現在、読書中です。明日、もしくは明後日「フォース・ターニング ウィリアム・ストラウス/ニール・ハウ共著 奥山真司訳(ビジネス社刊)」を読むとして、UP予定です。
その前にこの本が現代の予言の書について奥山さん自身の解説を紹介します。
2017/03/15
スティーブン・バノンは私の本「フォースターニング」からアイディアを得た
地政学を英国で学んだ geopoli.exblog.jp【奥山真司】2017年 03月 16日
今日の横浜北部は久々にすっきり晴れましたが午後は少し曇りました。これで冬が終わったと考えていいのでしょうか?さて、ルトワックの最終原稿の追い込みで忙しくしておりましたが、来週発売の『フォースターニング』に関連して、原著者の一人であるニール・ハウが、最近ワシントン・ポスト紙に意見記事を投稿しておりましたので、その要約です。====バノンの世界観は私の本が元ネタだBy ニール・ハウ今月のメディアの見出しには以下のような警戒心を呼び起こすものが並んだ。●スティーヴ・バノンの暗い歴史観への傾倒は警戒すべきものだ(ビジネス・インサイダー)●バノンは最後の審判の到来や戦争の勃発が不可避だと信じている(ハフィントンポスト)●バノンは第三次世界大戦の勃発を願っている(ネイション誌)このようなメディアの報道に共通するのは、トランプ大統領の首席戦略アドバイザーが、彼自身の世界観に最も影響を与えた本(フォース・ターニング)の熱心な読者である、というものだ。私はこの本を、ウィリアム・ストラウス氏と共に1997年に出版した。この本がバノン氏の心を奪ったという話は事実である。彼は2010年に「ジェネレーション・ゼロ」というドキュメンタリー映画を発表したのだが、この映画はわれわれが描いたアメリカ史(そしてほとんどの近代社会の歴史)についての、4世代にわたる循環理論を土台にして構成されたものであった。このサイクルには、社会政治面での「危機」(これをわれわれは「フォース・ターニング」と名付けたが)を含むものだが、この本について解説していた記事では、あまりにもその恐ろしさが誇張されすぎていた。私はバノンのことをよく知るわけではない。ただし「ジェネレーション・ゼロ」を含むいくつかの映画制作で、彼と関わったことは事実である。彼の文化面での知識は豊富で関心したし、彼の政治観もそれほど攻撃的なものには感じられなかった。私が驚かされたのは、彼がブライトバートというサイトの代表になり、しかもそのサイトの主張を拡散しはじめてからだ。私がオルト・ライト(ブライトバート周辺の極右・白人至上主義を目指しているとされる動き)を知ったのは、多くの人々と同じように、主要メディアの報道によってだ。2007年に亡くなったストラウス氏と私は、バノンに対してどのように考えて何を主張すべきかをアドバイスしたことはない。ただし、われわれが彼に一つの示唆を与えた可能性はある。それは、ポピュリズム、ナショナリズム、国家独裁主義が台頭するというイメージなのだが、それはアメリカだけでなく世界中で起こるというものだ。われわれは政治的なマニフェストを書いたつもりはなかったため、「フォース・ターニング」の内容が左派と右派の中の一部の熱心な運動家たちの間で非常な人気を博したのには驚かされた。「フォース・ターニング」が出版された当時に最も受けたのは民主党の人々の間であったが、その理由は「ミレニアル世代」(これはわれわれの造語だ)がアメリカを進歩的な理想に向かわせるコミュニティー志向の楽観主義者たちとして記述したからだ。しかし保守派にもファンがいて、彼らは別の教訓をその本から見つけている。それは、新たな時代になれば左派経済と右派の社会的価値観がうまく融合させることができるというものだ。イデオロギー以外にも、われわれの本が注目を再び集めている理由がある。それはわれわれが近代の西洋の歴史家たちが大前提としている「線的な時間」(一方向への進歩や衰退)や「カオス的な時間」(複雑すぎで方向性を見いだせない)というものを拒否しているからだ。その代わりにわれわれは、伝統的な社会のほとんどで受け入れられている「循環する時間」を採用しており、ある出来事が意味を持つのは、哲学者のエリアデが「再演」と呼ぶものが見られた時であるとしている。