
現代の諸葛孔明、耶律楚材 竹中半兵衛、黒田官兵衛か?天才戦略家ルトワック氏の日本への見立て、素晴らしすぎます。日本政府はイージスアショア配備を止め、敵基地攻撃ミサイル配備の準備を行っている、まるでルトワックの提言に耳を貸しているようだ!
目次日本の読者のために 8
序章 戦略思考で日本を救う
国防は最低限の福祉 10
国防と同じくらい大切なもの 15
少子化は自滅の道 18
ルトワックの日本救出戦略 24
第一章 韓国よ、歴史の真実に学べ
朝鮮半島、四つの選択肢 28
日韓衝突は韓国の問題――ヨーロッパの対独感情との比較 31
韓国人のトラウマの構造 34
スウェーデンの偽善 37
韓国人の反日心理と「苦悩品ちた再評価」の義務 40
歴史的事実を直視すべきなのは韓国側 44
韓国は日米のパートナーたりうるか 46
韓国はイタリアと同じで、同盟国にならない 50
第二章〝中国封じ込め″の時代
米中冷戦の開始 56
テクノロジーロビーが対中強硬派に転じた58
中国と協力するグーグル 60
誘惑と贈賄で技術を盗む 62
日本もすでにハイテク戦争に「参戦」している 66
親中派(パンダ・ハガー)は消え失せた 70
軍事大国化し、アメリカを裏切った中国 72
南シナ海での横暴なふるまい 74
「一帯一路」構想の致命的な過ち 75
リーマン・ショックを見誤った北京政府 78
中国は海洋戦略を全く理解できていない 81
アメリカの「中国の敵は味方」作戦 84
戦略の論理が示す〝中国崩壊″という未来 88
経済が悪化すると冒険主義に出る 90
「歴史のターニングポイント」を迎える日 93
政治的に失敗したリーダーは対外戦争を開始する 95
習近平が手を出す戦争のギャンブル 99
尖閣諸島問題から北京の意図を読み取る 102
日本側の尖閣防衛に問題あり 104.
中軋の覇権を前に日本が直面する三つの問題 105
台湾防衛で日本ができること 111
イージス・アショア「十年計画」 の非現実性 114
「風林火山」 の心構えで中国に対抗せよ 117
第三章 変化する北朝鮮と、その脅威
北朝鮮の核・ミサイルと「コリア・ジレンマ」 120
非核化か、体制崩壊か 122
世界が驚いた米朝首脳会談 125
核ミサイルからは誰も守ってくれない 127
日本は先制攻撃できる体制を撃えるべきだった 130
何もしない韓国 134
韓国は自分で自分を守る気がない 138
文在寅大統領こそ、国防意識欠如の象徴だ 141
自国の防衛に主体性を持てない韓国 143
核武装より先制攻撃できる通常兵器を 145
今すぐできたはずの対北装備 147
日本政府は本気の姿勢を見せるだけでいい 151
米軍にも襲いかかる「病」 152
一九四五年以降、アメリカは負け続けている 155
アメリカの追従者ではなく、真のパートナーになるために 159
第四章 自衛隊と情報機関への提言
ルトワックが自衛隊の演習を指揮したら 162
本格的な「ウォーゲーム」を実施せよ 164
本格的な国家情報機関の設置を!166
ルトワック流・情報員トレーニング法 169
日本もやっていた情報・諜報活動 172
エージェントはこうして獲得せよ 174
他国の情報機関 175
第五章 経済戦争と国家の本性
「経済戦争」の時代は冷戦後に始まった 180
経済戦争の「武器庫」 183
関税や貿易障壁も「武器」である 186
中国政府がファーウェイに投じる「火力」 188
経済戦争にも明確な敵国がある 190
経済戦争に有利な条件とは 194
アメリカの政治家は「見せかけの市場原理主義者」 196
エスカレート‥貿易が戦争に発展する時 199
経済的相互依存関係は戦争を防げない 203
訳者解説 207
中国は、自国民の命より党の支配の存続が優先され、日本が多少核を持ったとしても脅しにならず、日本が核を持てば、韓国に核保有の口実を与えてしまう。
特に北朝鮮相手に核による均衡は成立しない。
P12
