Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ

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タグ:その他社会学

 
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裏表紙 ト書
 
日本人はだれしも「世間」にとらわれている。世間という人的関係の中で、「ゆるし」や「義理」「人情」といった原理に庇護され、安心を得る。故に、日本人は世間からの「はずし」を強く恐れる。

犯罪や不祥事を起こした日本人は、ただちに謝罪しなければならない。日本では真撃な謝罪によって、世間からの「ゆるし」を得て「はずし」を回避することができるのだ。ところが近年、日本の刑事司法が厳罰化する傾向にある。これは「世間」の寛容さが失われつつあることのあらわれなのか?日本「世間」の現在を問う意欲作
 
 
 
 
 
 
 
(4)「お世話になっております」は訳せない

第三の「世間」のルールは、「共通の時間意識」である。
「共通の時間意識」とは、「みんな同じ時間を生きていると考えている」ということである。

もちろん、これは客観的で物理的な時計の時間の話ではない。客観的で物理的な時間の話だったら、近代以前はともかく、今ではだれだって世の中には「同じ時間」が流れていると考えている。

そうではなく、ここでいう時間意識とは、他人にも自分と同じ時間が流れていると考えるという、主観的で内的な時間意識のことである。この場合に大事なのは、そこには「個々の」時間が流れているのではなく、「同じ」時間が流れているということである。
 
この「共通の時間意識」のもとでは、まず、individualたる個人がいないために「個人の時間意識」が存在しない。つまり、各個人がべつべつの時問を生きているという時間意識が存在しないのである。
 
つぎに、「共通の時間意識」のもとでは、個人が存在しないために、人類学者の中根千枝さんのいう「人間平等主義」(中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社現代新書、一九六七年)が派生する。あとでのべるが、これは、「世間」のなかでは「みんな同じ」であると考えるために、個々に能力の差があっても、お互いそれを認めようとしないということである。
 
最近のKYという言葉は「空気読め(ない)」という意味だが、劇作家の鴻上尚史さんは、「空気」とは「世間」が流動化したものだという(鴻上尚史『「空気」と「世間」』講談社現代新書、二〇〇九年)。「空気」を通じての同調圧力が生じるのは、「世間」にこの「共通の時間意識」というルールがあり、そこに個人が存在せず、「みんな同じ」でなければならないと考えるからである。
 
また「出る杭は打たれる」という格言があるが、これは「世間」のなかで「目立つ」人間は、つまり他のものと「同じ」でない人間は、〈世間存在〉として「世間」から「はずされる」ということだ。
(略)
日本の「共通の時間意識」にたいして、西欧社会は、「個人の時間意識」が作動している。

つまり、個人の「自由」が尊重される。前にふれたように、ヨーロッパにおいて
individualとしての個人は、約八〇〇年前に、都市化とキリスト教の「告解」という制度によって生まれた。

「告解」というかたちで神にたいして罪を告白することによって、自分の内面を外部にさらけだし、それによって人が個人として形成されることになった。日本にはこの「告解」の歴史がなかったために、個人が形成される契機がなかった。そのために現在でも、個人が存在しない。西欧社会におけるような「個人の時間意識」が生まれていない。
 
「共通の時間意識」のもっともわかりやすい例は、「あの時はありがとうございました」(過去)「お世話になっております」(現在)「今後ともよろしくお願いします」(未来)という、「世間」ではごく日常的な挨拶である。これらは、西欧語に訳すことができない。つまり、西欧社会にはない。外国人に無理やり訳して使うと、ヘンに思われるはずだ。
 
これらの挨拶は、日本において、お互いに〈世間存在〉であることを確認するための、必須の手続きである。つまり、同じ「世間」を生きているということの相互の確認である。ありがたく思っていてもいなくても、お世話になっていてもいなくても、よろしくと思っていてもいなくても、これらの挨拶は、過去-現在-未来にわたって、仕事をする上での枕詞として使われる。
 
中根さんは「世間」にある人間平等主義について、「無差別悪平等」であるという。つまりこの人間平等主義においては、能力による差があっても、それは認められない。日本の会社における伝統的労働システムとしての年功序列制などがそうだが、この、歳とともに給料が上がるというシステムは、年齢という「身分」による差別はあるが、だれしもいつかは給料が上がるということでは「平等」である。
 
西欧の民主主義の根幹は「自由・平等・博愛」。そのうち日本では「自由」は受け入れられなかったが、「平等」や「博愛」のほうはわりとうまく受容したといわれる。
評論家の加藤周一さんによれば、戦後日本で西欧流の「平等」は徹底したが、「自由」は徹底しなかった。その理由として、日本の土壌に「自由」の伝統はなかったが、平等要素があったからだという(加藤周一「日本社会・文化の基本的特徴」武田清子編『日本文化のかくれた形』岩波書店、一九八四年)。
 
加藤さんは日本における「平等主義」のはじまりを明治維新にみているが、じつは「世間」の「共通の時間意識」、すなわち人間平等主義はそれよりもっと古い。加藤さんのいう「平等主義」とは、西欧流の「法の下の平等」のことであるが、じつは「共通の時間意識」としての人間平等主義とは、それとはまったく異なっている。
 
つまり戦後日本人が「民主主義」といってきたものの中身は、この伝統的な人問平等主義であって、西欧の「法の下の平等」とは、似て非なるものであったといえる。伝統的な「平等主義」は、もともと「世間」がもっていたものである。封建時代にはたしかに「身分制」が存在したが、この人間平等主義は、それと一見矛盾するようにみえながら、それと併存してきた。
現在の「世間」においても、三つ目のルールとしての「共通の時間意識」は、二つ目のルールとしての「身分制」と一見矛盾するようにみえながら、両者は併存している。そして、この矛盾的な構造があるがゆえに、外国にはない、日本独特の「妬み」の意識、「妬み」の構造が生まれるのだ。
 
(5)年賀状がなくならないわけ
 
第四の「世間」のルールは、「呪術性」である。
日本の「世間」には、やたらに俗信や迷信のたぐいが多い。結婚式は大安の日に集中し、友引の日には葬式をしない。あるいは節分の日には特定の方角を向いて、恵方巻きをいただく。これらはべつに、法律に書いてあるわけではないし、従わなかったからといって、罰則があるわけでもない。
 
だからこのルールは、暗黙の了解事項だといえるのだが、守らない場合には「世間知らず」だとして非難されることになる。しかも困ったことに、「呪術性」のルールはやたらに沢山あるし、しかも紙に書いていないので、みんな確実に全部を知っているわけではない。
 
場合によっては、これを理由として村八分となり、「世間」からの「はずし」に遭うことになる。これらは、〈世間存在〉であるために、確実に守らなければならないルールなのだ。
 
ごく些細なことのようにみえるが、お正月に年賀状を出すことだって、ちゃんと出しておかないと、「世間」から「世間知らず」「失礼な奴」というレッテルを貼られてしまう。つまりその人間の人格的評価につながる。しかも年賀状を出す範囲とは、その人の「世間」の範囲であるといえる。「世間が広い」人は、年賀状の数が多いだろうし、「世間が狭い」人は、年賀状の数が少ないはずである。
最近では年賀メールが増えたとはいえ、年賀状の習慣は、なかなかなくならない。これは、「呪術性」のルールと先ほどの「贈与・互酬の関係」のルールが交差する場にあつて、それゆえに強固な習慣となっているからである。年賀状はフメツなのだ。
 
「世間」の「呪術性」の根底にあるのは、きわめて古い自然宗教的な考え方である。この自然宗教においては、仏教やキリスト教の教えのように、死者は遠く、つまり倣庸に行ってしまうのではなく、時々此岸、つまり現世に気まぐれに帰ってくる存在である。お盆やお彼岸の墓参りがそれを示している。西欧では、日本のような年中行事的な墓参りの習慣はほとんどないという。

「世間」は一〇〇〇年の歴史があるといわれるが、仏教にせよ儒教にせよキリスト教にせよ、日本に外部から伝来した由緒正しい宗教は、この「世間」の自然宗教と癒着し、それに蚕食され、本来の姿を失ってきた。
 
日本の「葬式仏教」や「クリスマス」がその典型である。仏式で葬式をしたからといって、べつにすべてが仏教徒というわけではないだろうし、クリスマスを祝ったからといって、べつにすべてがクリスチャンだというわけでもないだろう。
 
日本では現在でも、この由緒正しい宗教にはさっぱり人気がなく、根底にあるのは相変わらず自然宗教にもとづいた「呪術性」である。しかし西欧社会では、約八〇〇年ほど前に、キリスト教の支配によって、おおむねこの「呪術性」が否定された。
 
一二、三世紀のヨーロッパでは、「告解」をつうじてキリスト教の支配を貫徹するために「蹟罪規定書」という、やってはいけない禁止事項のマニュアルがつくられた。この「蹟罪規定書」では、現在の日本に沢山ある、大安に結婚式をするとか、三隣亡の日には建前をしないなどといつた俗信・迷信のたぐいが禁止きれていた。
 
西欧社会では、キリスト教が浸透することによって、こうした俗信・迷信のたぐいは姿を消していった。じつは西欧流の社会が契約などの合理的な原理からできあがっているのは、こうした「呪術的なもの」を否定した歴史があったからである。しかし日本では、「世間」は相変わらず「呪術性」に満ちていて、まったく合理的なものではないのである。
 
以上、「贈与.互酬の関係」「身分制」「共通の時間意識」「呪術性」という四つの「世間」のルールを簡単に説明した。日本人だったら、きわめて几帳面にこうしたルールを日々守つている。そして「世間」の「ゆるし」と「はずし」の根底には、こうした「世間」のルールが存在しているのである。
故山本七平氏はこの世間を「空気」と「日本教」という考え方で分析している。
「世間」という考え方でこの日本を読み解く佐藤氏の考え方の方がスマートかもしれません。
 
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基本柱三「社会組織は拡大イエ社会」
 巧妙な幕藩体制は日本に民主的な政治の種を撒いた。
300とも600とも言われる藩を国変えで幕府は動かした。小藩になると小さな家族がいくつか集まったような零細な藩もあった。
p101~102
直属の武士である御家人グループは昔から馴染みの土地ではなく、まるで関係のないところに飛ばされます。幕府としては、農民と御家人が結託して反旗を翻したら恐 いということで、見ず知らずのところに飛ばしたのです。

御家人たちは新しい土地でいかに農民と仲良くするか、それが政治的な手腕につながりました。藩が小規模であるだけに、農民に助けてもらわなければ立ち行かなくなるからです。徳川時代の民主主義の萌芽的要件はこのあたりに確実にあるのだと思います。ここで、御家人と農民の知恵比べになります。

農民に幕府の仕事を手伝ってもらっているうちに、豊かに存ったり、才覚のある人が出てきたりします。豪農や豪商がどんどん御家人の体制に粗み入れられて、武士の身分をもらうようになります。そこで、武士の人口が最初は三%だったものが、五%になり、徳川時代の終わりころには七%にまで増えたのです。身分が上がってくると、新武士になった層は実権を握るようになります。(略)
 
徳川幕藩制度は民主的な要素があった
 
徳川幕藩制度というのは、意外と民主的な要素があったのだと思われます。地主が田畑開拓を託され、開拓すればそれは自分のものになりました。
藩は中央政府から、治水工事、灌概インフラなどを託されますが、それはすべて藩のお金で賄わなければなりません。藩の財政が滞っても、教育、財政、税金、裁判、治水など藩の責任は果たさなくてはなりません。また、助っ人を頼まれれば金策を考えなければなりませんでした。幕府からはさまざまな要求が出されますから、人のやりくりだけでも大変だったはずです。藩をもつということは「金喰い虫」を飼わされているようなものでした。
 
 
基本柱四「経済運営は隣百姓」…
隣百姓とは、農業は隣が田植えをすれば田植えをし、隣が稲を刈れば刈るといったように隣と同じように一生懸命やってさえすれば、リスクが少なく間違いなく生きていけるといった思想です。
 
現代でも、業界が横並びの行動をとる様子が観察されましたが、「隣百姓」そのままです。
p116
日本人が勤勉になった理由
徳川時代も一八世紀に入ると、灌概の技術が普及します。そのために洪水や冠水の被害も少なくなります。いままでは大きな川の中流域が米作の中心だったのが、次第に下流にまで拡大していき、米生産量は爆発的に多くなります。

各藩は白給自足が前提ですから、真面目に働かないわけにはいきません。
勤勉に働かなければ食べていけないということ、それが日本人を勤勉にした理由のようです。

日本では資源がないなりに、勤勉と工夫があったからこそ発展したのだと思います。農作地の維持や、灌概・冷害対策を考えるうえで、勤勉にならざるを得なかったのです。それに加え、徳川時代の経済は基本的にゼロ成長だったために、藩は生産物を増やすなどして収入を確保し、支出を減らす工夫が求められたのです。

基本柱五「日本文化の原点をつくる」
 p120~121
日本人の資質は徳川時代に形成された
第五の柱である文化については、徳川時代が近代日本文化の原点をつくったといってよいでしょう。
その文化については、大きな特性があります。眼に見え、手で触れられるものについては、おそろしいほどの執着と硬直性を示しながら、考えや思想についてはまことに融通無碍というか、実用主義の柔軟性を示したのです。
そのため、日本文化はいろいろなものを選択的にどんどん吸収しました。これは、好きなものだけを受け入れ、そうでないものは拒否するという日本人の性格を顕著に表しています。
 
 徳川の遺産を「捨てる」
p129~130
第一、まだ鎖国状態を温存しています。キッパリと開国しましょう。
いまさら夜郎自大は無理です。

第二、権力の所在、決定の仕組みがあまりにも融通無碍です。大義や原則を唱えてから、権力を行使することに慣れなければなりません。それなくしては、日本の立場はその力量の割にはいつも損することになるでしょう。

第三、拡大イエ社会で国民の大きな部分を包摂する新中間大衆を成立させた三十余年間は、夢のまた夢です。身分制、世襲制を事実上維持しながら、そのような擬制を維持しても意味がないのです。個人が社会の中でその存在意義を示せるように改革すべきです。

第四、経済運営は隣百姓でも勤勉革命でもなく、新しい考えから新機軸、技術革新、組織革新をつくり出して、生産性をあげる世の中です。盲目的に隣に倣っても、また、どうでもいいような習憤で勤勉さを競っても、無駄が多くなるだけです。

現在の日本文化への徳川モデルの影響は、モノヘの執港、言葉への無頓差
です。もう少し大義、原則、そして約束を大事にしなくてはなりません。
 「鎖国をしていた徳川国家は、軽武装商人国家である」というロナルド・トビの研究があります。日本は軍事路線を歩まないように、対外的には鎖国をして海外との関係を断ち、国内の商業を振興する政治を目指した国家ということです。
 
TPPが第三の開国として議論されていますが、鎖国は永久化できなかったのと同じく、悩むところではあるが、私はTPPは必要だと考えます。

日本の農業人口は276万人でこのうち半分は65歳以上ほっておいてもこのままでは消滅の危機にあります。

JAのプロパガンダにのせられてはいけません。JAは日本の国家の大計のことなど考えず、自己組織の保全しか考えていません。

オレンジや牛肉の自由化の時も大騒ぎしましたが、みかん農家も減りましたが、みかんは日本農業から消えましたか?牛肉はどうですか?見事に棲み分けているではないですか!
 