循環論的な世界では、偶発的な事件やテクノロジーを除けば、その社会的な雰囲気は似通ったものとなり、その再演の順番も決まっている。このサイクルの中には四つの節目(ターニング)があり、この一つの節目はおよそ20年ほどつづくことになる。ちなみにこの20年とは、一つの「世代」の長さに対応するのだ。これを循環する「季節」として考えてみていただきたい。それは春からはじまって冬に終わるのであり、一つの「節目」で新しい世代が生まれ、年上の世代は人生の新たなステージを迎えることになる。このサイクルは「第一の節目」(the First Turning)の「高揚」(High)の時代から始まる。これはその前の危機の時代が過ぎ去った後に始まるのだ。この「高揚」という春の時代では、公的な制度機関の力が強まり、個人主義は弱まる。社会において、個人たちは同調圧力に不満を感じながらも、集団としては向かう方向に自信を持っている。現在を生きている多くのアメリカ人の中には、第二次世界大戦後の「アメリカの高揚」(これは歴史家のウィリアム・オニールが名付けた)の時代の雰囲気を覚えている人もいるかもしれない。トルーマン、アイゼンハワー、そしてケネディ大統領の政権時代がこれに当たる。それ以前のものとしては、「南北戦争後のビクトリア時代の高揚」(the post-Civil War Victorian High )というものがあり、この時代には工業の発展と安定的な家族が見られた。民主共和派が主導した「憲法制定後の高揚」(the post-Constitution High )や「好感情の時代」(Era of Good Feelings)もこれに当てはまる。「第二の節目」(the Second Turning)は「覚醒」(Awakening)であり、この時代には高尚な原則や深い価値観の名の元に公的な制度や機関が攻撃される。社会の公共面での進歩が最高潮を迎える時に、人々は突然にあらゆる社会的な規律に疲れを感じ、個人の権威という感覚を再び獲得したいと考えるようになる。仕事ではなく宗教による救済が若者の主張として叫ばれるようになる。この時代の典型的な例が、1960年代後半から70年代にかけての「意識革命」(the Consciousness Revolution)である。歴史家の中にはこの時代を「アメリカの第四の覚醒」もしくは「第五の覚醒」と呼ぶ人もあるのだが、これは17世紀のジョン・ウィンスロップの時代か、18世紀のジョナサン・エドワーズの時代を最初とするのかでわかれる。「第三の節目」(the Third Turning)は「分解」(Unraveling)であり、これは多くの面で「高揚」の正反対であると言える。公的な制度は弱体化して信頼を失い、個人主義が強まって賞賛されるのだ。「第三の節目」の時代としては、1990年代以外にも、1920年代や1850年代があるのだが、これらの時代はその懐疑的な態度やマナーの悪さ、そして公的機関の力の弱まりによって知られている。政府の力は縮小され、投機的な狂信が頂点に達する。最後の「第四の節目」(the Fourth Turning)は「危機」(Crisis)である。この時代に入ると公的な制度機関は根本的に再編されるのだが、その原因は国家の存続の危機が感じられるからだ。もし歴史でそのような緊迫した脅威が生み出されなければ、この時代のリーダーたちは国民的な行動を動員を行う目的で、そのような危機を発見したり、さらにはでっち上げたりすることになる。公的な制度機関の権威は復活し、市民や集団は、より大きなコミュニティーに参加者として協力を始める。このような集団的な努力が実って解決法を生み出すと、第四の節目はわれわれの国家としてのアイデンティティを活発化させたり再定義したりすることになる。1945年、1865年、そして1794年は、アメリカ史においてそれぞれが新たな「創建的な瞬間」を決定づけたのだ。「第二の節目」がわれわれの内的な世界(価値観、文化、そして宗教)を再構築したように、「第四の節目」はわれわれの外的な世界(政治、経済、帝国)を再構築するだろう。われわれの理論によれば、これからやってくる時代(たとえば10年間など)は、その本質的な人間の働きによって過去のある時期と同じようなものになるはずだ。