
先日、ルトワックの日本改造論を読んだが、彼の分析能力の高さに敬服した。
ルトワックの中国分析論である「自滅する中国 副題:なぜ世界帝国になれないのか」をあらためて読んでみたい。
この本が上梓されたのは2013年。2008年のリーマンショックを乗り切り、2012年の上海万博が終わり、胡錦濤政権から習近平政権へ移行した年だ。
胡錦濤政権は紛いなりにも鄧小平同志の言いつけでる「韜光養晦(才能を隠して、内に力を蓄える)」政策を維持してきた。
ルトワックは、胡錦濤政権末期から次第に本性を現し始めた、中国という厄介な国の分析と行く末を本書において見抜いていた。
さながら、ノストラダムス的な予言の書でもあるかのごとく、今日世界中から孤立した習近平政権と中共の現在を適切に言い当てている。
「中国人はナショナリストだが、愛国者ではない!」エドワード・ルトワック|奥山真司の地政学「アメリカ通信」•2018/11/10
日本語版へのまえがき(エドワード・ルトワック)まえがき第1章❖〈反発なき強国化〉がまちがっている理由第2章❖時期尚早の自己主張第3章❖「巨大国家の自閉症」を定義する第4章❖中国の行動における歴史の影響第5章❖中国の台頭で生じる地経学的反抗第6章❖中国の強国化とそれにたいする世界の反応第7章❖無視できない歴史の比較第8章❖中国は成功を約束する大戦略を採用できるか?第9章❖戦略における古代の愚かな知恵第10章❖歴史の記録から見える戦略面での能力第11章❖避けられない反発の高まり第12章❖なぜ現在の政策は続いてしまうのか第13章❖オーストラリア ―― 同盟の模索第14章❖日本 ―― 離脱からの離脱第15章❖反抗的なベトナム ―― 新たな米国の同盟国?第16章❖韓国 ―― 天下システムにおける典型的な従属国?第17章❖モンゴル ―― 反中同盟の最北の前哨基地?第18章❖インドネシア ―― 排斥主義から同盟へ第19章❖フィリピン ――「敵」に回してしまう中国第20章❖ノルウェー ―― ノルウェーはありえない!第21章❖アメリカの三つの対中政策第22章❖結論と予測付録❖「平和的な台頭」の興亡解説「ルトワックの戦略の論理と中国の戦略文化」(関根大助)訳者あとがき(奥山真司)内容説明中国を知り尽くした戦略家が、戦略の逆説的ロジックを使って中国の台頭がいかに自滅的なものかを解説した異色の中国論。( 2012年11月刊行書の完訳版)――中国が経済的に成功した現在でも、戦略的には失敗している現実は何も変わっていない。――中国の政府高官たちによく見られるのは、「外国との間の長年にわたる未解決の紛争は、故意に危機を煽ることで解決できる」という考え方だ。そうすることで強制的に交渉を開始させ、紛争を収めようというのだ。――春秋戦国時代の論者たちの狡猾な策略を「古典から賜った至高の戦略の知恵」という誤った考えでは戦略の論理は理解できない。――中国が妨害を受けずに世界覇権国になれるのは完全に民主化を果たした時だけなのだが、完全に民主化された中国政府は、いままでとは全く違う目標を追求するようになるのは確実なのだ。
日本語版へのまえがき
ソ連が崩壊した時に、「日本はこれから本格的に平和な時代を迎えた」と考えることは妥当であつたように思える。日本はアメリカからしつかりと守られている同盟国とい立場であり、唯一の脅威は、口うるさいが国力の弱い北朝鮮だけだつたからだ。
その当時からも中国経済は急速に発展しており、同時に軍事費もうなぎ1りであつたが、それも実際は脅威であるようには見えなかつた。その理由は、中国が「平和的台頭」(Peacefull Rise‥中国和平崛起)という自制的な政策に従って行動していたからだ。このスローガンは日本をはじめ、アメリカや世界の国々に向かつて「中国は自らのルールを押し付けたり軍事力で領土を獲得するのではなく、国際的な行動ルールに従い、既存の国境を守り続ける」ということを明らかに約束していたのだ。もちろんインドやベトナムとの目⊥芸た領土・領海争いはあつたのだが、「平和的台頭」という政策ではそれらはほとんど触れられておらず、例外的に「すべての紛争が時間がたてば互の合意によって平和的に解決するという」という指摘がなされたくらいであつた。