満州国とは関東軍最高参謀の板垣征四郎大佐、関東軍作戦主任参謀の石原莞爾中佐が中心となり満州事変を起こし。わずか1日で奉天や長春などの満州鉄道沿線の主な都市を制圧するとハルビンも占領。1932年2月までには満州のほぼ全土を制圧、満州国という日本の傀儡政権を作り上げたものだと思いましたが、そんな単純な話ではなかった。
満洲国建国に至る過去30年以上の間の支那本土と満洲の事情に極めて詳しい米国人が、満洲国建国に至る日本の行為は、世界から非難されるいわれはなく、米国の日本及び支那に対する行為と態度こそが非難されるべきであって、満洲国建国には極めて正当な理由が存在すると本書で主張している点に、大きな驚きがあった。久々に私の脳味噌の中で残っていた東京裁判史観が除去された気がする。
本書は満洲国建国3年後の1935年に出版された書籍の訳本である。著者ジョージ・ブロンソン・レ―は、米国新聞社の特派員として、1898年、米西戦争により、米国がキューバ、フィリピンを獲得する手法を観察した。レーは、極東に30年以上滞在し、第一次大戦では米国陸軍情報部大尉も務めた。東洋の政治状況に詳しく、袁世凱、孫文の技術顧問として、支那における鉄道建設と外国からの資金調達に代理人として深く関与した。 そして、1932年に満洲国が建国されると満洲国政府顧問に就任した人物だ。
日清日露戦争から遡り、丁寧にその間の事情を現代の私達に教えてくれる。
1911年に征服王朝である清朝が崩壊後は、各地で独立運動が展開され、軍属、匪賊による虐殺が横行し、戦乱状態が長い間継続した。関東軍による張学良軍の制圧を好機と捉えた満洲人は、満洲国皇帝を迎え、支那から独立し、満蒙朝華日の五族協和、王道楽土を建国の理念として、満洲国を建国したのである。
満洲国建国をめぐって、日本が国際連盟脱退に至る歴史は、一般的解釈とされている「日本の侵略」ではなく、清国の復興独立であったのだ。中国大陸利権を狙う、アメリカを筆頭にソ連を含めた欧米列強の謀略であり、国際的な「日本叩き」だったのである。本書は、満洲国の顧問を務めていた著者ジョージ・ブロンソン・レ―が、列強の言動のあまりの理不尽さに憤慨し書き残した、「満洲国をめぐる真実」である。「アメリカの意図はいったいどこにあるのか」を厳しく追及している。
米ソ国民党のプロパガンダに世界は惑わされ日本が侵略したとされる、満州国の歴史を根本から見直す必要がありそうです。
『「満洲国建国」は正当である』新訳版刊行に寄せて
竹田恒泰
「満洲国は、悲劇に見舞われ続けた広大な支那の土地に明るく輝き始めた光である。満洲国の樹立という先例は、地球の西半球の全人口も超える一大民族にとって幸福を得られるかもしれないという希望となっているのだ」
「日本が満洲国三千万の民の独立の権利を認め、強力で自立可能な国家の樹立を助けることを選択し、さらに彼らの正統な統治者(溥儀)を復活させ、国内外の敵に対する相互防衛のために、その政権と同盟を結んだことは、侵攻でも征服でもなく、国際社会によって合法と認められた他の仕組みと何ら変わりない。『日本は捌け口を見つけたのだ』。今のところ、満洲国は自由で独立した主権国家であり、その歴史と伝統を誇りにしている」
満洲国に関するこの記述は、戦前の国定教科書の文言でもなければ、帝国陸軍将校の言葉でもない。満洲国建国から三年になる昭和十年(一九三五年)に米国人ジャーナリストのジョージ・ブロンソン・レーが書き記した本書『「満洲国建国」は正当である』に記されていることである。レー氏はアジア在住期間が長く、孫文とも親交があり、満洲国の顧問も務めた人物である。
戦後の国際社会では、満洲事変は日本の「侵略行為」であり、その後建国された満洲国は日本の「傀儡国家」であるとされ、日本でもそのように教育されてきた。これは、満洲国建国直後から欧米列強によって主張されたことである。その後、東京裁判で連合国側か主張し、そのまま定着し現在に至る。
