是非ご一読下さい。
在韓米国大使のハリーハリス氏が大使館にBLMの横断幕を掲げ、わずか二日で撤去になったというニュースが流れた。
【Reuter】Reuters Staff 2020年6月16日 / 02:53
多くのメディアがハリーハリス大使が、トランプ大統領への皮肉だと解説をしていますが・・・韓国が大嫌いではやく韓国大使を辞めたいハリーハリス氏の韓国人への高等な皮肉なのだ(笑) 高山氏のコラムを読めば、ハリーハリス氏が旗を掲げた真の意図がわかる。[ソウル/ワシントン 15日 ロイター] - 韓国の米国大使館に掲げられた「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切)」の横断幕が15日撤去された。関係筋2人によると、トランプ大統領が不快感を表明したことが理由という。ソウルにある米大使館は13日、白人警官による黒人男性暴行死を受け全米で広がる人種差別に対する抗議デモへの支持をツイッター上で表明し、ハリス駐韓大使の指示の下、大使館ビル正面に横断幕を掲げた。トランプ大統領に指名された高官が「ブラック・ライブズ・マター」運動に公然な支持を示すのはまれとして注目が集まった。在韓米大使館の報道官は横断幕が撤去された後、ハリス大使の目的は「人種差別を懸念する米国人との結束を示すメッセージを伝える」ことだったと改めて説明し、「大使の意志は特定組織への献金を促すものではない」と強調した。
ロス暴動と韓国人殺人鬼の関係
P35-39
髙山正之氏の名物コラム変見自在の愛読者であれば、すぐピンとくる。おせいじとか皮肉を理解できない韓国人に対するハリス大使の高等な皮肉なのだと、皆ニヤリとするはずです。
ロサンゼルスの摩天楼群を斜め下から仰ぎ見る辺りがサウスセントラルと呼ばれる地区にをる。元は白人居住地域だったが、アフリカ系の住むワッツと近かったことから、治安が悪化し、やがて黒人の街に変わっていった。みんなが敬遠する街で食料品や日用雑貨の商売を始めたのが欧州から逃れてきたユダヤ系の人々だった。彼らは懸命に働き、子供をいい大学に入れ、そして弁護士や医師になった息子に引き取られてビバリーヒルズに移っていった。ユダヤ系のあとに日系人が入ってきて、もっと働き、同じようにこの貧しい街からパロスパルデスなどに移っていった。黒人たちは自分たちがいつも見送る立場にいることをちょっと悔しく思いながらも、差別もなく接してくれたユダヤ系や日系を温かく送り出した。そのあとにきたのが韓国系だった。彼らの評判はよくなかった。それは黒人に向けたあからさまな嫌悪感と喧嘩腰の物言いのせいで、それがもとでしょっちゅうトラブルが起きた。一九九一年、韓国系のリカーショップ「エンパイア」で、15歳の黒人少女ラターシヤが2ドルほどのジュースを万引したのを店番の斗順子が見答めて飛び掛かった。大柄の少女は逆に斗を殴って店を出ようとした。頭にきた斗は少女を背後から銃で撃ち、殺した。斗は殺人罪で起訴されたが、同年秋の判決は社会奉仕400時間だけ。つまり事実上の無罪になった。サウスセントラルは黒人の怒りで燃え立った。 それがどれほどのものだったかは、裁判とほぼ同時にリリースされたアイスキューブの「BlackKorea」が150万枚も売り上げたことでもよく分かる。ラップだから表現はやたら過激だ。以下はそのサビの部分になる。「酒屋に行ったらカネ勘定するオリエント野郎が俺たちを万引扱いする。俺たち、お前らにはもううんざりだ。だれのおかげでここに店を出せていると思ってるんだ。この細目野郎」「だれのおかげで」というくだりは前述した通り。ユダヤ系も日系も腰を低くしてここに店を出した。彼らはそれを感謝したのに韓国系にはそんな殊勝さもない、ほどの意味だ。