北京政府自国の領土であると(ときに激しく)主張し続けている台湾のケースについても、もし台北の指導者が独立宣言(つまり中国からの分離)をすることによって現状維持を崩さなければ、中国は台湾を軍事侵攻しないと約束しているのだ。国家が平和的な状態を、とくに平和的ではない時に約束するのは別に珍しいことではない。しかし中国の場合には「平和的台頭」は非常に信頼のおけるものであつた。なぜなら自国の悲惨な状態から繁栄状態までの急速な成長を許してくれた国際システムを維持することは、自分たちにとって明らかに利益になるものであつたからだ。ところが中国の行動は二〇〇五年以降に変化しはじめており、二〇〇八年の金融危機の勃発以降はさらに急激になつている。振り返ってみると:」の時の中国の支配層――党の幹部や影響力のある学者のアドバイザーたち、そして活動的なPIA(人民解放軍)の将校たちなど――は、金融危機の意味を「拡大解釈」してしまったのだ。
彼らは「経済の総合力で中国の超大国への台頭が早まる」と正確に認識しており、すでに中国の戦略的な力も大規模に拡大してしまったかのような言動と行動を始めたのだ。それまでよく北京に通っていた訪問者たちは、相手側がいままでの自制的な態度から横柄な態度へと急激に変化したことや、外交部の幹部たちの使う新しい言葉さらにはボディー・ランゲージまで――が独善的なものになつてきたことに驚かされることになった。さらに危険なのは、長期にわたって休眠状態にあつた領土が一つずつ復活してきており、しかもこれが今までのようなトップダウンの指示によるものではなく、民間や軍の組織の中に態度の変化が拡大したことによって起こつてきたような部分が大きいことだ。実際のところ、胡錦濤(HuJintao)は最近になつて、任期中に中国の力の拡大を最大限に活用しなかつたとして批判されている。アジア開発銀行の中国代表が、インドへのローンを突然拒否したのは、まさにこのような状況下であつた。このローンには、インド北東部のアルナチャル・プラデシュ州(これは日本の領土の二割以上の大きさをほこる)への道路建設の資金が含まれていたためだ。
中国側はこの地域を「南チベット」(戚南)の一部であると主張しているのだが、この拒否によって長年主張してこなかつた領有権争いを復活させることになつたのだ。そのすぐ後にアルナチャル・プラデシュ州出身のインド若の高官が中国側にビザの発給を拒否されている。「中国生まれの人間はビザを必要としない」というのが、その理由だ(!)。
ベトナムが海上で直面しているように、中国の新しい行動は以前に比べてかなりフィジカルで荒々しいものであり、漁業を管轄する「漁政」の艦船は、ベトナムの漁船が中国側が領有権を、主張している広大な海にしかけた漁網を没収している。しかも実際はベトナムが占拠している島の周辺の海域でこれを行っているのだ。
尖閣諸島周辺で最初に活動を活発化させたのは、それとは別の海洋機関である「海監」であり、この島々を巡っても中国は静かに領有権争いを復活させている。
人民解放軍海軍(PLAN)はフィリピン海域へ自ら率先して出て行き、最終的にはインドネシアやマレーシアの海域まで出て中国の海洋権益を主張するために、船からテレビの生中継を行っている。
この海域の外周は、国際的に認められている排他的経済水域のはるか向こうにある「九段線」、もしくは「牛の舌」と呼ばれる有名な形の線によって決められている。実際に、その外周は南シナ海の三万平方キロを含んでおり、この合計サイズは三五〇万平方キロになると推定されている。したがって、中国は必然的に自国の岸から数百キロも離れていて、しかもインドネシアやマレーシア、それにフィリピンから見える島々や礁、砂州や岩礁などの領有を主張することになつてしまっているのだ。
陸上でも同じような変化が起こつており、中国はインド側の「実行支配区域」をパトロールしており、これは東のアルンチャル・プラデシュ側と西のラダツクの両方にたいして繰り返し侵入するものだ。このような態度は新しいわけでもないし、とりわけ珍しいわけでもない。このようなことは人類の歴史では何度も起こつてきたことであり、もし台頭する大国が歴史から学ぶことができれば、人類にはこれほどの犯罪と失敗の記録は残っていなかつたはずなのだ。