米ソ冷戦中のような相互確証破壊(MAD: Mutual Assured Destruction,、敵から核による先制攻撃を受けても、残存兵力で相手に耐えがたい損害を与えられる能力をお互いに持つこと)による均衡は成り立たない。米ソ冷戦中でも米ソ間は不断の情報交換と対話を続けていたし、何より、あのソ連でも、書記長以下外務大臣やKGBスタッフらが外交問題について常に討議し、共同で政策を決定していたが、北朝鮮はそうではない。たった一人の独裁者である金正恩の、外からはうかがい知れない政策方針や思想、あるいは気分によってさえ、政策が左右されてしまうからだ。現状、彼と相互抑止の関係に入ることは不可能と判断せざるを得ない。そのため、日本が核を持てば済むという問題でもない。これは相手国の指導者に分別がなければ成り立たないからだ。
私は、1978年の来栖発言を機に自国の防衛を考え大学1年の頃に完全には保守派に完全に転向し、保守反動と呼ばれることを誇りに思うようになった。以来当ブログでも憲法改正の必要性をことあるごとに書いたが、ルトワックの日本改造論を読んで、憲法改正だけで全て解決するわけではないことを指摘されてしまった。
p15-17
少子高齢化対策をしないと、日本は潰れるというのだ。
国防と同じくらい大切なものもうひとつ、日本が国民に提供しなければならないのは、「安心して子供を産み、育てられる制度」である。全世界的に、ポストヒロイック(人命尊重)の時代が到来している。
かつて、「大国」は、結果として生じることが見込まれる犠牲者数が多少多くても、制約されることなく、望むときにいつでも武力行使「するはずだ」と認識されてきた。
国にとって死活的な状況でなくとも、小規模な作野で数百人の兵士を失ったり、小さな戦争や遠征作戦で数千人の兵士を失うことは、大国の歴史においては珍しいことではなく、むしろ「死活的ではない利益でも、それを守るために武力行使する意思と能力がある」とみなされてこそ「大国」であだがこうした大国概念は非現実的なものとなった。少数の戦死者さえ受容しない価値観が先進国に広がっているからだ。…はテレビ報漣の映像があるだろう。負傷兵、遺体袋、悲しむ遺族の姿がテレビに瞬時に映し出されるこを、国民は犠牲に対する精神的に深い傷を負う。だが、それだけが理由ではない。より根本的な理由は、近代的なポスト産業社会の人口動態である。要するに、少子化のことだ。かつての大国では、一組の夫婦のもとに子供が四人から六人は生まれるのが普通で、八人兄弟、十人兄弟も決して珍しくはなかった。もちろん乳幼児の死亡率も高かったが、そうして生まれた複数の兄弟のうち、ある者が早世し、またある者が戦争で命を落とすことは、さほど珍しいことではなかった。
現在は一組の夫婦に子供が一人から二人いればいいほうで、その子供たちは当然、長く生存することが期待され、一人ひとりが家族からの大きな愛情を受けている。死が高齢者だけに限定されていなかった時代には、「死」はどの年代であれ、人間が経験する普通の事柄だった。何らかの理由で若い家族の一点を失うことは、過去においても悲劇だったのは間違いないが、現代ほど特別で受け容れがたいことではなかった。もちろん、戦争で命を落とす可能性と、その戦争そのものの意義を考慮することによって、親は戦地へ行く子供の運命を思いながらも、その役割の大きさを引き受ける、ということはあるのだろう。だが現代の家族の人口動態を前提とすれば、出生率の低い米国、ロシア、英国、フランス、ドイツはもちろんのこと、日本などはもはや伝統的な「大国」の役割を演じることはできない、ということになる。
軍事力の物理的存在と、軍事力を行使できる経済的基盤があったとしても、社会が犠牲に対して強いアレルギー反応を示せば、それは事実上の 「戦争拒絶」状態だといえるだろう。
日本全国で、五歳になるまでの完全な保育・育児の無料化を進めることである。
少子化は先進国に共通する問題だが、スウェーデン、フランス、イスラエルの三国は大学で教育を受けた女性が生涯に三人近く子供を産んでいる。この三国に共通するのが、「五歳までの育児の完全無料化」なのである。五歳まで育児が完全無料化となれば、女性は仕事を続けながら、一人でも出産して育児ができる。
