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読み終えました。本当に1991年末にソ連が崩壊し、日米経済戦争で日本もバブル崩壊し、1992年にフランシス・フクヤマ氏「歴史の終わり」が出版され、世界唯一のスーパーパワー国家、国家の絶頂期の1997年に書かれた本であることに驚く。


前編↑は訳者である奥山さんの解説で、もしかしたら本書を読むより分かりやすいかもしれませんが、以下私が書いた駄文もお付き合いください。

1997年時点で、書かれ、当時の常識からすれば下手をするとトンデモ本扱いされない内容であったが、左右両派の米国のインテリ層に読まれ、時代を読み解く警告の書として評価された。2008年のリーマンショック、米国の再興を目指す強い指導者=トランプ大統領の出現、そして米国建国の父達を否定し米国を分裂させかねないBLM運動出現まで予言し、大枠では外していない内容に驚いた。スピリチャルな予言の書ではないが、正確に未来を予想した予言の書である。

西洋の歴史哲学は人類は猿からリニア(直線)的に進化を続ける進化論的な考え方であるというイメージで、その集大成がフランシス・フクヤマ氏「歴史の終わり」であった。
そして、「歴史の終わり」のようなリニア的歴史観を完璧に理詰めで否定したてのけたのが本書である。

p48-49

アメリカ人が何十年間も感じていない感覚にあこがれているのかもしれない。それは「ポジティブで実行可能な運命への積極的な参加者である」という高揚感だ。
これからあなたが体験するのは、近代史をめぐる新たな旅だ。ここで学ぶことはとても多い。しかし、この旅を始める前に、まずはいくつかのことを忘れていただきたい。
まず忘れていただきたいのは、「アメリカは自然の季節的なサイクルから外れた、例外的な存在だ」という考え方である。世代交代について学ぶことで、あなたはいままで学んだものとはかなり異なるモノの見方に直面することになる。それは古代人の知恵から生まれたものであり、「社会変化のリズムは、自然にある生物学的・季節的なリズムが反映されたものだ」という見方だ。その深い意味を知るために、古代の人間たちは出来事を神話に変え、英雄たちをタイプにわけ、そこで活躍する人々は新しい社会秩序(もしくは制度の価値観)において常に創造され、助長され、陳腐化され、破壊され、そして最終的には再生される、という物語につくりかえたのだ。古代人の視点では、このサイクルは終わりのない歴史の中で繰り返され、同じビートを刻むことになる。時間は進歩の上昇スパイラルをもたらすこともあるし、下降スパイラルをもたらすこどもある。そしてこれらは、自然における進化のプロセスととてもよく似ているのだ。

 「線的」な考え方を忘れるためには、「進空という完的な基準についての判断を変える必要がある。古代人の宇宙観の中では、自然がより中心的な位置を占めていたのであり、彼らはわれわれ現代人が知らない何かを知っていた。彼らは自然の変化が一定のものではないし、ランダムなものでもないことを知っていた。彼らは自然が「進歩」を保証するものでもないし、それを否定するものでもないごを知っていた。彼らは一つつのサイクル内にある振れ幅が、サイクル全体の振れ幅よりも大きいことを知っていた。彼らは一年(もしくは一世代)の冬が、その直前の「秋」ではなく、一年前の「冬」とかなり似通ったものであることを知っていた。そして彼らは「第四の節目」が、ものごとの自然な流れの結果であることを知っていたのだ。

 われわれは、ほぼすべての近代社会に蔓延した「線的」な考え方にある、執劫な「死の恐怖」(そして、死の回避の熱心な探求)を忘れるべきだ。古代人たちは、衰退と死の段階がなければ、自然の生物学的・社会学的な循環が完成しないことを知っていた。死なない雑草は森を窒息させてしまうし、人が死ななければ記憶は消滅せず、破られない習慣や慣習は文明を窒息させてしまうのだ。これは社会制度についても同じことが言える。洪水が土地を肥沃にして、山火事が森を再生させるように、「第四の節目」は社会で使い古された要素を一掃し、新たな発展のチャンスをつくるのだ。

 最後に、われわれは「ポジティブな変化は、段々と人間の意図した喜ばしい形で到来する」という「線的」な考え方を忘れるべきだ。多くのアメリカ人たちは、直感的に「今日の分解時代(訳注‥現在は危機)のアメリカをもたらした多くの要因は、根本的に改善される前に痛みを伴う激変と直面しなければならない」と感じているが、この直感は正しい。「第四の節目」は、全世代の人間たちに国家の中心にあるものを癒やす(もしくは破壊する)ための、文字通り「一生に一度」のチャンスを与えてくれるからだ。