黒人の憤懣ははけ口のないまま年を越した。そして翌92年春、ロサンゼルスのアフリカ系市民がもう一つ関心を寄せていたロドニー・キング事件が結審した。この事件はラターシャ殺害事件とほぼ同じころに起きている。黒人の若者が韓国製の車でフリーウエーを暴走し、一時間の追跡劇の末にレイク・ビューニアラスでパトカーの警官に取り押さえられた。しかし運転していた男は「ポパイという名の興奮剤をやっていてどんなに押え込んでも歯向かってきた」(裁判での証言)それで警官が警棒で彼を叩きのめすのだが、それを近くの住人がビデオに撮った。映像は「黒人差別の動かぬ証拠」として世界を駆け巡った。ちなみに現場のレイク・ビューエアラスは例の「ロス疑惑の銃弾」騒ぎの発端となった白石千鶴子さんの白骨死体が見つかった場所でもある。これもまた黒人が"被害者″になった事件だが、裁判の評決は暴行した白人警官全員を無罪とした。再び「黒人がやられ損」という結果が引き金略なって積もりに積もった憤漕が爆発する。サウスセントラルの少し北、ノルマンディ通りの交差点で暴動がはじけ、その鉾先は黒人が憎んでも憎み切れない韓国人に向けられ、この通りから西側数キロに広がるコリアン・タウンに火の手が広がった。これが丸四日間、無警察状態を生んだロス暴動だ。死者は五十三人、焼かれた韓国系商店は三千軒を超え、立ち上る黒煙は空を覆い、ロサンゼルス空港も一時、閉鎖された。このころ、後にバージニア工科大で三十二人を殺すチョ・スンヒが米国にやってきたと産経新聞が伝えた。同紙はロス暴動という「人種間対立がチョの人格形成に影響を及ぼした可能性」を指摘している。それは韓国人を善意で見すぎる。暴動の原因は「ラターシャ事件」そのものにある。相手が子供だろうと背中からだろうと「悪いのはお前だ」と席捲なく殺す。チョもラターシャを撃った斗順子と同じに見える。そう言えば「悪いのはいつも日本だ」という慮武鉱の台詞も似ている。あの国のからむ事象は結構、分かり易いものだ。(二〇〇七年五月三・十日号)
朝鮮に駐留する在韓国大使とは100年前から大変過酷なポジションであった。
韓国人はどうしてキレやすいのか
P114-117
P114-117
中国で初めて電気の灯が点ったのは北京郊外幌和園の西太后の寝室だった。「アイヤー」と感激した西太后は点したドイツ人に電気事業の一切を授けた。 ドイツ人が今でも中国で大きな顔をし、メルケルが大事にされる理由がここにある。西太后は走る汽車にもアイヤーと驚き、これも外国企業にすべてを任せた。基礎を学ばず、でき合いを外国に頼んできたから中国人は今も電気がなぜ明るいのか、汽車がなぜ走るのか分かっていない。新幹線を真似ても前に進むよりは下に落ちるものしかつくれないのもこうした歴史が背景にある。その点、日本は違った。外国に任せず、外国人を呼んでノウハウを学び、基礎から日本人がつくる方式を取ってきた。だから明治五年には自前の鉄道を走らせ、明治二十年には火力発電所が運転を始め、やがて日本製のフィラメントが点るようになった。ただ、学ぶために招いたお雇い外国人がみな立派かというとそうでもないものもいた。たとえば中国の定遠に敵う海軍力をと頼んだフランスの技官エミール・ベルタンは四千トンの艦に一万トン級の軍艦が載せる巨砲を、それも後ろ向きに取りつけた。日本は危うく日清戦争に負けるところだった。外務省が雇った米外交官ヘンリー・デニスンはもっといかがわしかった。彼は明治十三年から大正期まで実に三十五年間も日本外交を仕切った。表向きは不平等条約の改正に励み、日清戦争の下関条約を華麗な英文にし、日露戦争講和では小村寿太郎をよろしく助けたことになっている。しかし歴史ははっきり異論を唱える。例えば遼東半島についての三国干渉だ。白人国家の専横に対しデニスンは論議を避け、黙って受け入れることを勧めた。