティカルコレクトネス)が蔓延し、息苦しい社会に追い込まれている。
米国では長年、言論の自由との兼ね合いでの激しい論争が展開されてきた課題でもある。その反動のおかげでトランプ大統領が誕生し、SNS・ツイッターを駆使することでリベラルに支配された、言論の自由を取り返せたように見えるが、リベラル派によるヘイトやBANが先鋭化しているように見える。特定の言論や言葉をヘイトスピーチの名の下に全世界的に規制しようという傾向はリベラル派に強いようだ。
日本でよく問題になるのは朝鮮人や中国人への誹謗中傷である。私からすれば、桜井誠氏による活動は支持しない。たとえ、右でも人間として如何なものかと思う。
右や左、あるいは保守やリベラルの区分なく、排されるべき価値観を私は持っている。私とと同じ価値観の方はけっして少なくないであろう。だが、日本において「ヘイトスピーチ」認定を勝手に捏造しているのは、いわゆる左翼とされる側が多い。
「ヘイトスピーチ」とは「人種や宗教、思想、性別などを理由に特定の個人や集団をおとしめ、憎悪や怒りを生ませる言葉」の定義であれば、「ネトウヨ」は、パヨクによる保守派へのヘイトスピーチである。「ウヨ」はまちがいなく右翼の略であり、右翼はまちがいなく特定の思想を指すからだ。しかもその表現には憎悪や怒りが明らかである。ネトウヨという見下した言葉の響きは「おとしめ」という要件を満たす感じがある。
だから「ネトウヨ」という言葉はヘイトスピーチだ!
リベラル側が世界的に劣勢になってる。
日本の立憲民主や国民民主の劣化は目を覆うほど酷く、既存のメディアの記者ですら、私ごとき素人に簡単に論破されてしまう。
日本の立憲民主や国民民主の劣化は目を覆うほど酷く、既存のメディアの記者ですら、私ごとき素人に簡単に論破されてしまう。
日本のテレビや新聞記者は、自分がメインストリームだと思っていて奢っている。
リベラル信者の記者は、個人ツイッターレベルでもレベルが低すぎて、一般人に簡単に論破され、もはやまともな知識を持った多くの人間は、リベラル側の言うことをまったく信用しない。
リベラル側が福祉や環境問題で正論を言うが、経済的にではどこから金を持ってくる?誰が働くという根本的に有効的経済政策を出せないなど、リアルな議論がまったくできなくなってる。リアルな議論ができない左翼側は、保守側の発言を止めさせる為に、卑劣な禁じ手を使い始めた。
保守側の言論を封じる為に、「ヘイトだ!」とレッテルを貼り、SNS側の「人種又は民族的出自、宗教、身体障がい、性別、年齢、性的指向性/性同一性」に対してネガティブな発言を禁止する条項を悪用し、事実を指摘しただけの動画を、ネイト通報し、削除させるBAN祭り作戦を発動させ、憲法に定められた「言論の自由」が侵されている。
【HARBOR BUSINESS】2018.05.31 安達夕
「YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ」。ことの始まりは、5月15日、掲示板サイト「5ちゃんねる」に立ち上がったスレッドだった。当初は、ネット掲示板でよく見かける「匿名投稿者」たちの「悪ふざけ」の域を超える事はなかった。しかし5月18日「新潟女児殺害事件の犯人は在日だった」というデマ動画がYouTubeから削除された。YouTubeの運営サイドが、彼らの通報によって動画を削除したのだ。
本稿では、「彼ら」の事を「なんJ民」と呼ぶことにする。ネット上のスラングに詳しくない人のために説明をするのであれば、「5ちゃんねる」(旧:「2ちゃんねる」)という掲示板集合サイトの中に「なんでも実況J」という掲示板があり、そこに書き込んでいる匿名投稿者たちの総称を「なんJ民」と呼ぶ。今回の一件においては、「ハンJ民」という呼称もあるが、その説明はあえて省く。この「なんJ民」らは、YouTubeに無数にアップされている「ネトウヨ動画」の削除に向けた行動を開始する。そして5月19日には、チャンネル登録者5万人以上、投稿動画数900本を超えるアカウントが、YouTubeによって凍結された。これが「なんJ民」の初めての戦果となる。「5ちゃんねる」の掲示板には、次々と「ネトウヨ動画」が報告され、それを見た「なんJ民」の通報によって、動画投稿者らは、アカウント停止や自主削除へと追い込まれていく。「なんJ民」が標的にしているYouTube動画は、人種差別やヘイトを助長しているものや悪質なデマだ。