これらをすべて忘れ去ることができた瞬間から、われわれは歴史を季節的な視点から学び直すことができるのである。

この筆者達は米国は独立戦争、南北戦争、第2次世界大戦……、80年ごとにアメリカを襲った「危機」が80年周期であることを発見した。だが、建国二百四十数年の国には、建国以来、国を揺るがした危機は、独立戦争と南北戦争、大恐慌~第二次世界大戦の3回しか経験していない。その3回の危機からはまだ、循環が見えずリニア(直線)的に進化の途中にあった障害物にすぎないと考えてしまうのは無理もないことだ。

本書はまず、「歴史は繰り返す」という自然な循環論を、進化論的西洋思想の読者達を説得するところから始まる。私達日本人には当たり前のような輪廻転生的な思想を、歴史的エビデンスを元に延々論拠を積み上げていくところから始めた。(其の点は日本人である私には少々くどく感じた)

本書[第四の節目]「フォース・ターニング」は、人間の社会を総体的に見ると、線的に発展するのではなく、四季のように循環しているのではないか、という理論を構築して、著者達のクライアントで、主な読者層の米国のエスタブリッシュメント達をたたみこむ。

著者らは、建国200余年の米国の歴史では説得力に欠くと欧州社会の過去500年ほどの近代史を分析。その結果発見したのが、大きな戦争を伴う社会的な「危機」もおよそ80~100年の周期であり、それぞれの危機の後にアメリカの国や社会が大きく変化していると、理論を補強している。

本書では、これらそれぞれの80年周期の間の出来事や時代の趨勢(すうせい)を分析し、80年を約20年ずつに分け季節を当てはめている、春「高揚」、夏「覚醒」、秋「分解」、冬「危機」という、それぞれの季節に例え特徴のある四つの期間(節目)を設定している。

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そして、本書の画期的点は、更に人生の四つの段階、幼年期、成人期、中年期、老年期とからめ、それぞれの時代に生まれた20年後と世代の役割と運命を論じている一種の世代論考である。
p109-110

季節と同様に、人生の四段階もお互いに混じり合い、変化をつくり出すリズムに導かれている。季節の長さが冬至から春分、夏至から秋分の時間で決まるなら、人生の循環の各段階の長さは、誕生と若き成人となるまでの間の時間によって決められる。この段階についての米国社会における儀式を使った認知は、今日、二一歳の大学を卒業し、職業キャリアを始める時に行われる。その後は自分のことを自分で決められる大人だと見なされる。人生における最初の段階の長さは、他の段階の長さも決める。子供の集団が成人になってしまえば、その集団こそが若き成人である。そして年長者に中年期の社会的役割を課するのだ。現在こういうことが起こるのは、年長者が四二歳になった時で、これは米国の歴史(憲法ではないが) が、大統領として許容可能としている最低年齢でもある。そして中年期に入った集団が順繰りに、上の集団へ老人の役割を割り振る。この役割は現在六三歳あたりで始まり、政府から初めて老齢給付金を受け取る年齢の中央値である。

 老年期の中でも高齢まで生き延びられた人の割合が過去五〇年で非常に拡大したので、新たな人生の段階を定めるのも一考すべき問題であろう。これが晩期老年期(-atee-derF00d‥八四歳以上)である。晩期老年期にある者の社会における役割は、主に依存することで、他者から慰安されることである。今日の米国において資源の消費以外で、極めて高齢の人間が人生の循環における四つの段階の動きを変えることはほぼない。もし晩期老年者の数が増加し続け、集団として積極的な社会的な役割を主張するなら、サエタルム (と歴史) への影響は大きなものになり得る。
現代の米国における、人生の循環の各段階七慧扁役割は、以下のように要約できる。
●幼年期(プエリティア〇~二〇歳)社会的役割‥成長(養育を受け、価値観を身につける)
●成人期(エペンタス二一~四一歳)社会的役割が活力(組織制度に仕え、価値観を吟味する)
●中年期(ビリリタス四二~六二歳)社会的役割‥叫権力(組織制度を管理し、価値観を用いる)
●老年期(セネクタス六三~八三歳)社会的役割…指導者(組織制度を指導し、価値観を受け渡す)
●晩期老年期(八四歳~) 社会的役割‥依存(組織制度から慰安を受け、価値観を記憶する)
 最初の四つ(幼年期から老年期まで)が、人生の循環における四段階を構成する。この四段階を合わせた長さはおよそ八四年で、これは独立軍命に始まる米国の一個サエクルムの長さに合致する。
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p111-112

