
米津玄師 - 地球儀 Kenshi Yonezu - Spinning Globe
7/16公開2日目炎天下君たちはどう生きるかを観てきました、何の予備知識もなしに「君たちはどう生きるか」を観てきました。映画が始まって暫くなでは、コペル君が主役の小説「君たちはどう生きるか」の映画化なのかもわからなかった。とりあえず宮崎駿の自伝的作品だということだという前提で観はじめた。
過去の宮崎作品のっセルフオマージュを使った宮崎駿版不思議の国のアリス(千と千尋の神隠し)的な異世界冒険そして現実に戻る話だった。私も初見ではチンプンカンプンでわけがわからないファンタジー映画だっと思ったが、エンターテインメント作品というより宮崎駿の自伝であり遺言の映画である。
知識ゼロで観に行くよりある程度知識を持って観に行った方が楽しいように私は思えたので、わたしのブログを読んでも私は何ら問題ないと思う。
観終わって家に帰り早速、岡田斗司夫さんの動画を観た。確かに奥が深くて、岡田斗司夫さんの言うようにエンターテインメントとしてはわかりずらい映画だったが、ワンシーンワンシーンが奥が深い難解な作品であったような気もした。
岡田斗司夫さんの無料動画だけではよくわからないので他のユーチューバーの解説動画も観た・・・
今はエヴァンゲリオンの初期に似ている解説競争合戦期だ・・・・なるほどと思う解説、「それは違うぞ」という解説、皆がそれぞれ意見見解を述べている。私が思うに、この作品には、数々のメタファーとが散りばめられており、観客の解釈で様々に受け止めることかをできる白紙の部分が沢山あって観客がそれぞれ書き込むことで作品が、完成し、見る人によって作品が変化していく作品だと思う。だが、解説のユーチューバーの皆さんはわずか数回見ただけでてよくここまで解説できるものだ私は感心してしまった。
本作は、小説「君たちは、どう生きるか?」のストリーとは、、あまり関係はない、ただ小説「君たちは、どう生きるか?」のコペル君とおじさんの正しく生きるという宮崎駿のもつ倫理観が本作のベースとなり、主人公眞人の行動原理としている。眞人君が「君たちは、どう生きるか?」を読んだからこそ、人として成長できたから継母夏子を救い出して戻ってこれたと印象つけている。本作品は宮崎駿が子供の頃に読んだ多くの本が影響を与えているようだ。 君たちはどう生きるかのベースとなるストリーは英国の児童文学「失われたものたち」がベースとなっているとのことだ。
私は保守主義の立場で宮崎駿ファンなので、宮崎駿も私と同じような思想なのかと思い込んている。宮崎駿は、俺は社会主義者や、環境原理主義者みたいな理想論者(映画内の大叔父さんのような)ではないと本作品で宣言したと思う。小説君達はどう生きるかの思想的ベースである戦前の日本の小中学生が共有していたであろう、「修心」的道德≒日本の伝統的倫理観で映画をつくってきたんだ!と宮崎駿は言いたいのではないか?、ナウシカやもののけ姫にを後世安易な環境原理主義者の映画と思われたらたまらないと、本作品では語っているように思える。
おそらく君たちはどう生きるかはこの後様々な解説が並ぶだろう。以後宮崎駿学なるものができるとしたらそのテキストになる主作品となると思う。ある意味宮崎駿は、後世間違った解釈をされない為の遺言のような作品であると、私は感じた。宮崎駿/ジブリファンは何度も観るべき作品になるようになると思う。.....翌日17日毛局2回目を観に行った。
最低もう1度2度は観に行かねばと思った。(7/22 3回目を観た)宮崎駿のファンではない人や子供には向いていない映画だが私みたいにちょっとは興味があって。映画の謎解きを楽しみ「ああわかった」と誰かに語りたい人間は何回も通ってしまう。私は見事に嵌まってしまった。皆に公平にパズル解きの楽しさをあじわってもらいたいからこそ宣伝せず、前情報を与えないことにしたのだろう。私のようにパズル解きが楽しい観客は何度も観に来ることまで見越していたのだろう。私は見事にジブリの戦略に嵌められた口だ。(笑)
岡田斗司夫さんの言うにはディズニーランドのパレード的な映画だと評していた。
オタキング岡田斗司夫大先生はじめ解説動画で言及していない点を少し気が付いたので、紹介する。また、他の解説動画ほど私は詳しくないので、宮崎駿過去作のオマージュがふんだんに盛られていたので私の視点で、気がついたものをあげときますので、映画談義する際の参考にして下さい。