敗戦国であり「裁かれると側に立だされた日本が、満洲国建国の正当性を述べたところで、国際社会がそれに耳を傾けるわけもなく、日本には十分な反論の機会も与えられなかった。
戦後の日本人がこれに反論を試みたところで、直ぐに「軍国主義者」のレッテルを貼られるのが関の山であろう。
東京裁判では、日本側が満洲国建国の正当性を立証するために、『「満洲国建国」は正当である』を証拠として提出しようとしたところ、認められなかった。もしこの本の提出が許されたなら、戦後の満洲国の評価は違ったものになったと思われる。
同書は、本文に「米国世論に訴えることが目的」と明記されていることから、レー氏が米国の反日一辺倒の論調に危機感を覚え、そこに一石を投じるつもりで書かれたことがわかる。
米国人が読んでわかりやすい事例やたとえ話が豊富に紹介されていることからも頷ける。
たとえば、「満洲国の独立は、日本人による働きかけと援助がなければ決して行われなかったと言われており、その点は認める。しかし、日本の援助が何だというのだ? 米国自体、フランスの支援なしに独立を勝ち得ただろうか?」 というように、愚の音も出ないような説明をしている。
また、日本が満洲国を建国に導いたことを、米国がテキサスを併合したことを引き合いにし、「満洲で日本が果たした役割は、テキサスでの米国の役割と同一であり、しかも日本は保護下の満洲国を米国のように『併合』したりはしていない。(中略)米国によるテキサス併合の狙いよりはるかに考慮に値する正統な理由があったのだ」
とも述べている。たしかに、併合もせず植民地にもしないというのは、当時の世界の常識に反することで、満洲を「傀儡」という人たちは、自分たちならそうするという前提で語っているに過ぎないのではないかと思える。
また、溥儀皇帝は「中国人」ではなく「満洲人」であり、満洲国が「支那共和国」から分離したのではなく、もともと満洲国が支那を領有していたところ、辛亥革命によってそれが解消されただけであって、溥儀が満洲国皇帝となったのは自然な流れであるという説明も納得がいく。
そして、レー氏は、満洲国建国は、満洲人民が張学良軍閥の支配から脱出しただけのことであり、そもそも中国大陸に統一政府は不存在であったのだから、なぜ満洲人民が日本の援助のもとで満洲国を建国するのがいけないのかと畳みかけていく。
本書は、当時の米国人が、当時の条約や国際法、歴史的経緯などを踏まえて、様々な角度から論理明快に満洲国建国の正当性を立証していることに重大な価値がある。すでに出版から八十年以上が経過したが、むしろ今読むことで、時の政情や世情そして空気を手に取るように知ることができる。
この本を読むと、当時の日本のことを「侵略国家」と思っている人は、その根底が揺らぐのではあるまいか。満洲国建国が当時の日本にとって国防のために正当で、合法な行為であったなら、先の大戦における日本の評価も、大きく変わってくるに違いない。我が国の名誉を回復するのは骨の折れる作業だが、まずは満洲国建国の正当性あたりから着手するのも良かろう。
それにしても、本書がなぜもっと米国人に読まれなかったのか、実に残念でならない。当時の米国が日本と敵対してソ連の手先となったことは、日米戦争の条件を整えてしまった。
このままだと本当に日本と戦争になってしまうというレー氏の予言は、六年後に的中してしまう。
まえがき
このたび、一九三五年(昭和十年)当時、満洲国政府外交顧問を務めていた米国人ジョージ・ブロンソン・レーの書いた満洲国擁護論を再度翻訳出版した。レーについては序文で本人が自己紹介をしているので、人物紹介はそちらに譲る。
この本が書かれてからすでに八十余年経っているし、その間、日本の国も激変しているので、ここで改めてこの時代の日本の歴史を簡単に記して、これからレーの本書を読むにあたっての参考に供したい。