世代と歴史

人生の循環における季節性のおかげで、世代み発生が可能となる。この仕組みを見るために、人生の四段階すべてが明確に定義され、厳密に役目が決められている、伝統社会のケースを考えてみよう。
新たに生まれた人生の段階の集団はすべて、先代の集団が為したのとまったく同じようにその社会的な役割成長、活力、権力そして指導者を果たそうとする。特殊な世代は特に存在せず、人生の循環に関する独特の出来事も、伝記にするような創造的な道のりもない。
 ではこの社会が突然、カール・マンハイムが「具体化の瞬間」(crystallizingmoment)と呼んだ「大事件」(GreatEvent)に見舞われたと想像して欲しい。これは、何らかの緊急事態であり、社会に及ぼす結果があまりに深刻なために、社会の構成員すべてを変容させてしまうようなものである。
ただし、それらがどう変容するかは、それぞれの世代が人生のどの段階にいるかによって変わってくる。

子供にとってのこうした反応は、畏敬の念を持って年長者に従うことになるかもしれない(そして彼らの邪魔にならないようにする)。若き成人は武器を取り、命がけで敵に立ち向かうだろう。中年期にある者は、兵を組織し、銃後の国民をまとめ、社会を動員して最大限の努力をなす。老人は戦略を立てて、高次の目的を明確にするだろう。「大事件」によるストレスは、各自がなすべき社会的な役割によってさまざまな感情への刷り込みを残すこの遠いは、各集団の内部での相互影響によっても強化される。子供には互いの恐怖が、若者は互いの勇気が映し出される。中年期にある者には互いの力量が、高齢者には互いの知恵が映し出される。
 「大事件」が成功裏に解決されたら、その不朽の記憶は人生の各段階にいる集団それぞれに、独自の歴史上の立ち位置を授けることになる。これは、世代にとっての外的人格(persona)である。特に若き成人は英雄の集団とされ、そこには偉大な神話が後にわき上がってくる。この英雄の集団が中年期に達すると、その指導者は先代よりも倣慢さを見せることになる。そして高齢者になると、社会からの報酬をより多く求めるのだ。一方それに続く世代 - 大事件の間は恐れおののいていた子供は、人生の循環におけるその後の段階で、謙虚な外的人格を持つようになる。そして社会的役割も、その謙虚さに沿う形に変えてしまう。大事件の直後に誕生した世代は、希望に満ちた眼差しで見られるだろう。彼らのために困難に打ち勝ったという、黄金時代の子供だからだ。そして大事件が時を経てさらに繰り返されると、今度はこの世代が、自分たち自身の基準に適うか否かで若い世代を判定するようになる。

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P152-156

原型の循環

 こうした神話は、ある論理的必然性を示している。世代間で違いが生まれるならば、正反対の極をなす原型(アーキタイプ)が四つあるということだ。そうでなければ何故、若き英雄が生まれることができるのか? それは、自分のことに夢中になっている年上の預言者が、俗世では大切にされていることへの反応ではないのか? なぜ若き預言者が生まれるのか? 年上の英雄は自惚れ上がり、その精神が自己満足に堕していることへの反応ではないのか? つまりどげ世代も、人生の段階で自分たちより二つ分若い人々を形成する上で、強い影響を及ぼさざるを得ないのだ。

 こうした人生の循環を横断する重要な関係は、大部分の社会でまさに見受けられるものだ。こうしたことが起こる理由は、新たな子供の世代が世界に関する第一印象をかき集める時に、新たに中年期に達した世代が子供をとりまく仕組みを支配するようになるからである。子供と血の繋がった両親より年長の親の集団が支配的な役割を担うことになる。ベビーブーマー世代の親は、兵士の世代と沈黙の世代だが、兵士の世代のほうが一九五〇年代にははるかに大きな力を持っていた。学校やPTA活動や小児科診察、テレビ、映画は、兵士の世代が仕切っていたからだ。一九九〇年代も同様である。