日露戦争ではロシア艦隊を残滅した日本は「ロシア船の無制限拿捕も可能。もはやロシアの敗北は決まった」 (ニューヨーク・タイムズ紙)状態だった。だからシベリアの半分は日本のものと言われたのにデニスンがアドバイスしたボーッマス条約では領土割譲もなしなら賠償金もゼロ。赤ん坊がやったって変わらなかった。不平等条約も伊藤博文の顧問ダーラム・スティーブンスが実際にメキシコとの間での交渉を行い不平等撤廃の道を開いた。日本には横腹にナイフのような形で朝鮮半島がある。そこが揺れるたびに日本は戦争に巻き込まれてきた。半島はそのまま日本の安全保障に繋がるが、デニスンは動かない。対してスティーブンスは朝鮮の外交権を日本が預かる形を伊藤に勧め、実際、彼が朝鮮政府の外交顧問に就いて暴走を防ぐ役割を担った。ルーズベルトも同じ。朝鮮に国家としての能力がないと判断し、朝鮮にあった米公館を閉じた。ついでに日本に朝鮮併合を促したが、彼らの実態を知る日本は謝絶した。そんな折、一時帰国したスティーブンスがサンフラマンスコで日米の朝鮮問題の取り組みについて記者会見した。彼ははつきり朝鮮王室も政府も腐敗しきっているこ七、両班が民を好きに略奪し、民は愚昧のままおかれていること、国としての形もないことを語った。「いま日本の存在感が増していくのに伴って民は大きな恩恵を受けている」と会見を結んだ。翌日、新聞を読んだ四人の在米朝鮮人がホテルに押しかけ、彼の発言に抗議した。「国に戻って自分の目で確かめてみれば」と諭す彼を四人は椅子で殴り倒した。その翌日、フェリー乗り場で待ち伏せしていた別の朝鮮人二人が彼を銃で狙撃し、デニスンより優れた米国外交官は死亡した。襲った六人には特別の背景はなかった。朝鮮人なら誰でもがそうするように腹が立つと見境がなくなって相手を椅子で殴り、殺してしまう。米紙は理解を超えた朝鮮人の国民性に強い警戒感を訴えたが、先の戦争では日本と朝鮮の立場を入れ替えた。日本の方を「警戒すべき国民性」に仕立てた。スティーブンスが撃たれてから一世紀。今度はソウルで米大使が斬られた。襲った犯人は米国務次官の談話に腹が立ったからとその動機をいう。あの国民性は百年変わらない。(二〇一五年三月十九日号)
100年前からまったく変れない国である。おそらく2000年前変っていないだろう。
恩義を忘れる悲しい国
p30-34
日本人のいいところの一つに、学ぶ姿勢がある。日本人は未知なこと、例えば地球は小さな星で太陽の周りを回っていると教えられると「彼らは目を輝かせて聞き入り、質問を浴びせてくる」。イエスなどそっちのけだったとザビエルは書き残している。明治にやってきたお雇い外国人たちも、日本人学生の真剣に学ぶ姿勢に必ず言及している。日本人はよく学ぶだけでなく、教えてくれた人のことを忘れない。英国人エドモンド・モレルは鉄道のノウハウを日本人に教え、明治五年、新橋から汽車が走り出したが、JRは彼の教えに敬意を示し、系列のホテルに彼の名、エドモントを冠している。発電も英国人のウイリアム・エアトンが今の東大工学部で指導し、それから十年後に日本人は自力で火力発電所を作っている。もっとも中にはスカもいた。日本は中国と戦うべく軍艦の自国建艦を決め、フランス人技官エミール・ベルタンを招いた。ところが彼は四千トンほどの海防艦に口径三十二センチの巨大な砲を据えた。これはいかにもでかすぎた。実際、黄海海戦でこの巨砲を撃つ場面があったが、発射のあと艦は凄まじく揺動して十五分以上も操舵ができなかった。ベルタンはこの馬鹿げた軍艦を四隻も造る計画で、おまけに彼はうち二隻の主砲を後ろ向きに搭載することになっていた。敵艦と遭遇したら急ぎ後ろ向きになってバックしながら撃てというのか。