男も、家族と言う重いしがらみを背負って、一人の女に縛られる人生より、どんどん種付け自由で、自由な恋愛ができれば有る意味素晴らしい社会である。
日本では、「戦闘機を買うくらいならそのお金で保育所を作れ」と主張する政党があると聞く。また、少子化対策などの福祉政策と安全保障の間で予算の取り合いになっているようだ。だがこれは愚かな争いだ。国家にとってはどちらも重要であり、どちらかだけでは国は立ち行かない。.日本の愛国者は対中国戦略や対北朝鮮戦略の研究には熱心だが、少子化問題にも同じかそれ以上の危機感を持たなければならない。子供がいなければ、その国の未来はない。子供がいなければ、安全保障政策の議論など何の意味もないのだ。そして、安全保障の備えであれ、少子化対策であれ、その他の様々な福祉サービスであれ、「国民に安心を提供する」という観点は変わらないのである。
まあ、そういう社会ではない日本では、家族は家族として維持し、裏で男や女として楽しむ賢い生き方をするしかない。石田純一は心の中で思っていればよかったのだ確かに「不倫は文化」かもしれない。
第一章 韓国よ、歴史の真実に学べ において、非日本人であるルトワックが冷静に日韓の問題を韓国が歴史を直視していないと喝破している。
私が興味を持ったのが、ルトワックが韓国の反日の源泉である劣等感を、第二次世界大戦中と戦後のヨーロッパ各国のドイツに対する態度で、解釈されている。
ある程度の理解はしていたが、オランダとベルギーの違い、ノルウェー・スウェーデンの違いを解説しているが、日本人の私にとっては鱗の痛快な解説である。
ルトワックは、韓国はオランダに似ているという。
オランダは、戦後欧州の中で最後までぐだぐだドイツを責め続けた国である。西ドイツのNATO加盟を阻止に動いた国である。ルトワックが子供時代1960年頃オランダの沿岸部へ旅行すると民宿には「ドイツ人お断り」の看板が下がっていた。同じ時期ドイツと血で血を洗ったユーゴスラビアのダルマチア地方の人々はドイツからの旅行者を大歓迎していた。
韓国はオランダやスウェーデンと同じく卑屈で卑怯だと論じているが、私の知識からすれば韓国は日本人の価値観からすれば最低最悪の国家国民性性なのだが、オランダやスウェーデンは韓国と同じなのか・・・と逆に納得してしまった。
p32-33
ドイツが戦時中に殺害したオランダ人の数は、ロシアと比べれば非常に少なかった。むろん戦争が終わる最後の六カ月間、オランダは苦しめられたが、これは食糧が底をつきかけていたからだ。オランダ人はほとんど殺されなかったにもかかわらず、ドイツ人への憎しみを解消するまで、ロシア人よりはるかに長い時間がかかった。その最大の理由は、ロシア人はドイツと戦ったが、オランダ人はそうではなかったからだ。ドイツ人はロシア人を殺し、ロシア人もドイツ人を大勢殺した。そして戦後、お互いに「もう戦いはやめよう」となったわけだ。フランス人は遅かったが、それでも一応ドイツに抵抗した。ベルギー人の抵抗の仕方は巧みで、ドイツが作った秩序を崩壊させている。デンマークは国民レベルで抵抗していて、たく非常に効果的だった。ノルウェーにはレジスタンスの戦士がおり、占領に来たドイツ人をしっかり攻撃した。ところが、オランダ人は臆病者で、抵抗しなかったのである。オランダ社会はドイツに服従し、対独協力が大々的に行われた。例えば、ドイツはオランダ警察を頼って、オランダ国内のユダヤ人を逮捕している。若いオランダ人たちは、自分の父親たちが臆病者であったからこそ、戦後に反ドイツ的な感情を持ち続けたのである。