日本を縛りつけたワシントン体制
日本は、日清戦争で清国に勝利し、下関条約で手に入れた戦果を、梶棒で殴られて奪い取られた(レーの表現)。日本はポーツマス条約交渉では露清密約の存在を知らされず、騙されて、賠償金はおろか、それに相当する領土も得られなかっただけでなく、清国の領土でロシアと戦ったことで、清国に迷惑をかけたと謝罪するよう強いられた。
第一次世界大戦では国際連盟の一員としてドイツと戦い、連盟側の勝利に貢献したにもかかわらず、パリ講和会議では、まるで審判を受ける被告席の立場に立だされた。
大戦中、極東とオーストラリアの通商ルートを、ドイツの攻撃から守ったことに対する報酬として約束されていた、微々たる戦果(ドイツが占領していた山東半島の権益)まで、密約を交わした英仏がいなければ、放棄するよう強要されただろう。
ところが、後のワシントンでの軍縮会議に呼ばれた日本は、そこで辛辣で情け容赦ない判事によって非難され、告発され、厳しく責められ、満洲における権利を確保するための切り札として使う機会もないまま、結局山東半島を支那に返還せざるを得なかった。
日本は、三度戦争に勝ち、三度戦果を奪い取られた。日本の陸海軍が払った犠牲と引き換えに、国民に示すことができたのは、満洲への二十億円の事業投資が全てであった。
国際連盟規約、九ヵ国条約、そして不戦条約という盾に守られた北京政府(蒋介石軍閥)は、日本はあえて武力を行使しないだろうと高を括り、日本の投資に損害を加え、日本人を全部一緒に国から追い出す準備をしていた。
一九二二年(大正十一年)、日本は極東の平和を希望して九ヵ国条約を締結した。これはワシントン会議に出席した九ヵ国、すなわちアメリカ合衆国・イギリス・オランダ・イタリア・フランス・ペルギー・ポルトガル・日本・中華民国(支那)との間で締結された条約である。
この条約は、支那に関する条約で、支那の門戸開放・機会均等:主権尊重の原則を包括し、日本の支那進出を抑制するとともに、列強の支那権益の保護を図ったものである。
日本は、この九ヵ国条約を締結したことによって、第一次世界大戦中に結んだ石井・ランシング協定を解消し、機会均等を受け入れ、この条約に基づいて別途支那と条約を結び、山東省権益の多くを返還した(山東還付条約)。
これ以後の国際体制がワシントン体制と呼ばれる支那権益の侵害を排除する体制となった。
しかし、この九力国条約の根本的誤謬は、まだ責任ある国家でもない支那共和国(中華民国)の国境を明確に定めないで、その領土保全を認め、清朝に忠誠を誓ったモンゴル人、満洲人、チベット人、回教徒、トルキスタン人らの種族がその独立権を、漢民族の共和国に譲渡したと一方的にみなしたことである。従ってここで、実体と全くかけ離れた極東アジアの状況を作り出した。
また、この九ヵ国には支那に強大な影響力を及ぼし得るソ連が含まれておらず、そのソ連は、一九二四年(大正十三年)には、外蒙古を支那から独立させてその支配下に置き、また国民党(蒋介石軍閥)に多大の援助を供与するなど、九ヵ国条約に縛られず、自由に活動し得た。その結果、同条約は日本に極めて不利となった。支那とソ連に自由を与え日本を縛ってしまった。
ワシントン体制はワシントン会議で締結された九ヵ国条約、四ヵ国条約(アメリカ・イギリス・フラ ンス・日本)、ワシントン海軍軍縮条約を基礎とする、アジア・太平洋地域の国際秩序を維持する体制であるが、日本では、この体制を基盤とする外交姿勢を協調外交(幣原外交参照)と呼び、代々の立憲民政党内閣の外相・幣原喜重郎らによって遵守されてきた。
しかし、一九二六年(大正十五年〈昭和元年〉)に蒋介石の北伐が開始され、この年に万県事件、翌一九二七年(昭和二年)に南京事件(一九三七年〈昭和十二年〉のいわゆる南京大虐殺といわれる南京事件ではない)や漢口事件が発生すると、日本国内では邦人に対するテロ行為を容認する結果となった協調外交に対する不満が大きくなり、とりわけ軍部は「協調外交」による外交政策を「弱腰外交」と して強く批判した。