最後に逃げ込んだ不時着した大昔の潜水艦のような宇宙船のオマージュって言えなくもない。そこに生


あと、大叔父の住むエリアの森がなんとなく腐海の森・・・っぽかった。増えすぎたインコは風の谷のナウシカの腐海の昆虫のオマージュ?私が発見したのは・・・その程度で、宮崎駿のライフワークの割には、風の谷のナウシカのオマージュは少なかったように思える。宮崎駿はアニメ版風の谷のナウシカに満足していないので、オマージュがないのかもしれない。もしかしたら個人的願望だが、
原作の漫画本にそったアニメ版の「風の谷のナウシカ」の続編をシンナウシカのてほしい。監督は御年82才もしかしたら次回作が遺作となってしまう可能性も高いのだから宮崎駿自身完結したいのではないだろうか?君はどう生きるかの製作中の合間に何回もナウシカ続編の噂がオタキング岡田斗司夫大先生のユーチューブなどで流布されていた。ナウシカアニメ版は、アニメ史においてエポックメーキングの作品であり宮崎駿にとっての思い入れも、アニメ版公開後にマンガ版を3巻から7巻まで上程し、ナウシカで言いたかったことはこうだ!と意地を示したのだから、私はマンガ板3巻〜7巻に相応するアニメ版を宮崎駿は次回作で製作するのではなかろうか?その為の製作委員会方式をとらず宣伝なしでどこまでやれるか地ならし的作品かもしれません。

眞人が異界に降りてきた海岸でぺりかん達に襲われた際キリコが巧みに三角帆の船は残され島やでコナンが使っていた舟そっくりであるし、キリコが巧みに船を操り海岸から離脱するシーンは完全に未来少年コナンのオマージュだ、海底から船を見上げるシーン、巨大な魚を捕獲するシーン、元陸地が陥没した海岸ははまさに未来少年コナンのオマージュ、時の回廊の突然現れる通路はインダストリアの上層階の通路っぽい。時の回廊もインダストリアも最後には崩壊する

ヒミと眞人が時の回廊へインコに隠れ侵入するシーン、回廊内でインコの軍団はさみ撃ちにあいそうになった時迫りくるインコ達は
ルパンを襲うカリオストロの刺客のオマージュっぽい。クラリスとカリオストロ伯爵の結婚式のシーンをインコがヒミを捕獲しった凱旋パレードでオマージュしている。
風の谷のナウシカ 監督: 宮崎駿 (1984)


となりのトトロ 監督: 宮崎駿 (1988)は、母親が体が弱く入院しているという設定。なるほど宮崎駿が幼少期自分の母が病弱だったからトトロでも入院中の母親が描かれたということか!本作品で青鷺がただの鳥では無いと分かった後、翌朝増長屋根をカツカツ歩き周り、まるでポルターガイストが自分の存在を知らせるような不気味な音で印象的だったが、トトロでも、引っ越してすぐ小さいトトロ達がどんぐりを落とし、ポルターガイストのようにその存在

を知らせるシーンを思わせる。青鷺の足音は不気味だった。トトロと※同時上映の高畑勲の「火垂るの墓」からは、本映画冒頭の空襲と火災はオマージュというかそのまんまである。風立ちぬの震災の後の火災のシーンもオマージュしている。

を知らせるシーンを思わせる。青鷺の足音は不気味だった。トトロと※同時上映の高畑勲の「火垂るの墓」からは、本映画冒頭の空襲と火災はオマージュというかそのまんまである。風立ちぬの震災の後の火災のシーンもオマージュしている。
火垂るの墓 監督: 高畑勲 (1988)
魔女の宅急便 監督: 宮崎駿 (1989)
魔女宅からはキキを襲うカラス達は大叔父の世界で真人を襲うペリカンはまさに魔女宅のカラス達である。