ロシア人やユーゴスラビア人、そして静かだが強力に抵抗していたベルギー人とも事情は異なる。ベルギー人の抵抗について付言しておけば、彼らはたしかにドイツと戦闘こそほとんどしていないが、ドイツへの妨害、サボタージュは完壁だった。ドイツ人がオランダとベルギーを占領したあと、地元の警察に「ユダヤ人を逮捕して収容所行きの列車に乗せろ」と命じた。ベルギーは第一次世界大戦の開戦直後、ドイツの侵攻で占領された。次の第二次世界大戦でも同じだった。そのおかげで、ベルギーのおばあさんたちは見抜かれないような偽文善作りの能力を身につけた。彼らは 「ドイツ人の騙し方」を学んだのだ。ベルギーはとても小さな国で、ユーゴスラビアの山岳地帯のように、隠れて抵抗運動を続けられる地理的な環境もない。それでも、彼らは非常に効果的に抵抗した。「ドイツの言うことを聞かない」 ことだけを狡猾に行ったのである。ベルギーにはドイツから逃れてきたユダヤ人だけでなく、非ユダヤ系だがナチスに反対するドイツ人も多く在住していた。反ナチスのドイツ人たちは、ヒトラー政権の下で、オランダとベルギーに逃げ、ベルギーは彼らを守った。これは、ベルギーによる静かな抵抗の多くの実例の一つにすぎない。ベルギー政府はドイツに「ノー」とは言わなかったが、決してドイツの望むことはしなかった。しかし、オランダはドイツに協力して逃亡者たちを逮捕し、引き渡した。彼らは強制収容所に送られ、オランダに逃れた人々はことごとぐ死んだ。オランダは、まるでドイツの使用人のように振る舞っていた。だからこそ戦後、ドイツ人を長期にわたって憎み統けることになった。一九四五年以降のオランダ政府の国民に対するメッセージは、二つの嘘で塗り固められていた。第一に、戦時中、ほとんどドイツへの抵抗運動がなかったにもかかわらず、話を膨らませて大々的に抵抗していたかのように装ったこと。そして第二に、対独協力は個別のケースで存在したが、政府ぐるみで協力していた事実はなかったとしたことだ。これが完全な嘘であることは、アンネ・フランクが逮捕された事実を考えればよくわかる。彼女の家族は逃げて居場所を隠したにもかかわらず、誰かがオランダ当局側に居場所を教えたのだ。これはオランダ人社会に、大規模かつ組織的なドイツへの協力体制があったことを示している。
なるほど、韓国は日本に協力どころか大日本帝国の一部であったのだから、オランダやスウェーデンの卑屈なトラウマどころではなく、反日は韓国人が韓国人である確認であり、嘘で塗り固めた韓国の歴史観である。歴史を直視できない韓国はいつまでたっても反日を止めることはできない。
スウェーデンの偽善もう1つ別の例が、スウェーデンである。第二次世界大戦中、ドイツがヨーロッパ中で行っていた非人道的な行為に対して、この国は消極的な傍観者の立場を変えなかった。スウェーデン人は、自分たちを世界で最も偉大で人道的な存在であるかのように見せたがる。最近の例は、国連の地球温暖化サミットの演鋭で注目を浴びたグレタ・トゥーンベリという女子高校生だ。彼らは常に世界に対して人道主義を説き、入管救済し、地球を救えと主張する。ところが、第2世界大戦中の人道の危機に対して、彼らは何もしていなかった。ただ戦況をながめて、優雅にパンを食べていただけだ。そして、事態を傍観するだけではなく、莫大な量の鉄鉱石をドイツに売ったのだ。ナチスはそれを鉄鋼に変え、銃や戦車にした。最も人道的なはずのスウェーデンが、ドイツの兵器の材料を供給していた。さらに、ドイツ人が同じスカンジナビアの兄弟国であるノルウェーを占領した時、スウェーデンはまったく助けず見殺しにした。それだけではない。事後に占領地のノルウェーに向かうドイツ軍に、自国を横断する鉄道を使わせて、国内を楽々と通過させた。彼らはノルウェーを裏切り、ドイツに部隊輸送の協力をしたのである。戦後、例えば1953年頃になると、ヨーロッパの多くの国ではドイツをすでに許していたが、スウェーデンはオランダと同じょうに、超がつくほどの反ドイツ感情を保持していた。戦争中、彼らはオランダ人と同じように臆病者で、ナチスに協力していた。戦後のスウェーデンは世界に道徳を説いてきたが、彼らの実際の大戦中の行為は、きわめて非道徳的だった。逆説的だが、だからこそ道徳的高みに立ちたがるのである。スウェーデン企業や財界人のなかには、大量の物資や資源をドイツに売ることで、戦時中、非常に経済的に豊かになつた者が数多くいた。ナチスの金塊の多くが、最終的にスウェーデンに渡っていたことはよく知られている。