さすがの明治政府も三隻造ったところで、このどうしようもないお雇い外国人を解雇した。それでも彼に恥をかかせないよう、三隻には日本三景の「厳島」「橋立」「松島」の名を冠した。もともと三隻でワンセット。キャンセルなどなかったですよという思いやりだった。こういう「教えを受けた者への敬意」は日本人ほどではないにしても、まともな国なら一応は持っている。オランダ人ゴッホが広重の「梅屋敷」をそっくり模写し、読めない漢字も書き込んで広重への心酔を示したのは有名な話だ。人形の中から人形が出てくるマトリョーシカ。ロシアの伝統民芸品のように思われているが、その第一号が飾られているザゴールスクの博物館には「実は日本に教わった」という縁起が記されている。明治期、ロシアの富豪のマモントバ夫人が日本を訪れたおり、箱根で精巧な入れ子人形を見つけ、すっかり気に入った。帰国後、「それを模してマトリョーシカを作りました」と。第一号マトリョーシカの隣には、モデルとなった箱根七福神の入れ子人形も展示されている。ロシア人といえば略奪と強姦が大好きという困った民族だ。それにずるい。日本がよれよれになるのを待って宣戟し、日露戦争の仇を取ったとか言って北方四島を持っていった。 そういうしょうもない国民性だが、知識を得たことへの敬意は忘れない。しかし世界は広い。そういう恩義をさっぱり忘れてしまう国もある。例えば世界のナイキ。あれは日本のアシックスの元米国人スタッフがその手法を学んで立ちあげたものだ。本人は出藍の誉れと言いたいらしいが、そんな謂れは全くというほど語られない。韓国のテコンドーは 「胎拳道」と書く。衆院議員の高鳥修一の調査によると、戦前、日本の空手の創始者、船越義珍の教えを受けた崔泓熙(サイコウキ)が戦後の韓国で、その空手を飴拳道の名で普及させた。そしてシドニー五輪では本家の空手を抑えて正式種目に採用された。広重とゴッホのような関係にも見えるが、胎拳道はゴッホがジャポニズムに示した敬意とは違うものを出してきた。高鳥が米国で入手した資料では、飴挙道は「二千年の歴史」をもつが、それに関する文献がないのは日本の植民地時代に「日本人がすべて焼き捨て、歴史の壁に塗りこまれた。伝統を守る関係者は捕らえられ、拷問の末に廃人にされ、歴史を知る者が一人もいなくなったからだ」と説明している。日本で出版されている『胎拳道』(成美堂出版)にも「これが日本の空手の原型になった」と本末を入れ替えている。悲しいことだが、こんな国もある。(二〇〇六年八月十七・二十四日号)
「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」犬のような動物でさえ、3日養ってやれば、3年間もその恩を忘れないという。ましてや人間は、一度受けた恩義を終生忘れずに誠意を尽くさねばならぬのは、当然のことだと考えるのは普通の日本人だ。一般的日本人からすれば彼の国の人もどきは犬畜生以下の国民だと軽蔑するのは当然である。
犬畜生以下の人もどきに対すして嫌悪感を表明していけないのであろうか?嫌悪感を表すと嫌韓になってしまう。嫌韓はヘイトではなく、日本人の価値観を確認するものである。
犬畜生以下の人もどきに対すして嫌悪感を表明していけないのであろうか?嫌悪感を表すと嫌韓になってしまう。嫌韓はヘイトではなく、日本人の価値観を確認するものである。
朝鮮語を解剖して分かったこと
p74-77
p74-77