ベビーブーマー世代と第一三代の世代がミレニアル世代である子供を誕生させたが、その気風を決めたのはウィリアム・ベネットやヒラリー・クリントン、スティーブン・スピルバーグ、ビル・ゲイツと同じベビーブーマー世代だった。同じように喪失の世代であるノーマンロックウエルたちは、沈黙の世代の、そして沈黙の世代であるビル・コスピーたちは、第三代の世代の方向性を決定した。

同様に第一三代の世代であるジョディ・フォスターたちが、二一世紀初頭に生まれる子供たちの気風を決めるはずだ。

一つ上の人生の段階でも、このパターンの繰り返しである。子供の世代が成人すると、その年長の世代が老年期に到達して、若き成人の世界を取り巻く仕組みを支配するようになる。若い世代が軍務につく年齢になると、人生の循環において対極にある影の世代が、宣戦布告のために持つ権力が最大になる。たとえば国家指導層において一つの世代が持つ支配力について、米国の歴史で考えてみよう。

この支配力は通常、その世代の最初の集団が六五歳になつた時にピークに達するそして止少兵は平均して約四二歳(人生の段階二つ分)若いことになる。兵士の世代は(伝道師の世代が宣戦布告した)第二次世界大戦を戦い、沈黙の世代は(喪失の世代が宣戦布告した)朝鮮戦争を戦った。ベビーブーマー世代は(兵士の世代が宣戦布告した)ベトナム戦争を戦い、第一三代の世代は(沈黙の世代が宣戦布告した)湾岸戦争を戦った。

 こうした人生の循環を横断した関係は、米国の歴史を通じても事実であることが認められる。ベンジャミン・フランクリン(預言者)の「覚醒の世代」が、トーマス・ジェファーソン(英雄)の「共和主義者の世代」が持つ方向性を決めた。つぎに「民主共和派の世代」が、エイプラハム・リンカーン(預言者)の「超絶主義の世代」について決定した。その間にジョージ・ワシントン(遊牧民)の「自由の世代」は、ダニエル・ウェブスター(芸術家) の「妥協の世代」が持つ方向性を決定した。

そして「妥協の世代」は後に、ユリシーズ・グラント(遊牧民)の「富裕の世代」に同じことをしたのだ。 
     
 それぞれの原型が影に示す反応は、友好的なものにも、敵対的なものにもなり得る。ルーク・スカイウォーカーと父との関係が二重性を持っていたように、何らかの形で両側面があるのが普通である。

大部分の両親は中年期に達すると、新たな世代を育てよゲとする。その時に意図しようとしまいと、新たな世代が集団として持つ外的人格が、親たちのものを真似るのではなく、それを補完するように育てる。しかし後に、そうした養育の結果は驚くべきものになることが多い。兵士の世代である小児科医のスポック博士は、第二次世界大戦直後に、「理想的な子供が必要だ」と宣言し、その言葉に従って同世代人はベビーブーマー世代を育てた。しかし多くの者は後に、ナルシストになつた子供に怒りの声を上げた。沈黙の世代の作家ジュディー・ブルームは、意識革命の真っ只中に、「子供を常に保護しなければならないという考え方は嫌いです」と書いている。そして同世代の人々は、その言葉に従って第一三代の世代を育てた。しかし多くの者は後に、冷淡になった子供に苦痛の声を上げたのである。

 こうした人生の循環を横断する影の関係が主にもたらすものは、サエクルムの核心にあって、何度も繰り返されるパターンだ。それは、過保護と保護不足の揺り返しである。危機の際に遊牧民に率いられた家族は、芸術家である子供を過剰に保護してしまう。覚醒の際に芸術家に率いられた家族は、遊牧民である子供への保護が不足してしまう。危横の後で英雄に率いられた家族は、預言者である子供の自由を拡大する。覚醒の後で預言者に率いられた家族は、英雄である子供から自由を奪う。

 こうした人生の循環にまたがる強力な現象によって、なぜ神話が特定の固定された順番で原型を描くようになるのかが説明できる。これこそが時間の季節において、唯一あり得る順番だからだ。英雄から芸術家、預言者、遊牧民へと変わっていく、このパターンが繰り返されることで、四つの原型から四つの世代が出現し得るようになるのだ。
                                