魔女宅からはキキを襲うカラス達は大叔父の世界で真人を襲うペリカンはまさに魔女宅のカラス達である。

紅の豚 監督: 宮崎駿 (1992)
多くの解説動画でも指摘しているように大叔父世界で沖に並ぶ無人と思われる帆船の群れがポルコが死にかけた時に見たと言う空を覆うあの世に向かう戦闘機の群れ。帆船の群れはまさに。オマージュですね。
多くの解説動画でも指摘しているように大叔父世界で沖に並ぶ無人と思われる帆船の群れがポルコが死にかけた時に見たと言う空を覆うあの世に向かう戦闘機の群れ。帆船の群れはまさに。オマージュですね。
耳をすませば 監督: 近藤喜文 (1995) にもオマージュがある。
雫が書いた小説に登場する浮遊する巨石(ラピュタ)が存在する異世界(イバラード)は、空中に浮ぶ巨石が中心にある大叔父の異世界に相応している。
同時期製作されたチャゲアスのミュージックビデオ「On Your Mark」のオマージュもあった。わらわらが飛ぼうと膨らむシーンはチャゲアス扮する警備隊員が教団から開放したはずの天子が政府に再び監禁されてしまっているのを憂い奪還する際防護服に睡眠ガスを注入しマルマルに膨らむシーンのオマージュと思う。
雫が書いた小説に登場する浮遊する巨石(ラピュタ)が存在する異世界(イバラード)は、空中に浮ぶ巨石が中心にある大叔父の異世界に相応している。
同時期製作されたチャゲアスのミュージックビデオ「On Your Mark」のオマージュもあった。わらわらが飛ぼうと膨らむシーンはチャゲアス扮する警備隊員が教団から開放したはずの天子が政府に再び監禁されてしまっているのを憂い奪還する際防護服に睡眠ガスを注入しマルマルに膨らむシーンのオマージュと思う。