朝鮮半島の歴史はとても哀れで痛ましい。ここに棲む民は昔はオリジナル語をもっていた。しかし中国の支配が強まると、オリジナル語はどんどん消え、ありがとうと言うのも漢字の「感謝(カムシャ)」を使い、泣くのも「哀号(アイゴー)」と漢字で泣くようになった。オリジナルの朝鮮語はいま半分も残っていない。名前も言葉も漢字化されたところでモンゴルがやってくると、今度はモンゴル語が入つてきた。李氏朝鮮を開いた李成桂は満洲人だが、彼がのし上がったきっかけは倭寇との戦いだつた。筑波大教授の古田博司「珍本通読」によればその倭寇の将は「年わずか十五、六。容貌端麗にして勇壮無比。L白馬に乗り槍を舞わして馳せて突く」。李成桂の軍はこの日本人若大将を「阿其抜都」と称したという。読みはアギバートル。アギは朝鮮語でチビのこと。バートルはモンゴルの首都ウランバートルのバートルと同じで「勇敢」という意味だ。支配民族の言葉がこうやってどやどやと入ってきて、オリジナル朝鮮語はその都度、ぼろぼろ消えていった。十五世紀、李朝四代目の世宗が今のハングルを創り出した。日本の仮名を真似たものだが、これが根付けば朝鮮古語も含め、何かしら朝鮮オリジナルの感覚が残せたはずだつた。しかし何でも中国が一番、漢字が一番と思う事大主義がハングルを歴史の中に埋没させてしまった。そして三度、ここに外国語が入ってくる。いわゆる日帝支配のときだ。日本はハングルを甦らせ、新しい言葉を通して文化を注ぎ込んだ。いま朝鮮で遣われる「交渉」とか「停戦」などはこのときに入った。それがなかったら朝鮮戦争は停戟もできないまま、まだ続いていたはずだ。発音は日本語に倣ったが、そのままではなかった。例えばラ行や濁音が苦手で盧泰愚の慮が「ノ」になり、土方が「ノガタ」に変わる。運動会のヨーイドンが「ヨイタン」に、沢庵は「タカン」に変化する。しかし、そういう不自由な言葉の歴史をたどったことを朝鮮の人々はあまり深く理解していない。それで突拍子もないことを言い出す。いい例が万葉仮名で善かれた万葉集を朝鮮語で読むというやつだ。朝鮮には朝鮮語を漢字表記する「吏読」がある。いわば朝鮮風万葉仮名だ。それで読むと例えば額田王の「帯さす/紫野行き/標野行き/野守は見ずや/君が袖振る」が「赤い尻が紫の女陰を行きます。野守は見ていないでしょうね。あなたが私の両足を広げるのを」という猥歌になると。同じく額田王の「君待つと/わが恋居れば/我がやどの/簾動かし/秋の風吹く」があなた「貴方に抱かれて赤ちゃんを産もう。足を動かし赤ちゃんを待つ」とまた異常な光景になる。いずれも李寧熙『もう一つの万葉集』からだが、だいたい万葉集が成立した時代の朝鮮古語は二百語も残っていない。何万とある中国語でも「日本語の情感は表現できない」(石平)というのにたった二百語でどう解読したというのか。吏読も漢字にはさむ助詞みたいなもので、これも役には立たない。李寧興は万葉時代、日本人は朝鮮語を話したというが、そんな史実はどこにもない。貧しい言語世界ゆえに日本の情感ある歌が理解できないのは同情する。だからといって、妬み心一〇〇パーセントで貧しい言語を使って猥歌に仕立てて喜ぶのは決していい趣味とはいえない。問題は調べればそのいい加減さが分かるのに、こうした下品な本を「儲かるから」出す本屋が日本に結構あるということだ。因みに彼女の本は文藝春秋刊で、発行者は豊田健次とある。昨今の少女向け漫画には李寧興なみの下品な表現が溢れている。東京都が見かねて規制に出たら本屋は「表現の自由に反する」の、「自主規制でいいじゃないか」だのと言い出した。自主規制ができるならなぜしなかった。それに儲かるときだけ表現の自由を言うのはおかしくないか。(二〇一一年一月二十日号)
呉善花さんによてばハングルから日帝残滓といって日本語由来の言葉狩りによって「語彙(ごい)の恐ろしいまでの貧困化がもたらされた」と分析しています。ハングルは日本語と同じで表意文字である漢字を使用していたため、同音異語が多数存在する。