TPPを日本農業復活のチャンスととらえ前向きの議論をすべきです。
 
p152~156に面白いことが書いてあります。
 
猪口 教授は過去500年日本の代表的作家4人を挙げ日本人の変化を分析しています。
 
安土桃山時代・・・・一休和尚
安土桃山は個人主義の時代
安土桃山時代に生きた一休にとって、自分の気持ちに忠実なことが至上命題でした。彼が書いたものの主題は愛であり、尼僧との恋愛です。僧侶のくせにというのは、彼には当てはまりません。個人の心がすべてであって、自分の心の赴くままでした。それが彼の文学作品にあらわれています。いいかえると、個人主義の極みが一休の文学であるといえます。
徳川直前の安土桃山時代がそうだったのですから、日本人は昔からずっと集団主義だったというのは疑問です。集団主義は徳川時代になって武士が非武装化され、域下町に集まり役人と化していくところから強化されたのではないでしょうか。
元禄時代・・・近松門左衛門
身分の違いに縛られた元禄時代
元禄時代の近松門左衛門の歌舞伎・浄瑠璃の主題は心中です。
義理と人情に挟まれてどうしようもなく、義理から逃れ、人情を成就させることができる唯一の選択肢として、心中を選ぶのです。身分の違いが厳格に遵守されることが強く求められていた時代ゆえのことでした。個人主義が次第に弱められていく元禄時代の悲哀です。個人主義が抑えられる中でも、それを発揚していく若い男女のこころいきが大きな同情と感動をよぶところに、近松の人気があるのです。
明治時代・・・夏目漱石
国家に抑圧された明治時代
明治時代の夏目漱石の主題は何でしょうか。
個人主義がさらに抑圧され、個人主義は社会の中での個人主義というよりは自分の心の申に押し込めてはじめて可能だったと思われます。私小説が近代日本文学の主流になった所以のひとつは、国家による締めつけというと誇張になりますが、何か欝陶しいものが周りで強くなっていったのです。近代化を富国強兵のスローガンで進める国家に漱石は閉口したのです。漱石自身、うつ状態がときどき訪れました。最後には、「則天去私」ということで自分さえ捨て去るような境地にたどり着くのでした。
現代・・・村上春樹
個人の内面を大切にする現代
平成時代の村上春樹の主題は、一人ひとりの内面に行き来する気持ちとそのやり取りです。小説は、そういうものだと思われるかもしれません。しかし春樹の描く作中人物の内面にはそれを楽しむ傾向が強いと思われます。友達、仲間との会話、それを記憶している脳の中での感情の動き、そしてそれを今度は自分の行動として発現することなど、高度に個人の中の心理の動きが、会話の相手との相互作用により出てくるのです。1990年代から飛躍的に進歩する脳科学の知見が世界に広まる以前に、村上春樹はその知見を消化しているかのように小説を展開しているのです。
この4人を選んだのは真に見事、素晴らしい見識ではないかと思うのであります。
 
p160~162
新生日本人の10カ条
――時代とともに変わる日本人の課題
それでは、現代の日本人として生きるための10カ条とは何かを提案してみましよう。
①飽くなき好奇心をもつ
人に会ったら、必ずひとつは質問をする。一人のときは自問自答を癖にする。好奇心は生き生きとした、新しい世界をつくる。
②一途に物事を追求する
何かをすると決意を固めたらあくまで追求し、実現に励む。夢想で終わらぬよう、障害を越えていく覇気、勇気をもって、集中して持続させる。
③困っている人を見たら助けの手を差し伸べる
世の中の困っている人に言葉をかけることが、人の心を温め、元気を与える。
④周りの人に心を開いて接する
自分の仲間には心の底まで打ち明け、他人には木で鼻をくくるような、分け隔ての激しい態度を捨てる。
⑤他人を責めない
自分の間違いや至らぬ点を直すことに重点をおく。そうすれば、失敗は成功につながる。
⑥打たれ強くなる
誹諺中傷にも邪魔されることなく、堂々と生きる。
⑦他人の気持ちと立場(権利と尊厳)は大事にする
根拠のない他人批判は慎む。
⑧感じ方や考え方が他人と違って、はじめて白分の付加価値ができると思え
「その他大勢」とまったく同じということでは余剰の人になる。人間は一人ひとりかけがえのない存在として振る舞うことが大切だと思う。
⑨他人と一緒に仕事をする
他人と一緒に時間を過ごす。他人と気持ちを一時でも共有する。ちょっとした仕事を協働することで、いろいろ学べるものである。
⑩英語(世界標準語)を物にする
読み書き算盤は日本だけですまない。すなわち、経済生活は日本だけでは成立しない。他の分野でも世界と密接に、微妙につながっている。英語ができないと世界とつながらないのだ。
p163
考える人間に
未来を信長の力で展開することができなかったのは、返すがえすも残念です。信長モデルとは、自分を信じて大きく広がろうとする力があるということですから、私たちも自分で何ができるかを考えてみたいものです。
私たちが比較的簡単にできることがあるとすれば、一日一回考える時間を毎日少しでももつ習慣をつくるということです。マニュアルがあるからそれに従うということではなくて、自分としてはどう思うかを、深く考えてみることです。
 今日の民主党政権を見ていると、二大政党政治とは名ばかりの官僚主導体制、官僚独裁にちかいものがある。しかしながら、民主党のごとき素人主導で国政を治めようとしても、無理であることも見えてきた。
 
江戸時代から連綿と続く官僚を上手く使いこなせる田中角栄のような、真の政治家の出現を待つしかないのであろうか?政治家が政争に明け暮れ、深い政策論議ができていない日本の現状に、ひたすら危機感を感じるのであります。
 
我々一人ひとりは、極力この無能な政府に頼らず気概を持って、生きていく事を心がけねばならないと思います。
 
 
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イメージ 1はじめに 
序章”ひとりぼっち”が増え続ける日本
第一章 追跡「行旅死亡人」わずか数行にまとめられた人生
コラム静かに広がる「直葬」
第2章 薄れる家族の絆一「引き取り拒否」の遺体の行方
第3章単身化の時代一「生涯未婚」の急増 
コラム呼び寄せ高齢者 
第4章社縁が切れた後に疑似家族に頼る人々①
第5章”おひとリさま”の女性たち-疑似家族に頼る人々②
コラム共同墓 
第6章 若い世代に広がる”無縁死”の恐怖ーツイツターでつぶやく言葉の不安 
コラム働き盛りの"ひきこもり"
第7章 絆を取リ戻すために
二度生きた男 
 
あとがきにかえて 
 
http://www.uniqlo.jp/uniqlock/swf/blog_small.swf?user_id=Bo4uxIuSX6BfwXZC2010年1月31日NHKスペシャルにて『「無縁社会」~無縁死三万二千人の衝撃』が放送された。昨年の流行語となった言葉だが、この特集は30代40代まだ老後や死を意識しない世代から多くの反響が寄せられた。 
本書は、番組取材の過程や実際の放送では伝えられていない事実などが詳しく書いてあり、実に感慨深い。
p4
”家族がいるのに高齢者が所在不明になってしまう”
”介護が必要な高齢者と仕事のない息子が親子そろって社会から孤立してしまう”より深刻な現実が浮かび上がってきた。
「無縁社会」
それは戦後六十五年が過ぎ、高度成長やバブルの時代を経て、成熟社会を迎えたといわれるいまの日本で、まさに現実に起きていることである。さらに日本社会は二十年後、ひとりで暮らす単身世帯が全世帯の四〇%近くに達する時代を迎えるという。
「無縁社会」を乗り越えていくことは、実に複雑に問題が絡み合っていて容易なことではない。
地縁や血縁、社縁で固く結ばれていたかつての社会に戻れば良いのか?それとも新たなつながりをつくる方法があるのか?今も取材は続いている。
本書は、記者やディレクター、カメラマンなどが「無縁死」した人々やひとりきりで生きる人々の人生を取材した記録である。番組やニュースでは放送できなかった部分も数多くあり、当時の取材メモをもとに改めて構成した。一人でも多くの人に手に取って読んで頂ければと切 に願っている。
無縁社会について考えることは、いまの日本、そして、あすの日本を変えることにつながると思うからである。
 
p10~11 
無縁社会、ニッポン。この取材が動きだしたのは、ある”ひとりぼっち"の男性との出会いがきっかけだった。五十歳で派遣の仕事を失った男性は、派遣会社に寮として与えられていたアパートを追い出され、半月余り、サウナやカプセルホテルを転々としながら、仕事を探し歩いたものの見つからず、路上生活に陥っていた。二〇〇八年、リーマンショックから三か月後の師走のことだった。男性は東京のど真ん中、新宿にある公園のベンチで暮らすようになった。
年が明けた一月のある夜、男性の指定席となった公園のベンチを訪ねると、雨の中、ビニール傘を両手でさして震えていた。寒い、寒い夜定った。
「誰かの声がね、聞きたくなるんですよ」
男性はそうつぶやいて、リュックサックからラジオを取り出した。
「ラジオだけがね、僕の友達です」
なぜ、男性は仕事を失った途端、一気に路上生活にまで落ち込んでしまったのか。
家族や友人という”つながり”は彼を助けられなかったのか。ふるさとに帰る場所はなかったのだろうか。誰か、彼に救いの手を差しのべる人はいなかったのだろうかいわゆるワーキングブアといわれる人たちが巷にあふれるようになった現在。ささいなきっかけで転げ落ちるように路上生活にまで転落する人たちの声を聞くうちに、”つながり”について考えるようになった。
男性は、インタビューの機会があるたびに同じよう塗言葉を発していた。
「これ以上、自分のことで誰かに迷惑をかけたくない」
男性は、生活保護も受けずに路上生活をしながら仕事を探し続けていた。あきらめず、誰にも頼らず、生きようとしていた。
そもそも”つながり”や”縁”というものは、互いに迷惑をかけ合い、それを許し合うものではなかったのだろうか――。その疑問は、取材チームの胸の内に突き刺さり、解消されることはなかった。
「迷惑をかけたくない」という言葉に象徴される希薄な”つながり”そして、”ひとりぼっち”で生きる人が増え続ける日本社会。
私たちは「独りでも安心して生きられる社会、独りでも安心して死を迎えられる社会」であってほしいと願い、そのために何が必要なのか、その答えを探すために取材を続けていった。
 
p72~74
三万二千人の無縁死。取材を進めていくと、そのほとんどが、身元が判明して家族がいるのに、引き取られないケースだと分かってきた。血を分けた家族や親族があるのに、なぜ引き取られることなく、無縁死していくのか。私たちは、「家族」という「社会」の最小単位の場で、何か異常な事態が起きているのではないかと考え、さらに取材を進めることにした。

 
急増する遺体の”引き取り拒否”
「今日も”引き取り拒否”がありましたよ・・…・」
「家族って一体何なんでしょうね、薄れる家族のつながりですかね……」
これは、どれだけ無縁死が起きているのかを知るために、私たちが全国すべての自治体に独自調査を行っている時に、自治体の職員からよく聞かされた言葉だった。
”引き取り拒”という強い表現の言葉。早速、私たちはいくつかの自治体を訪れて話を聞くことにした。
そのうちの一つが、冒頭にも登場した東京・足立区役所だ。本館三階にある福祉管理課では、ひとり暮らしの人が亡くなり、その遺体の引き取り手を探す作業に、日々追われていた。
担当者の手元には、警察署から送られてきた「死体連絡表」がある。そこには、亡くなった人の清報・遺体の発見場所や発見状況が記されている。
担当者が電話している相手は、亡くなった人の親族のよう走った。
「家財道具とかお部屋に残っているものは、みんなゴミに出したとしても、遺骨は捨てられないんですよ。このままでいくと、無縁仏という形で、足立区の方でお預かりする形になりますが……」
電話を切ると、担当者はこうこぼした。
「十年以上行き来がない、いわゆる遠縁の方だったんですが、括引き取りにはなれないということでした。いわゆる”引き取り拒否"ですね” 私たちが自治体の職員から聞いた話では、”引き取り拒否”による無縁死が急増している背景には、家族のあり方の変容が大きいという。昔は三世代が一緒に暮らす「三世代同居」が当たり前だった時代から、「核家族化」の時代へ、そして今ではひとり暮らしの「単身化」の時代へと移り変わってきた。さらに、「未婚化」、「少子化」が進んだことで、結婚していない人や、結婚していても子どもがいない人が増え、こうした人たちが亡くなった場合、その引き取りは甥や姪に依頼せざるを得ないという。しかし、甥や姪からは「冠婚葬祭の場でしか顔を合わせたことがない……」とか「もう二十年以上も会っていなり…:」と一言われ、”引き取り拒否”となるケースが、ここ数年、急増しているのだという。

「単身化」、「未婚化」、「少子化」といった家族のあり方の変容が、「無縁社会」の拡大を推し進めている現実が見えてきた。
甥や姪による”引き取り拒否”この話を聞いた時、私たちは一概に、甥や姪がひどい人たちだとは思えなかった。なぜなら、自分の身に照らし合わせてみた時、二十年以上も会っていない、冠婚葬祭の場で顔を合わせた程度の叔父や叔母の遺体を、突然、引き取ってくれと電話がかかってきたとしたら……。「ええっ、どうしよう…-」と、考え込んでしまって、即答できないのではないかと思ったのだ。
と同時に、結婚していない親族や、結婚していても子どもがいない親族は、きっと見回せば自分たちの親族のなかにも一人や二人はいるのではないか。とすれば、自分たちにも「あなたの叔父さんが亡くなられて……」といった電話が自治体から突然かかってくる可能性は、十分に起こり得ると考えさせられたのだ。だからこそ、「無縁社会」の病巣の根は深いのだとも感じた瞬間だった
 正直なところ、伯父伯母なら昔お年玉を貰った義理から私は無縁にすることはしないと思うが、従兄妹で未婚者が数名いて将来起こりえる可能性はある。
それどころか、もし一人娘が将来結婚しなかったら自分の娘の遺骨も無縁となることもありえる。
 
この特殊業者さんは腐乱死体があった部屋で特殊イオンを発生する装置を使って
腐乱臭を除去するのだそうだが、金に困ってもあまりやりたくはない仕事ですね。
 
番組内では詳細に言及していなかったが、このケース実の息子は借金で逃げてしまい、遺骨を置いていってしまったのだという。音信不通で行方不明。どの道この息子もどこかで無縁仏となる運命、遅かれ早かれ、皆無縁仏
 