そもそもYouTubeでは、その「コミュニティガイドライン」において「悪意のある表現に関するポリシー」を明記している。曰く、「YouTubeでは表現の自由を支持し、あまり一般的でない意見でも自由に表現できるように努めていますが、悪意のある表現は許可されません。悪意のある表現とは、次のような特性に基づいて個人や集団に対する暴力を助長したり差別を扇動したりするようなコンテンツを指します」としながら、「人種又は民族的出自、宗教、身体障がい、性別、年齢、性的指向性/性同一性」等を明記している。最終的な動画削除の判断は、YouTubeがする。「ネトウヨ」と呼ばれる人たちが、このポリシーに反して「レイシズムや悪質なデマを含む動画」をアップしていることを、「なんJ民」はYouTube運営者に通報し続けただけだ。■ネトウヨ動画10万本が削除ちなみにYouTubeでは、同一アカウントの動画は2本削除されれば、2週間動画投稿禁止のペナルティが与えられ、3本削除された時点でアカウントは停止される。「なんJ民」らの活動は加速する。Twitter上には「#ネトウヨ春のBAN祭り」(※「BAN」とはアカウントがサイト運営側によって停止されること)というハッシュタグが躍った。多くの「なんJ民」がこの活動に参加しはじめると、今度は活動の効率化が図られた。始めは目につく違反動画を無作為に通報していたが、投稿数が多いチャンネル動画を優先して通報するようになった。また動画タイトルやサムネイルがYouTubeのポリシーに反すると通報していたものの、動画内のどの部分(何分何秒の時点の動画)がポリシーに違反しているのか具体的に通報するようにもなった。「5ちゃんねる」のネット掲示板「YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ」にも5万件(50スレ)以上のコメントが付き、「なんJ民」の活動は完全に「祭り」となった。本稿を執筆している5月30日の段階で、「なんJ民」らが確認したところによると、YouTubeから「ネトウヨ動画」がアップされている62チャンネルがアカウント停止や自主削除となり、動画数にして10万本以上が削除された。そのような数々の動画をアップしていた投稿者側からは「言論の自由に対する侵害だ」、「言論弾圧だ」との声も上がるが、「言論の自由」と、他者を傷つける「表現による暴力」は明らかに違う。「表現による暴力」は駆逐されて然るべきである。その点において、最終的なアカウント停止や動画削除の判断はYouTubeがしているという「なんJ民」の主張は至極正しく、その判断を下しているYouTubeに筆者は賛意を示したい。YouTubeは、「表現の自由」、「情報にアクセスする自由」、「機会を得る自由」、「参加する自由」の4つの自由を、YouTubeの「在り方」として定義している。「自由」を標榜するからこそ、その「自由」を守りたいからこそ、その「自由」を利用しようとする「悪意」に対してYouTubeは正しい。一方、「なんJ民」はどうなのか。本稿において「なんJ民」の行動を、始めは「悪ふざけ」と表現したが、事態が拡大化する中で「悪ふざけ」は「活動」に変わった。彼らは「祭り」と呼んでいるが、結果的には「革命」と言えるような話でもある。だから「BAN祭り」に対して評論するのなら、通報ひとつでもしろという「なんJ民」の意見にも特に反論はない。今回の一件で強く感じることは2点ある。一つは「匿名性」のことだ。筆者はかつて本サイトに「ウイダーinゼリーの投票キャンペーンで起きた大いなる悪ノリを、主催者は予想できなかったのか」という記事を投稿している。詳細は記事を読んで頂きたいが、この時に筆者は「なんJ民」の活動を「大いなる悪ノリ」だと評した。当時の「悪ノリ」には、少なからずヘイトや人種差別の意思が含まれていた。「ウイダーinゼリーの投票キャンペーン」の時の「なんJ民」と、「ネトウヨ春のBAN祭り」の「なんJ民」がどれほど同一性を持っているのか、それは分からない。しかし、この2件の本当の原動力は「匿名性」にあるのではないか。匿名が悪いと言っているのではない。結局「革命」で何かを変える時の原動力は、名も無き民衆である。世論と言い換えても良い。匿名性の持つ力を、そしてそれは容易に逆転するかも知れないという危機感を、今回の一件は教えてくれた。そして、もう一つ。今回の「BAN祭り」が、他のSNSにも波及するか否かには注目したい。