豊田有恒氏は「韓国の漢字熟語は、中国起源ではなく、日本統治時代に日本語からもたらされたものである。明治以来、欧米の文物の摂取に熱心に取り組んだ日本は、論理、科学、新聞など多くの訳語を案出した。これらの訳語が、韓国ばかりでなく、漢字の本家の中国でも採用されていることはよく知られている。また韓国の漢字由来語の8割以上が日本製である」と指摘します。
日本が西洋文明を取り込むために、まず英語を日本語に訳しましたが、東洋にはない思想文化を中国の古典から該当する漢字を当てた。「社会」 (society)、「文化」 (culture)、「文明」 (civilization)、「民族」 (folk)、「時間」 (time)、「美術」 (art)、「空間」(space)、「科学」(science)、「分子」(molecule)「恋愛」(love)「哲学」(philosophy)「背景」(background)「化学」(Chemistry)「環境」(environment)「医学」(medical)「説明」(explanation)「方法」(method)「共同」(cooperation)「主義」(principle)「法律」(law)「演説」(speech)。挙げていけばきりがありません。「中華人民共和国」の「人民」も「共和国」も日本製の言葉です。
こうした日本で生まれた言葉は、漢字を廃した現在の韓国でも使われます。
カハク(科学)、ファハク(化学)、ムルリ(物理)、ミブン(微分)、チョクブン(積分)-。日常用語でもチョンム(専務)、サンム(常務)、ブジャン(部長)、チャング(窓口)、ケーチョング(改札口)、イブク(入口)、チュルグ(出口)。
韓国では日帝残滓といい、言葉を置き換えようとしている。日帝残滓を清算すればハングルすら使えなくなります。
彼の国は自称半万年の歴史だといっていますが、過去の伝統や文字文化を断絶してきました。ここで、近代化以降の言葉を断絶すればどうなるか・・・まあ、己が悪いのだからしかたないだろう。
復興を妨げてきた在日
p78-82
p78-82
このGHQレオンベッカーのお馬鹿な逸話を語り継げるのも高山氏のおかげである。先の戦争で米国は二発の核爆弾を落とし、東京を含むほとんどの都市を焼け野原にした。空襲による死者は数十万に及んだ。それは日本全域が今度の大津波を被ったと想定した図と、そう大きくは適わないものだった。人々はそこから復興の歩みを始めた。が、その足を引っ張る者がいた。一つは米国だった。日本の復興の足掛かりとなる工業力を「お前らには過分すぎる。鍋釜を作れふ工業力だけあればいい」とエドウィン・ポーレー賠償使節団長にやらせた。それで多くの工場が潰され、機械類は中国、朝鮮に運び出された。GHQの主、マッカーサーは航空工業の全廃も命じ、飛行機の運航も製造、研究も止めた。彼は憲法も勝手に作り変え、彼の部下は馬鹿な日本人にはローマ字がいいと表記を変えさせようとした。労働担当の二十八歳のレオン・ベッカーは来日してすぐ奴隷解放を命じたが、日本には黒人奴隷も苦力もいなかった。日本が米国より進んでいるはずはない。彼はきっとどこかに奴隷がいるハズだと探し回って「北海道のタコ部屋」を見つけ、その解放を命じた。彼らの馬鹿な思いつきの度に日本人は復興の手を休め、付き合わされた。ちなみにベッカーは「失業者を酔い潰し、気が付いたら北海道行きの汽車の中」という人狩りの実態を報告(新潮社『マッカーサーの日本』) している。でもそれって米国が昔やった苦力狩りの手法ではないか。上海や広東で中国人を酔い潰して奴隷船に放り込む。現に「上海(shanghai)」と書いて攫(さら)うという意味の動詞もある。奴隷船が日本版では汽車になるが、当時はすし詰め状態。どうやって酔い潰れを運び込んだというのか。それに太平洋上でもない各駅停車だ。黙って北海道にまで行く馬鹿がいたというのか。復興の妨げの二つ目が”(自称)戦勝国民″の朝鮮、台湾人だ。