われわれは『フォース・ターニング』の中で、アメリカは2005年頃に金融市場において「偉大な低下」を経験し、これが契機となって1930年代のような時代に突入すると予測した。たしかにわれわれがこれまで経験した時間を考えれば、1930年代と同じような道筋を辿っているという考えはかなり当てはまると言えるだろう。たとえば経済では、1930年代も2000年代も世界的な金融危機によって始まり、経済成長率の鈍化や慢性的な雇用や資本の低下が見られる。投資は低下し、デフレの恐怖や格差の拡大、そして中央銀行による消費増大への刺激策も不調に終わっているのだ。地政学的な観点からいえば、現在では孤立主義、ナショナリズム、そして右派のポピュリズムの台頭を世界中に見たのだ。地政戦略家のイアン・ブレマーはわれわれが「Gゼロ」の時代にいると述べており、これはすべての国家が利己的になる時代という意味だ。これは1930年代にも当てはまる。大国による同盟の権威は失墜し、新たな独裁的な政権がなりふりかまわず行動するような状態を見ることになったからだ。社会的なトレンドにおいても、この二つの時代は似た部分を示している。たとえば出生率や持ち家率の低下、数世代同居の世帯の台頭、そして地元主義の拡大やコミュニティーのアイデンティティ、そして若者による暴力事件の数の劇的な減少(トランプ大統領はこの事実に気づいていないようだが)、そしてポップな若者文化の定着などである。結局のところ、われわれは世界中の有権者の間に生まれつつある「リーダーたちにより大きな権限を与え、プロセスよりも実行、そして抽象よりも具体的な結果を出してもらいたい」という欲求を感じているのだ。われわれは歴史がそのスピードを上げ、リベラルな民主制度は弱体化しつつある、極めて不安定で最も重要な時代に生きている。レーニンは「10年間何もなかったとしても、その10年を決定づけるような出来事は数週間のうちに起こる」と記している。われわれは公的な制度の創造的な破壊に準備すべきだ。これはあらゆる社会が時代遅れになったり硬直化したり機能しなくなったものを破棄するために、定期的に必要とするものだ。そしてこれは、老人から若者に富を移行させる点でも必要になる。森は定期的な山火事を必要としているし、川にも洪水が必要だ。社会も同じであり、新たな黄金時代を迎えるためにわれわれには支払わなければならない代償があるのだ。もしわれわれが歴史の大きなリズムを見ることができれば、このようなトレンドに落胆すべきではなく、むしろ励ましとすべきである。過去数百年間にわたる英米史では社会的な危機がかなり定期的なサイクル、つまり80年から90年ほど、もしくは人間の一生分の長さで巡ってきている。このパターンを見ると、植民地における名誉革命の時代、アメリカ革命、南北戦争、そして世界恐慌から第二次世界大戦という時代が繰り返されている。そして1930年代からのサイクルを一回し進めると、われわれが生きているまさに現代がその時代に当てはまる。アメリカは2008年に新たな「第四の節目」に入った。これは2030年前後まで続く可能性が高い。われわれの理論では、現在の流れはその時代の半分に近づくにつれてさらに明確になってくるということが示されている。新たな金融危機や、大規模な軍事紛争など、今よりもさらに不都合な出来事が発生すると、国民の議論を活発化させ、リーダーたちにさらに断固とした行動をとるよう求めることになる。世界中で台頭する地域主義やナショナリズムは大きな政治主体(おそらくEU)の分裂や、紛争の勃発(おそらく南シナ海、朝鮮半島、バルカン半島、もしくはペルシャ湾)につながる可能性がある。新たな孤立主義の台頭にもかかわらず、アメリカは戦争に巻き込まれるかもしれない。私は戦争を望んでいるわけではないし、単に冷静に観察をしているだけだ。それによると、米国史上におけるすべての総力戦は「第四の節目」の時代に発生しているのであり、この時代が総力戦で終わらなかった事例はないのだ。もちろんそのような戦争におけるアメリカの目標は、非常に広範囲な分野から決定されるものであろう。2020年代の後半になると「第四の節目」は頂点を迎え、終わりに近づくことになる。