■「ネトウヨ春のBAN祭り」はネット上の革命なのか?YouTubeの対応が正しかったことは前述の通りであるが、人種差別やヘイトを助長する内容は動画に限らず、他のSNSサイトにも多く見られることだ。SNSを運営する企業が、「祭り」に乗じる必要はまったくないし、「臭い物に蓋をする」的な過剰な対応は、かえって企業の信頼を失墜させかねない。大事なことは、SNS運営企業が自社のポリシーを明確にし、その実現に向けて正しく行動するか否かである。今回の「なんJ民」の「祭り」が、日本社会に与える影響は決して小さくないだろう。<文・安達 夕 @yuu_adachi>
日本の「リベラル」を自称するひとたちは、これまでずっと「ダブルスタンダード」であった。また、自分が「ダブルスタンダード」であることを認識していない。
安倍首相が2018年の施政方針演説で「同一労働同一賃金を実現し、非正規という言葉をこの国から一掃する」と宣言してから「働き方改革」は一気に進み、裁判所でも非正規の原告の主張を認める画期的な判決が相次いでいる。
「同じ仕事をすれば、身分や性別、人種などのちがいにかかわらず同じ賃金が支払われる」というのはリベラルな社会の大前提だが、「リベラル」を自称する労働組合はこれまで同一労働同一賃金に頑強に反対し、「日本には日本人に合った働き方がある(外国のことなど関係ない)」として「同一価値労働同一賃金」を唱えてきた。排外主義(ネトウヨ)と見まがうようなこの奇怪な論理では、「正社員と非正規は同じ仕事をしていても労働の「価値」が異なるから、待遇がちがうのは当然だ」という。
これは要するに、正社員と非正規は「身分」がちがい、人間としての「価値」がちがうということだろう。ところがリベラルな知識人はこのグロテスクな論理を批判しないばかりか、保守派とともに「日本的雇用を守れ」と大合唱し、非正規への身分差別を容認してきた。
日本のBAN祭りは悪ふざけから始まったが、世界で進むSNS規制は、中国や北朝鮮・韓国といった言論封鎖はかなり深刻だ。テロリストを締め出すことと、言論封鎖は紙一重だが、民主的な言論に対する封鎖束縛は,
人類の未来の存続すら危ぶませる行為だ。
世界で進むSNS規制 いま何が起きているのか、専門家に聞いた
いま世界では、テロ防止や犯罪抑止という理由で、政府がSNS規制の法律をつくったり、また規制に向けた議論が起きたりという例が相次いでいます。この先、どんな未来が待ち受けているのか。「個人の自由やプライバシー」と「政府による監視」の関係をどう考えればいいのか。中東諸国はじめ諸外国のネットコントロール事情に詳しい山本達也・清泉女子大学教授に話を聞きました。(聞き手・梶原みずほ)プロフィール山本達也(やまもと・たつや) 2006年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了。博士(政策・メディア)。シリア・アレッポ大学学術交流日本センター主幹・客員研究員、慶應義塾大学SFC研究所上席所員、名古屋商科大学准教授、清泉女子大学准教授を経て現職。著書に『革命と騒乱のエジプト:ソーシャルメディアとピーク・オイルの政治学』(慶應義塾大学出版会)、『アラブ諸国の情報統制:インターネット・コントロールの政治学』(同)など。――フェイスブックなどのSNSが一般に普及して10年ほどになります。世界各地でいま、SNSを含むネット空間に対する政府のコントロールが目立ちますが、過渡期なのでしょうか。2008年ごろからツイッター、フェイスブック、ユーチューブなどのソーシャルメディアが世界的に普及し、非民主主義国の一部では政府と国民との力関係が逆転する現象が起きました。フェイスブックがアラビア語にも対応するようになり、エジプトでSNSを駆使した若者たちによる反政権運動が08年に起こります。それが11年の『アラブの春』の原動力となり、アラブ各地での民主化運動へとつながっていきました。インターネットが登場したころ、ネットが普及していけば、人々が世界に向かって言いたいことを主張でき、政治は悪いことができなくなり、社会がよくなるのではないか。そんなバラ色の未来を描いていたような気がします。ひょっとしたら我々は過度な希望をもちすぎたのかもしれません。カイロのタハリール広場で、「ムバラク政権打倒」の気勢を上げる市民たち=2011年2月、越田省吾撮影――ネットというツールを得て我々の暮らしは劇的に変わりましたが、社会はそれほど良くなっていない、と。