民主党や、自民党のリベラル派が靖國神社を廃して、国立の戦没者慰霊施設を作るとか主張しているが、そんなものを作る前に、国立の無縁死の霊廟を建てるべきだろう!高岡大法寺のご住職は仏教者の鏡だ。富山へ行く機会があったら是非御朱印帳を貰いに行きたい。そして気持ち程度お布施をしたくなった。
 
 
私の会社にもこの方のような方が沢山います。昔は朝7時前に出社するのは当たり前、夜10時11時までサービス残業の日々。1日16~17時間営業と会社費やしてきましたが、今は時代の流れか7時前の出社19時以降の残業を厳しく制限されています。おかげでこうやってブログを書く時間が持てます。でも未だに会社人間が沢山いて、どうぞ勝手に出世してください。出世しても末路はこんなものさ・・・
番組では出ていなかったが、そうはいってもこの方は生活に困らないだけの資金があり幸せな方だ。だが金を持ったら持ったで、ひっきりなしに様々な勧誘の電話が止まらないそうだ・・・
 
 
若山鉢子さんの半生はこのTVで簡単に紹介できないほど波乱の人生であった。九州から朝鮮半島へ移住、父母の離婚、母親の再婚で家に居ずらく満州で遠縁の家で女中をしながら夜学に通いっていたころ敗戦、命からがら逃避行・・・母と異父妹の面倒を見る・・・本当に強い女の人だった。TVではなんか弱々しく描かれている。もっとリスペクトして報道すべきだった。
 
無縁死の弟の留守番電話に残る姉からの電話。その電話の先では無縁死した弟遺体がトイレで死んでいた・・・悲しすぎる。
 
20年後2030年に男性の3人に1人女性の4人に1人が生涯未婚(50歳まで結婚経験なし)となる見込み・・・悲しい現実だ。
 
 
何故か番組では触れられていなかったが、自称木下さんはその後、この保育園で園の庶務や経理の仕事に携わり、70まで働いたそうだ。病で倒れた後も娘同然の智子さんや保育士さん達が死ぬ間際まで介護をされたとのこと。それでも無縁死になってしまう。でもこの方は、この智子さんが子供の頃親代わりになって宿題を見てあげたりして、伯父さんがわりに智子さん達の面倒を見てあげたそうである。ちなみに木下さんは京都の染物問屋に生まれたそうだ。家族同様の付き合いがあったからで、無縁死では稀なケースである。木下さんは恵まれた最後だったと思う。
 
それにしても皆さん、ご自身の老後、友人知人、親戚達の老後と死を想像してみて下さい。無縁死予備軍の知り合いは1ダースや2ダースは居るでしょう?自分も妻と離婚し無縁仏となる可能性だって十分にある。2度ほど離婚届を書いたが、離婚するエネルギーが足らず、未だに連れ添っています・・・気がつけば今年で結婚20周年だ。(/;°ロ°)/ギャアアアア
 
皆さんも、できたらこの番組を視るだけではなく、本書を読んでください。TV番組より10倍濃い内容が書いてあります。誇大広告になってしまうかもしれないので1.5倍ぐらいにしておきます。


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「ずるい!?」なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか』は、だれかれとなくお勧めできる1冊です!
 
読みやすく面白い!私も目から鱗が4・5枚落ちました!
 
馬鹿につける薬はないが、少なくても「小沢信者」のように何でもかんでも反米を叫ぶ馬鹿には効く薬でしょう。
 
 
 
 
 
 
【著者】青木高夫 氏
本田技研工業(株)勤務二現在、渉外部門にて、税制・通商など国内外の自動車産業に関わるルール作りに参画。海外でのビジネス経験が長く、豪州・英国での駐在期間を通じ、販社開発・企業合併・多国籍部門のマネジメントに携わる。
この間、海外でのレース活動にも関与。実業でのアイデアを求め、欧米のビジネス書を発掘・翻訳する他、講演活動などを通し、様々
な業種のビジネスパースンと幅広く交流する。訳書に『マニャーナの法則』『外資のオキテ』(ともにディスカヴァー)『交渉のブートキャンプ』『成功のタネを蒔く人』『できる人は5分間で仕事が終わる』(ともに幻冬舎)などがある。
 
 日本人は、この2000年の間、東洋の島国で日本文明を築いてきました。
そこには、日本人が磨き上げた行動の美学というものがあります。主に立ち振る舞いのの美しさや潔さであると思います。それは、サムライとか茶道・能といった日本文化そのものであると私(Ddog)は思うのであります。
 
p33~35日本人の行動美学=プリンシプル
戦前に清水善造というテニスプレ-ヤーがいました。
ご存知の方は少ないかもしれませんが、大正期の日本テニスの黎明時代を築いた名選手で、ウィンブルドンやデビスカツプで大活躍しています。スマイリー・シミーの愛称で海外でもたいへん人気があった選手です。
この選手がある試合で、ラリー中に転倒して窮地に陥った対戦相手ビル.チルデソ(「テニス界の巨匠」と言われたアメリカのテニス選手)に、打ちやすい球を返したという逸話があります。
オールドファソにはたまらない美談のようですね。
これも、上杉謙信の例と同じで、勝負に勝ちたけれぱここはチャンス。テニスに転倒した相手を攻撃してはいけないというルールはありませんから、一気にスマッシュを決めてしまえぱよいのです。
それでも、相手の窮地につけ込またかった清水善造の行動の美学は、日本人の心に訴えるもので、このエピソードは戦前の教科書に掲載されていたそうです。
(略)
モハメドニフシュワン(講道館出身。現在は国際柔道連盟理事。夫人は日本人)というエジプトの柔道家がいます。彼は、1984年のロサンゼルスオリンピックの男子無差別級決勝で、日本の山下泰裕と対戦し、惜しくも敗退しました。しかし、その際、負傷した山下の右足を攻めなかったとされ、今も日本人の賞賛を受けています。

先ほど、「ルールは他律的、プリンシプルは自律的な傾向が強い」と言いましたが、それは、"ルールがなくてもプリンシプルがあれぼ、それを信奉する本人の行動は制約されることがある"ということです。

ラシュワンの場合にも、"弱点を攻めて勝つのは良くない。というプリンシプルがあったのでしょう。しかし、これはルールではないので、他の選手に強制はできません。
仮に、山下の相手がラシュワソ以外で、彼が山下の弱点を攻めて金メダルを取っていたとしてもまったく問題はたいのです。

ルールに関する日本と欧米の考え方は、どちらが良い悪いという問題ではありません。単に考え方の違いなのです。
また、日本人の立ち居ふるまいの美しさ、行動の美学というのは、ルールではなく私たちのプリンシプルであり、そのまま欧米人に当てはめるわけにはいきません。
自分のプリンシプルに合うものは賞賛するが、合わないものは批判するという態度では、逆に相手から非難を受けることにもなりかねないのです。
p28~32 この部分は本書の中でも、つまらない部分なのですが、ルールとプリンシパルの区別がつかない我々日本人にとって重要な箇所です
私たち日本人は、ルールを守ることを行動の美学の1つとして考えるとお話ししましたが、ルールを作ることにたると、ほとんど意見がありません。あるとすれぱ、政治家や官僚など、ルール作りに直接関わる人だけでしょう。

それは大方の日本人にとって、”ルールは他の誰かが作るもの”であり、立ち居ふるまいの美しさや行動の美学は、”作られたルールの下で最善の努カをすること”にあるからです。

しもじも「官と民」とか「お上と下々」という言葉がありますが、江戸時代からの伝統なのか、ルールは官やお上といった権威のある人や組織が作るもので、民や下々には、そんなことに関わるのは畏れ多いという気持山りが未だ残っているようです。さらに、現代の官、昔のお上の側にも"ルールは自分たちだけが作るものだ"という権威意識があると思います。

極論になりますが、これに対して欧米人にとってルールとはあくまでも”決めごと”であり、守ることは大切であっても、それが自分に不利となれぼ、有利になるように変更するか、そのために利害関係者と交渉をすれぼ良いものです。

つまり、ルールといえども、彼らにすれぼ"勝つための一手段"であり、ルールを自分に有利に変えたところで決して「ずるい」ということにはなりません。

相撲に例えると、どのような形や大きさの土俵で闘えぱ自分が有利かを考え、取り組みが始まる前に形や大きさに関して対戦相手と交渉をすることから闘いを始めるということです。すでにできあがった土俵の上で、ワザを競うことのみを闘いとする日本人とは、ルールに対する考えがかなり違います。

さらに、官と民、お上と下々という概念についても、欧米列強では官はお上ではなく、パブリックサーバント(「公」つまり杜会の人々につくす人たちということ。"公僕血と訳される一、つまり"民への奉仕者"という考え方があるくらいですから、欧米には民がルール作りに対してものを言う土壌が、もともと存在しているのです。

整理すると、一般の日本人にとってルールとは”エライ人”が決め、作成に参画できないもの。であり、守るべきものです。欧米人にすれば、守るべきものという点では私たちの認識と同じでも、”勝てないのならルールを自分たちで変えてしまえばよい。”ということになります。

これが、私たち日本人と欧米列強のルールに関する考え方の違いです。

◎理由3 ルールとプリンシプルの混同

ルールに対する考え方の違いはわかっても、やはり「ずるい」という気持ちはおさまらないという方がいらっしゃるかもしれません。それは、私たちの考える立ち居ふるまいの美しさや行動の美学が、官やお上の決めたルールではなく、生活の中に溶け込んだ行動の基準であるからだと思います。

流行りの言葉を使えば、これは「プリンシプル」であり、行動の原則、個人の信条・哲学みたいなものです。

オックスフォード辞典をひいて、ルールとプリンシプルの意味を調べてみるとこう書いてあります。

ルール――行動が準拠すべき、または準拠することを要求されるプリンシプル
プリンシプル―― 理性や行動の基礎となる、基本的な真理・法律

つまり、ルールもプリソシプルの1つではありますが、プリンシプルの方がより根源的で、どんな場合にも変わらない真理性を含んでいるのです。

ルールは「行動に関する規定」、プリンシプルは「行動に関する原則」とか「自分の流儀」と訳したら良いでしょうか。そうであれぱ、ルールが変わることに大きな問題はありませんが、プリンンプルがコロコロと変わるようでは問題です。

もう1つ、オックスフォード辞典の"ルール"の定義に「準拠すべき、または準拠することを要求される」という言葉があるように、ルールは考え方の違う人や組織の間に適用されることが想定されているようで、参加した人は守るというら”他律的な指向”が強いものです。罰則がある場合もあります。
これに対し、プリンシプルは、考え方の近い人や組織の中で自然にできていくもので、当事老だけに適用されるという自律的な要素が強く、第三者がこれに従うと賞賛はされますが、当事老も含め、それを守らないからといって罰則はないし、本来、非難できるものでもありません。
 
江戸幕府が開国直後、日本は不平等条約を押し付けられ、日清戦争後の三国干渉
にはじまり、日米貿易摩擦、スポーツに至っては日本人が活躍する途端のルール変更数知れず。
 
メダルを独占した長野五輪直後のスキージャンプでスキー板を身長の比率にルール変更したり、F-1でホンダのエンジンが他を圧倒すると、ホンダの圧倒的有利であったターボチャージャーを禁止・柔道のルール変更によりちまちましたポイント制へ変更、水泳やレスリング・スケート・スキーの複合もそうでしたね。バレーボールが9人制から6人制になったなど数え切れません。本書はそんな欧米によるルール変更について事例を紹介しいます。あまりの酷さに愛国心を刺激されてしまいアングロサクソンの狡猾さに憤りを感じました。
 
ルール変更のたびに「欧米はずるい」と文句を言っているだけでは、なんら進歩が無いし、これからの厳しい国際情勢を乗り切ることは出来ない。
 
ルール作りからすでに戦いであり駆け引きであると日本人は理解しなくてはいけないのだと筆者ルール作りへの参加の重要性を訴えています。
また、ルール作り参加には元選手にこだわらず、有能な人材を投入しようという提言をしています。
 
しかし、本書の面白さはそんなことではない、ルール変更が短期的には欧米に有利に働くこともあるが、ルール変更が必ずしも正しくない事を次に事例をあげて解説がつき、その後を読むと溜飲がさがります。
 
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 ちょっと小難しい本であったが、よくよく読むと非常に面白い内容であった。
 
まず・一遍の踊り念仏から「阿波踊り」や「ええじゃなか」など中世以降日本には熱狂的なヲドリが発生し、庶民が熱にうなされたかのように踊り狂った現象があったこと
に注目し、その系譜について解説があった。
 
■異形の乱舞p19~20
一四六九年七月一七日、奈良興福寺門前の暗闇は異様な興奮に包まれていた。どこからともなく集まってきた群集が髪振り乱し踊り狂っていた。先頭には、前鬼形の者が立ち、その後に、桶を紙で張ったものをかつぎながら踊り回る二〇人ばかりの者が続く。さらに、異類異形の風体をした二、三〇〇〇人もの群衆が、頭を振り、肩を揺らし、足を踏みならして、狂ったように踊り続けている。熱狂は明け方まで続いた。※興福寺別当経覚の日記の記述による。
 
風流踊りあるいは盆踊りと呼ばれたこのような群衆の狂乱は、この頃京、奈良などの大都市でしば目に付くようになった。
幕末に発生した「ええじゃないか」は映画化もされ有名であったが、かくも日本には聖なる陶酔としてのヲドリが頻繁に発生していたとは・・・些か驚きである。
 
 
 
「ええじやないか」に関する従来の議論をはおおよそ次のように集約される
p64

(1)「ええじやないか」は、動乱期に発生する暴の刹那的快楽主義であり・社会の病理現象であるのか、それとも、何らかの宗教意識・社会意識の表現であるのか?

(2)「ええじやないか」は、「反革命的」政治勢カによる情報操作、嚢扇動であり・本来革命へ向カうベきエネルギーが歪曲化され無力化されたものなのか?