講和条約が交渉され、協定が締結され、新たな国境線が確定し、おそらく(1940年代の後半のように)新たな強い世界秩序がつくりあげられるはずだ。また、2030年代初期までにわれわれは新たな「第一の節目」を迎え、若い家族は歓喜し、出生率は上がり、経済格差は縮まり、新たな中間層が台頭し、公共投資は21世紀のインフラのために増大し、秩序ある反映が復活するだろう。次の「第一の節目」、つまり新たな「アメリカの高揚」の時代には、今のミレニアル世代たちが社会のリーダーとなり、彼らの楽観主義や賢明さ、能力、そして自信を見せつけることであろう。そして2030年代後半のどこかの時点で、ミレニアル世代の初の大統領が誕生し、新たな伝説を創り出すことになるだろう。それからさらに数年後には、集団的な考えを持つミレニアル世代は、新たな若い世代から思いがけない形で猛烈な批判を浴びることになる。それが次の「覚醒」だ。このように、歴史のサイクルは容赦なく回り続けるのだ。====拒否するのかと思いきや、ここぞとばかりに本の内容を説明しまくってますね。しかもその考えは、バノンと同じく(というかバノンが学んだのでしょうが)、「2008年のリーマンショックによって危機が始まった」という考え方ですね。個人的には「2008年に1930年代が始まった」というのはちょっと大げさであり、もしかしたらテクノロジーの発展によって彼らのいう「危機」が回避されているのかと思いたいところですが、トランプ政権の誕生と、しかもこの理論を信じているバノンが政権の中枢にいるという事実は「危機」の到来を予感させるに十分なほど異常事態でありまして。ということで、この理論が書かれている『フォースターニング』は来週後半に本屋に並びます。賛否両論ある「奇書」かもしれませんが、ぜひ書かれている内容をお楽しみいただければ幸いです。
The Fourth Turning:What the Cycles of History Tell UsAbout America's Next Rendezvous with Destinyby William Strauss & Neil Howe直訳すると題名は「第四の節目:歴史のサイクルから知るアメリカの運命」と言った感じでしょうか?この本はいまから20年ほど前の1997年に出た本です。ざっくりいえば「アメリカの歴史を振り返ったもの」ということになるのかもしれませんが、その方向性としては未来予測、歴史の「波」について振り返ったものです。まずはじめに、この本について翻訳者として思ったポイントを簡潔に3つほど上げておきたいと思います。まず一つ目が、自分と他の世代の違いに気づくことができて、良い意味での諦めがつく、ということです。ハウとストラウスのこの本は、たしかにアメリカの未来予測のために書かれた歴史書、ということが言えます。ところが受取り方にもよると思いますが、私にとっては自分たちの世代の「世界観」と、他の世代との「世界観」の違いがここまで明確に示されているという点で、逆に彼らたちに過剰な期待をせずに割り切ることができた、という点です。私の世代は「遊牧民」ですから、どうしても上の世代と違って社会的に厳しい中でサバイバルしなければならなかったわけですが、そのような感覚は自分たちの親の世代は理解できませんし、われわれも彼らのことは理解できません。ところがそれを無理にわかってもらおうとするから悲劇が起こるわけで、本書のようになぜ違うのかという根本的な説明があれば、自分なりに納得できるところが多いわけです。もちろんわれわれの世代のことも下の「英雄」や「芸術家」たちはわからないでしょうが、それはそれでいいのです。生きてきた時代や環境が違いますし、それを無理にわかってもらわなくてもいいのです。「わかってもらえなくていい」と理解できただけで、余計なエネルギーを使わなくてよいというのは気が楽。二つ目は、サプライズが必ず来ることを理解できるということです。ハウとストラウスは過去のアメリカの時代変化に際して、人々がいかに驚かされてきたのかを、かなり詳しく調べて説明しております。これらからわかるのは、やはり社会というのは新しい世代が台頭してくると、おしなべて若い彼らの考えに戸惑う、という点です。