義和団の乱後に締結された「北京議定書」で、日本を含む列強各国は支那大陸の自国民保護のための軍を駐留させていた。支那大陸の邦人がテロの被害に遭うたびに、「軍は何をしているんだ」と日本軍は国民から突き上げられていたのである。
満洲の独立を支援した日本の狙い
満洲に跋扈していた張学良軍閥の日本人に対するテロ行為が頻発し、ついに日本軍(関東軍)は一九三一年(昭和六年)、柳条湖事件をきっかけとして、この張学良軍閥を討伐し駆逐した(満洲事変)。
ところが、この軍事行動(満洲事変)は九ヵ国条約で定められた支那の領土保全の原則に違反しているとして、各国から非難を受けた。それ以後もたびたび日本の行動は同条約違反と非難されたが、日本側は非難を受けるたびに、本条約を遵守する声明を出し続けたのである。
一方満洲の民は、これで日本軍が張学良軍閥というゴロツキ集団を追放してくれたので、これを好機と捉え、独立を果たしたのである。
翌一九三二年(昭和七年)に成立した満洲国は、中華民国が負った義務を継承するとし、また満洲国承認国に対しても門戸開放・機会均等政策を実行した。
しかし、一九三四年(昭和九年)十一月に満洲国において石油専売法が公布されると、イギリス・アメリカ・オランダの三ヵ国は(未承認の満洲国にではなく)日本に抗議した。それに対し日本は、日本にとって満洲国は独立国であるため干渉することはできないこと、そもそも門戸開放・機会均等は特定の第三国に通商上の独占的排他的特権を与えないことに過ぎないことなどを伝えた。
しかし、一九三七年(昭和十二年)七月七日に起きた盧溝橋事件に始まる支那事変で、日本は不拡大方針を発表しているにもかかわらず、蒋介石軍閥と支那共産党が邦人に対して起こす連続テロ事件で、戦線が徐々に拡大していった。ソ連や欧米列強が蒋介石軍閥に対日テロを指喉し支援していたのである。
列強は蒋介石軍閥と支那共産党を支援して日支和平を仲介すべく、一九三七年十一月にブリュッセルで九ヵ国条約会議(ブリュッセル国際会議)の開催が急遽決定された。
しかし日本側は、この会議が支那側を支援している欧米列強国の日本糾弾会になることがわかっているので、会議への出席を拒否した。これにより本条約は事実上無効となり、ワシントン体制は名実ともに崩壊した。
欧米列強はこれを日本の所為にしているが、真相は真逆である。日本の外交政策と自衛手段をことごとく妨害し、日本は生存権すら奪われかけたのであった。
その後も、日本やその他加盟国との和平の道を探るも、列強に支援された蒋介石軍閥と支那共産党は邦人に対するテロを繰り返し、条約は破り、条約の交渉さえ妨害した。
そしてついに、日本は一九三八年(昭和十三年) 一月十六日、「爾後國民政府ヲ對手トセズ」とする第一次近衛声明を発表し、和平への道は閉ざされた。
さらに、蒋介石軍閥に愛想を尽かした汪兆銘が、蒋介石軍閥を離脱して汪兆銘政権を樹立し、この政権が支那大陸の大半を支配する。日本と協調して支那大陸の正統国家樹立を目指した。昭和十二年に始まった支那事変は、翌十三年にはほぼ終結する。
後に日米交渉の後、アメリカの出したハルノートでは、この汪兆銘政権ではなく、支那事変の日本の敵対勢力である蒋介石軍閥を、正統政府と認めることを日本に強要してきた。
満洲国は一九三二年(昭和七年)に建国され、一九四五年(昭和二十年)にソ連の軍事侵略で消滅した。この地域は一九一一年(明治四十四年)の辛亥革命で清朝が滅亡した後は、張作霖軍閥が支配していた。そして、一九二八年(昭和三年)に起きた張作霖爆殺事件で張作霖が死去してからは、息子の張学良が父を継いで支配していた。