このプロセスの一例を挙げよう。ある国家が周辺国よりも相対的に国力を伸ばして侵略的な振る舞いを始めるようになると、その支配者、支配者層、そしてエリートたちが「新しいパワー(もしくはパワーの期待値)は国家の栄光やさらなるパワー、もしくは一般的に想像されているような富などの追求において有利に活用できるはずだ」と自分たちに思い込ませてしまうのだ(非合理性というのはわれわれを不快にするため、海洋紛争は海底に眠る石油やガスの埋蔵量という想像された価値によって説明されることになる。これについては一九八二年のイギリスとアルゼンチンの問で起こつたフォークランド紛争でも同じような想像的な説明がされたのだ。ところがどれほどの埋蔵量があろうとも、中国には海を接した近隣諸国を敵に回すコストまで正当化できるわけがない)。その次の段階もよく見られるものだ。つまり、ある台頭した国によって脅威を受けた別々の隣国たちが、それまでは互いに関係が深いわけではなく、場合によっては悪い関係にあることもあるのだが、新しい脅威にたいして新しく合同で対処する方法を探ろうとして、互いにコミュニケーションを始めるのだ。その次に彼らは様々な面で実際に協力できることをはじめ、公式な安全保障面での取り決めもないままに自然な同盟関係が形成されるのだ。たとえば二〇一三年現在、日本はベトナムに資金援助を行っており、ベトナムは潜水艦をロシアから購入している。ベトナムがこのような高度な兵器を使うための専門知識を獲得するまでには普通はきわめて長い時間がかかるものだが、インド海軍はまったく同じ型の潜水艦を使っているために、ベトナムの乗組員を自国の訓練養成所で訓練させることを提案している。インドと日本とベトナムの間には三国間の安全保障協定があるわけではないし、その必要もないのだが、それは最近の中国の独善的な態度がこの国々から防御的な反応を自然と引き起こしたからだ。この三国の人口と経済力の合計は、中国のそれよりも多いのである。中国周辺のあらゆる国々が、その台頭する国力にたいして同じような反応を起している。オバマ政権の場合はこれが大西洋から太平洋へ「重心」を移す政策を宣言したことにも見られるし、より控え目なものとしては、オーストラリアが中国との友好関係を主張しながらも、同時にダーウィンに新たな米軍基地を開設し、インドネシアとマレーシアにたいして中国の領海の主張に抵抗するように静かに支援しているのだ。戦略は「常識」とは違う。それは逆説的(パラドキンカル)な論理(ロジック)を持っており、直接的な行動を皮肉的・矛盾的な結果によって罰することになるのだ。したがつて中国がその台頭する力を周辺国にたいする領有権の主張という形で表現すると、それが敵対的な反応を発小させることになり、影響力(ソフト・パワー)を破壊することによって全体のパワーを減少させることになる。よって台頭する国は、「パワーが台頭している」という事実そのものから、パワーを失ってしまうことになるのだ。中国はそれでも台頭できるのかもしれないが、それは国力を(ソ連が一九七〇年代と八〇年代に行って経済を破壊したように)莫大なコストをかけて増大させるか、もしくは相手国を分断・孤立させながら同時に他国には十分に安心させるような措置を行う場合だけである。ところが中国は、インド、インドネシア、日本、マレーシア、フィリピン、そしてベトナムにたいして、これとまさに正反対なことを同時に行っているのだ。ところがこれはある意味で当然のことと言える。なぜなら彼らの歴史の中には、互いの主権を用心しているような他国がひしめく世界で生きて行くような知恵が残されていないからだ。中国の文化は南部のジャングルから東部の海、西部のほぼ空っぽのチベットの高地、そして北部の草原によって形成されてきたのであり、ヨーロッパの大国が常に行ってきたような、コミュニケーション、行動、そして対抗するような相手は、どの方角にも存在しなかつたのだ。バランス・オブ・パワー(勢力均衡) の理解にはまず独立した他国の存在を認めるところから始めなければならないのだが、中国はその存在をそもそも認めていない。中国には「天下」(TianXia)という独自の概念があり、異国人は反逆者か、高価な下賜品を含む「仁」を得る代わりに貢ぎ物を捧げてくる、従属者であることになる。