たとえば現在の「冬」の時代が厳しくなってくる時にこの本で想定されているのは、英雄世代の若者たちの台頭です。そして現在のわれわれの感覚では、現在のゆとり世代にはそれほど倫理観があるようには見受けられないのかもしれません。ところが彼らは(もしハウとストラウスの想定が正しければ)「大戦争を兵士として戦う人々」なので、たとえば私の世代の「遊牧民」よりもはるかに道徳的な倫理観をもった、それこそ何か熱いものを信じて一生懸命やるような、「戦士」(warrior)として性質を潜在的に持っているということなのです。もちろんそのようなことは、今の段階ではまったく表面化していません。ところが何かのトリガー的な大イベントが起こったりすると、その若者たちの心にスイッチが入り、「英雄」としての役割を果たすようになるのかもしれません。アメリカの場合はそれが金融危機であったりトランプの当選だったりしたのかもしれませんが、日本の場合は東日本大震災がそのトリガーだったと考えることもできるかもしれません。最後の三つ目は、これが当たるかどうかはともかく、ひとつのシナリオとして頭の片隅においておくのがいいのでは、という点です。実際にこの本の中では、97年の時点で書かれたにもかかわらず、いかに「冬」の時代に備えて準備するかがこと細かに書かれておりまして、いまから振り返っても「そんなの無理だろう」と感じるような提案がいくつかなされております。ところが私はそのような準備を実際にすることが重要なのではなくて、そのような「最悪の事態を想定しておくこと」の点にこの本の最大の効能があると考えております。つまりここで示されているのは単なる一つのシナリオなだけで、事態がこのように進まない可能性も全然ある、ということであり、いざそのような事態が起こったとしても「いよいよ来たか」と心の余裕を持てるという意味で、パニックになって右往左往するよりははるかに良いと考えております。- ※ - - ※ - - ※ - - ※ - - ※ - - ※ -
さて、最初にこの本は歴史の「波」について振り返ったもの、と言いましたが、歴史の波といえば、地政学の分野ではロシアの経済学者であるコンドラチェフが提唱したとされる「コンドラチェフの波」というのが有名なところですが、これは70年ほどのサイクルで景気の上下があることを経済史から振り返ったもの、ということになるでしょう。コンサル業を営む原著者のハウとストラウスは、すべての人類の歴史において、20年ごとに移り変わる「世代」(ジェネレーションズ)が存在し、その集団が人生の段階を移り変わるときに、世の中の様相もそれまでのものと大きく変化する、としております。アメリカの考えというのは、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」という論文からもわかるように、どちらかといえば歴史が一つの方向に向かって進むというイメージを持つものが多いわけですが、このハウとストラウスはそのような考えは特殊であり、実は古代ギリシャ・ローマの時代から、人類は歴史が繰り返すことを知っていた、というところから話を始めるのです。これを彼は「循環史観」と名付け、西洋の一般的な「線的史観」とわけて考えつつ、イギリスとアメリカの歴史は、20年ごとの節目の春夏秋冬があり、その4つの季節で1セットとなる、およそ80年から85年ごとのまとまり(サエクラム)を繰り返している、というのです。このような「20年×4世代(春夏秋冬)=1サイクラム:約80年」という公式を元にして、それをなんと薔薇戦争の時代から現在(1997年)までのすべての期間や事件などにそれぞれ当てはめて、各世代やその時代の雰囲気に名前を付けて、それらを表などにしてまとめているという点なのです。まず最初に私が感心したのは、一つの「世代」が形成されるとき、彼らが最初に生まれ育った時代(0~20歳)までの雰囲気に大きな影響を受ける、としていることです。具体的にいうと、私は1970年代生まれなので、私が成人するまでの80年代から90年代の時代の雰囲気、つまりバブルからその崩壊の頃の時代背景というものを身に着けているということです。