日露戦争当時、清国は露清密約(軍事同盟)を隠蔽していた。日露戦争は、実際はロシア・清国の連合軍と日本との戦争であった。従って日本にとっては清国も敵国だったので、ポーツマス条約では、日本は満洲を併合することもできたのである。
張学良軍閥が満洲の人民を搾取し、苛斂誅求がひどかった。そして、張学良軍閥は、日本が運営する満洲での満洲鉄道とその付属地で、日本人を襲撃し、鉄道やその沿線の日本人の施設を破壊するテロ行為を繰り返し、前述の通り、ついに関乗車が柳条湖事件をきっかけに、張学良軍を攻撃し、これを満洲地域から追放した(満洲事変)。
当時の極東アジアの真実を示した書
これを好機と捉えた満洲人民は、支那から独立し、満・蒙・朝・華・日の五族協和、王道楽土を建国の理念として、満洲国を建国した。
軍閥・張学良を追放して建国された満洲国は、わずか十三年でソビエト連邦の侵略で消滅したが、この短い間に目覚ましい経済発展を遂げ、アジアの大国に育っていた。世界が寄ってたかってこれを潰していなければ、この国はアジアの大国に成長していたはずである。だからこそ、早いいうちに潰しておこうとなったのであろう。
実際、この満洲国は建国直後から、米国と国際連盟の様々な干渉を受け、苦難の船出をしたのである。満洲国の顧問を務めていた片荷のブロンソン・レーは、その理不尽さに憤慨し、特に米国の意図が奈辺にあるのかを本書で厳しく追及している。
日本が誠実に平和を希求し、欧米列強に対し、妥協に妥協を重ね、隠忍自重しているのに、米国は嵩にかかって日本を追い詰めていく。このままいけば日本と戦争になると、ブロンソン・レーは警告している。
そして現に戦争になってしまった。彼は本書で、満洲国建国前後からの列強の日本虐めを本書でつぶさに書き残している。
欧米列強は満洲国を承認しなかった。リットン調査団を派遣し、できたばかりの満洲国を、日本の傀儡国家であって、国家としては認められないと決定した。
民族が権力者の圧政に苦しんでいる間に、機会を捉えてその権力者を排除して独立する権利は、あらゆる人民に認められている。この点は本書でも詳細に記している。他国がその独立を承認することと、その国の独立とは全く無関係である。
現に、満洲国は、建国以来目覚ましい発展を遂げ、毎年百万人の移民が、主として華北から万里の長城を越えて流入した。それに、当時の独立国は六十ヵ国未満であったが、そのうちのおよそ三分の一の二十ヵ国が満洲国を承認している。承認しないといっている米国やソ連ですら、満洲国と協定を結び、支社などの出先機関を置いていた。
ソ連はチタとブラゴヴェシチェンスクに満洲国の領事館設置を認めていた。また、北満鉄道譲渡協定により北満鉄道(東清鉄道)を満洲国政府に譲渡するなど、満洲国との事実上の外交交渉を行っていた。
先の大戦後は、満洲国は存在しなかったことになっている。寄ってたかって列強が満洲国を潰してしまったので、その存在を認めると世界は困るからである。この地域を現在統治している中華人民共和国は、この満洲国のことを偽満洲国といい、東北三省といっている。
中華人民共和国を建国した毛沢東は、蒋介石率いる国民党に追われ、延安まで逃げるが、「満洲さえ取れば何とかなる」といって満洲侵略を狙っていた。
満洲事変からの日本の支那大陸における行動を、日本の支那侵略(満洲侵略)という。支那の軍閥が行った日本に対する不法は一切隠蔽し、日本の行動だけを侵略というのである。日本軍(関東軍)は自衛行動しか取っていない。
日本の大陸における権利・権益は令て条約に基づいた正続なものであるにもかかわらず、今では日本人ですら、この権利・権益を防衛する日本の行動が侵略であったという。
この時代の歴史を知らないからである。日本の総理で「日本は侵略戦争をした」と最初に発言したのは細川護煕元総理であった 無知も甚だしい、彼はこのブロンソン・レーの本を読むべきである。