彼らは孫武(SunWu)から始まる春秋戦国時代の論者たちの授精な策略--これは「同一文化内」の計略や戦争だけにしか通用しないものだを相変わらず信仰しつづけているために戦略の論理を理解できず、そのために自国の崩壊という大災害を何度も繰り返し経験することになつたのだ。
したがつて、数や富の上でははるかに勝る漢民族(漢人)も、一九一一年までの三〇〇年間にわたつて満洲族に占領されており、その前のモンゴルとトルコ系の王朝を含めると、過去千年間において中国人が支配したのは明朝の二〇〇年間だけなのだ。
「戦略」を彼らの多くの才能に加えることができなかつたにもかかわらず、漢民族が彼らのアイデンティティーを維持できたのは、ひとえに「征服者たちが文化的に漢民族よりも劣っていた」という理由だけだ。中国が再び経済的に成功した現雫も、戦略的には失敗しているという現実は何も変わつていはいないように見える。ところが今回はその周辺国と世界全体にとつての危険ははるかに高いのだ。私は奥山真司氏が自分の本を日本の読者のために訳出するという大変な作業を行ってくれたことに感謝している。著者というのはなるべく多くの人々に多くの言語で自分の著作を読んでもらいたいと考えるものだが、私はとくに日本については格別な思いがあることを告白すべきであろう。私はこの国にいる友人を訪れたり、完璧な隠し湯(温泉)を探すために、長年にわたつて何度も楽しく訪れさせてもらつている。エドワード・ルトワック二〇一三年六月三日
まえがき
現在の中国の問題について、私は 「中国の専門家」(Sinologist)ではなく一人の「戦略家」(Strategist)としてアプローチしている。その理由は、戦略の普遍的な論理はあらゆる文化とあらゆる時代に完全に平等な形で適用できるからだ。この本の内容は、もちろん私が文章の中で引用した学者たちの研究や文書に拠ったものであるが、それでも私が中国の内外を旅した経験にも彩られているものだ。しかも私は中国が世界に開放するはるか以前から、内部の最も人里離れたところまで行った経験をもっている。その当時と比べると状況は改善されてきており、私は引き続き中国内部を広範囲に渡って旅している。そのため、私は毛沢東が生存中に続いていた非人道的な苦難と、彼の死の直後から始まって現在も続いている驚くべき社会変化の両方をよく知っているつもりだ。もちろんまだ中国ではあらゆる点で悪習や欠点があることを十分承知のつもりだが、それでも私は中国の国民が物的な面と個人の自由――もちろん政治面ではいまだに厳しい制限があり、これには残念ながら民族・部族の自己表現も含まれているが――の両面で成し遂げた偉大な進歩に喜びを隠すことはできない。
したがって、私が中国とその国民を見る視点というのは、外から客観的に眺めるようなものではなく、むしろ彼らの希望と不安を一身に感じっつ、かなり以前から彼らの強い本当の友情を示してもらって感謝している一人の人間としてのものである。したがつて、もし中国の急激な発展が戦略の逆説的な論理と衝突するのであれば、それに従つて起こる悲しむべき、そして不吉な結末を、私は素直に喜ぶことはできない。もし本書の私の正しい/間違った分析の他にもう一つ別の目的があるとすれば、それは中国の支配層が「地球規模の存在感、急激な経済成長、そして同じくらいの速度の軍事力の増強をすべて共存させ、しかもそれを今後も続けられる」という幻想から目覚めて欲しいという希望を託したメッセ一ジにある。戦略の論理が現在の中国の状態を許すことができるのは不均衡な経済面(しかし軍事面ではない)での成長であり、宥和的な言葉や賢明な計略ではこの論理を出し抜くことはできない。悲惨な結末を避けるためには、たとえそれが常識や普通の人間のもつ直観に矛盾するものであつたとしても、戦略の論理に従わなければならないのだ。急激に増加する富は恥や自制の感情を呼び起こすことはほとんどないのだが、中国がもつそのスケールにたいして対抗しようとしてくる独立した国家がひしめく世界では、これ以外の道は不可能なのだ。