国際的な共同調査である『世界価値観調査』のデータを分析すると、興味深い結果が出ました。『アラブの春』後、エジプトではすべての世代において、非民主的であっても強いリーダーを持つことが好ましい、ととらえる人が大きく増えました。隣国のリビアやシリアのようになるくらいなら、非民主的な大統領でも強いリーダーの方がまし、という考えなのでしょう。エジプトでは最近、ネット活動家の投獄や反体制運動の非合法化、昨年8月の『反サイバー犯罪法』成立などネット規制が強化されています。一方、『アラブの春』を経験していないモロッコではほぼ横ばいか、世代によっては非民主的な強いリーダーを悪いものだととらえる人が増えています。SNSというツールを手にして社会の変革を起こした体験があるにもかかわらず、国民はそれを自らの意思で手放そうとし、想像していた社会とは違った方向に進んでいるのです。――2013年に米国家安全保障局(NSA)による個人情報の大量収集の事実を、エドワード・スノーデンが内部告発し、民主主義国でも自由でオープンなネット空間が確保されていたわけではなかったことが判明します。それまでネットと政権の距離を巡る考え方は、非常にシンプルな構図でした。政権にとって不都合な情報をアクセス及び発信できないよう規制したい非民主主義国と、ネット空間は自由でオープンな社会インフラであるべきだという先進民主主義国です。最近はそれほど単純ではなくなってきています今年4月にスリランカでテロが発生した直後、同国政府はSNSを遮断しましたが、欧米メディアなどでテロ対策のためのネット規制に賛否の声がありました。欧米で規制に賛成する声もあったことは、時代の変化を象徴しています。テロリストによる衝撃的な映像がSNSを介して拡散していき、テロリスト自ら動かなくても勝手に恐怖感を植えつけていく。リクルートも容易になります。それに加担するのはよくないということでしょう。どの国でも本来、政府の本音は政権批判や不都合な事実は封じ込めたい。テロ対策という大義名分ができたことで正当化され、堂々と規制ができるようになってきています。パリ同時多発テロで襲撃されたカフェ=2015年11月、パリ、国末憲人撮影■ネット規制のハードル下がった――国家が民主的、非民主的問わず、世界は規制を許容し、国民もある程度、望んでいるということですか。ネット空間の自由度はエジプトに限らず、世界的に後退傾向にあります。昨年ニュージーランドで起きたモスク銃乱射事件では犯行の様子がフェイスブックで中継され、NZでも規制の議論が進んでいます。こうした二次被害の恐れが、プライバシーを最大限確保したい、自由や表現も守りたいという先進民主主義国の原理的な価値を上回るようになり、社会が規制を許容する方向に動いているのです。そのような社会では監視や通信傍受、規制をする側の政府の方が、国民よりも圧倒的に有利な立場になっていきます。イギリス政府も今年4月、ネット上のテロに関する情報拡散の制限などを提言する白書を出しました。――民衆が規制を許容する背景には、テロ以外の要因もあるのではないでしょうか。一種のSNS疲れもあると思います。より長く、より頻繁にアクセスさせて中毒的にする工夫を凝らして企業が利益を追求していることに、人々が嫌悪感を抱き、距離をおこうとしているのです。4月のインドネシア大統領選を現地調査しましたが、各陣営はフェイスブックによる活字を使った論理的主張ではなく、インスタグラムでルックスやイメージを押し出すことに注力していました。デジタルネイティブ世代からすると、フェイスブックのアクティブな利用者はもうおじさん、おばさん世代なのです。ファッションのようなはやり廃りがでてきたということはある意味、SNS空間がそれだけ成熟してきた証し。つまりテロに対する単純な拒否反応として規制を肯定しているわけでもないのです。■「きれいごと」よりも「本音」――シンガポールでは5月、「偽ニュース防止法」が成立しました。政府が偽ニュースと判断すれば、SNS投稿やフェイスブックメッセンジャーなどの会話内容なども対象に、偽情報発信者やオンラインプラットフォーマーを罰することができ内容です。街中に監視カメラがたくさん設置されていて、もともと政府の監視が強いシンガポールで、このような法律ができたことに違和感はありません。むしろ驚いたのは国際社会から批判がほとんどでなかったことです。