(3)「ええじやないか」は、ある種の抵抗運動であったにも関わらず・的確な方向付けをする指導者をもたなかったため、無目的なまま終わったものなのか?
p83~84
では、江戸期の最後を賑々しく飾った「ええじゃないか」とは、いったい何だったのだろう。
 
徳川システムはいずれにせよ既に崩壊寸前だった。しかし、未だ代替システムの定まらぬ状態で、飢饉が襲い、大地震が発生し、疫病が流行し、異国の脅威が迫っていた。
 
日本の存立を揺るがすような内乱が起こっても不思議はない状態だった。事実、一接は各地で頻発していた。多くの論者が指摘するように、「農民戦争」の前夜であった。
 
しかし、理想主義者たちが夢見るように、もしここで本当に「農民戦争」が起こっていたらどうだったのだろうか。おびただしい血が流れ、最も悲惨な結末が待っていたのではなかったか?「ええじゃないか」と比較して「優れた指導者」がいたとされるドイツ農民戦争、太平天国の乱などは、犠牲に見合うだけの成果を手にいれたのだろうか。混乱の中で失われるいのちを誰が償うのだろうか。
 
またしても豊国祭の繰り返しだった。人々は一撲への動きを自ら封じるかのように、降り散るお祓の下でヲドリに身を投じ、従容と明治新体制を受け入れた。「ええじゃないか」とは、民衆が自らの憤懣を慰撫する眩きだったかも知れない。切迫した魂鎮めの儀式だったのかも知れない。
 
ええじゃないか、ええじゃないか、何でもええじゃないか、どうでもええじゃないかという一見投げやりとも見られる囃子言葉は、時代に対する最も辛辣な内容を含んでいたとも考えられるのである。
 
「ええじゃないか」はいかなる「進歩」も生まなかった。が、「進歩」とは何か?ヲドル人々にとって、「徳川」も「近代」も、ともに幻にすぎなかったのかも知れない。
そして、明治体制への移行が完遂される。
 
日本各地でヨサコイ踊り/ヨサコイソーラン祭りの亜流が流行るのも納得できる。
ヨサコイ踊り/ヨサコイソーラン祭りは現代の念仏ヲドリなのかもしれない。
 
 
 
次に本書では聖なる熱狂として「忠臣蔵」について論考している。江戸期における公領域と私領域を論じている。忠臣蔵が日本近代における「市民社会と国家」という問題の萌芽ではないかという論文であったが、これも面白いが、本論の明治維新を生み出す近代に繋がった話題ではないが、赤穂浪士を日本古来の祟りと祭るという思想で読み解いている。
p116~117
この枠組みに従うならぱ、「忠臣蔵」もまた崇り神=世直し神の物語である。しかも二段階の崇り神である。第一の崇り神は浅野内匠頭だ。彼の憤激の原因が不明なのはおそらく故ないことではないのだろう。崇り神となる資格は、「私」が外部権力によって抑圧されたという一点にかかっているのだ。このとき、赤穂浪士たちは、彼の想いを引き継ぎ「私」を主張する自生的共同体であると共に、浅野内匠頭の怨霊そのものでもある。第二の崇り神は赤穂浪士である。彼らの「私」(浅野への想い) もまた、外部権力によって死へと結ばれる。そして彼らが祠られることによって、物語は完結する。
しかし、この「完結性」が実は問題なのだ。このような崇り神H世直し神は、「祠られる」ことに よって慰撫されてしまう脆弱性を内包している。「祠られ」てしまうことによって、彼らの「荒御霊」 は「和御霊」となり、異議申し立てが継続しないのである。何故か?比職的にいえば、彼らが実体
をもたない亡霊だからである。すなわち、彼らH個体間倫理に基づく共同体は、主張を社会に具現す る論理回路をもたず、ただ、死を媒介として異議申し立ての権利を獲得するだけの存在だからである。
ここに、江戸期の百姓一撲/世直し一撲が大きな成果をあげ得なかった原因がある。そしてまた、「忠臣蔵」がその本来の論理と異なる解釈を付与される原因もここにある。
 
辞書において、「社会」とは「人々がより集まって共同生活をする形態」であると記述されている。われわれが日常的にいだいているイメージとほぼ重なる説明である。その「社会」という熟語は、「社」と「会」に分解できる。
 
「社」とは、「①中国で、土地の守護神。またその神をまつって豊年を祈る祭。②神をまつる殿舎。やしろ。ほこら……」であり、「会」とは「催し事のためにの集合体」を原義とすると考えられる。実際、現代においても、古い村落共同体には、その土地の神が鎮守の社に祀られている。さらに、「まつる(祭る)」とは「神仏・祖霊などに供物をささげたり、楽を奏したりして敬い、慰撫.鎮魂し、祈願感謝する」ことであり、その語源は「ま(間)つる」すなわち「中間に立って命を受け事を行う」意味であると説明されている。
 
つぎに

 
執筆中
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本書は、2004年に香港大学出版局から刊行されたJamesStanlaw”Japanese English”、の邦訳である。
著者ジェームズ・スタンロー氏は・アメリカ.・イリノイ州立大学教授で、言語人類学.認知人類学を専門とし、言語と文化の関係について・日本をフイールドに研究を続けている。
 
 
 
 
 
昨日電車の中と、娘の塾の帰りを待つマクドナルドにて2時間強で約300ページ一気に読みきりました。
 
解説抜粋p296~299
 
スタンロー氏は、研究のために日本滞在中、日本語のなかに英語や英語に由来する外来語があふれていること、それらなくしては日本人のコミュニケーションが成り立たないほどになっていることに気づき、かつ驚く。

そして日本杜会において、英語利用がどのような意味と役割を果たしているのか、音楽、正書法、色彩名称、詩歌、食、人種、民族的アイデンティティなど幅広い分野に注目する。

まず、日本社会における英語や和製英語の存在が、日本人のものまね根性によるものではなく、日本人によって日本人の意図や目的のために、独自に創作され、流通していると強く主張する。それは歴史的にも、異文化の概念をとり入れ、消化し、独自の文化を作り出していく日本人の手法でもある。
 
また英語が日本人の象徴体系のなかで、重要な位置を占めていることを指摘する。たとえば、女性にとって英語、外来語、和製英語が日本語のなかにある言語的・杜会的制約を回避する手段として用いられるという。日本語では表現しにくいことを英語なら表現できると論述する。

英語は、思いがけない方法で、日本語の音韻や形態に影響を与えてきたともいう。とくに視覚的映像的な影響が強いと指摘する。芸術やファッションやメディアや広告など日本人の生活のなかに根づき、さらに日本人の認識、情緒、感覚のプロセスにも重要な影響を果たしていると論じる。

日本人にとって英語に対する歴史が、英語への羨望と劣等感から、日本語への自信回復という日本文化や日本人のアイデンティティの自覚と関連していることも指摘している。しかしながら、英語が日本語のレパートリーを増やし、日本語を豊かにしている事実が語られている。

英語は、とくに自已主張を嫌う日本のような社会では、個人の考え方を表出する際に重要な役割を果たす。それはJポップの歌詞にみられる英語による求愛やマイカーという英語的表現なら、日本語のなかでも自已の意見や考えを吐露できる道具となる。日本語における英語的表現が、これまでとは異なる日本人になるきっかけも与えてくれるというのである。

以上のような考察から、英語との接触が、日本人の言語や思考やアイデンティティに独特な影響を与えてきたことを論述する。

われわれ日本人は異文化との接触ないし異なった言語との接触の長い歴史をもっている。いうまでもなく、日本にとっての文化と言語の接触の一つは五世紀以降の中国文明(漢語)との接触であり、もう一つは一九世紀後半の西洋文明(英語を含む西洋語)との接触である。

それぞれの時代に、漢語や西洋語は新しい日本語の創造を促し、日本語の語彙のレパートリーに組み入れられてきた。中国との接触では漢字が導入され、筆記文字が生まれ、さらに独自のかな文字の創成を促した。
 
明治以降、西洋語の翻訳に際して、すでに浸透していた漢語が適切かつ独自な役割を果たしたことなど、具体的には言語接触を媒介として、新たな文化の摂取が可能になった。また英語が急速に日本人の生活や習慣にくり込まれ、新たな和製英語が生まれ、日本語の語彙に欠かせないものとなってきた。言語の接触は模倣から始まったとしても、その後の主体的な利用・努力によって、つねに新たな表記や形式を生み出してきたのである。

そういう意味で、本書は、グローバル化が加速している今日の状況のなかでも、日本人にとって異文化接触が独自の知恵と想像力を与え、新たな文化の創造に寄与しつづけていることを、興味深い事例を通じて具体的に提示しているといえる。
 
この解説で、この本の内容を要約しています。
 
ただ、内容はこんな無味乾燥な文ではなく、英語のネイティブスピーカーが日本語としての和製英語を分析した非常に面白い本でした。
 
英語のネイティブスピーカーが日本語における和製英語の役割と進化と付随して日本語をどうとらえているかも興味深く感じさせます。
 
一般的な外国人の和製英語に対する感じ方として端的にあらわしたのが下記部分です。
p45
「和製英語は新しい表現を生み出している」という主張は受け入れがたいと思われるかもしれない、多くの日本人英語教師は、そして日本に住む外国人英語教師も、和製英語が増殖するのをひどく嫌っている。あるアメリカ人教師はつぎのように語った。
「(和製英語は)、私たちの仕事を難しくしている。卒直に言って日本人の生徒は、学び直すことがたくさんあるのに、もうすでにたくさんの英語を知っていると思い込んで、私たちのクラスにやってくるのだ」。和製英語は、本来の英語の意味とかけ離れているために、英語教師はつねに修正することに忙殺されてきたのである。
確かに、和製英語を英語と思うネイティブスピーカーからすれば、和製英語にイラつくのだろうが、和製英語は、英語ではなく、英語を源に日本人が創造した一種の日本語なのだというのがこの先生の説である。
 
広告の「トロピカル愛・ランド」「Ineed遊」など英語を模倣しただけでなく、知的な言葉遊びとして日本人は使いこなしていると、かなり賞賛しています。
他にも「This is 伊豆」「カルシウム食べますCa」とか、JPOPのグループ名・米米クラブ・爆風スランプ・プリンセスプリンセツ・光GENNJI(皆古い・・)がユニークで面白いと言っております。
 
しかしながら、ジェームズ・スタンロー教授は外人ならではのステレオタイプの思い込みも激しい。最悪なのは本田勝一が垂れ流す馬鹿左翼の言説を支持していることだ。虚構の南京虐殺や戦時中の残虐行為を否定する事と、言語のナショナリズムをからめ、石原慎太郎と盛田昭夫の「NOといえる日本」日本人修正論者と認識している点は所詮外人、戦勝国の人間は自らの正当性を疑わず、欧米に躊躇せずNOと言う事に抵抗感があるらしい。せっかくの日本語研究も所詮外人程度にしか思われなくなり、残念だ。私が独裁者になったらクソ左翼本田勝一の本を焚書にしてやる!
 
また、この教授は、日本人女性は平安時代からずっと虐げられてきていると思い込んでいる。これも日本の左翼の共産主義者史観にもとづいた言説を外人が信じたものだ。
  
日本人女性が漢文からひらがなを発明し、記号として使いこなす社会が女性を差別した社会であろうはずがない。確かに男女平等ではないが、日本には女性が文化におおいに貢献し続けた。
 
紫式部や清少納言の時代から、本書で取り上げられた、ユーミンが英語を記号として使いこなして日本語のすばらしい歌詞を作り上げているのは、けして時代を飛び越えて発生したのではない。日本文化の担い手は男性だけでなく、女性が伝統的に貢献し続けた社会なのだ。和製英語も女性が使いこなしているからこそ日本語として定着しているのだと。
p39~40
松任谷由実は、「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」という歌のなかで、いくつかの英語的イメージや比楡表現を使っている。
つぎは、この歌のコーラス部分である。
きみはダンデライオン

傷ついた日々は彼に出逢うための

そうよ運命が用意してくれた
大切なレッスン

今素敵なレディになる
この歌は、叙情性あふれたものである。彼女の愛がタンポポの種のように漂い、再び花が咲くように生まれると歌っている。歌のなかでタンポポは、愛の傷つきやすさと力強く成長する可能性を表現している。
しかし・調査に協力してくれた若い女性たちは、「ダンデライオン」(Dandelion)の代わりに普通の日本語「たんぼぽ」を使ったならば、田舎の少女が若者に愛を歌うフォークソングのように聞こえたことだろうと述べている。英語のネイティブスピーカーからみてもDandelionは世俗的で、とるに足らないありふれたものというイメージである。それが日本語のなかで用いられることによって、日本の田舎ではなくイギリスを感じさせる。調査協力者の若い女性は、ユーミンがダンデライオンという言葉を使ったのは、イギリスの丘陵を感じさせ、西洋の文化の匂いを少し漂わせたかったからだろうと述べている。
 p70~72
この新たな修辞法は、著名な女性歌人、俵万智の作品にもみることができる。彼女はほとんど独カで、短歌のなかに新たな命を吹き込んだ。彼女の作品の大きな魅力は、英語圏から派生した多くの斬新な言葉とイメージにある、と私は信じている。彼女はありふれた日常の事柄や現代人の関心事をとり上げ、作品を会話のような感じに仕上げている。つぎの歌の場所の設定に注目してみよう。
 
『元気でね』マクドナルドの片隅に最後の手紙書きあげており
 
伝統的な短歌の世界では、別れの手紙を書くところは有名な橋や山であったり、ぼんやりと遠くにみえる旅館であったりしたわけで、マクドナルドの片隅のような場所ではなかった。

ここで重要なことは、英語のイメージ、外来語のイメージがあふれていることである。俵は英語を使うことによって、興味ある方法で、日常的なイメージをつくり出すのにとても長けている。たとえば、つぎの歌のなかで彼女は、「ズック」(オランダ語からの外来語)という言葉を使用することで日常的なふん囲気を醸し出している。
 
土曜日はズックをはいて会いにくるサラリーマンとは未知の生き物
 
つぎの歌では、バーゲン、ブラウスという外来語がOLの日常生活を生き生きと描き出すのに効果的に使われている。
 
通るたび「本日限り」のバーゲンをしている店の赤いブラウス
 
このように英語は新たな隠楡をつくり出す強力な武器となっているのである。恋人と別れようと決心した女性についての興味ある歌がある。
 
ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう
 
昼食にビッグマックを食べて、無造作に立ち上がり店を後にするように、男と別れる……。そのイメージは具体的で、効果的かつユーモアがある。
 
英語を比楡的に使用するだけでなく、英語は、歌人の技巧によってつくり出されてきた暖昧さや優柔不断さを表現する可能性をもっている。英語の外来語は、日本語よりも多少なりとも象徴的な意味をもつ。日本語に適切な言葉がなくても、さまざまな目的によって英語の外来語が用いられる。
英語のもつ多用な意味が短歌のなかで効果的に生かされる。

最後に、和歌のなかで英語は、視覚的な効果としても使用されていることに注目すべきである。

そもそも漢字とカタカナ、ひらがなをとり混ぜた日本語の書き言葉は、ほかの言語にはみられない独特な視覚的側面をつねにもってきた。万葉集にみられる初期の和歌のなかにも、漢字は遊び心をもって使われている。それと同じように、英語の利用は視覚的効果として役立っている。つぎの歌をみてみよう。

明けてゆくTOKIOの隅の販売機にて購いし二本のコーラ

初めてこの歌を目にしたとき、二つの単語が生き生きと目に焼きついた。TOKIOとコーラである。「東京」ではなく「TOKIO」とされたことで、東京のもつ異質なイメージが広がる。ちなみに、この第二節「TOKIOの」は六文字である。通常は七文字だが。さらにいえば、TOKIOは三つの音節からなる一TO-KI-O)。東京と表記されればT0-O-KYO.Oともっと多い音節になり、音の点からもイメージは異なってくる。
この歌の最後が「コーラ」というカタカナで終わることも人目を引く。この歌のグラフィックな構成にマッチしている。
このように俵万智の歌には英語のイメジと外来語であふれているのである。
 