ブロンソン・レーは、満洲国の存在とその前後の極東アジアに関する極めて重要な歴史事実を明確に書き残している。彼がここで書き残した。歴史事実を理解しなければ、当時の極東アジアの真相は決して理解できるものではない 当時の日本の行動も理解できない。
その意味では、本書はアジアの近現代史を理解しようとする人にとっては必読のに書といって良い。
企画・調査・編集 吉重丈夫
「満州国建国」は正当である 目次
『「満洲岡建国」は正当である』新訳版刊行に寄せて/1満州国建国当時3000万人の人口を擁していたが1940年の時点で4000万人強であった。五族協和を唱えてはいたが満州族が95%を占めていた。
まえがき/5
新訳に際して/27
序文/29
第一部 米国はアジアに何を求めるのか?・
第一章・不承認主義
スティムソン・ドクトリン/34 気まぐれな承認方針/37 法の紛い物
/41 戦争の火柱/43 極東における米国の責任/46 米国の対極東政
策とは何か?/49 「強力な支那」とは何か?/52 人道主義と基本政策
/56 ジョン・クウィンシー・アケダムズの対支政策/58 流れ着く先は戦
争状態/62
第二章・戦争を企てる者
日米戦争への宣伝工作/65 米支秘密同盟/68 卑劣な手段/70 巧妙
化する企て/71
第三章・日本の軍国主義
評決を覆せた重要な鍵/75 露清密約/77 一九一五年の満洲に関する
条約/78 北京政府の自白/79 審理を経ない有罪判決/80 安全保障
の値段/82
第四章・満洲に関する法
乗っ取り屋の三国/84 存在しなかった不法行為/86 同じ鋳型/88
第五章・アジアの根本的な問題
日本とはどういう国なのか/90 多子多産の人口問題/93 二十年で二
億人増加のアジア人/94 米国は日本と戦うべきか?/96
第六章・門戸開放という神話
数字が示す客観的事実/98 赤字の海/100 貢献度が低い米国の対支投
資/104 日本が作った米国産綿花市場/106 奇妙なポーカーゲーム/107
第七章・支那の門戸を閉ざす米国
門戸を閉ざした米国による独占/110 国策遂行手段としての独占/113
自力復活の唯一の機会を奪ったウィルソン/115 再びウィルソンに否定
された国家主権/117 再び不利益を被る支那共和国/118 日本は米国の
パートナー/119 抗日運動の展開/122 独占はいつ非独占となるのか
/125 主権の弱体化/129 日本の登場/132 ウィルソンの方針転換/133
支那の棺に打ち込まれた最後の釘/134 鉄道に代わった爆撃機/135 求
む「政策」/137
第八章・国際的な儲け話
「支那の友人」たちの思惑/140 日本の無私かつ利他的政治行為/142
第二部 問われる判事の中立性
第九章・審問なしの有罪判決
法が機能しない政治的法廷/146 普遍的な基本原則/147 諧謔精神の欠
如/148 残るは世論という法廷のみ/150
第十章・支那ではない満洲国
説明のできない干渉する権利/153 先例のない領土主権の概念/154 西
洋の基準で測る東洋の状況/157
第十一章・移住は主権を伴うのか?・
満洲民族と漢民族の違い/159 日本人のハワイ領土主権/162 判事失格
の米国/164 移民法の抜け穴/165 米国が学ぶべき教訓/167
第十二章・自発的な革命とは何か?・
独立前の米国と似た満洲国の状況/168 満洲国で繰り返される米国の歴
史/170 民の声は神の声/172 危機に瀕する日本の名誉/173
第十三章・少数派による革命の妥当性
国民党が軍事独裁政権となった理由/175 満洲人が立ち上がるとなぜ非
難されるのか/176 矛盾だらけの条約/178
第十四章・法と自由との対峙
新国家樹立の合理性とは/180 満洲国の正当なる主張/182 追悼の壁
/184 神の御業/187 法の機能不全/188
第十五章・革命に定則なし
再び権限を手にした満洲人/190 国家主権を巡る支那の革命/192 支那
第十六章・援護あってこその反乱