そして私のような人物が成人してから中年になるまで(20~40歳)を見ると、若い時にはバブル崩壊後の就職氷河期、そしてそのまま「失われた20年」を過ごすことになります。このような時期を過ごしてきた私たちの世代は、全体的な傾向として、他の世代たちよりもサバイバルの技術を身につけていることが多く、世界に対してもリアリスティックに対処する傾向を持つ、と指摘されております。私の世代は、日本では「団塊ジュニア」や「新人類」「ロス・ジェネ」「バブル世代」などと言われるわけですが、原著者たちはアメリカの同世代を「ジェネレーションX」や「第13代」という呼称で呼んだりしておりまして、この世代を主に1964年から84年までに生まれた人々である、と定義しております。この本によりますと、この世代と似たような特徴を持った世代は、われわれの1サエクルム前、つまり1886年から1908年までに生まれた祖父の代に出現していたというのです。しかも面白いことに、われわれとその1サエクルム前の世代、さらにその1サエクルム前の世代に、ハウとストラウスは共通の名前を付けております。それが「遊牧民」(Nomad)というもの。これをハウとストラウスたちは、私を含む世代たちの共通の呼称として使っているのです。参考までにその前後の世代をそれぞれ述べておきますが、世代の並びというのは人類史を通じてそのほとんどが、預言者→遊牧民→英雄→芸術家
となっており、これが1世代20年のまとまりの流れとなって、順番に繰り返しあらわれているというのです。そうなると私のすぐ下の世代、つまり84年~2004年生まれの若い人々は「英雄」(Hero)世代ということになります。彼らはいまでこそ「ゆとり世代」とか「草食系」と言われたりしておりますが、その1サエクルム前の彼らの祖父の代は、まさに第二次世界大戦を20歳から40歳までの若者として最前線で戦った本物の「英雄」世代であります。そのさらに下の世代は「芸術家」(Artist)と呼ばれておりまして、2005年以降に生まれたまだよちよち歩きの世代か、もしくは戦争中に生まれた、石原慎太郎などを筆頭とするベビーブーマーたちよりも前の世代ということになります。そして私たちよりもすぐ上の世代である「預言者」(Prophet)という世代は、1946年から64年までに生まれた、アメリカでいうところのまさに「ベビーブーマー」をカバーする世代でありまして、日本でも団塊の、いわゆる「戦争を知らない子供たち」も含まれ、彼らも現在社会の中で最も人口数の多い世代であります。こういう世代構成で見ていくと、世代の移り変わりや、なぜサプライズが起こるのか、ということがわかるというのが原著者のハウとストラウスの議論なのです。- ※ - - ※ - - ※ - - ※ - - ※ - - ※ -
ではそもそもなぜこのようなことが起こるのでしょうか?もちろん多くの歴史家たちは似たような循環が起こっていることを指摘してきたわけですが、なぜこのような循環が起こるのか、その原因までをくわしく説明した点で、本書は画期的なのかもしれません。その理由は、ハウとストラウスによれば、人間の人生の四段階に関係しているといいます。そしてその四段階とは、幼年期→成人期→中年期→老年期というものであり、それぞれの段階が、やはりおよそ20年ごとに区切られている、というわけです。このような人間の人生のステージの移り変わりというのは、もちろん古代からすでに様々な文献の中で触れられておりますし、普通に人間観察をしていれば、当然の帰結として出てくる分析といえるでしょう。人間がオギャーと生まれ、戸惑いながらも成人し、社会的に責任を負うようになって、最後に死を迎える、というのは、どの時代・どの文化にも普遍的に当てはまるものだからです。ところがこの四段階は、そのまま自然の中の季節のめぐりあわせにも対応するのでは?というのがハウとストラウスの目の付け所。つまり人間の人生のステージは、自然の中の季節と対応するようにできており、幼年期→成人期→中年期→老年期という移り変わりが、そのまま春→夏→秋→冬という一年の中での「四季」になるというのです。われわれ個人の人生の中には、幼年期→成人期→中年期→老年期という春夏秋冬はあるわけですが、たとえばこれを書いている私は、「世代」としては「遊牧民」に属しており、人生の春夏秋冬を経験しつつも、生まれてから死んでいくまで「遊牧民」というくくりから抜け出すことができません。