一昔前にそんな法案を通そうとしたら米国をはじめ、国際世論が黙っていなかった。隔世の感があります。きれいごとや理想を掲げられることが大人の国家であるという暗黙のルールが、アメリカ第一主義を掲げるトランプ政権の誕生とともに消え、本音は包み隠さず、国益を最大に打ち出すことへのためらいがなくなったのだと思います。――中国では身分証明書の代わりに顔認証による決済や、個人データの収集によって国民をランク付けする政府主導の「社会信用システム」の普及など、IT先進国へと急速に成長しています。モノのインターネット化(IoT)や人工知能(AI)の応用が進むにつれ、ネット空間を巡る政府と国民との関係はどのように変わるでしょうか。個人の特定を、たとえばスマホというその人だけが持つモノで行っていく時代から、顔という、その人と一体化したモノによって認証していくというシステムは、取り換えのきかないものによって管理されていく時代の幕開けです。管理する側は、より完璧に近い形で管理できるようになり、逃れることがますます難しい世の中へと、技術の進歩が追い込んでいきます。でも、日常生活を送る上では便利です。収集されたビッグデータは、その先のマーケティングや、融資の判断といった個人の信用スコアの正確な見積もりを促進させ、経済的な効果が見込まれます。当然、犯罪捜査や治安維持にも、威力を発揮することになります。問題は、私たちは本当にそういう社会に住みたいのかということです。米IT大手の富の源泉はデータだ=角野貴之撮影――サンフランシスコ市は5月、警察などによる顔認証技術の使用を禁じる条例を米国の都市として初めて制定しました。顔認証はまだ技術的に信頼できないという点や、肌の色が濃い人などに対し差別的な監視を助長する点などが懸念されています。「プライバシーや自由」vs「治安や利便性」。この二つのバランスをどうとりながら社会をつくっていくのか。リベラルな風土が強いサンフランシスコ市ではこのことが議論になったわけです。中国では議論になりません。逆に言うと、米国が議論して足踏みしている間に、中国では望ましい社会かどうかの議論の余地なく、前に進んでいくのです。治安と秩序維持をしたい政権と、データを使ってビジネスをしたい企業の利害が一致し、双方望むところでしょう。■監視の是非、考えて選択するプロセスを――5月に児童らを狙った川崎市の通り魔事件が起きるなど、日本では凄惨(せいさん)な事件が相次いでいます。最新の監視カメラでは、人工知能(AI)が犯罪を起こそうとする不審者の微妙な動きを感知して自動的に検出する技術を備えたものもあります。来年東京でのオリンピック・パラリンピックを控え、犯罪・テロ防止の面からこうしたカメラの導入の是非など、今後議論が起きる可能性があります。世界の趨勢(すうせい)は治安寄りのところでバランスをとろうという傾向が強まっており、日本もそのマジョリティー側で進みそうな気配です。今のところ、日本では、防犯カメラを利用しているとはいえ、まだまだ現場ではアナログのアプローチに頼っているのが現状で、警察の必死の努力で犯人逮捕に結びつけている段階だと思われますが、時間の問題で、デジタル化、AI化は進むことになりそうです。ただ、本当にそれでいいのか、近視眼的ではないか、きちんとその意味を国民が考えたうえで選択するプロセスをすっ飛ばしてしまうことだけは、避けなければいけない。大事なものは失ったときにその価値に気づくものです。気づいたときには、すっかり後戻りができないような状況になっている、ということは避けなくてはなりません。
中国の「テロ撲滅を旗頭」とするネット検閲の技術によって、いまの中国をジョージオーウェルの1984でも想像が付かない完全監視社会デストピアを誕生させてしまった。
上念司氏は4年前恐るべき執念と地道すぎる努力 左翼をナメてはいけない と警告を鳴らしていた。
恐るべき執念と地道すぎる努力 左翼をナメてはいけない
上念司氏は4年前恐るべき執念と地道すぎる努力 左翼をナメてはいけない と警告を鳴らしていた。
恐るべき執念と地道すぎる努力 左翼をナメてはいけない
【iRONNA】『上念司』2015/11/15