第1章❖〈反発なき強国化〉がまちがっている理由
P20-23
P20-23
経済・軍事・政治の、三つの面における中国の国力増大は、一九八〇年代から一九九〇年代(一九八九年以降の小休止をはさんで)までの実績の賜物であるというのは事実である。しかし実際のところ、中国は米国とそして日本とも比べても、いまだに裕福ではないし、強大でもなく、影響力も持っていない。さらに欧州やラテンアメリカ諸国にとつても、中国はいまだに 「得体の知れないよその国」というイメージから抜け出せていない。ところが、中国の経済と軍事面での発展がこのまま他の人国たちの平常心を乱すレベル、つまり他国が抵抗なく発展を受け入れることができる範囲を越えるレベルで続けば、他国の反発を引き起こさずにはいられないだろう。このような状況はごく自然な成り行きであるといえるのだが、もし中国国内もしくは国外で「急撒な変化」が起こらなければ、これ以上の無抵抗の国力増大は受け入れられることはないだろう。この「急激な変化」とは、中国自身の民主化と、その結果としての政権の正統化であつたり、もしくは中国を「脅威の同」 から 「好ましい同盟国」へと周辺の見方を劇的に変化させてしまうような、さらに深刻な脅威の出現である(パキスタンは、中国の国力が増大すればするほど自分たちにとつて中国が頼りがいのある支援国になってくれるという意味でその典型的な例だ)。民主化でさえも「中国の台頭」という戦略的な重要性を消すことはできないし、そこから発生する反応も無くすことはできない。なぜなら民主制国家である米国でさえも、「圧倒的な大国である」という理由だけで、時と場人口によっては同盟国から反発を受けているからだ。しかし民主化が達成され、少数の共産党幹部による秘密めいた寡頭支配が終わり、さらに中国がり国力の最大化を熱心に目指さなくなれば、中国の台頭にたいする懸念や周辺諸国の反発は確実に減るはずだ。民主化は、おそらく 「勃興期の大国にたいする反発は増大する」という戦略の論理の反証にはならないだろうが、それでも反発を受けないで強国化できる限界点のレベルを上げることにはなるだろう。しかし実際のところは中国の台頭はすでに経済的・軍事的・政治的にも許容できるレベルを超えており、他国は中国にたいして、監視したり、抵抗したり、避けようとしたり、もしくは対抗しようとするという行動を通じて多かれ少なかれ反応しはじめており、これはまさに戦略の逆説的な論理を作動させてしまっているのだ。街角でのナイフを使った個人レベルの決闘から、国家が行う大戦略レベルの平時における多面的かつ多極的な関与に至るまで、その大小にかかわらず、戦略のもつ逆説的な論理は常に同じである。すなわち、ある行動 この場合には国力の増大だがは反作用を引き起こし、この反作用は元の行動を止めるわけではないが、それでも単純かつ線的なべクトルの物事の進行を阻止するのだ。今回の中国の場合にはあまりに大きな反発があるため、現在のような急激な経済力、軍事力、そして地域や世界における影響力の拡大は、今後も続けることはできないはずだ。もし中国の指導者がこれらの警告を無視してさらに突き進もうとすれば、戦略の逆説的な論理が働くことにより、国力の増大は不可能となり、反発はますます増大することになる。これまでの単純な成り行きによる不可避の結果というわけではないのだが、それでも経済力・軍事力・世界政治における影響力の拡大を通じた中国の「支配的な大国」としての台頭は、いままで予想もされなかつた事態の発生によって妨害を受けることになるだろう。戦略にそなわつている逆説的な論理によれば、中国の台頭のスピードの鈍化、あるいは部分的には衰退も発生することが予測されているのであり、もし彼らが協調的もしくは軟化した場合には前者の事態が発生しやすくなり、必要以上に不安にかられるようになると後者の事態が生じやすくなる。もちろんここまで述べてきたことは、中国による挑発的な行動、もしくは他国に脅威を与えるような行動が必ず発生するということを暗示するものではない。