 
 
ちなみにPVのバックミュージックは日本のロックグループELLEGARDEN(エレルガーデン)の「Salamander(サラマンダー)」 です! かっこ良過ぎます!
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ニュース:訃報

 

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 ソ連崩壊を予測しベストセラーとなった「ソビエト帝国の崩壊」の著者で社会学者の小室直樹(こむろ・なおき)さんが4日、心不全のため死去したことが28日、分かった。77歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。
昭和51年刊行の評論「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」では、人間の行動を呪縛(じゅばく)する社会や共同体の構造を分析。55年の「ソビエト帝国の崩壊」「アメリカの逆襲」は相次いでベストセラーとなり、以後、精力的な執筆活動を展開した。
経済学や社会学、統計学など幅広い学問を教える自主ゼミも開催。橋爪大三郎さん、副島隆彦さんら多くの社会学者や評論家を育てた。ロッキード裁判では、田中角栄元首相を擁護する論陣を張り、注目を集めた。東京工業大世界文明センター特任教授なども務めた。
 
ハードカバーでは、「硫黄島栗林大将の教訓』(ワック出版)2007年5月刊以来出版されておりませんでしたので、追悼記事を書く日は近いとここ1.2年覚悟をしておりました。やはり小室先生の追悼記事を書く日が来てしまいました。 覚悟はしていたといえ、闇夜の海で灯台の明かりを失ったような喪失感を感じます。
 
もし、私が人生の師、学問の師、もっとも尊敬する人物と問われたならば、間違いなく小室直樹先生と答えます。
 
もちろん直接指導を受けたり、授業を聴講したことなどありません。直接お会いしたことすらありません。
 
ですが、私の師匠は、小室先生です。このブログ【Ddogのプログレッシブな日々】は小室学の上に成り立っていると言っても過言ではありません。
 
小室直樹先生の出世作「危機の構造」や「ソビエト帝国の崩壊」以来ずっと読み続け、先生の著作のほとんどは、何度も何度も読み返しました。小室先生の著作は、無知であった私を知の面白さ、読書の快楽へ誘ってくれました。その著書に書かれた、その一言一句は私の知識・思想の根幹を成しております。
 
小室先生を最初に知ったのは、ちょうどロッキード事件で田中角栄元首相が、世間からバッシングされ、ていた頃です。その当時マスコミの話題の中心には常に田中角栄元首相がいて、巨悪の政治家であると新潟県民以外の日本人の大半がマスコミの宣伝に疑問を抱いていませんでした。
 
確か私が高校生1・2年生のときに観たTVの討論番組で田中角栄は無罪と公言し出演していたのをお見かけしたのが先生を知る最初のきっかけでした。
 
高校時代まで日教組の父親が購読していた赤旗と朝日新聞を毎日読み続けていた私にとって、新聞のTV番組欄タイトルを見て、田中角栄元首相を擁護するとはどんな変人・マッド学者かと小室先生が登場するまでは白眼視いたしました。
 
ところが、小室先生が発言するやいなや、先生の意見が正論に聞こえてなりません。高校生の無い知識では、どんな反論も頭の中でまったく出来ませんでした。ただひとつだけ感じたことは、他のパネラーの田中批判の発言など幼児の戯言にしか聞こえないことでした。
 
当時の私は、朝日新聞の主張・思想が受肉化(Re-in-carnationこの言葉も小室先生の著作によく出ます)されたような高校生でした。先生の発言は私にとっては、衝撃的でした。構築されつつあった自分の思想や善悪はすべて否定され、小室先生魅了されてしまったのです。大学生になった後ひたすら、小室先生の出版物を漁り、小室学を独習しておりました。
 
小室先生を知れば知るほど、その歯に衣着せね大胆で特異な発言そのすべてが、蓄積された歴史・社会学・経済・政治学・宗教学といった深遠なる知識に裏づけされたものであることであることを知り、私は小室先生に傾倒していったのであります。
 
TVに出演し始めた頃の先生は、清貧の学者でした。日本の閉鎖的な学会は象牙の塔であり、先生のような超一流の学者を受け入れる素地はなかったのでした。
 
貧乏のどん底だった先生を色物として扱い、奇人変人マッド学者扱いするマスコミ世論に憤りを感じたが、先生は一向に気にすることはな堂々としておられ、実にかっこよかった。先生の発言や著作は、まさに目から鱗、常識を覆す著書を次々と著し、私は小室先生の本に酔い、何度も読み返しました。
 
たとえば国連は第二次大戦の旧連合国軍事同盟の延長に過ぎないこと。戦争は歴史的に過去平和主義者が引き起こしたこと。山本七平先生と日本教や空気(ニューマ)が日本人の行動を支配していること。日本資本主義の原点には、日本教仏教派の教え「日々これ修行」といった考え方が、資本主義を生んだプロテスタンティズムと共通であること。原始資本蓄積と資本主義精神が日本にも流れていたこと。田中角栄元首相はロキード事件では無罪であること。昭和天皇が奇跡の天皇でいかに偉大であるかなどなど・・・とても書ききれません。

先生は京都大学で数学を大阪大学で経済学を修めた後、当時のエリート中のエリートのみ行くことが許されたフルブライト留学生としてアメリカに渡りミシガン大学、ハーバート大学、MITを渡り歩き、MITではサミュエルソンの直弟子として理論経済学を学んでいる。帰国後東大で政治学、法社会学、人類学、社会学を学び法学博士を授与される。
 
先生の経済学、法学、政治学、心理学、社会学、人類学、数学の知識はすべて超一流所で修めたものであり、その蓄積された英知は日本の至宝と呼んでも過言ではありませんでした。しかし先生は貴重な著作を数多く残し、その英知は日本のインテリ層や学求者の英知を一段高めたと私は確信しています。
 
出世作「ソビエト帝国の崩壊」を読んだ時は強い衝撃を受けました。赤旗を読み、共産主義がおかしいことは高校生の私にも薄々感じていましたが、当時の米ソ二大超大国体制は、核兵器でお互いに殺しあうまで永続するものと信じていました。もちろん地球滅亡まで続くということを信じて疑いませんでした。
 
あまりに衝撃的でした。カッパブックスから出版された先生の本をノストラダムスの大予言と同列なのかと、変に悩み、今でこそおかしいが、当時は信じていいのかと真剣に迷いました。
 
小室先生はこの著書の中で共産主義、官僚制、ロシア人の気質などを分析し、ソ連が崩壊すると結論づけていたのである。その洞察は鋭く、その言葉通りに十年後ソビエトは崩壊したのでありました。
小室先生は日本の官僚制に対しても鋭く批判を浴びせ、日本の官僚制が、昔陸軍今大蔵省(財務省)といって、エリートが支配する官僚という組織に激しく警鐘を鳴らし続けたのでありました。
 
組織は腐敗し、その硬直化した官僚制はソビエト同様日本も崩壊の予兆を感じ取り先生はその警告をし続けたと思います。
 
先生の警鐘が正しかったことは皆様もお分かりだと思います。バブルの崩壊し、その後失われた10年、そして無能な民主党政権の誕生で、日本はまさに危機に立たされているのであります。日本の政治家、官僚達が如何に無能であるかがバブル崩壊後いやというほど皆様も感じさせられていると思います。

小室直樹先生の残した知識を民族の遺産として如何に有効に活用できるか、私は、今後このブログで、先生の著作について、語って行きたいと考えております。
 
なお、私は自称小室の弟子であると公言する副島隆彦を嫌悪し憎悪している。
 
小室先生は四年間のアメリカ留学生活で、アメリカに巣食う強大な権力の実態を正確に把握し、一流の学者から学び国際金融財閥の実態を熟知しているはずが、副島が撒き散らす陰謀論については、自称弟子の副島が撒き散らす陰謀論についてほとんど言及されていない。馬野周二(うまのしゅうじ)先生の1988年「経済裏陰謀の常識」の推薦文にわずかに陰謀論的なことに言及しているが、これとて、本人の文章か不明である。もしかしたら出版社か副島あたりが書いた可能性すらある。
 
「アメリカの逆襲 宿命の対決に日本は勝てるか」「大国日本の崩壊 アメリカの陰謀とアホな日本人」において国際金融資本について多少言及はあるが、副島が語るような陰謀論は語っていない。
 
副島は小室先生の弟子を公言し、薄っぺらい陰謀論を撒き散らしている。特にアポロ計画陰謀論に至っては、異常性格者であると確信するに十分な材料を提供し、私が副島を見限るきっかけとなった。副島は私に限らず最後に残ったインテリの支持を失い、インテリ層からは失笑を買っています。結果副島は小室先生の業績を貶めていると私は深く憂慮し、副島を憎悪するのであります。
 
小室先生が天寿を全うし、お亡くなりなったことは、混迷する日本にとって大きな痛手ではあるが、小室先生が残した業績を大切に守りたいと思います。
 
最後に小室先生のご冥福を心から祈ります。ありがとうございました。
 
  
宮崎 哲弥&橋爪 大三郎 - 在野の天才 小室直樹とは?






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いよいよ明日、どうでもいいが、日本の首相がだれになるかを決める民主党の代表選挙だ。能無しを選ぶか悪人を選ぶかという不毛な選択、もうどうでもいい!
 
私の脱力感は日増しに増している、どちらになろうとこの閉塞感は打破できない。
 
小沢が総理になれば全て解決すると信じて疑わない脳天気な愚者達がある意味では羨ましい!
 
(としかわ・たかお) 国際政治経済情報誌「インサイドライン」編集長。
 
 
 
 

NHKの非公開資料では菅再選だが・・・

 
 
9月14日実施の民主党代表選挙は、いよいよ大詰めを迎えた。
大胆に予想するならば、菅直人首相が僅差で小沢一郎前幹事長に勝利するだろう。
いま筆者の手元に、9日夕、NHKが行なった代表選挙判定会議の結果がある。もちろん、非公開である。
国会議員票:
菅直人366ポイント(183人)、小沢一郎372ポイント(186人)、不明82ポイント(41人)。
地方議員票:
菅64ポイント、小沢36ポイント。
党員・サポーター票:
菅220ポイント、小沢80ポイント。
総合:
菅650ポイント、小沢488ポイント、不明82ポイント
――というものだ。不明の82ポイントすべてが小沢氏に回ったとしても、80ポイントの差がついての「菅再選」である。このNHK判定通りになれば、「菅圧勝」とまで言わないが、「菅辛勝」でもない。
では、なぜ筆者が冒頭に「僅差の勝利」と書いたかと言えば、それには理由がある。正直いって、党員・サポーター票の実態がよく分からないのだ。
NHKの調査は統計学を用いて算出したもので信憑性が高い。それでも一抹の疑念があるのは、5月の党員・サポーター登録締め切り直前に、当時幹事長だった小沢氏の系列衆参院議員が組織的にかき集めた党員・サポーターがどれだけいるのかを、枝野幸男幹事長率いる現執行部だけでなく各都道府県の党支部長ですら完全掌握ができていないからだ。
開けてビックリ玉手箱、といった事態があり得るのだ。
従って、党員・サポーター票が3対1という大差をつけて菅優勢という「判定」に疑問を持たざるを得ないのである。
仮に7掛けで計算してみると、菅154ポイント、小沢146ポイントとなり、総合では菅584ポイント、小沢554ポイントになる。となると、不明の82ポイントの行方次第では「小沢辛勝」の可能性も排除できなくない。これが、筆者の「菅首相、僅差の勝利」とした理由である。
とりあえず、菅続投らしいが、菅内閣ではなく財務省主導内閣官直人内閣だ!
 
菅と小沢の争いが応仁の乱の細川勝元と山名宗全の不毛な戦いにしか見えない。どちらが勝とうが、天下の動乱が収束することはなく、混乱の時代はまだ幕開けしただけのような気がします。
 
応仁の乱の原因は、室町幕府の混乱による統治機能麻痺であった。名門武家・公家を始めとする旧来の支配勢力は、生産力向上に伴い力をつけてきた国人・商人・農民などによって、その既得権益を侵食されつつあった時代であった。大きな時代の転換点という点においては平成の現代に通じるものがある。
 
2010年の現代に当てはめるとG7各国が旧来の支配勢力側で、BRICsが勃興し、旧支配勢力である。先進各国の既得権を新興国が蚕食している構図はまさに重なる。
 
80年代から90年代初頭まで世界を席捲した日本が他の先進国に先駆けバブル崩壊とデフレ長期経済低迷で苦しんだが、欧米先進国は日本の後を追いかけているに過ぎない。
 
この混乱というものは、日本の場合”会社”が担ってきた擬似ゲマインシャフルト(共同体)として機能しなくなり、社会全体が機能しなくなったことによる。ところが、自民党も民主党も日本の共同体を再構築する答えを用意していない。
 
日経新聞<中外時評>9月12日10面
日本社会は、江戸時代の地縁・血縁共同体から、明治以降の人為的な天皇制国家共同体を経て、戦後は自然発生的に会社が疑似共同体の役割を担った。本来、ゲゼルシヤフト(利益社会)の会社がゲマインシヤフト(共同体)化し、復興期から高度成長期を経てバブル期まで、日本社会の中核的な組織として機能した。

1987年のブラック・マンデーを総括した米国のブレイディ報告が日本企業を「事業会社と不動産会社と投資信託の複合体」と見抜いたのは卓見である。戦後の日本は、ひ弱な個人を会社が丸抱えし、その会社を銀行が丸抱えし、銀行を政府が保護する法人支配社会として特異な発展を遂げた。

だが、土地・株バブルの崩壊で日本固有の信用システムが壊れ、会社は合理性を欠く疑似共同体の役割を終えた。問題は、日本は欧米の市民社会とは異なり、個人と国家の間に位置して市民生活を支える教会やギルド、クラブなどの「結社」(自治的共同社会)である中間組織・団体の存在が希薄な点だ。代役を一手に引き受けてきた会社の本卦還(ほんけがえ)りというべき変化が国民生活に大きな影響を与えるのは当然だろう。
 ゲマインシヤフト(共同体)が崩壊すると、人は「アノミー」=無規範(状態)あるいは無連帯(状態)に陥ることが多い。アノミーとは社会的状態だけでなく、それによって生ずる心理的危機をもあわせ意味するのが従来の用語法における慣用である。
 
社会学者のデュルケムは自殺について研究し、社会がアノミー状態のときに自殺率が上昇することを確認した。毎年3万人の自殺者を出す日本をアノミー状態であるで説明することは容易であろう。
 
一般に、人間の欲望は無限であるにもかかわらず、常に有限の充足しか得られないから、社会的歯止めが必要となる。この歯止めの機能を果たすのが規範である。規範により無限の欲望は制約を課せられ、人は足ることを知るようにたる。この意味で規範は、心理的安定の条件でもある。
 