今回のテーマは仕事をしない左翼ということだそうだ。しかし、さすがにこれは左翼に失礼ではないかと思う。平和安全法制をめぐる一連の反対運動は「日本が戦争に巻き込まれる!」と一般の国民がある日自発的に集まったものではない。動員の手際、騒ぎの起こし方、マスコミ向けアピール、どれ一つとってもすべてプロの仕事だ。仕事をサボっているやる気のない活動家にできる芸当ではない。いくら相手が左翼だからと言って、こういうプロの仕事に対するリスペクトを失ってはいけない。いわれなき誹謗中傷はやめるべきだ。一連のデモがある特定の政治的主張をもった集団によってどれほど支えられていたかはすでに客観的なデータで明らかになっている。産経新聞社とFNNが9月12、13両日に実施した合同世論調査によれば、このデモに参加する人々の41.1%が共産党を支持し、14.7%が社民党を支持し、11.7%が民主党を支持し、5.8%が生活の党を支持している。同時期に行われた各社の世論調査における政党支持率とはかなり大きな開きがあることに気づく人も多いだろう。明らかにデモ参加者の母集団は一般的な国民とは一致しない。また、同アンケートによれば、国会周辺など各地で行われている安全保障関連法案に反対する集会に参加した経験がある人は3.4%にとどまったということだ。デモに参加している人は、政治的に偏った人の集団であったことが一目瞭然である。そもそも、このデモには国民の95%以上が参加していない。いつから国民の5%程度の政治的に偏っている人が「一般の国民」になったのだろうか?さらに、今回話題となったSEALDsという学生団体はSNSを通じて若者が自発的に集まった団体ではない。この団体は今年の6月に設立記者会見を開いている。その際に登場した9名の代表メンバーのうち3人が島根県にある1学年15人のキリスト教系全寮制高校の卒業生である。SEALDsの中心メンバーにはこの高校の出身者が9名いる。また、都内の2つのキリスト教系私立高校の卒業生も割合が高い。彼らは高校時代から友人であり、そのネットワークを使って集まったのだ。「大学生がSNSで自然に集まった」というのは嘘である。しかも、島根県の全寮制高校に代表されるこれらのキリスト教系の学校は、どちらかというとキリスト教左派の教員が実権を持っているらしい。平和、反戦などの美名のもとに、日本人の加害者意識ばかり強調する偏った教育が行われているとのことだ。都内の2つの高校についてもその点は共通だ(卒業生の行動から類推するにこの点については間違いないと思われるが、各種メディアによる後追い取材で確証が得られることを期待したい)。国会前の安保関連法案反対の集会で、成立阻止を訴える参加者=9月14日夜しかし、マスコミは安保反対デモに集まった集団をどうしてもプロとは認めたくないようだ。「強権的な政府に立ち向かう無垢の一般市民」という構図がどうも彼らの「予定稿」であり、願望なのだ。最初からそういうものの見方で報道しているからこそ、民主党や共産党が野党という無責任な立場を利用して、国会内で行った乱暴狼藉の数々は目に入らない。審議を拒否し、本来の論点とは関係ないレッテル貼りばかりしてまともに質問せず、最後は力ずくで審議を妨害した民主主義の敵は民主党と共産党だったが、そのことを批判するマスコミは圧倒的な少数派だ。さらに、マスコミはことあるごとに平和安全法制について「説明不足」などといい加減な論評をしていた。支那の軍備拡張と侵略行為のエスカレートという国際情勢の変化の核心部分にまったく触れようとせず、憲法解釈に論点を矮小化して問題の核心を隠し続けた。野党の乱暴狼藉は一切批判しなかった。最後まで法案の中身を説明しようと躍起になっていた安倍総理に説明の機会を与えなかった。今回の平和安全法制は、強権的な政府に強引に押し切られたのではない。議論よりも実力行使とプロパガンダを徹底的に推進した民主党と共産党、そしてそれに加担したマスコミと、デモを動員したプロたちによって実力で妨害されたのである。しかも、マスコミは今回の平和安全法案において本来語るべき真のリスクを国民から隠した。真のリスクとは、南シナ海、東シナ海での侵略行為、チベット、ウイグルでの人権弾圧、人権派弁護士の理由なき拘束、これらを平然と行う支那という独裁国家である。支那の乱暴狼藉は華麗にスルーし、なぜか日本政府はすぐに戦争したがる悪い国だと厳しく批判を向ける。この奇妙なダブルスタンダードこそが、デモ隊とマスコミに共通する行動パターンだ。一体それがどの国の国益になるのか、考えればすぐにわかる。しかし、プロがいかに「芸術的」な仕事をしようが動かせない事実がある。今回のデモは特定の団体によって呼びかけられたものである。