これらのことは、そもそもある国が急速に国力を増大した場合の反作用として生じる、ある意味必然的なものだからだ。ところが今回のこの中国の急速な国力増大の場合は、その行動の仕方に関係なく、そもそもそれ自身に不安定な要素を含んでいる。したがって、最近よく言われている 「中国には昔のドイツのオットー・フォン・ビスマルクのように、周辺国に反発を受けない形で対外政策を指揮することができる人物が必要だ」 という指摘は間違っている。つまり本当の問題は中国自身がどのような行動をするかではなく、むしろ中国があらゆる面で発展しているその規模の大きさにあるからだ。混雑したエレベーターの中に中国という肥満児が乗り込んできて、しかもその肥満児がその場で急速に太り続けているとすれば、すでに乗り込んでいる他の乗客たちは、たとえ中国自身に悪気がなく、実際は礼儀正しいイイ奴だったとしても、自分自身の身を守ろうとしてエレベーターの壁との間で押しっぶされないように中国を押し返そうとするものだ。もちろんその混雑したエレベーターには、もっと太っていてやかましく、しかもさらに暴力的になることもある米国がすでに乗り込んでいるのだが、米国は何十年もエレベーターの乗客であるため、他の乗客のほとんど――もちろんキューバ、イラン、北朝鮮、シリア、ベネズエラという少数の例外はあるが、彼らの存在そのものがアメリカの優秀さを表していると言えよう――は米国の厚かましい振る舞いへの対処方法を身に着けている。
最も重要なことは、米国の太るペースは中国ほど急速ではないし、今後もこれまでのやり方で対処可能であり、米国には非常に透明性の高い民主的な意思決定手続きがあり、いきなり米同が他国に対して脅威となることはないという意味でやりやすいという点だ。
中国はドイツと同じ轍を踏んでしまった...「海軍をつくったのが『中国、終わりの始まり』」E.ルトワック|奥山真司の地政学「アメリカ通信」•2019/06/28
第2章❖時期尚早の自己主張
2008年のリーマンショックを機に中国の指導層のエリート達はおおいに自信を持つようになり2009年~2010年あたりから突如明確な変化がおき始めた。金融通貨政策で強い主張をするようになり、日本、ベトナム、フィリピンと領土問題で紛争が激化しはじめた。
当時日本は管直人という活動家上がりの男が総理大臣をやっており、2010年9月7日尖閣沖で海保の船に意図的に衝突させた漁船の船長を刑事罰に問うことなく指揮権発動で釈放したのは、このバカ総理のおかげである。
まだまだ、覇権を米国から奪うなど時期尚早であるのに中国指導層を付け上がらせた大きな原因の一つではないかと思う。バカな活動家上がりの総理が世界史を意図せず動かした愚かな行為だったような気がしてなりません。
第3章❖「巨大国家の自閉症」を定義する
p35-37
すべての巨大国家のリーダーやオピニオンリーダーたちは、危機的な状況に陥った場合を除けば、内政に多くの問題を抱えているために、外政にたいして満足に集中することができない。彼等は同じような社会的な発展をしている周辺の小国たちと比べて、世界情勢にたいして継続的に注意を払うことができないのだ。結局のところ、それが数百万人の国民によって構成されてうまく運用されている国家であろうと、ロシア、アメリカ、インド、中国といった巨大な国家であろうと、その国内に存在する個人が持ちうる知覚と知能の限界は同じであり、どの国のリーダーも日常的な決断や儀礼的な公務の他に、たとえ危機的状況でなかつたとしても、常日頃から国内での緊急事態に直面しているものだ。結果として、単なる不注意が起こるだけではない。その反対に、国際間題というのは巨大国家のリーダーや、さらにはその支配層のエリートたちにとって、どの選択肢も必ず誰かを不快にさせるような困難な選択を迫る内政問題が生じた場合には、むしろ歓迎すべき気晴らしにもなるのだ。しかもこれはただ単に実際にありえることではなく、むしろ日常的に行われている。この「巨大国家の自閉症」は、単なる不注意以上に悪いものだ。なぜなら、このような国家のリーダーたちは内政問題への対処に忙殺させられてしまうおかげで、外政に関する複雑で微妙な詳細な情報を、たとえそれが目の前に提示されていたとしても吸収することができなくなるからだ(しかもそのような情報が提示されることは極めてまれだ。