彼らは国鉄に彼ら専用の車両を仕立てさせ、出発が遅れたといっては国鉄職員を袋叩きにした。東鉄局長の下山定則も台湾人に集団暴行され皐丸破裂の重傷を負った。後の下山事件のおり、東大法医学研の古畑種基がこの古傷を「新たに暴行されてできた傷」と鑑定した。つまり暴行で殺されたあとに轢断されたという根拠にして、松本清張が米軍陰謀説の与太を飛ばすもとになる。朝鮮人は全国の主要駅のすべての駅前の一等地を不法占拠し、大森辺りでは川の上に板を渡してパチンコ屋を建てて、復興のための都市計画をぶち壊した。ただ神戸だけは違った。"(自称)戦勝国民″に手が出せない日本の警察に代わって山口組が登場した。「三宮駅前を占拠した台湾人を挙銃と日本刀で追い立て」たり、警察署を襲撃する朝鮮人に「手相弾を投げ込み、抜刀隊が斬り込んで」(『田岡一雄自伝』)日本の危機を放った。そして最も復興を阻んだのが実は政府だった。運輸省はGHQにひたすら陳情を繰り返し、廃止が決まった改札制度を復活させた。一体それに何の意味があったのか。警察は米兵や"(自称)戦勝国民″犯罪は放ったらかし。後藤田正晴の下で警官の組合づくりに専念した。それでも朝鮮人が闇米を仕切りだすと経済警察を出動させた。初陣は羽越本線の闇米列車検束。世に言う坂町事件だが、結果は朝鮮人に逆襲され、敗退した。その事件以降、経済警察は弱い日本人のみを狙った。着物や骨董品を百姓に買い叩かれながら、やっと手にしたコメを松戸駅辺りで待ち伏せして押収した。コメは警官たちで分配した。米国は、家畜飼料を日本向け食糧援助として無償供与した。大蔵官僚はそれを有料で払い下げて収益は官僚たちで山分けした。米国も後に、あれは有償にすると言って五億ドルももっていった。みんなで日本人を食い物にしたが、それでも日本人は復興を果たした。今回の東北大震災復興ではかつての障害だった米国も台湾、韓国も協力してくれた。ただ日本政府はいけなかった。在日から違法献金を受けた菅直人はこのどさくさを利用してその嫌疑をとぼけ切り、前科のある反自衛隊の辻元清美を返り咲かせ、まともな日本人なら大嫌いな五百旗頭真まで担ぎ出した。国民に喧嘩を売っているのかみたいな人事だ。天下の大事、どんなに嫌いでも菅の下に結集をという高邁な意見はよく聞く。しかし前は国を当てにせず復興した。菅直人など当てにしたら末代までの恥になる。(二〇一一年四月二十八日号)
韓国人は旭日旗を振れ
ペリーは日本にきたとき「意に背けば江戸を焼き払う。降参したいときはこれを使え」と二旒の白旗を置いていった。藤岡信勝がこのエピソードを『教科書が教えない歴史』で紹介すると東大教授の宮地正人らが「米国人はそんな酷いことをしない」と反論し、ひところ大騒ぎになった。米国は戦う相手、例えばインディアン部族にも白旗の使い方を教えた。ペリーが帰国した後、コロラドのサンドクリークでシャイアン族の集落を騎兵隊が襲った。「シャイアンの女たちは六歳の幼女に白旗を持たせて戦意のないことを告げたが、白人たちはまずその幼女を撃ち殺し、女たちも皆殺しにんた。彼らは女たちの頭の皮をナイフで剥ぎ取った」(ロバート・ベント)サウスダコタ州ウーンデドニー-でも一八九〇年、第七騎兵隊がス一族を襲った。ス一族は教えられたとおりに白旗を揚げたが、彼らは構わず女子供など三百人を殺した。宮地はペリーが白旗を渡したという文書がどうのと信用度を云々するが、歴史学者なら米国人が歴史の中で有色人種にどう振る舞ったかを基に「白旗を渡した」蓋然性を考えるべきだろう。実際、米国人は建国前からインディアンを騙して土地を奪い、白旗を掲げても殺してきた。日本に来た後、フィリピンでも独立させると民を騙し、植民地にし、抵抗する者はひたすら殺した。「最低でも二十万人は殺した」との米上院公聴会での証言も残っている。