これらの団体の一部は共産党の支持団体だったり、民主党の支持団体だったり、極左暴力集団のダミー団体だったり、素人を偽装する大学生であったり(しかも、反日教育で有名な特定の高校の卒業生中心)、といった事実である。これらの事実を並べてみて、左翼の執念と地道すぎる努力に恐怖を感じる人も多いのではないか。1学年15人の全寮制高校を運営し、私学助成金をもらいながら徹底した反日教育を数十年にわたって地道に行う忍耐力。朝日新聞の一面に広告を掲載する財力、そして左翼組織同士が連携してワンイシューで政府にゆさぶりをかける行動力、マスコミとの連携や共通プラカードの配布など作戦運用能力。これらの力を左翼はいまだに持っている。これは本当に大変恐ろしいことだ。安保法制の次は原発や沖縄問題など、手を変え品を変え、左翼はこの力を使ってくるだろう。彼らはとにかく弾を撃ちまくって、インパクトが大きいところにさらに大きな戦力を投入してくる。極めて合理的な戦法だ。左翼がサボっているように見えたとしたら、それは左翼をナメすぎだ。我々が戦っている民主主義の敵はそれほど恐ろしい連中だということを忘れてはならない。
執筆中








コメント
コメント一覧 (26)
Ddog
が
しました
ほんとパヨクはダブルスタンダードだな」
Ddog
が
しました
国の前に自分を見よう。
Ddog
が
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ジミンガー 自民党叩き 自民党陰謀論 ネトウヨガー
最近
アベガー 安倍叩き 安倍陰謀論 ネトウヨガー
なぜなのか)すっとぼけ
Ddog
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長ったらしい毒電波を読む気にもならんからタイトルだけ見た感想です:D
Ddog
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よっぽとパヨクという言葉の方がヘイトに満ちてる思うけど
ネトウヨと対をなすならネトサヨでいいよね?
Ddog
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だったら自分たちでヘイトOKのSNS作ればいいんじゃない?
Ddog
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だったら自分たちでヘイトOKのSNS作ればいいんじゃない?
Ddog
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都合のいいことしか見えてない
Ddog
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匿名で国籍にしかアイデンティティのない、無職だ、女性に厳しい母親に甘やかされているやつってメディアに決めつけられやすい
問題のあるネットの差別はそういうメディアの「社会側じゃない誰か」への犯人転換ヘイトが、社会参加に必要な信用ステータスを引き上げて、余計、その雇われない側を差別する形で、女性や外国籍、生活保護者、ニートに多い内定ないまま年齢で固定化した若者や就職氷河期世代、これからコロナや機仕事のaiネットワーク依存化でなおさら人間の市場価値がさがってお金の交換条件が上がって仕事に関わらず経済のパイが減るから履歴で固定化する人も増えるのにメディアが散々ネットの風潮をニートと矮小化してトランプみたいなのが出てきてももう可笑しくない
Ddog
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なのに全員を同じ人扱いして憎む意味不明だよね見分けつかないからぶっ叩いてるだけじゃん
文部科学省の作る教育方法は変な教育ばかりしてるよね?それをこんなものはくそだと言ったらネトウヨになるんだなのに誰もが無関心なんだそれ、できレースかよと不満を言うことすら許さないそんな社会に嫌けがさしただけだろ
Ddog
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それを指摘したやつらがネトウヨ認定
それを指摘したやつらの中には考えなしなヘイトなやつらがいたから全員ネトウヨ扱い
くだらない連中だよまったく
Ddog
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