 前ページの表を、斜めの方向から見てほしい。すると、それぞれの原型の間にある時代を超えた関係性と、歴史における人生の循環の立ち位置に気がつくだろう。たとえば英雄は、常に覚醒のあとに子供として登場し、危横の時に成人する。預言者は常に危機のあとに子供として登場し、覚醒の時に成人する。


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p158-159

●預言者の世代は、快楽への耽溺を深めていく危機後の子供として成長する。彼らはナルシストで、覚醒の若き推進者として成人する。次に道徳主義的な中年として原則を定める。そして次の危機では先導役の賢明な高齢者となる。
●遊牧民の世代は、覚醒に際してあまり保護されなけ子供として成長し、覚醒後の世界で疎外された 若者として成人する。次にプラグマテイストの中年として成熟し、危機に際して指導者となる。そして危機後の強壮な高齢者となる。
●英雄の世代は、強い保護を受ける発酵後の子供として成長し、危機ほおける英雄的なチームの一員として成人する。次に活動的な中年として倣慢さをみせる。そして次の覚醒で、攻撃される強力な高齢者となる。
●芸術家の世代は、危機に際して過保護な子供として成長し、危機後の世界で繊細な若者として成人する。覚醒の際には、優柔不断な中年の指導者として自由になる。そして覚醒後は、情感あふれる 高齢者となる。

 この四種類の循環に気がついた者はいただろうか? もちろんである。なぜならそれは、一〇〇〇年の間に何回も繰り返し起こつてきたことだからだ。

繰り返すが本書がアメリカ本国で出版されたのは米国が唯一の超大国として君臨した1997年なのだ。当時はまだ収穫の秋の分解のサード・ターニングの途中だった。

ニール・ハウ氏は、最近のインタビューで「危機の時代は2008年のリーマンショックに始まった」と語っている。リーマン・ショックを契機に危機の節目に突入したと考えているようだが、日本語訳が出版されたのは20年後の2017年なのだ。当然コロナ前である。

だが、私が読んだのは2020年。23年前の社会・経済学の本がこれほど新鮮に感じたことはかつてない。トランプ政権を生んだのはラストベルトのホワイト・トラッシュだけではなく、サイレントマジョリティーとして存在する、米国の非都市部に住む知識層のエスタリッシュメントではないかと思う。

スティーブバノンの言っていること、トランプ政権の国家戦略は、明らかに危機の時代の対処方法だ。明らかに危機の時代を意識している。

本書の第六章「第四の節目の予言」には、フォース・ターニングに起こるであろう事象、特に2008年危機の始まりだけではなく2020年以降の危機のピークにおきるであろう現象を、1997年時点で予測し、見事的中していると考えられる予言がいくつもあり、驚かされる。

P249-253

時が過ぎてさらに一〇年も経つと、盛り上がったムードに後押しされた米国は、チャンスと危難を伴う第四の節目となる重大な瞬間危機のピークに到達する。それはどのようなものだろう?
絶頂期は、その二五年前にはまったく予測不可能な形態を取るものだ。全国で (恐らく国際的に)発生する噴火のような爆発を想像してみよう。最初は分解の時代につくり出された災厄の道筋をたどり、そして危機の発生によって普及する。困窮の道筋から噴き出した爆発がどこに行くかを予見しようとするのは、地震を起こす断層を正確に予言しようとするようなものだ。前もってわかることは、絶頂期を構成する要素(それもドロドロに溶けてしまっているような状態のもの)に関する以下のような情報だけだ。

■経済的な災厄は、公的債務の不履行や福祉基金の破綻を伴うものになるだろう。貧困や失業者の増加、貿易戦争、金融市場の崩壊、そしてハイパーインフレ (またはデフレ)もありえる。
社会面での災厄は、階級や人種、排他性、宗教に煽られた暴力を伴うだろう。武装ギャングや地下民兵、ゲーテッド・コミュニティに雇われた傭兵などが災厄をけしかけることもある。
文化面での災厄は目眩を感じさせるような劣化に飲まりこんだメディアを伴うことになる。そし て国家による検閲を支持するような、道徳面での品行方正への揺り戻しが起こる。
■科学技術面での災厄は、暗号技術による無政府状態を伴うだろう。ハイテクによる寡頭政治と、バイオテクノロジーによる混乱も避けられない。
■環境面での災厄は、大気へのダメージや、エネルギー、もしくは水の不足、そして新たな疾病を伴うものとなる。
■政治面での災厄は、組織制度の崩壊を伴う。納税者の振乱や、一党支配、大幅な改憲、地方の分離 独立運動独裁主義、そして国境線の変更などもありえる。
■軍事面での災厄は、大量破壊兵器を持ったテロリストや」外国との戦争を伴うものになる。