あなたの世代がどのようなものであれ、その世代も必ず「春夏秋冬」という四つのステージを、その世代なりの特徴のある形で経験していく、ということなのです。ところがここで最大の問題が出てきます。「世代も四タイプあり、自然には一年の間に四季があり、そして人生にも四季がある」というのはわかったとして、ではそもそもこの「世代」の特徴を決定づけるものは一体何なのか、そもそもなぜ「世代」はこんなに違うのか、という疑問が出てくるからです。その答えとして、原著者のハウとストラウスは、ここでも「四季」を指摘します。つまり、時の流れにも四季がある、というのです。確認します。ここまで、世代、自然、そして人生にも、すべて4タイプあることを説明してきました。ここにハウとストラウスは時代(社会の雰囲気)にも4タイプの四季があるとして、以下のような分類をしております。春の時代:第一の節目・高揚(High)夏の時代:第二の節目・覚醒(Awakening)秋の時代:第三の節目・分解(Unraveling)冬の時代:第四の節目・危機(Crisis)まず春の時代ですが、この時期は制度が強まって個人主義が弱まる、上昇的な時代だとされます。新しい社会秩序が浸透して、古い価値による制度が崩壊していくことになります。次の夏の時代ですが、これは精神面での激変が起こる情熱的な時代です。既存の社会秩序が、新しい価値観による制度から挑戦を受けるようになり、ちょっとした社会的動乱が避けられない時代です。ピークを過ぎて秋の時代になると、個人主義が強化されて、社会制度などが弱まる下降的な時代であるとされます。それまでの社会秩序は衰退して、新しい価値観による制度が植え付けられはじめます。最後の冬の時代には、社会が激動を迎え、それまでの古い価値観が新しいものととって代わり、社会秩序の変化が決定的に進められることになります。「なるほど、時代にも春夏秋冬があることがわかったとして、これは最近のどの時代に当てはまるの?というか、今はどの時代なの?」という方もいらっしゃるでしょうから、以下に直近の春夏秋冬の時代区分を挙げておきます。ハウとストラウスによれば、春:1946-1964年夏:1964-1984年秋:1984-2004年冬:2005-2025年となり、現在は冬の時代のちょうど真ん中あたり(!)ということになるわけです。そしてここでも重要なのが、時代も約20年ごとに区切られている、ということなのです。20年というのが重要だというのです。- ※ - - ※ - - ※ - - ※ - - ※ - - ※ -
これまで、世代、自然、人生、さらには時代(の雰囲気)にまで、4つのタイプがあることを説明してきたわけですが、ハウとストラウスの最大の特徴は、これらをすべて統合して、自分たちの理論をつくっているのです。その最大のカギが、特定の「世代」(ジェネレーション)がなぜ生まれるのかという説明でして、これがわかるとその理論の全体構造が見えてきます。まず前回までに、時代には春夏秋冬があり、これが20年ごとに4回訪れる、その一サイクル(サエクルム)が80年ほどになると説明したわけですが、この時代の春夏秋冬が、各世代(預言者、遊牧民、英雄、芸術家)の特徴を形成する役割を果たしている、というところがミソです。では具体例から見ていきましょう。シンプルに説明するために、とりあえずここでは最初の世代である「預言者」だけを参照してみたいと思います。▼預言者の例ハウとストラウスによれば、預言者たちは、春の時代に生まれて幼年期(0~20歳)を過ごします。ちなみに現在生きている預言者といえば、日本でいえば圧倒的な数を誇る「団塊の世代」、アメリカでもベビーブーマでありまして、まさに歴史上の「春」である1946~64年の間に生まれた世代ということになります。彼らは戦後(つまり冬の後)の秩序が入れ替わった「春」の時代に生まれ、いわゆる「戦争を知らない子供たち」としてすくすくと育ちます。もちろん最も影響を受けたのは「戦後の復興の雰囲気」でありまして、比較的高揚感のある時代に育つわけですから、必然的にナルシストになりやすいといわれております。