たしかに情報担当官の本当の任務は支配者層が聞きたくもない情報を耳に入れることなのだが、実際にそうすると自らのキャリアに傷をつけてしまうからだ)。そのため、外政における意思決定というのは、理解不能な複雑な現実を非常に単純化した見立てを元にして行なわれてしまうのだ。しがたってこの複雑な現実は、国内で勝手に作られたカテゴリーや期待、それに見解などによって、歪められた形で理解されてしまう。だからこそ、マサチューセッツ州やミシガン州選出の政治家たちが、(他州であるために事情が異なり、地元の意識調査も知らないために詳しいとはいえない)ミシシッピ州の現状を語ろうとしないのにもかかわらず、なぜかアフガニスタシ、イラク、そしてリビアの問題の解決法についてはためらいもなく語るようなおかしな事態になつてしまうのである。この話は中国にも当てはまる。たとえば中国上層部の知的な人々は、印中間の魅力的なビジネスの話を持ちかけようとする温家宝首相のたった一度の訪印によって、最近の中国の対外的な動きにたいしてインド側が抱いている怒りや不満を、一挙に解消できると信じ込んでいたのだ。このような相手にたいする単純な見方というは、自己の姿をうつす鏡(もっともそこに写った姿は完全に間違ったものだが)のような役割を果たしていることが多い。多くの中国人にとって、中国人の行うビジネスは本当にビジネスの話が中心なのだが、インド人が行うビジネスはインドのためなのだ。インドの対外政策には経済的利益がそれほど強くは反映されておらず、対外政策は外交の専門家や選挙によって選ばれた政治家たちの、イデオロギー的に偏った考えによって支配されているからだ(もしそうでなければ、一九四七年からほぼ最近にいたるまでのインドとアメリカの関係も、これほどまで制約の厳しいものにはならなかつたはずだ)。事業経営者や起業家に報償を約束されている中国側と違って、インド側の実際の意思決定者や、経済よりも地政学的な利益に重きをおく官僚、そして国家経済の利益と言うよりもむしろ個人的利益によって行動する可能性のある政治家たちにとつても、報償というのはあまり重要ではなかつたのだ。いずれにせよ、インドの政府官僚や政治家たちは、領土に関する譲歩を少しでもしようものなら自分たちの地位が危うくなることをよくわかつているのだ。近隣諸国との国境紛争を解決するために、領土面で譲歩を行うか、少なくとも長きにわたつて領有の主張を行なつてきた土地を諦めて寛人な態度をとるようになつた中国のリーダー達にとつて、このようなインド側の態度は理解しがたいものかもしれない。その証拠に、中国は二国間交渉において、アフガニスタンの主張を一〇〇%、ラオスの主張を七六%、カザフスタンの主張を六六%、モンゴル共和国の主張を六五%、ネパールの主張を九四%、北朝鮮の主張を六〇%、タジキスタンの主張を九六%、そしてベトナムの陸上の領土の主張を五〇%受け入れている(これは同国との領海に関する非妥協的な態度と著しい対照をなしている)。また、ソ連とその後のロシア連邦との間で続けられた交渉においては、ほぼ五分五分の解決を導き出すことに成功している。
要は、中国は相手の国情のことをよく理解しようともせず、自分の主張が通るものだと思い込みだしている。
第4章❖中国の行動における歴史の影響古代中国において、異民族の支配を含め、中国大陸を制した朝廷即ち中華帝国が自らのことを「中華」と呼んだ。また、中華の四方に居住し、朝廷に帰順しない周辺民族を、東夷、
北狄、西戎、南蛮と呼び、「四夷」あるいは「夷狄」(いてき)と総称した。
周辺民族を使って周辺民族を統治する「蛮夷操作」を行ってきた。
現代中国はいまでも古代妄想的な華夷秩序に縛られている。
周辺民族を使って周辺民族を統治する「蛮夷操作」を行ってきた。
現代中国はいまでも古代妄想的な華夷秩序に縛られている。
第5章❖中国の台頭で生じる地経学的反抗
国際ルール違反を許す習慣というのは、中国がまだ経済的に弱小国だつた頃に形成されたものだ。ところが今や中国のルール違反を許すことはあまりにも害が大きく、中国はそれを活用しながら一方的に自分の利益を追求し続けている。