 これからの第四の節目において、こうした絶頂期の構成要素の中には実際には大きな影響を及ぼさない(またはまったく何も起こらない)ものもあるだろう。まったく予期できないやり方で災厄の道筋を突き進み、膨張して分裂し、再び結びつくようなものもあるだろう。
 最終的には米国のすべての小さな問題は、一つの巨大な問題にまとまることになる。まさに社会の存亡がかかっていると感じるようになると、指導者は導き、人々はそれに従うようになる。社会の間題は単純なものに改められて、簡単明快な「イエスかノーか」の図式に収まるようになる。人々は蛸つぼから出て、協力し合うチームに参加する。各チームぱ他のチームによる成果に依存する(そしてそれを信頼する)のだ。人々は同じような希望と犠牲を共有するようになる。そして「社会においてわれわれ平等だ」という新たな感覚も共有される。分解の時代における分裂志向や複雑さ、そして冷笑主義は、遠い昔の記憶でしかなくなる。このただ一、つの大きな問題を修正できれば、新たな黄金時代が垣間見られるかもしれない。

決定的な事件が発生する。それは甚大かつ強力特殊なものであるため、現在考え得る最も荒唐無稽な想定ですら及ばないはずだ。こうした事件は多くの言説を巻き起こし、新たな政治秩序の形成への展望が拓かれる。人々ほこれまで想像もしなかつたような、命を賭けて戦う能力を自分たちの中に見出し、公的な目的のために子供を死地に赴かせるのだ。「アメリカの精神」が帰ってくるが、それはその他に選択肢がないからだ。

 こうして米国は偉大な古代神話、死と再生の瞬間を意味するエクピロシス (ekpyrosis)を再び演じる。われわれは、新たな運A叩との出会いを果たすのだ。
 こうした危機の絶頂の出現は、大きなエントロピーの適転であり、信頼が再誕生するという人類史における奇跡となる。第四の節目を通過すると、旧来の秩序ほ潰えるが、それは新たな社会秩序を学んだ種を産みだした彼のことだ。危険が最も高まった時にその種は植え付けられ、新たな社会契約が根を下ろす。わずかな間ではあるが、米国を覆う天空は、どのようにも変わり得るものとなる。それほ、いままでの分解時代の思考株式を激しく動揺させるはずだ。ベンジャミン・ラッシュは、アメリカ独立革命の絶頂期に、「すべては新しく柔軟だ」と感動のあまり友に語った。そう、すべては繰り返される。

 市民が偉大な業繚(またほ崩壊)を成し遂げる可能性は高くなる。もちろん新たに地方が分離独立を求める動きが突然発生し、驚くべき速度で目櫻を達成するかもしれない。米国が統一を保ったとしても、その地理は根底から変化し、政党の構造は変化し、憲法と権利章典は見る影もないほどに改定されるかもしれない。歴史が示しているのは、それ以上にー真摯な警告だ。武力衝突ほ通常、危機の絶頂期に発生する。衝突が起これば、戦争につながる可能性が高い。これはさまざまな種類の戦争が考えられる。それは階級間戦争や地域間戦争かもしれないし、国際的な無政府主義者やテロリスト相手の戦争かもしれないし、超大国間の戦争かもしれない。戦争が起これば、全面戦争になってしまう可能性が高い。敗者の側が無に帰するまで戦われるからだ。破壊を尽くし領土を奪い、指導者は捕縛される。そして全面戦争が起これば、使用可能な最も破壊的な兵器が使用される可能性が高い。

 戦争があってもなくても、社会はいまと異なったものへと移り変わる。新たな社会は、合衆国憲法起草者たちの世代の展望を守りつつ、力強い新たな誇りを持った、より良い社会となるかもしれない。
その道に、もしかすると言葉にできないほど靡い国家になるかもしれない。第四の節目は、栄光の時にも崩壊の時にもなりえるからだ。