テキサス併合の正当性と満洲問題/197 大英帝国の役割/200 なぜ独立
を宣言したのか/201 判事の資格があるのは誰か?/203 ウェスト
ヴァ-ジニアと満洲国/205
第十七章・虚構の国家
支那の共和制の意味/208 人道主義に反する行為/209 犠牲にされた自
由/211 連合規約のない支那国家/212
第十八章・第一原理の否認
共産主義者のマグナ・カルタ/214 真実に対抗できない擬制/216 第一
原理の否認/217
第十九章・判事の中立性を問う満洲国
必要性の前に法は存在しない/119 承認は米国人の責務/220
第二十章・いたるところに傀儡政権
主権国家とはいったい何か/222 人形芝居の資金/223 支那に停泊する
米国砲艦/224
第二十一章・条約に違反していない満洲国
米国が満洲問題に干渉できる唯一の根拠/227 効果を失った九力国条約
第七条/229
第二十二章・支那共和国の根本法
いかなる条約にも優先する協定/232 詩的正義(ポエティック・ジヤスティス)の 主張/235 厚顔無恥の訴え/236
第二十三章・満洲国の権利の確認
自由のために戦う決意/240
第二十四章・鍛冶屋の合唱
満洲国獲得計画の考察/243 不満のない住民/245 信用できない支那の
証言/247
第二十五章・手本は米国
米国のキューバ支援と日本の満洲支援/249
第二十六章・法に立ち戻れ
与えた者は処分することもできる/252 満洲人はなぜ抗議しなかったの
か/255
第二十七章・常に独立している満洲
南京政府に干渉する権利はない/258 違法な条約を根拠とする支那の主
張/260
第三部 条約について
第二十八章・日本は不戦条約に違反したのか?・
自衛権は国の基本的義務/264 一九三一年九月十八日夜/266 米国の自
衛権を否定する連盟裁決/268 調査団を招いた日本/271 メイン号の惨
劇/272 最初から結論ありきの調査団/275 モンロー主義が定めた法
/278 日本には認められない自衛権/279 領土王権を国際裁判に掛けた
ことの罪/281
第二十九章・九力国条約と決議
無視された「十三件の決議」/282 条約侵犯者は誰か?/284
第三十章・ 公認された放蕩者
支那からはぎ取られた蒙古/289 広東政権とソ連の謀略/290 赤の脅威
/291
第三十一章・合法的殺人
支那の内戦の合法性とは何か/297 列強諸国の責任と告発/298 フィリ
ピンの利他主義と支那の利己主義/300
第三十二章・内政干渉の歴史
覇権は再び東洋に戻る/302 眠っている犬を起こすな/304 儲けるのは
武器商人/305
第三十三章・自存権の法
日本の自衛手段を禁ずる条約/307 ロシアに与えられた白紙委任状/308
自存権の法/309 フロリダと満洲国/312
第三十四章・自己犠牲の法
阻止された改定/315 優先されるべき常識/317
第三十五章・国家ではない支那
省の独立/318 人道主義に対する犯罪/320 何か国家を作るのか?/322
第三十六章・国家の分解
人道的解決/325 民族主義の原則/327
第三十七章・妄信が導く戦争
武力統制で秩序を保つインド/329 さらに賢明なトルコ人/332 英国と
オスマン帝国/96 支那には適用されない大迫土義//337
第三十八章・列強の利益優先
比較優位を保つ米国/339 追い詰められた日本/342
第三十九章・共産主義への道
もう一つの共産主義国家による支配/345 モスクワの真の目的/346 日
本は自殺すべきなのか?/347
第四十章・支那が留保した権利
除外された日支間の意見対立/349 なぜ支那は連盟に訴えたのか?/351
第四部 真の問題は日本対共産主義
第四十一章・日本の存亡の危機
直面する真の極東問題/354 ピョー・トル大帝の遺言書/356 独立を巡る