もののけ姫 監督: 宮崎駿 (1997)
青鷺を射抜く為の弓と弓矢は 蝦夷の末裔アシタカの主武器
本映画中の継母夏子の産屋
と我を學ぶ者は死すと書かれた墓が、瀕死のアシタカをもののけ姫が運んできたモロ達ともののけ姫のねぐらにそっくりである。死と再生のメタファーとしてオマージュしたと思える。なお夏子が産もうとしていたのは弟なのだが、宮崎駿の新作の例えのようにも思えます。映画の中で「我を学ぶ者は死す」と書いてあった墓の持主について言及がなかったが、私は誰の墓が解ってしまった。引退宣言をした宮崎駿の墓だと思う
。引退宣言していたのに墓が破られたので、墓からでてもう一作つくることになったと言い訳しているのだ。墓をやぶったペリカンとは、宮崎駿に宮崎駿の世界に連れてこられた宮崎駿ファンである我々のことだ。死にかけたペリカンは嘆くこの世界(宮崎ワールド)へつれてこられたが、エサ(作品)が少なくいつも飢えている。宮崎ワールドを脱出(他のクリエイターのファンになる)しようとしても、いつもこの島(宮崎ワールド)へ戻ってしまう。と、豪語している。
ワラワラの正体は宮崎駿の無数のボツになったアイデアや構想なのではないだろうか?だからアニメファンのメタファーであるペリカンに喰われ(ボツ)身内であるヒミ(ジブリの身内)にも焼かれ(ボツ)作品として生まれることができなかった
墓の入口の碑文「我を学ぶ者は死す」について調べた。諸説あったが、私は清朝末期の中国がの巨匠斉白石の「我に学ぶ者は生き我に似せる者は死す」原文「学我者生、似我者死」らしい。意味は「師を深く学び、教えを守りながら創造をくわえる者は生き残るがただ真似る者は死す(消える)」これが正しいと思う。何時の間にか伝言ゲームで「我を学ぶ者は死す」と宮崎駿に伝わってしまったと思うのだが、推測にすぎない。だが、宮崎駿の跡を継ぐ者達への遺言のつもりだろう。おそらく(笑)
キリコは、エボシ御前+ハウルのサリバン先生のオマージュだろう。宮崎駿の強い女性のヒロインは皆少女で男勝りの成人女性はほとんど居ない。ラピュタの空賊のドーラ紅の豚のマダムジーナはちょっと違う。峰不二子は、宮崎駿の創作人物ではない。若いキリコに該当するのはエボシ御前だが、鳥を追い払う火の魔法はサリバン先生の魔法っぽい。若いきりこは鳥たちにエボシは森の獣に強く立ち向かう。二人共かっこよい。
千と千尋の神隠し 監督: 宮崎駿 (2001)は本映画同様異世界に迷い込み冒険し帰還する物語なので電車からの風景といい異世界感は本映画がそのまんまオマージュした。真人の母親の実家は、どことなく目黒雅叙園ぽいお湯屋のオマージュだろう。もう一つ産屋の大量の人形ひとがたは、千と千尋で龍のハクを追いかけてきたひとがたのオマージュもわかりやすい。また異世界が最後にバランスを崩し崩壊する時青鷺が眞人とヒミを必死に羽搏いて引っ張り上げ飛ぶシーンは千と千尋の中で
猫の恩返し 監督: 森田宏幸 (2002)猫の国はインコが支配する異世界でオマージュしている。
ハウルの動く城 監督: 宮崎駿 (2004)については、異世界の夜も盛大に星が降り、ハウルが体験した星が降る夜だった。
また、本作の狂言回し役の青鷺/青鷺男は、ちよつ男前ではなくなったが、鳥の化け物のハウルのオマージュである。なぜ青鷺かといえば、青鷺は、エジプトの神話では冥府と現実を行き来する鳥なのである。眞人が夏子を追って塔に入ろうとした時塔の入口にダンデの神曲の地獄の門の碑文が掲げてあった。(解説動画によると)塔とはジブリのメタファーだと私は思う、また塔の地下の異世界とは、アニメ業界もしくは宮崎駿の世界メタファーではないか?アニメ業界、ジブリの門と解釈すると、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」
まあ、アニメの業界の過酷な労働によって世界が成り立っている、理想の世界を作ることに係ることは、過酷なことでありある種の地獄であると宮崎駿は言いたいのだろうか?。
また、本作の狂言回し役の青鷺/青鷺男は、ちよつ男前ではなくなったが、鳥の化け物のハウルのオマージュである。なぜ青鷺かといえば、青鷺は、エジプトの神話では冥府と現実を行き来する鳥なのである。眞人が夏子を追って塔に入ろうとした時塔の入口にダンデの神曲の地獄の門の碑文が掲げてあった。(解説動画によると)塔とはジブリのメタファーだと私は思う、また塔の地下の異世界とは、アニメ業界もしくは宮崎駿の世界メタファーではないか?アニメ業界、ジブリの門と解釈すると、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」
まあ、アニメの業界の過酷な労働によって世界が成り立っている、理想の世界を作ることに係ることは、過酷なことでありある種の地獄であると宮崎駿は言いたいのだろうか?。
ゲド戦記 監督: 宮崎吾朗 (2006)宮崎駿が自分の息子吾郎にジブリを継がそうと、有名なゲド戦記という温めておいたお宝企画を息子にやらせ、成功するはずであったが、ジブリの黒歴史となってしまった。
わたしからすると、宮崎駿の親バカであったと思う。私は、手嶌葵という和製エンヤを世に送り出したゲド戦記をそれなりに評価している。ただ初監督作品としては、荷が重すぎたかもしれない。いずれ原作に忠実にリメイクしてほしい。私は宮崎吾郎はいずれ才能を開花するのではないかと期待している。吾郎氏の二作目の「コクリコ坂」は耳を澄ませばよりかく
わたしからすると、宮崎駿の親バカであったと思う。私は、手嶌葵という和製エンヤを世に送り出したゲド戦記をそれなりに評価している。ただ初監督作品としては、荷が重すぎたかもしれない。いずれ原作に忠実にリメイクしてほしい。私は宮崎吾郎はいずれ才能を開花するのではないかと期待している。吾郎氏の二作目の「コクリコ坂」は耳を澄ませばよりかく
崖の上のポニョ 監督: 宮崎駿 (2008)
執筆中
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