 危機の解決によって、政治や経済そして社会における組織制度が確立される。われわれの子供やその子孫は、その組織制度とともにその後の数十年にわたって暮らしていくことになる。歴史の圧力を受けてすぐの新たな社会秩序は、すべてのものを厳密にする。新たな権威、ルール、境界、条約、帝国そして同盟を厳しく決定するのだ。危機の絶頂期は、社会の記憶の中で薄れていく。ただし個人として思い起こすすべての者にとっては、胸を締め付けられるような記憶となる。絶頂期の後に生まれた者にとって、それは転換点であり、彼の世代にとっては、神話や伝説の素材となる。そして良くも悪くも、生き残った者は危機の結果と共に生きていくことになる。世代の移行はすべて、頂期に発生する。衝突が起これば、戦争につながる可能性が高い。これはさまざまな種類の戦争が考えられる。それは階級間戦争や地域間戦争かもしれないし、国際的な無政府主義者やテロリスト相手の戦争かもしれないし、超大国間の戦争かもしれない。戦争が起これば、全面戦争になってしまう可能性が高い。敗者の側が無に帰するまで戦われるからだ。破壊を尽くし領土を奪い、指導者は捕縛される。そして全面戦争が起これば、使用可能な最も破壊的な兵器が使用される可能性が高い。

 戦争があってもなくても、社会はいまと異なったものへと移り変わる。新たな社会は、合衆国憲法起草者たちの世代の展望を守りつつ、力強い新たな誇りを持った、より良い社会となるかもしれない。
その道に、もしかすると言葉にできないほど靡い国家になるかもしれない。第四の節目は、栄光の時にも崩壊の時にもなりえるからだ。

 危機の解決によって、政治や経済そして社会における組織制度が確立される。われわれの子供やその子孫は、その組織制度とともにその後の数十年にわたって暮らしていくことになる。歴史の圧力を受けてすぐの新たな社会秩序は、すべてのものを厳密にする。新たな権威、ルール、境界、条約、帝国そして同盟を厳しく決定するのだ。危機の絶頂期は、社会の記憶の中で薄れていく。ただし個人として思い起こすすべての者にとっては、胸を締め付けられるような記憶となる。絶頂期の後に生まれた者にとって、それは転換点であり、彼の世代にとっては、神話や伝説の素材となる。そして良くも悪くも、生き残った者は危機の結果と共に生きていくことになる。世代の移行はすべて、

 こうした事件を推し進めるものは何か? サエクルムがめぐると現在生きているすべての世代が、新たな人生の段階に入る。そして老年期のベビーブーマー、中年期の第一三代、成人期のミレニアル、そして新たな沈黙の世代の子供たちが、危機の時代の世代構成を作り出す。分解から危機へのムードの変化に貢献することになる。

 原型それぞれが自分の新たな社会的役割を主張し、米国社会は可能性の頂点に達する。秩序をもたらす者としては老年の預言者がうってつけであり、秩序を受け入れるのは若い英雄だ。ボスとなるのは中年期の遊牧民が現実酪で、感性豊かな人間は幼年期の芸術家だ。彼らに匹敵する求心力を持つ原型の世代構成は、この世には存在しない。新たな社会の目的に対して人類の歴史が持つ自然な力を凝結させる力についても、それと同じことが言える。無数の議論や不安、冷笑、悲観をただ一つの黙示録を思わせる嵐に凝縮させる力の可能性においても、これに匹敵する世代構成は存在しない。

 現在の時点で知りえる、すべてのベビーブーマー、第一三代、ミレニアルの人々について考えてみよう。一〇年から三〇年ほど歳を取った彼らを想像し、前の第四の節目において昔の世代がたどった原型の道筋を迫ってみよう。これこそが次の危機の時代の世代構成であり、彼らが米国を歴史における次の関門へ推し進め、通過させることになるのだ。
おそろしいくらい当たっている・・・まさに慧眼。

中共ウィルスによる世界の死者は7/18現在60万人を越え、米国だけでも14万人である。
これは、南北戦争の50万人、第二次世界大戦の30万人に次ぐ死者数で、今も増え続けている。これに米中が核を打ち合うような戦争になるとは思わないが、危機のピークとして米中激突もありうる。

トランプ政権は後世、危機の時代の米国の大統領として正しく評価されると私は思う。

トランプ大統領が分裂をもたらしているののはなく、トランプ大統領が対処している危機は前任のオバマでは絶対に対処できなかったろう。

バイデン?もし彼が大統領になったのなら、危機は米国の敗北と分裂をもたらすであろう。
大丈夫か?米国民?