彼らはドイツに積極的に協力したからこそ、戦後になって激しい反ドイツ感情に転じたわけだ。韓国人にも同じことがあてはまる。韓国の行動は、一見すると不可解なところがある。ところが注意深く比較してみると、その本質は、ドイツに対する欧州各国の態度と同じであるとわかる。戦時中にドイツに協力的だった国こそ、本当に反ドイツ的な態度をとるようになる。スウェーデン人は、自らを世界の人道主義の守り手であり、それ以外の国々は自己利益を追求する強欲な人たちであるかのように主張する。戦争終結までドイツに積極的に協力していたからこそ、戦後になると「ドイツはひどい国だ!」と非難して回るようになつた。
そして、ルトワックは韓国は同盟国になれないと看破する、韓国はイタリアと同じく国家としての結束がない。国民の半分は文在寅を熱烈に支持し半分は売国奴だと思っている。北朝鮮という敵に対してまとまりがないのである。
p53-54
第二章〝中国封じ込め″の時代韓国の問題というのは、そのような国としての「結束」がなく、実質的にイタリアと同じである点だ。安全保障や国防問題における韓国の「結束」 のなさは、本書の第三章でも触れるが、たとえ文在寮政権が交代したとしても変わらないのである。イタリアは、第一次世界大戦の時、ドイツと敵対する関係だった。しかし第二次世界大戦ではドイツと組んで戦うことになる。一九四〇年、つまり第二次世界大戦の初期の頃に、イタリア政府のトップは当時のイギリスのウインストン・チャーチル首相に会いにいって、「われわれはドイツとともに戦うことにする」と発言した。その時のチャーチルの返答は「素晴らしい」というものであった。.後に彼は、「やっかいなイタリアは、むしろドイツと組んでくれたほうがありがたい」と述べているのだ。もしあなたが政治家として、目の前の戦略的な状況に対処しなければな少ないとしたら、イタリアや韓国のような国とは、大使館のような公式なチャンネルがあったとしても、統一した一つの実態として付き合うことはできないと覚悟すべきだ。これは日本がアジアで同盟関係を構築しょうとして、フィリピンをまともな同盟相手として扱うことができないのと同じである。
p75-78
「一帯一路」構想の致命的な過ち周辺諸国との問題を解決するために中国が打ち出したのが 「一帯一路」構想(OBOR=OneBeltOneRoad) である。これによって中国は諸外国に投資や経済援助をして、スリランカやパキスタンのような国に港湾施設を建設している。つまり彼らは、「マリタイム・パワー(海洋カ)」をカネで獲得しょうとしているのだ。だが、中国はマリタイム・パワーを誤解している。マリタイム・パワーとは狭義の軍事力だけでなく、関係諸国と友好な関係を持ち、その友好国との軍事的、外交的、経済的、文化的な関係によって形作られる総合的な力めことである。軍艦を寄港させると同時に情報交換をするなど、諸外国と良好な関係を築くことで存在感や総合力を増すものである。アメリカは、世界のありとあらゆる国に出かけて戦争したり、爆撃したり、勝手気ままに振る舞っているが、なぜそのような行動が取れるかといえば、近隣のカナダ、メキシコ、カリブ海諸国と一切紛争を起こさないからだ。海上ではそれぞれの国との政治関係によって、どの国と敵対し、どの国と友好関係にあるかということが何よりも重要になる。一方、「シーパワー(海軍力)」とは装備や訓練を拡充することで増強できる海軍力そのものを指す。現在、中国は、軍艦を建造するのに熱中すること、つまりシーパワーの増強によって、敵を作っている。強力な海軍を建設すれば、関係諸国が中国を恐れるのは当然だ。その結果として、中国はマリタイム・パワーを失う。これは一九〇四年のロシア帝国と、第一次世界大戦のドイツが招いた失敗と同じだ。彼らはシーパワーは持っていたが、マリタイム・パワーを持てなかった。本来、中国が一帯一路」構想で獲得すべきなのは、マリタイム・パワーのはずだ。信頼の醸成にはカネはかからない。だが、その獲得は非常に難しい。広範囲にわたる長期の取り組みが必要であり、相手国と平等な関係になつてこそ同盟に近い関係が築けるからだ。