中国が外国の先進技術を剽窃する一方で、外国の知的財産権が中国でまともに保護されていないことは有名だ。
完成済みの橋梁のよぅな巨大なインフラ製品が中国から輸出される一方で、中国国内のインフラ建設の案件では外国企業による中国企業との競争は禁じられている。他にもこうした例はいくらでもある。
中国が外国の先進技術を剽窃する一方で、外国の知的財産権が中国でまともに保護されていないことは有名だ。
完成済みの橋梁のよぅな巨大なインフラ製品が中国から輸出される一方で、中国国内のインフラ建設の案件では外国企業による中国企業との競争は禁じられている。他にもこうした例はいくらでもある。
どんな国でも、すきあらば国際貿易のルトルをねじ曲げようとするものだ。ところがこのよぅな悪習を、その巨大で急激な経済成長と組み合わせて中国は使用した。
この本が出版されたオバマ政権時代まで、クリントン政権~ブッシュJr政権と米国は許してきた。これは米国が「自由貿易」をイデオロギーとして掲げているからだ。
ところが2008年の大統領選挙共和党のマケイン候補あたりから風向きが変った。次の2012年の大統領戦、自由貿易を目指していた元大統領候補で最近は共和党内で反トランプで有名なミット・ロムニー(Mit-Romney)でさえ、「中国とのあらゆる貿易関係を断ち切っても米国は許される」と主張した(2011年6月)。
ところが2008年の大統領選挙共和党のマケイン候補あたりから風向きが変った。次の2012年の大統領戦、自由貿易を目指していた元大統領候補で最近は共和党内で反トランプで有名なミット・ロムニー(Mit-Romney)でさえ、「中国とのあらゆる貿易関係を断ち切っても米国は許される」と主張した(2011年6月)。
ルトワックは、P76「いくつかは本当に実行されることになるだろう。」と予言したが、トランプ大統領は実現した。
P77
中国の文化は古代から続いており、極めて権威的で、珍しいほど孤立しており、独立国家がひしめく世界の中における 「幸福の追求」 には適したものではない。よってこの文化の一「脱地方化」(de・provinciahzation)に時間がかかるのは確実だ。最悪な紛争を発生させずに世界の均衡状態を守るためには暫定的な解決法が必要となるのだが、それに最適なのは、やはり地経学的な「封じ込め」なのである。
トランプ大統領は突拍子もなく米中貿易戦争をはじめたのではない。今までオバマやヒラリーのような親中政治家によって封じ込められてきた対中封じ込め政策を発動したにすぎない。
ルトワック氏は少なくともこの本を書いた2012-13年にはおそらくその10年以上前から米中貿易戦争~米中衝突そして最後は中国共産党政権崩壊まで予見しているのだろうと思う。
ルトワック氏は少なくともこの本を書いた2012-13年にはおそらくその10年以上前から米中貿易戦争~米中衝突そして最後は中国共産党政権崩壊まで予見しているのだろうと思う。

コメント
コメント一覧 (7)
Ddog
が
しました
中国を巡る国際関係で大事なことは、安直な反中イデオロギーに根差すアホな政策は、やっぱりアホだという普遍的な事実です。
トランプ、アベしかりです。このアホな二人の指導者は中国を包囲封じ込めできると信じて疑わず、国際社会に中国か反中かという二者択一を脅迫したことです。
中国の内発的葛藤と対外的アプローチの関連性を注意深く観察し、真の中国との互恵発展を追求する真摯な姿勢が求められます。南シナ海での摩擦は過渡的なものでしかありません。超大国である中国の国益を考えれば、中国の主張はごく控えめなものであり決して非現実的では無いのです。むしろフィリピンやベトナム等の小国を唆し被害者のお面を彼らに無理やり被らせ、国際正義面するアメリカの陰謀こそ見逃してはいけない。
現実的な中国論を語るべきが今ではないでしょうか?
Ddog
が
しました
また頭の悪い投稿お待ちしています。
を支持します。
ちなみに、市民の目様 批判するより、自分でサイトを立ち上げて
公安にマ-クされる立派な方になってください。
Ddog
が
しました