私が尊敬し、敬愛して止まない小室直樹先生が日本はアノミー状態にある」と1976年出版の「危機の構造」副題日本社会崩壊モデルですでに喝破されています。
 
現代日本における急性アノミーp162~165
イメージ 1現代日本における急性アノミーは、社会を根底からくつがえす契機を内包しているが、 その源泉は、①天皇の人間宣言、②デモクラシー神話の崩壊、③共産主義神話の崩壊の三者である。もとより、最も致命的であるのは①であり、②も③も、①の原形をたどりつつ急性アノミーに導かれたことに注目されるべきである。
 
つまり、戦後デモクラシーも共産主義も、天皇の人間宣言によって「失われた秩序の再確立」を目指したものではあったが、そのために必要た条件が満たされず、同様た過程をたどりつつ(逆コース。スターリソ批判および中ソ論争)崩壊したと思われる(本稿では、この点に関する分析省略)。ゆえに、以下では①に焦点を合わせて分析を進める。
 
戦前の日本において、「象徴としての、『天皇』は、或は、『神』として宗教的倫理の領域に高昇して価値の絶対的実体として超出し、或は又、温情に溢れた最大最高の『家父』として人間生活の情緒(ゲミユート)の世界に内在して、日常的親密をもって君臨する。しかし又その間にあって、『天皇』は政治的主権者として万能の『君権』を意味していた」のである。ゆえに、天皇の人間宣言は、根本規範(グルントノルム)の否定であり、全宇宙の秩序の崩壊である。このことによって生じた急性アノミーは致命的なものとならざるをえない。そこで、頂点における天皇シソボルの崩壊によって、「国民の国家意識は、・・・・その古巣へ、つまり社会構造の底辺をなす家族・村落・地方的小集団のなかに還流」することにたる。

このことによってのみ、致命的な急性アノミーによって生じた「孤立感と無力感を癒し」、「大衆の心理空白を充たす」ことが可能であるからである。いかにも、村落共同体(およびそれを原形としてつくられた集団)こそ、底辺から天皇制を支えた日本の基底であった。

ところが、村落共同体もまた安住の地ではありえない。すでに村落共同体は、身分秩序と共同体的生産様式に内在する矛盾の展開により解体の危機に直面していたが、終戦とともに、確実に解体を開始する。そして、この解体過程を全面的なものとし決定的に加速化したものこそ、高度経済成長のスタートである。
 
共同体的機能集団への再編解体した村落共同体にかわって、組織とくに機能集団が運命共同体的性格を帯びることにたる。これを、共同体的機能集団と浮ぶ。このことこそ、現代日本の最大の組織的特徴であり、現代の危機の構造も、かかる杜会学的特徴をもった共同体的機能集団の独特な運動法則によって規定される。

この、共同体的機能集団こそ、大日本帝国の組織的特徴たる頂点における天皇制的官僚機構と、底辺における(村落)共同体的構造とを再編し、一つに統合するものである。

丸山真男教授は、「日本の近代国家発展のダイナミズムは、一方、中央を起動とする近代化が地方と下層に波及・下降して行くプロセスと、他方、右のような『むら』あるいは『郷党杜会』をモデルとする人間関係と制裁様式…が底辺から立ちのぽってあらゆる国家機構や杜会組織の内部に転位して行くプロセスと、この両方向の無限の往復から成っている」とし、大日本帝国の特徴を、頂点における天皇制官僚機構と、底辺における共同体的構造とその社会的媒介としての共同体を基礎とする地主=名望家支配としてモデル化し、意識的にその結合をイデオロギー化したのが、いわゆる家族国家観であるとする。たお、このような大日本帝国は、「官憲国家としての身分秩序と資本主義経済という相互に矛盾した契機の微妙な均衡を基礎」としつつ存立しえたともいえよう。
 
現在においては、共同体的身分秩序と資本主義的機能集団(としての要請)という相互に矛盾した契機の微妙な均衡は、この共同体的機能集団という同一の集団に基礎をおくこととなる。

官庁、学校、企業などの機能集団は、同時に生活共同体であり運命共同体である。各成員は、あたかも「新しく生まれたかのごとく」この共同体に加入し、ひとたび加入した以上、他の共同体に移住することは著しく困難である。しかも、彼らは、この共同体を離れては生活の資が得られたいだけでなく、社会的生活を営むことすら困難である。

かくて、共同体は、各成員の全人格を吸収しつくし、個人の析出は、著し<困難なものとならざるをえたくなる。
このようた共同体的機能集団が、日本的社会構造の所産というよりも、むしろ現在の組織的特徴を表わすものである。
今日の日本社会では会社ですらゲマインシヤフト(共同体)ではなくなってしまい、宗教も無い日本は、真性のアノミー状態にあるといえよう。
 
戦後日本では会社がゲマインシヤフト(共同体)として規範を与え、果たしてきた。その役割は終焉し、共同体機能を誰が担うのかという、社会の再設計に関して民主党は、「官僚主導から政治主導」「官から民」「中央集権から地方分権」など、お題目を唱えているが、その本質を捉えていない。
 
相互扶助は、ある程度政府主導、地方自治体が担わなくてはならない状態にある。従来の共同体への参加は自由意志で行うものではなく、生まれ育ったか、企業による共同体のように、一生忠誠を誓う組織に参加したか否かであった。
 
今後日本が再構築すべき共同体は、町内会的なものなのか、NPO、市民ボランティアなのか未だ見えない。可能性としてはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)によるゲマインシヤフト(共同体)の再構築もありえるが、少々非現実だ。まさにバーチャル!
 
政治レベルで、ゲマインシャフルト(共同体)の再構築を提案を行い、日本社会のグランドデザインを書き換えようという時期にきているのではないだろうか?
 
私、個人的意見としては、憲法を改正し、自主憲法を制定することだろう。天皇陛下を中心とした擬似家族的社会の復活、教育勅語を現代語にて復活させ規範を与える事こそ、日本社会復活の最も近道かもしれないと思うのであります。
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イメージ 1執筆者
猪野健治(いの・けんじ)
1933年生まれ。新聞・雑誌の記者・編集者などを経て、フリージャーナリストとして活躍。著書に「日本の右翼」「やくざと日本人」「山口組概論」「山口組永続進化論」「電通公害論」など。
宮崎学(みやざき・まなぶ)
1945年生まれ。早稲田大学中退。週刊誌記者や建築解体業などを経て、自伝「突破者」でデビュー。著書に「近代ヤクザ肯定論」「ヤクザと日本」「近代の奈落」「談合文化論」など。
大窪一志(おおくぼ・かずし)
1946年生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。出版社勤務などを経て、フリー・ライター、フリー・エディターに。著書に「「新しい中世」の始まりと日本」「アナ・ボル論争」(編著)など。
斎藤三雄(さいとう・みつお)
1959年生まれ。明治大学2部政治経済学部卒業。内外タイムス記者などを経てフリーに。「週刊大衆」などに執筆。著書に「司法の崩壊」など
山田英生(やまだ・ひでお)
フリー・ライター、編集者。週刊誌や月刊紙で山口組関連の取材記事などを執筆している。
山浦鐘(やまうら・しょう)
1968年生まれ。大学卒業後、民間企業で法務に携わる。アメリカ東部のロースクールで2年間学ぶ傍ら、とくに司法省の元連邦検察官からRICO法について学んだ。
 第一章 正義と利権                   宮崎学
  正義がカネを生む時代
  真の「反社会的勢力」
  規制が生み出す「より悪い」もの
  成長する民暴ビジネス
  「どうして悪い人の弁護をするの?」
  ヤクザを無罪にできるか
  「司法取引」が合法になる日
  相次ぐヤラセ捜査と不祥事
  犯罪統計をどう読むか
  ペナル・ポピュリズムの高揚
  暴追運動の「背景」
  聖域としての警察
  公表されないノンキャリの天下り
 第二章 ヤクザ社会の行方             斉藤三雄
  ヤクザを取り巻く情勢
  抗争の激減と「平和共存」
  激変するシノギ事情
  変貌するヤクザと警察との攻防
  ヤクザ社会の近未来
 第三章 格差社会とヤクザ             山田英生
  「格差社会」の衝撃
  やくざの貧困が招く犯罪
  貧困層とやくざの“共闘”
  やくざと生活保護
  やくざ社会の格差
  「縄張り」という経済保障
  縄張りが壊滅した繁華街
  経済成長とともに激増したやくざ人口
  「高度経済成長」のゆがみと底辺層の拡大
  閉ざされた未来とやくざへの憧れ
  「受け皿」としてのやくざ社会
  「やくざになる自由」
  「貧困層」が街にあふれだす
  路上生活への「転落」と「社会的排除」
  やくざと「社会的排除」
  組加入の「動機」とその後の「生活」
  「どんな条件でもやくざをやめない」
  「渡世入り」のきっかけと「親父」
  平成の末端組員──その「生活と意見」
  受け皿としての「もうひとつの社会」
  急増するやくざの自殺と福祉からの排除
  「貧困ビジネス」とやくざ
  「生存のための共同体」とは
  相互扶助としての「組」
  組の「施設機能」は復権するか
 第四章 ヤクザ対策はなぜ効かないのか   大窪一志・宮崎学
  暴力団対策法の思想
  ヤクザの後釜を狙う警察
  ヤクザと闘う「正義」の裏側
  「劇場型」刑事政策に引きずり込まれるな
  アメリカ版暴対法も効果がなかった
  日本でも従来型の組織犯罪対策はもう効かない
  グローバル化の下でのパックス・マフィオーサ
  金融マフィア化の道は広げられている
 第五章 ヤクザに人権はあるのか        大窪一志・宮崎学
  ヤクザのいう「人権」と人権派のいう「人権」
  人権派知識人の発想のどこがおかしいか
  ただの人と公民、私人と公人
  社会変革の理念としての人権
  理念としての人権を武器として使う
  社会を維持してきたのは人権ではない
  日本の急速な近代化がもたらしたもの
  日本の近代化はヤクザを必要とした
  近代ヤクザの存立根拠
  なぜ高度成長期にヤクザ排除がなされたか
  日本型市民社会は成立したのか
  自由社会とヤクザの逆説
 第六章 やくざコミック規制              山田英生
  前代未聞のコンビニ規制
  報道から見落とされた「コンビニコミック」規制
  マンガと「悪書追放」の歴史
  “マイナー”が果たしてきた役割
 終章 歴史の中から やくざと地域社会    猪野健治
  縄張りと地域社会
  無宿人とは
  幕末・維新とアウトロー
  秩父困民党と博徒
  近代やくざ登場
  阪神淡路大震災と任侠ボランティア
  改正暴対法下で
  一宿一飯と相互扶助
 日本の暴対法とアメリカRICO法との比較表 山浦鐘
 
 
本書は、実に奥深い。
宮崎学氏曰く
私は・・・宮崎さんごめんなさい図書館で借りました。だが、買おうが借りよううが読む価値がhttp://ec2.images-amazon.com/images/I/519XEYWCS3L._SS500_.jpgある本にはかわらない。
皆さん買って読んでくださいネ
 
警察がプロパガンダする「暴力団やヤクザを排除すればいい」と単純に考えに同調してはならない。左翼ぽい言い方をしたが、私は保守主義者です。
 
日本には古代から農民以外の非定住の人々である漂泊民が存在し続きけていた。その「漂白民」=「無縁」にスポットを当て、それまで農耕民の均質な国家とされてきたそれまでの日本像を一変させたのが、網野史学である。網野善彦氏は中沢新一の叔父でhttp://ecx.images-amazon.com/images/I/51X3CE1GVSL._SS500_.jpg共産党員ではあるが、公界の人々は誰にも支配を受けない天皇の直参であるという考え方で、天皇陛下を肯定している。
 
日本には古代より非定着民として、駆込寺や楽市など多様な領域に、影の社会として、芸能や特殊技能を生活の糧としていた人々存在していた。
 
これは網野善彦の異形の王権「後醍醐天皇」にも書かれているが、後醍醐天皇は「異類異形」と呼ばれた人びとは、時には「悪党」と呼ばれることもあった人びとを利用して倒http://img.weblio.jp/ic/?u=http%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F5%2F59%2FEmperor_Godaigo.jpg%2F200px-Emperor_Godaigo.jpg
幕を考えた異形の王権であった。海や山で暮らす海賊・山賊をはじめ、鍛冶・鋳物師などの手工業者、楽人・舞人・獅子舞・遊女・白拍子などの芸能民、陰陽師・医師・歌人などの知識人、博奕打・囲碁打などの勝負師、巫女・勧進聖・説教師などの宗教人、さまざまな商人や交易人、非人、乞食といった人びとが異形の服装を身にまとっていました。
これらの人びとは皆、「無縁の原理」に従う自由と平和を生きた人びとです。大楠公楠正成はまさに悪党の出であった。
彼らの多くが世俗の縁とは切れつつもそうした役割を担えたのは、鎌倉前期まで「聖なるもの」と信じられてきた天皇および神仏の権威と結びついた聖なる集団としての供御人・神人・寄人だったからでもあります。供御人は天皇の、神人は神社の、寄人の仏寺の、それぞれ直属民だった人びとをいいます。

人間の本源的自由に淵源する無縁の人々と今日のヤクザ社会と連綿と繋がっているのである。ヤクザが欧米のマフィアと違うのは単なるアウトローではなく、国家の最高権威である天皇の直参を自認している点が決定的な違いではないかと思う。それゆえ、右翼団体のなかには、任侠右翼が多数存在するのである。
 
内容がいきなり本書と外れてしまいましたので、閑話休題。
 
真の「反社会的勢力」P8
こうしたことは過去の話ではない。最近の日本においてもその一端が明らかになる事件があった。貧しい民衆の味方であったはずの法律家たちの多額の脱税が発覚したのである。

2009年10月、全国12の国税局と国税事務所は、消費者金融の過払い請求返還訴訟の代理業務などに携わった弁護士や司法書士に対して行なった税務調査報告を発表した。司法書士は、03年の法改正により認定を受ければ返還請求訴訟に関われるようになっており、今回の調査対象とされた。
この結果が、驚くべきものだったのだ。調査を受けた804人の法律家たちの脱税総額は実に79億円、一人当たり約1000万円に上っていた。追徴課税は平均343万円、総額27億円を超える。悪質なケースでは、07年までの7年間で1億1500万円を申告せず、重加算税を含む約5500万円の追徴課税を受けていたのである。
法律家もビジネスであり、儲けたい気持ちがあっても否定はしない。しかし、問題は彼らが「正義の味方」として、「悪徳消費者金融業者」と対決する立場にあったことだ。正義を掲げる ことで金儲けをしていたのである。
 http://www.uniqlo.jp/uniqlock/swf/blog_small.swf?user_id=Bo4uxIuSX6BfwXZC 
  このグレーゾーンのサラ金の金利の過払いは明らかに法の整備ができていなかったのが問題で、サラ金業者に非があるわけではない。明らかに契約の段階では合法なのだ、ところが2006年の改正貸金業法であきらかに事後法であるグレーゾーン金利の返還で、弁護士・行政書士達は、正義の味方面して、稼ぎまくり脱税していたのである。
 