いくらカネでマリタイム・パワーを手に入れようとも、カネは必ずしも信頼獲得の効果を生むものではなく、もっと言えば、カネという札は安全保障という札に負けてしまうことが多い。中国は、「われわれは非常に寛大で、多くのカネを配って投資し、大量の旅行者を送り込むことも、あなたの国の製品を大量に買うこともできます」としきりに宣伝する。しかし中国に対して一度でも恐怖を感じた国は、このような提案を拒否するようになる。加えて、中国が同盟国として、例えばフィリピンなどの相手を同等に見てリスペクトできるかと言えば、かなり微妙である。これではマリタイム・パワーの醸成は難しい。中国は空母の建設や海上演習を大々的に行うなど、カを見せつけて周辺国を圧倒しようとしているが、これはあくまでもシーパワーに過ぎない。むしろ周辺国は中国を恐れ、中国軍艦の寄港を拒絶するようになる。中国の思惑に反し、現実は嫌われる一方となっている。にもかかわらず、中国はマリタイム・パワーとシーパワーを混同し、強圧的態度を改める姿勢は見られない。自身の間違いに気づいていないようだ。そのため、習近平はフィリピンに対して行ってきた、実に攻撃的な「冒険主義」の方針を今後もしばらくは続けていくだろう。
そして、どんなにシーパワーを持とうともマリタイムパワーの手札を持つ日米にかなわないという海洋戦略の基本を理解していないようだ。
p81-83
かつてナポレオンは圧倒的な軍事力でヨーロッパを席捲していた。これに対抗して英国が中心となって反ナポレオン連合を結成した。フランス軍7万に対し、英国軍は2万ほどであったが、オランダ、プロイセンなど同盟政策をおこない、ハノーファー王国、ナッサウ公国など小国の軍隊をかき集めなんとか対抗できる勢力にしかならなかった。
中国は海洋戦略を全く理解できていない
ここに、米中対立が不可避である理由のⅢが生まれる。
日本、インド、ベトナム、オーストラリアなどの国々が、対中国同盟を築き始めた頃、オバマ政権のアメリカは背後に回って支えたものの、主導権を取ろうとしなかった。本来、ランドパワーの大国である中国が大規模な艦隊を作り始めたら、シーパワーの国であるアメリカはその動きに対するリアクションとして、ランドパワー大国の周辺の国々との関係を強化しなければならない。仮に中国が、日本に「尖閣で間警引き管して申し訳なかった。尖閣は日本のものです」と言明し、フィリピン、ベトナムにも同じ態度をとる。その結果として、中国人観光や投資などの平和的な交流に限ることにすれば、日本からも「なぜ中国と敵対するのか」という声が強くなり、中国のこの地域における覇権の確立につながり、現在、中国が強行しているシーパワーの増強とは相反するマリタイム・パワーが確立されることになる。
中国が「平和的台頭戦略」に戻れば、対中国同盟は破綻することになるだろう。中国人が戦略的であれば、そう行動するはずで、日本にとってはそのほうが大きな問題である。中国が、シーパワーは小さくあるべきだという戦略の本質を理解していないのは前述の通りだが、そもそも、中国は大海原というものを理解していないようだ。日本で、「中国が第一列島線、第二列島線を設けてアメリカ海軍を締め出そうとしておりアメリカの空母がミサイルによって危険に曝されるので、グアムまで後退せざるをえないといった議論が専門家の間で取りざたされているようだが、これ基型的なランド.メンタリティ(大陸的思考)の産物だ。中国が発想した第一列島線、第二列島線という考え方自体、中国がいかにマリタイム・パワーを理解していないかを証明している。海は陸とまったく違って、潜水艦や航空機が自由に活動する場所だ。にもかかわらず、中国人が国境よろしく列島線を強調するのは、彼らが海洋を理解することがまったくできずに、ランド・メンタリティによって考えていることを表している。日本も先の大戦で、広大な領域を手中に収めたものの、それを確保するための航空機、艦船が足りなかったうえに、パイロットの十分な訓練ができなかったために戦争に敗れた。これはランド・メンタリティ、つまり陸にばかり足をとられているランドピープルの「領土」を基本にした考えによって戦略を考えていたからに他ならない。中国も同じ過ちを繰り返している。つまり、中国は戦略的思考ができないのだ。人民解放軍の陸軍軍人の中には、先のマリタイム・パワーへの認識を正しく指摘しているものもいるが、習近平にはその情報が届いていないようだ。