そんな彼らが大学生くらいの年(20歳~)になると、時代の季節も「夏」に入ります。アメリカではこの頃からヒッピー文化やカウンターカルチャーなどが吹き荒れ、日本でも学生運動などが始まり、社会的にやや荒れてくる時代でもあります。1964~84年がこの時期にあたります。ところが団塊の彼らも、いい加減大人になり(40歳~)、社会の中の中枢を担うようになります。その頃には時代は秋(1984-2004年)に入り、日本ではバブルとバブル崩壊が始まることになります。そしてその団塊の彼らが社会的にはリタイアしはじめ、老人となりはじめた(60歳~)のがおよそ10年前くらいからです。これが冬の時代であり、2005~25年くらいまで続く、というのです。さて、ここまで預言者である「団塊の世代」(ベビーブーマー)たちを例にとって、彼らが人生の四季をそれぞれ過ごしてきたことを説明してきました。さらにその下の「遊牧民」の人生の四季も同じようにたどってみます。▼遊牧民の例ハウとストラウスによれば、遊牧民たちは、夏の時代に生まれて幼年期(0~20歳)を過ごします。ちなみに現在生きている遊牧民といえば、日本でいえば「団塊ジュニアの世代」、アメリカでは「ジェネレーションx」などと呼ばれておりまして歴史上の「夏」である1964~84年の間に生まれた世代ということになります。つまりすぐ上の世代は「団塊」でありまして、戦後の秩序が入れ替わった「春」が終わり、その秩序が試される「夏」の時代に生まれ、忙しい親たちからあまり保護を受けずにないがしろにされて育ちます。もちろん最も影響を受けたのは「勢いはあるが荒れた社会」でありまして、校内暴力なども多かった時代のため、他の世代よりも個人的で生き抜くサバイバル技術を持っているといわれております。そんな彼らが大学生くらいの年(20歳~)になると、時代の季節も「秋」に入ります。アメリカや日本ではこの頃(1984~2005年)からバブルとその崩壊やIT革命が起こり、とりわけ日本の場合は「就職氷河期」に突入します。「金の卵」と言われて集団就職できた一つ上の世代とは大違いです。このようなサバイバル技術を身に着けた彼らが大人になり(40歳~)、社会の中の中枢を担うようになると、とたんに危機が始まります。その頃には時代は冬(2005~25年)に入るからです。その後はどうなるかはわかりませんが、彼らが社会的にはリタイアしはじめ、老人となりはじめる(60歳~)くらいには危機の時代となる冬が過ぎ去り、新たな春が2025年くらいから始まるのではないか、というのがハウとストラウスの推測です。※※※さて、この二つの世代の説明で、なぜ各世代が独自の特徴を持つようになるのかがおわかりいただけたでしょうか?預言者も遊牧民も、そして英雄も芸術家も、それぞれが特定の時代の季節(春夏秋冬)の流れの中で生まれてしまったがために、その季節の影響を(とりわけその幼年期に)モロにかぶることによって独特の世界観を身に着け、他の世代とは明らかに異なる行動様式を持つようになる、というのです。ハウとストラウスは、このような世代の歩みはほぼ80年ごとにまったく同じパターンで進行するとしているわけですが、その様子を簡略化したのが以下の図です。
そしてこの図の中で注目していただきたいのは、預言者、遊牧民、英雄、芸術家という4タイプの世代が、時代の季節ごとに組み合わせを変えている、という点です。そしてハウとストラウスは、とりわけ預言者の世代が老年期(60歳~)に入り、英雄の世代が若い成人期(20~40歳)に入る、いわば「冬」の時代に、社会は大改革を迎えるというのです。では80年前、そしてそのさらに80年前(160年前)に日本はどのような状況にあったでしょうか?そうです、それは第二次世界大戦と明治維新だったのです。- ※ - - ※ - - ※ - - ※ - - ※ - - ※ -
2019/09/27
<7/18追記>
後編といいますか、私の意見と何ページかのコピペで構成しています。↓
関係ない話ですが、昨日、上念司氏の経済で読み解く日本史箱全6巻セット発売日でしたので予約したものを受け取ってきました。やばいはやくフォース・ターニングを読了しなければ・・・








コメント