規制が生み出す「より悪い」ものp12~13
ところで、消費者金融や質屋がなぜ必要なのかというと、ロプロ被害者弁護団も指摘しているが、銀行が庶民にカネを貸さないからだ。そして、その銀行を統括する財務省(旧大蔵省)や、金融庁が諸悪の根源といえる。

銀行が貸し渋りをするから消費者金融で借りるというのは当然の流れであり、消費者金融が貸出の審査を厳しくすれば、今度は間違いなく闇金融に向かうことになる。現にその傾向は散見されている。本当にカネが必要な低所得者が銀行からカネを借りられず、その結果、非合法のマチ金や闇金に手を出さざるを得なくなるのは当たり前のことである。

つまり、過度の規制からは「より悪いもの」しか生まれないのだ。これは、消費者金融に限ったものではない。たとえば食品の問題も同じである。原材料や賞味期眼表示や品質管理に過剰な規制をした結果、偽装表示が激増したうえに、「極端に清潔な場所」でしか生息できないO-157という菌を蔓延させることになった。

92年に施行された暴対法も同じである。「暴力団」を異常な形で締め出した結果、ヤクザのマフィア化や地下化、暴対法の規制対象とならない外国人窃盗団やギャング、チーマーの犯罪が懸念されている。「悪」に対して厳しい制裁を望むだけでは、よりひどい「悪」が出てくる。

そして、700人の法律家たちの脱税事件のように、彼らを取り締まる「正義の側」に立つ者に、莫大な利権が与えられることになる。私は、反「暴力団利権」とは、反「サラ金利権」の比ではない規模だと考えている。
 ヤクザを無罪にできるかp17
私がよく引用する「刑事法には、一般人用とヤクザ用の二種類がある」「ヤクザの罪は五割増、警察官の罪は五割減」などの言葉は、もはや法諺(ほうげん:法律のことわざ)となっている。
こうしたことは法の下の平等に反しており、違和感を覚える法曹関係者や政治家、メディア関係者も皆無というわけではない。だが、異議を述べようものなら「『暴力団をかばうのか』
生言われてしまうので、関わりたくない」(現職衆議院議員)というのが本音のようだ。
  
 
 
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三つの波が、21世紀世界を決定する
2050年の世界は、一体どうなっているのであろうか。
はたして我々は、2100年へ向けての心構えはできているのであろうか。
我々の子どもや孫たちの世代は、豊かな社会に生きることはできるのであろうか。それとも、我々の世代を恨みながら、地獄の底を這い回ることになるのであろうか。

次世代に豊かな生活環境を遺すためには、我々は未来について考え、未来の前提となる歴史を理解し、未来の出来事に対する対処の仕方を研究する必要がある。これは可能だ。というのは、歴史にはいくつかの法則があり、これらの法則により、歴史を見通すことも、方向性を見つけ出すこともできるからである。
 
現状はいたってシンプルである。つまり、市場の力が世界を覆っている。マネーの威力が強まったことは、個人主義が勝利した究極の証であり、これは近代史における激変の核心部分でもある。すなわち、さらなる金銭欲の台頭、金銭の否定、金銭の支配が、歴史を揺り動かしてきたのである。行き着く先は、国家も含め、障害となるすべてのものに対して、マネーで決着をつけることになる。
 
これはアメリカとて例外ではない。世界の唯一の法と化した市場は、本書で筆者が命名するところの〈超帝国〉を形成する。

この捉えがたい地球規模の超帝国とは、商業的富の創造主であり、新たな狂気を生み出し、極度の富と貧困の元凶となる。すなわち、超帝国では自然環境は喰い物にされ、軍隊・警察・裁判所も含め・すべてが民営化される。また、人類は人工器具を身に取り付けられ、自らが加工品となると同時に、自らの身を、同じ加工品である消費者に向けて大量販売するようになるであろう。

こうして、人類は自らの被造物であることをやめ、滅び去る。
人類がこうした狂気にとらわれ、悲観的な未来にひるみ、暴力によってグローバル化を押しとどめようとするのならば、人類は頻繁に勃発する退行的な残虐行為や破滅的な戦いに陥ってしまうであろう。

この場合、今日では考えられない武器を使用し、国家、宗教団体、テロ組織、〈海賊〉が対立しあうことになる。本書において筆者は、こうした戦闘状態を〈超紛争〉と呼ぶ。これも人類を滅亡へと導くであろう。

最後に、グローバル化を拒否するのではなく、規制できるのであれば、また、市場を葬り去るのではなく、市場の活動範囲を限定できるのであれば、そして、民主主義が具体性を持ちつつ地球規模に広がるのであれば、さらに、一国による世界の支配に終止符が打たれるのであれば、自由・責任・尊厳・超越.他者への尊敬などに関して新たな境地が開かれるであろう。
 
本書では、こうした境地を<超民主主義>と呼ぶ。これは民主的世界政府ならびに地方や地域の制度・機構の創設をうながす。民主主義の確立により、想像を絶する次世代テクノロジーにより再創造された仕事に就く人々は、無料で豊かな社会に暮らし、市場の想像力のなかから善行だけを公正に選び出し、過剰な要求を悪とみなし、貧欲さから自由を保護し、次世代にきちんと保護された地球環境を遺すことができるようになる。このためには、世界中の英知や新たな生活様式を動員し、人類が一丸となって超民主主義を構築していく必要がある。

今後50年先の未来は予測できる。まず、アメリカ帝国による世界支配は、これまでの人類の歴史から見てもわかるように一時的なものにすぎず、2035年よりも前に終焉するであろう。次に、超帝国、超紛争、超民主主義といった三つの未来の波が次々と押し寄せてくる。最初の二つの波は壊滅的被害をもたらす。そして、最後の波については、読者の皆さんは不可能なものであると思われるかもしれない。

筆者は、この三つの未来が混ざり合って押し寄せてくることを確信している。その証左に、現在においてもすでに、これらが絡み合った状況が散見できる。筆者は2060年ごろに超民主主義が勝利すると信じている。この超民主主義こそが、人類が組織する最高の形式であり、21世紀の歴史の原動力となる最後の表現である。つまり、それは〈自由〉である。
 
市場民主主義の地理的範囲も次第に拡大していった。市場民主主義の中心地は少しずつ西へ移動した。
その中心地は、12世紀には中東から地中海に移り、次に北海、大西洋、そして現在の太平洋へと移行したのである。中心地となった「中心都市」を時代順に九つ列挙すると、ブリュージュ、ヴェネチア、アントワープ、ジェノヴァ、アムステルダム、ロンドン、ボストン、ニューヨーク、ロスアンジェルスとなる。今後、中国と中東をのぞいた世界全体が、この市場の秩序によって支配されることになる。
競争も、次第に市場と民主主義に権力を集中させた。この競争とは、全員に開かれているという前提ではあるが、権力を握ったのは機動力のある新たなエリートであり、彼らが資本や知識を支配し、新たな不平等を生み出している。
仮に、この数十世紀にわたる市場の歴史が、あと半世紀にわたって継続すると、市場と早民主主義が不在であった地域まで拡大することになるであろう。こうして経済成長は加速され、生活レベルは上昇し、また、まだ独裁者が君臨する国家からは、彼らの姿が消えうせることになる。しかしながら、社会は不安定に陥り、不公正がはびこる。例えば、水資源やエネルギーはさらに希少となり、気候変動による危機が生じる。また、社会的不平等は増大し、社会的不満が高まる。各地で紛争が勃発し、人口の大移動が始まる。
2035年ごろ、すなわち長期にわたる戦いが終結に向かい生態系に甚大な危機がもたらされる時期に、依然として支配力をもつアメリカ帝国は、市場のグローバル化によって打ち負かされる。特に、金融の分野で、保険会社などの巨大企業がアメリカを打ち破る。これまでの帝国と同様に、アメリカは金融面・政治面で疲弊し、世界統治を断念せざるを得ないであろう。世界におけるアメリカの勢力は巨大であり続けるであろうが、アメリカに代わる帝国、または支配的な国家が登場することはない。そこで、世界は一時的に〈多趣化〉し、10カ所近く存在する地域の勢力によって機能していくことになる。
 
人類壊滅の危機-国家の弱体化と<超帝国>の誕生
次に、元来、国境をもたない市場は、民主主義に打ち勝ち、民主主義は制度的に地域に封じ込められる。国家が弱体化するのである。また、新たなナノテクノロジーがエネルギー消費を削減し、医療・教育・安全・自冶など、これまで行政が担ってきた最後のサービスを変革していく。そこで、新たな大型消費財が登場することになるが、これを本書では〈監視体制〉と呼ぶ。この監視体制は、各人が最適な医療・教育・管理の規範に合致しているかどうか、測定・管理する。こうして経済は、エネルギーや水資源をさらに節約していく。また〈自已監視〉は、制限を設けられることに対する不満から生じる自由と不安の極端な形式となる。また、情報開示は義務化される。例えば、所属する組織、風俗習慣、健康状態、学歴を明らかにしたがらない者は、原則的に疑われてしまうことになる。平均寿命が延びることで、借金することを決め込んだ年寄りが権力を握る。また、国家は企業や都市を前にして消え去ることになる。そこで〈超ノマド〉が土地もない、「中心都市」も存在しない、開かれた帝国を管理していく。本書ではこの帝国を〈超帝国〉と呼ぶ。超帝国では、各人は自分自身に誠実であることはなく、企業の国籍も跡形もなくなる。また貧乏人たちは、貧乏人同士の市場を作る。法は契約に、裁判は調停に、警察は傭兵に取って代わられる。そして新たな多様性が社会に根づく。演劇やスポーツは、〈定住民〉の気晴らしのためのものとなる一方で、貧困に苛まれ放浪を余儀なくされる〈下層ノマド〉は、生き残りを賭けて国境を越えてさまよう。世界で規制を課すのは保険会社となり、保険会社は、国家・企業・個人がしたがうべき規範を世界中で制定していく。ガバナンス(統治)を司る民間組織は、保険業者の財務状況に配慮し、保険会社の規範の遵守に気を配る。天然資源はますます希少となり、ロボットの数はさらに増える。私的な時間も含め、ほとんどすべての時間に商品が入り込む。ついには、各人は自らの身体に取り付けた人工器官の自己修理や生産、最終的にはクローン化を勧められる日も到来する。こうして人類は、加工品としての存在から消費活動する加工品としての存在に成り下がり、人食いの対象としての存在から、人食いそのものになり、邪悪な〈ノマド〉としての存在からいけにえとしての存在となる。
アメリカ帝国の滅亡、気候変動にともなう被害の深刻化、また人々の領土をめぐる紛争の勃発、数多くの戦争などが起こる以前に、こうした事態は当然ながら悲惨な衝撃的事件なくしては進行しない。すなわち、国家、海賊、傭兵、マフィア、宗教活動が新たな武器を装備し、電子.遺伝子技術やナノテクノロジーを駆使しながら、監視・抑止・攻撃機能を入手する。さらに、超帝国の出現により、個人間の競争が始まる。石油、水資源、領土保全、領土分割、信仰の強制、宗教戦争、西側諸国の破壊、西側諸国の価値観の持続などをめぐって、人々は争うことになる。軍事独裁者は、軍隊と警察の権力を両用して権力を掌握するであろう。本書では、こうした紛争のなかでも、もっとも殺裁の激しい紛争を〈超紛争〉と呼ぶ。超紛争とは、前述したすべての紛争の集結を意味し、おそらく人類を壊滅させることになる。
2060年<超民主主義>の登場
2060年ごろ、いや、もっと早い時期に、少なくとも大量の爆弾が炸裂して人類が消滅する以前に、人類は、アメリカ帝国にも、超帝国にも、超紛争にも我慢ならなくなるであろう。そこで、新たな勢力となる愛他主義者、ユニバーサリズムの信者が世界的な力をもち始めるであろう。こうした動きは、現在すでに芽生えてきており、エコロジーで道徳面・経済面・文化面・政治面で優れた帝国を作り出す。
こうした勢力は、監視・ナルシズム・規範の要求に反旗を翻す。そして地球レベルで市場と民主主義との間に新たなバランスを次第に見出す。すなわち、これが本書で述べる〈超民主主義〉である。新たなテクノロジーの貢献もあり、世界的・大陸的な制度・機構が、共同体としての生活をまとめ上げていく。
例えば、これらの制度・機構の働きかけにより、前述の人類の商業加工品化に一定の制限を設け、生命の修正に歯止めをかけて、自然な価値を見出していくであろう。これらの制度・機構は、無償のサービス、社会的責任、知る権利を推進し、全人類の創造性を結集させ、これを凌駕する〈世界的インテリジェンス〉を生み出すであろう。いわゆる、利潤追求することなしにサービスを生み出すく調和を重視した新たな経済が市場と競合する形で発展していく。これは数世紀前の封建制度の時代に、市場に終止符が打たれたように実現していく。
こうした時代は、現在考えられているよりも早い時期に訪れることになるであろうが、市場と民主主義は、いずれ過去のコンセプトとなるであろう。こうしたコンセプトは、過去に見られた人食いや生身の人間を神に捧げる「いけにえ」と同様に、うっすらと我々の記憶に残る、理解しがたいものになるであろう。
これから50年先のことを予測するのは難しい。分厚い本であるが、アタリ氏の言いたい事はここで紹介した序章で言い尽くされている。アタリ氏の予測を非難するのは簡単であるが、あくまでも00年代に予測したアタリ氏の予想であり、あまり批判はしない。
 
だが、他愛的な人間が結集し超民主主義をつくるなど・・・・凡人にはりかいできません。

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21世紀の歴史
Jacq Attali
 
1943年生まれ。わずか38歳で、フランスのミッテラン政権の大統領特別補佐官を務め注目を浴び、1991年「ヨーロッパ復輿開発銀行」の初代総裁となった。1998年には「プラネット・ファイナンス」を創設、現在も途上国支援に尽力している。

政界・経済界で重責を担う一方で、経済学者・思想家・作家としても幅広く活躍し、まさにフランスを代表する知
性として、その発言は常に世界の注目を浴びている。
 

本書は、フランスでベストセラーとなり大論争を巻き起こした。サルコジ大統領は、本書の提言に感銘を受け、
2007年、仏大統領の諮問委員会として「アタリ政策委員会」を設置。“21世紀フランス''を変革するための政策提言をアタリに依頼した。
 
著書は多数あり、経済分析・哲学書・歴史書・文化論と幅広いが、主な邦訳書は以下である。1「カニパリスムの秩序」『ノイズー音楽・貨幣・雑音」(みすず書房)、『アンチ・エコノミクス』『所有の歴史」(法政大学出版局)、『時問の歴史」(原書房)、『21世紀事典』(産業図書)ほか。
 
フランス人のジャックアタリ氏の未来観と、ハンティントンの文明の衝突と比較して最後まで読んでしまった。
 
アタリ氏は、日本に対しての批評はだいぶ辛口である。折角の技術的ダイナミズムにもかかわらず、港湾や金融市場の整備に失敗し、更にアジアにおける友好的地盤を築くことに失敗したことが、日本の覇権拡大の基盤にならず、世界の中心都市となることに失敗したという。
 