だが、ご存知の通りナポレオンは大敗北を喫した。みんながナポレオンを恐れたからだ。
第二次世界大戦後の国境を変更しようとする、世界秩序の挑戦者となっている。つまり、中国は昔の朝貢外交時代のように、同盟戦略など興味がなく、軍事力のパワーさえあれば、自分の言うことを聞くだろうという考えを改めようとしない。つまり、中国は現実の戦争という問題に向き合っていないし、向き合うことができない。
中国人は、軍事力を京劇のような、象徴的なものと考えており、実効性よりもハリボテを使って周囲を威嚇することが大事だと思っている。だから、本格的な戦争に対して其の準備ができない。また、海上戦闘における実戦経験が皆無であることは致命的だ。
ちょっと漏れ伝わった写真数枚を見てもダメージコントロールがまるで準備されていない。
p95-97
政治的に失敗したリーダーは対外戦争を開始する共産主義体制下では、人民による「革命」が体制を変えることははとんどない。その代わりに、トップが中央政治局常務葺会のほかのメンバーや長老たちから批判を受け、「失業者が続出して人民から不満が出ているが、どうするつもりだ」と突き上げられることになる。習近平も現時点では独裁者ではなく、常務委員会のメンヾノーの一人に過ぎない。彼らがまとまれば、議決で習近平を追い出すことも可能だ。彼らは習近平の統治能力に愛想を尽かすか、習近平をスケープゴートとして解雇することによって、その責任を習近平一人に押し付けるだろう。社会問題が多発すれば、党の総書記であっても解雇される。一九八九年に天安門事件が起きた時、趨紫陽が失脚したのがその例である。つまり、中国国内の経済・失業問題の深刻化は、新たにもう一人、習近平という名の失業者を生み出す可能性があるのだ。自らのクビがかかった習近平は、対外政策を二の次にして経済最優先の姿勢を取らざるを得ない。ただし、問題解決に至らないとなれば、冒険主義のボタンを押すだろう。中国を注視する際には、この「ターニングボイン」の変化のサインを見逃さないようにすべきだ。これまで述べてきたことをまとめると、われわれが注目しなければならないのは、中国の外交問題はすなわち内政問題であり、さらに言えば習近平自身の問題であるという点だ。実際のところ、われわれには「中国」という相手はいない。ただ習近平という人物がいるだけであり、中国の動きは習近平が自身を中心に考えた結果、選択したものなのである。習近平はよく毛沢東と比警れる。たしかに権力を自分に集中させようとして苛、終身国家主席として、独裁者の立場に近づいている。本来、習近平の立場は複数の常務委員のうちの一人でしかない。胡錦濤はその立場を守っていたが、習近平は二〇一八年三月に、自らの任期の撤廃でその構造を突き崩した。「firstsamong equals」、つまり「対等でありながら第一」という位置づけから抜け出し、「独裁者」への道を歩き出したのだ。もちろん、この選択は習近平自身にも危険を及ぼす可能性がある。彼の〝同志″たちが集団で反発し、彼一人を失脚させる可能性もあるからだ。もし経済減速と失業率の増加が目立ってくれば、他の常務要点たちは習近平をスケープゴートにして排除しようと画策するだろう。その時、対抗する習近平は、自身を毛沢東のような存在にして権力を保持するため、軍の掌握をさらに強める可能性がある。