日本の戦い/358 ソ連のむき出しの帝国主義/360 脅威はどちら側から
やってくるのか?/361
第四十二章・田中上奏文とされるもの
シオンの議定書と世界革命計画/363 抵抗し難い勢力/366 数の重荷
/368
第四十三章・田中男爵の正当性
日本への嫌悪感を執拗に訴える/371
第四十四章・英米に追随する日本
予防手段に出た日本陸軍/374 大英帝国の防衛方針/376 国際法は日本
には適用されるのか?/379 新生国家の承認を拒む米国/381
第四十五章・いわゆる「広田原則」
至極当然な自国防衛宣言/384 支那の分割/386 幻滅した日本/387
第四十六章・ソ連外交の目標
日本への対抗を目的に加盟したソ連/389 迫りくる最終決戦/392 保安
官になった無法者/392 日本対共産ド義/川 米川はシベリアで何がし
たいのか?/396
第五部 選択を迫られる米国
第四十七章・共産主義のためにシベリアを救った米国
固い頭では到底理解できない/398 逆行する歴史/401 長江流域を勢力
圏とした英国の思惑/405 秘密外交がもたらしたもの/407
第四十八章・立場を宣言した日本
公平な判断が下されると信じた日本/410
第四十九章・記録を調べるべし
日本の戦果を奪い去る米国/414 米国にとって最も危険な敵は米国自身
/417 米国は「苦境に立っている」のではないか?/420 馬鹿げた戦争
/422
第五十章・ 米国民は忘れるな
着実に触手を広げるソ連/427 米国に対して扉が閉ざされた理由/430
終わらない覇権争い/433 日本を支持する英国/434
第五十一章・選択を迫られる米国
帝国主義的意図を隠す大義名分/438 世界の指導者としての判断/442
第五十二章・増強せよ
日本の封じ込め政策/445 行進を続ける日本/448 天秤に掛けられた文
明の未来/453
支那の難問を解く鍵
「参考資料1」露清秘密条約(一八九六年〈明治二十九年〉五月二十二目調印) 455
「参考資料2」ピョートル大帝遺言書 458
「参考資料3」清国皇帝退位協定二十二年〈明治四十五年〉二月十百調印) 461
「参考資料4」支那に関する九ヵ国条約 463
あとがき 467
第二次大戦後、漢族が侵入し民族浄化に近い形で漢族との同化が行われ2010年の中国の国勢調査では1,038万人に減ってしまっている。
現在はごく少数の老人を除いて満洲語を話す者は殆どおらず、伝統宗教のシャーマニズムの信仰もほとんど残っていない。このような状況から、満洲民族は、言語的・文化的に中国社会に同化され、失われつつある先住民族であるとも見なされうる。
1980年代以降は政府の少数民族優遇政策から積極的に民族籍を満族に改めようとする動きがあって、満族の人口は10年あまりのうちに3.5倍以上に増加しているが、これは満族になる事で少数民族として優遇措置の恩恵を受けようとする人が多いためといわれており、満洲語を話す満州族が増加している訳ではない。
毛沢東時代中華人民共和国内では大躍進の飢饉で死者5000万~8000万の死者の死者、文化大革命の死者2000万において満州族の被害がどの程度なのか資料がないが、純粋の満州族が改革開放直前に300万人程度しか満州族を自称する人がいなかったことになるので、同化による減少だけではなかったと思う。清国時代~満州国時代において満州族は漢族より高い教育水準を誇っていた為、インテリを敵視する毛沢東/紅衛兵により民族浄化された可能性は否定できない。
民族として満州国を建国したにもかかわらず中国に呑み込まれた民族の末路としてチベット同様、日本は満州国について強い関心を持つべきではないだろうか?
特に満州国建国の正当性は、戦後レジームの脱却する重要なファクトになるかもしれない。
本書は、満州国建国の実態を東京裁判というフィルターを通さずに正しく後世に伝える本として非常に有益な本であると思います。