インディアンと同じモンゴロイドの日本人にペリーがどう振る舞ったかくらいは子供だって推測できる。ウーンデド・ニーの殺戦から四年後、日本は清と戦ったが、ここでも白旗問題が起きている。明治二十七年七月、今の韓国豊島沖で巡洋艦「浪速」が同クラスの「済遠」と遭遇した。砲撃が始まり、被弾した「済遠」は白旗を掲げ、停船した。しかし日本艦が近づくのを待って二基の魚雷を発射して遁走した。中国が絶対に大国になれない理由の一つがこういう国際法のルールすら守らない破廉恥な国民性にある。因みに逃げた「済遠」は二か月後の黄海海戦でも仲間の船が日本艦にバタバタ沈められていくのを見て、海戦史上初の敵前逃亡をやった。西太后は二度も恥ずかしい行為をした漢民族の艦長方伯謙を斬首にしている。それから十年後の明治三十人年五月二十七日、連合艦隊はロシアのパルチック艦隊と日本海でまみえる。午後二時、有名な百五十度の敵前回頭をやった東郷艦隊は午後三時、戦艦「オスラビア」を沈め、以後の七時間で戟艦、巡洋艦十」か隻を沈めてしまった。翌二十八日、ウラジオストークに逃げる残存艦の前に再び連合艦隊が現われる。戦艦「オリョール」の水夫ノピコフ・プリポイは著書『ツシマ』にこう書く。「取り囲む敵艦の中に昨日我が艦隊と渡り合った主力妙艦、巡洋艦もいた。マスト一本、煙突一本倒れておらず、艦橋にも破損個所はなかった。我が艦隊をあれほどやっつけておいて自分はちっとも損害を受けなかったと見える」 残存艦隊司令官のネボガトフ提督は降伏を決め、旗艦「ニコライ一世」 のマストに白旗を揚げた。プリポイの艦でもテーブルクロスで代用した白旗が揚げられた。「旗艦の艦尾に掲げられたロシア海軍旗のアンドレーエフ旗も下ろされ、日本の旭日旗が揚がった」国際法規には降伏する場合、白旗を揚げたうえ、この艦の持ち主は貴方ですという意味で「艦尾に降伏した相手国の海軍旗を掲げる」のが形とされている。プリポイの艦でも出港時に用意していた日本の海軍旗を粛々と艦尾に掲げた。 先の戦争当時、日本と戦ってもいない韓国が「侵略の象徴」とか言って、旭日旗をやたら毛嫌いし、因縁をつける。それは勝手だが、いつか日本との海戦のとき、旭日旗を掲げないと降伏と見なされず沈められてしまう。白旗だけではだめなことは知っておいた方がいい。(二〇一五年四月二十三日号)

【追記6/21】
6月16日午後「韓国への絶縁状」を華々しく突きつけた人物がいる。
画像元
安倍首相もあれくらいやらないと!私は「よじょん」姉さんに惚れ直してしまった。
「よじょん」姉さんが激怒したというけしからん2chネラーは実にけしからん!
そのアイコラは↓らしいが、ちゃんとパンツもはいていてぜんぜん過激じゃないじゃん。
画像元
文在寅が覗いているというコラ画像が、実にけしからんなぁ! こりゃ激怒するワ(笑)
[速報]北朝鮮・開城の南北連絡事務所「爆破されたもよう」=韓国軍消息筋85 ::2020/06/16(火) 15:58:44.23 ID:JrRWySXI.net[1/2](´・ω・`)なんか、オマエラが原因らしい金与正のアイコラ画像作成https://i.imgur.com/OcklLzN.jpg↓2chに貼りつけ↓韓国イルべに転載↓脱北者団体の風船ビラに載せる↓金与正本人が見て激怒↓南北連絡事務所破壊予告↓ドカーン 今ココ

金与正女史は実はけっこうかわいいと個人的には思っている。
かわいそうに、家業を継ぐためむりやり女王様を装っている。
「にしおか・すみこ」ちゃんは・・・どこにいるのだろう?
まさか北朝鮮で芸を伝授しているとか?
「き〇・よじ●んだよ~」







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