イージス・アショア「十年計画」の非現実性最後に日本の防衛について、一つ注意しておきたいことがある。私は今回の米中対立が、軍事的な「戟争」という形には至らずに終わると言ったが、それでも、日本の備えが完全に非現実的な方向に向かうのが我慢ならない。例えば、イージス・アショア(地上イージス)計画だ。北朝鮮については次章で詳述するが、北朝鮮は現在、すでに日本に届くミサイルを複数保有している。もちろん数は多くはないが、核弾頭もある。まもなくその核弾頭を小型化してミサイルに搭載できるようになり、核ミサイルを実戦配備するかもしれない。日本には北のミサイルの脅威から自国を守る権利がある。そして日本政府は、北の核の脅威から国民を守るために、複数のミサイル防衛システムを調達することができる。そのうちの一つが、日本がすでに運用しているイージスシステムだ。本来のイージス・アショアのシステム獲得方法を比喩的にいえば、海上自衛隊のイージス艦にドライバーを持って出かけ、ネジを外して陸上に持って行き設置する、というものだ。ところが防衛省は、十年かけて最新式のレーダーシステムを搭載した、イージス艦に導入されているものとは別のイージスシステムを導入するという。これは科学の進歩という側面では意味のあることかもしれないが、日本人を守るという点ではまったくナンセンスだ。冷戦時代の日本は、たしかにアメリカに守られた子供のような立場であった。それで生まれた余裕を、日本の防衛産業は国内の細かい注文に応えることや、最先端の科学研究へと振り向けてしまい、例えばイスラエルが対戦車ミサイルを百機購入している間に、ようやく一台の高性能戦車を製造する、という有り様になってしまった。日本がミサイル防衛システムに本気で取り組むのであれば、いまあるイージス艦のシステムを外して陸上に設置すればいいだけだ。脅威が迫っているのに、十年計画で開発するのは論外と言える。それは科学の進歩の話であり、国防の話ではない。しかも、開発しているテクノロジーが完成した時に、それが本当の意味で最新式となり、日本の置かれた現状に適合した装備になる確率はゼロである。IT技術やレーダーの技術の進歩は極めて速いからだ。十年計画は「リアリズム」の完全な欠如だ。現実を完全に忘れている。第五世代のコンピュータの開発の話だったら悪くない。だが、国防というのはエンジニアが発明に取り組むような科学技術の開発ではない。実戦の溌に立つために、ごく短期で成果が求められる世界なのに、長期計画を立てるのは意味不明で、完全に間違っている。ついでに車つ一点。日本にはまだ他にもできることがある。それは艦船に飛行機を積む空母のようなプラットフォームの廃止だ。日本に拠空母など必要ない。南シナ海では潜水艦があれば十分だ。空母の代わりに必要なのは、中古のボーイング747-400(超大型ハイテクジャンボ機)の内部を改装して、空対艦ミサイルや空対地ミサイルを五十発積むこと、つまりミサイル航空機にしてしまうことだ。日本に求められているのは、アメリカが保有していない戦力を補完することである。ヘリ空母のような機能はすでにアメリカが持っている。「風林火山」の心構えで中国に対抗せよわれわれは中国との戦いに勝たねばならない。「勝とう」とか「試してみよう」ではなくて、確実に勝てる状態を確保するのだ。うまくやらなければ戦いは長期化するし、日本もニュージーランドもフィリピンも、中国の植民地になってしまうのである。そうしたことをいま、日本人は真剣に考えるべきなのだ。中国に対する対応は、常に「反応的」(リアクティプ)でなければならない。この十五年の間に、中国は「1・0」から「3・0」 へと三度も国家の方針を変え、大国でありながら小国のように不安定であった。中国の進む方向は常に不確実で、予測不可能である。だからこそ日本政府は、中国がことを起こすまでは慎重に、忍耐強く、「受動的な封じ込め政策」を行うべきである。その一方で、仮に尖閣などに中国が上陸した際には、即座に自動的に発動可能な対応策をあらかじめ用意しておく必要がある。ことが起きてからアメリカに相談したり、対応を検討したりしていれば大きな失敗につながるだろう。日本の有名な戦国武将である武田信玄は、孫子の兵法の 「風林火山」を重んじた。日本は平時において「動かざるごと山の如し」という姿勢を取るべきだ。そしてひとたび中国が有事を起こした際には、「疾きこと風の如く」の迅速な対応が求められる。
執筆中

コメント