序文の1ページを読んだだけで、私はアタリ氏のアジアに対する不見識と無知を強く感じ、本書の価値を著しく下げた。 日本は世界の「中心都市」となるこ可能性は残っているだろうというが、ナビゲーター、技術者、研究者、起業家、商人、産業人の育成をこれまで怠ってきたと同時に、科学者、金融関係者、企業クリエーター
を外国から招へいしてこなかったからダメで、アイデア、投資、外国からの人材を幅広く受け入れることなくして、「中心都市」になることはありえないという。
 
日本は、アジアとの交差点、アメリカとの交差点、オセアニア地域との交差点といったように、地理的に重要な拠点に位置しており、この三つの円が交わった部分をうまく組織できれば、つまり、この三つの円を解体するのではなく、三つの円をすべて融合させることができれば、日本は多大な潜在的成長力をもちうるだろう。
日本の未来の歴史は、こうした法則や成功の捷にしたがうことができるかどうかに左右される。
最後に、21世紀日本の課題を10ほど列挙しておきたい。
1中国からベトナムにかけての東アジア地域に、調和を重視した環境を作り出すこと。
2日本国内に共同体意識を呼び起こすこと。
3自由な独創性を育成すること。
4巨大な港湾や金融市場を整備すること。
5日本企業の収益性を大幅に改善すること。
6労働市場の柔軟性をうながすこと。
7人口の高齢化を補うために移民を受け入れること。
8市民に対して新しい知識を公平に授けること。
9未来のテクノロジーをさらに習得していくこと。
10地政学的思考を念入りに構築し、必要となる同盟関係を構築すること。
民主党の公約にも見えるが、当たり前の事である。だが、7の移民の受け入れは私は反対。フランスでどれだけ移民によるマイナスを自覚しているのか?10もアタリ氏は中国・朝鮮を念頭にしているのであるならば、大反対である。
アタリ氏はもう一度中国・朝鮮の歴史や文明を知るべきである。
 
アメリカ帝国の次に世界を制するのはどこか?台頭する「11カ国」と「20カ国」
経済的.政治的勢力をもつ11カ国が台頭している。これらの国を列挙する。日本、中国、インド、ロシア、インドネシア、韓国、オーストラリア、カナダ、南アフリカ、ブラジル、メキシコである。本書では、これらの国々を〈11力国〉と命名し、後ほど触れていく。20年から25年後には、これらの国々は市場民主主義国となるか、その途上にあるであろう。さらには、これらの国を追う、力強い経済成長をともなった<20カ国>が存在する。こうした<20カ国>のうち、将来的にも社会機構の欠如に苛まれるであろう国々は、アルゼンチン、イラン、ベトナム、マレーシア、フィリピン、ベネズエラ、カザフスタン、トルコ、パキスタン、サウジアラビア、アルジェリア、モロッコ、ナイジェリア、エジプトである。こうした国々以外にも小国であるが重要な役割を担う国としてアイルランド、ノルウェー、ドバイ(アラブ首長国連邦)、シンガポール、イスラエルが挙げられる。
アジアが台頭してくる。国際貿易の三分の二は太平洋を介して行なわれ、20数年後には、アジア地域での生産は世界の半分以上になる。コンテナ船用の港上位20港のうち13港は、アジア地域に存在する(上海、香港、シンガポール、名古屋、釜山〔韓国〕、高雄〔台湾〕、ダンピア〔オーストラリア〕など一。(略)
中国
中国の人口は2025年に13億5000万人に達し、世界第二位の経済大国になる。(略)
こうして中国では、数億人が中産階級に、数千万人が資産家の仲問入りを果たす。また、中国の経常収支バランスは相変わらず大幅に黒字のままであり、中国資本はアメリカの財政赤字を補填し続ける。中国とアメリカは、お互いに強い敵意を感じながらも、自らの利益を前提とした世界経済の成長維持のために、あたかも同盟国のように振る舞う。さらに中国は、日本とアメリカを退け、フィリピンやカンボジアといった地域で最大の投資国にのし上がる。中国の太平洋沿岸部地域は、農村部からの流民にうまく対処できるのであれば、特に世界各地に散った中国人をはじめ、世界中のクリエーター階級を迎え入れるであろう。
中国共産党の都市部の生活を組織する能力は衰退し、中国共産党は各都市部において、選挙で選ばれた人物に権力を委譲することになる。中国共産党は改革を怠り、次に掲げる山積みとなっている難題を解決することができない。すなわち、現在、中国人の90%には退職金も健康保険もなく、都市部に住
む半分の人々、そして農村部に住む五分の四にあたる人々は、医療サービスを受けられない。また、中国の最大都市上位500位に入る都市の半分では、飲料水が確保できず、ゴミ処分場が不足している。
よって、中国は都市部のインフラ設備を完備しなければならない。また、人民元の安定性を強化し、汚職を撲滅して公的な財政部門を持続的に健全化していくことも必要である。さらに、都市部に流入してくる数億人の人々に職を与え、所得格差を是正しなければならない。教育システムを改善して多くの管理職を育て上げることも必要であり、旧態依然の公共部門を改革し、個人の所有権並びに知的著作権を保護するための法整備も急務である。これだけの課題を一党独裁体制でこなすことは事実上不可能で
ある。2025年には、いずれにせよ中国共産党の76年間にわたる権力に終止符が打たれるであろう(70年以上にわたって権力を握りつづける政権は、世界中どこにも存在しない)。
この国の過去の歴史からもわかるように、この時期に中国は混乱を極める。新たな民主主義が生まれ、1921年の「軍閥」による辛亥革命当時と似たような展開になるのではないだろうか。中国が国家統一を維持できないというシナリオは排除できない。この場合、中国は内乱状態に陥る。このことにつ
いては次の章で触れる。国家統一の存続を図るためには、中国共産党は台湾やシベリアを侵略するなど、外交で得点を稼ぐことで、国民の不満を紛らそうと試みるであろう。これについても後ほど触れる。

インド
インドが順調に発展し続けるシナリオでは、2025年にインドの人口は世界目取大の14億人に達し、中国とアメリカに次いで世界第三位の経済大国になる。インドの経済成長は2010年から中国を追い越すが、インドの一人当たりのGDPは、インドの人口が急増することから、隣国の中国よりも劣ったままであろう。タタ、インフォシス、ミタルといったインド企業は、世界の大企業の仲問入りをする。
このシナリオどおりとなるためには、民主主義国家インドは、中国と同様に、かなりのハードルを乗り越えなければならない。例えば、都市部のインフラ設備に財源を割り振り、代替エネルギー源を見つけ出す。道路と空港を建設し、国の財政再建を図る。地方および社会階層問の不平等格差を是正するなどである。
中央政府がこうした課題をこなせないと、中国と同様に、インドも国家がバラバラになる可能性がある。インドはイギリスの植民地となってはじめて、統一国家となったことを思い起こしてみる必要がある。

日本
日本は世界でも有数の経済力を維持し続けるが、人口の高齢化に歯止めがかからず、国の相対的価値は
低下し続ける。1000万人以上の移民を受け入れるか、出生率を再び上昇させなければ・すでに減少しつつある人口は、さらに減少し続ける。日本がロボツトやナノテクノロジーをはじめとする将来的なテクノロジーに関して抜きん出ているとしても、個人の自由を日本の主要な価値観にすることはできないであろう。また、日本を取り巻く状況は、ますます複雑化する。例えば、北朝鮮の軍事問題、韓国製品の台頭、中国の直接投資の拡大などである。
こうした状況に対し、日本はさらに自衛的・保護主義的路線をとり、核兵器を含めた軍備を増強させながら、必ず軍事的な解決手段に頼るようになる。こうした戦略は、経済的に多大なコストがかかる。2025年、日本の経済力は、世界第五位ですらないかもしれない。

韓国
前述の「11カ国」のうち、アジア最大の勢力となるのは韓国であろう。韓国の一人当たりのGDPは2025年までに二倍になる。韓国は、新たな経済的・文化的モデルとなり、その卓越したテクノロジーと文化的ダイナミズムによって世界を魅惑する。中国、マレーシア、インドネシア、フィリピン、さら
には日本でさえ、韓国モデルを「成功するためのモデル」として、こぞって模倣するようになる。
韓国の成功の永続性は、韓国が次に掲げる二つの破滅的なシナリオを避け、独自の路線を切り開く能力があるかどうかにかかっている。一つ目は、北朝鮮の独裁政権の崩壊によって南北の統一を余儀なくされるというシナリオである。この場合、経済的コストは甚大である。二つ目は、北朝鮮側が仕掛ける破れかぶれな軍拡競争が、韓国の半世紀にわたる奇跡の経済成長を無に帰すというシナリオである。

ベトナム
ベトナムの人口は、2025年には1億1500万人に達する。ベトナムは政治・銀行.教育制度を改革し、道路をはじめとするインフラを整備し、汚職を撲滅することができるのであれば、ベトナム経済はアジア第三位にまで上昇する。ベトナムが外資導入を図りながら、主要な経済国となることは確実である。

インドネシア
インドネシアは、汚職、貧弱な教育制度、100にも及ぶ民族間に漂う緊張関係など、ほぼ解決不能な問題に悩まされる。仮に、インドネシアがこれらの難題を奇跡的に乗り越えた場合、インドネシアはイスラム圏第一位の経済大国にのし上がり、その人口は、2025年には2億7000万人に達する。
インドネシアには、経済に必要な一次産品がある(石油、天然ガス、銀、ニッケル、銅、ボーキサイト)。インドや中国と同様に、経済成長だけでは国内の分離独立派を押さえ込むことができない。中国やインドをはじめとする国々と同様に、インドネシアもいずれバラバラに分離してしまう可能性がある。これについては、また後ほど触れる。

反米的なフランス人が書いたゴールドマンサックスが2003年に書いたBRICsレポートの焼き直しにすぎん。2025年に中国共産党独裁が終止符を打つとの見通しと、中国が経済大国でいられるかどうか矛盾するのではないか?
 
しかし、フランスは、アタリ氏の未来観を基に国策としていいのか?と私は思ってしまった。
執筆中
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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その2 からの続き
 
「ヤワラちゃん出馬」の意味

http://prt.iza.ne.jp/images/news/20100610/308009_c185.jpg自民党が作り上げた利権談合システムは、「政官財-鉄のトライアングル」と呼ばれた。最近では大メディアを加えて「政官財報カルテット」などともいう。
その最後の極である財界でも、守旧派と、民主党政権に軸足を移そうという新潮流がぶつかっていた。
「小沢さんは、自民党ぺったりになっていた日本経団連との"和解山に応じず、経団連では主流派になれなかった旧財閥系企業を中心に、『第二経団連』を組織させようとしていた」(民主党中堅議員)
それが事実なら、財界を支配してきた経団連に大きな動揺が走ったはずだ。経営評論家・針木康雄氏はこう指摘する。

「今の経団連には存在感が全くない。それは、奥田碩・会長、御手洗冨士夫・会長が率いた、失われた8年。の影響が大きい。小泉政権に対する政治献金の斡旋を復活させ、毎年20億~30億円を自民党に流した」民主党が政権に就いて以降、御手洗氏らは献金斡旋をやめると宣言して民主党への恭頼の意を示したが、それに対する返答が「第二経団連」では、それに反発する財界に、民主党政権を敵視する守旧派を生むことになるのも当然だった。

http://www.j-cast.com/images/2007/amtp07-1180_pho01.jpgただし、経団連が常に自民党の集金・集票マシーンだったわけではない。奥田氏の2代前の会長は、同じトヨタ出身の豊田章一郎氏だった(※正確には日経連との合併前の経団連会長)が、その頃は政界と財界の関係はかなり異なっていた。当時、小沢氏が自民党を割って政界再編が起き、細川連立政権で自民党が下野したことが影響して、慣例化していた自民党への献金斡旋が中止されていた。豊田氏は会長室から首相官邸に直接電話することもできたというが、会長就任1か月後に自民党が政権に返り咲いた時(村山運立政権)も、再開を期待する自民党政治家の声には耳を貸さず、斡旋中止を継続させた人物である。
 
その時代に経団連は中立化の道を歩み始めたはずだったが、「失われた8年」に先祖がえりし、しかも政治に物をいう力を失った。

そこへ「第二経団連構想」が浮上すれば、現経団連が慌てるのも無理はない。しかも、今も財界に大きな影響カを持ち、長男がトヨタ社長に就いた豊田氏は小沢氏と近い関係にある。

「米政府のトヨタ叩きが思いのほか早く終息に向かったのは、民主党政権のパックアップもあった。一郎と章一郎の『一・一ライン』は今も動いている。このタイミングで谷亮子がトヨタを辞めて民主党から出馬することも偶然ではない」

民主党に近い財界重鎮の言葉だ。そういえば、谷の出馬に守旧派のドンと目される読売・渡辺会長は激怒したと報じられた。また、同じ時期に、谷の家庭の事情に関する記事がマスコミを賑わせたことも記憶に新しい。

「小鳩退場」でも民主党政権は続く。「鳩山の首を獲れ」と暗躍した守旧派と、文字通り闇将軍となって党の実権を握り続ける小沢氏は、むしろこれまで以上に壮絶な攻防を見せるだろう。
ただし、その戦争の真相は、大新聞やテレピでは知ることができないのである。
 
 
「政権交代を短期に終わらせて旧体制…に戻したい大メディア」 ハァ????
あれだけ、自民党政権を批判し続けた大手メディア、特に朝日新聞が旧体制に戻したいなどと思うであろうか?毎日・読売も然りだ。
 
「今のような無責任でデタラメな報道」 は、今に始まったものではなく、野党時代散々無責任でデタラメな報道の尻馬にのって与党を攻撃していたのは、野党であった自分達であることを忘れたのか??
 
鳩山・小沢を辞任に追い込んだ「普天間問題」と「政治とカネ」新聞5紙や官僚の陰謀ではなく、鳩山と小沢の自爆であって誰のせいでもない
 
「小沢さんは選挙後には外務省と官邸の機密費疑惑を徹底調査する意向だ。もちろんマスコミに渡ったカネも表に出ることになる」
この一文に、日本のジャーナリズムに蔓延る中国のエージェントの影を疑い、文革以来左翼ジャーナリズムが抱き続けた中国共産党への親近感が国益を毀損させ、国益やインテリジェンスに無関心な日本のジャーナリズムの問題点が凝縮されている うな気がします。
 
確かに、内閣機密費というパンドラの箱は問題を抱えているのは事実だろう。実際内閣機密費を大手マスコミや、政治評論家達が日常的に受け取っていた事実を知らされ、私も憤りを感じるし、嫉妬し、「私にもくれ・・・!」国民が怒りを感じることは当然である。
 
ブーメラン菅の有名な逸話で、TVタックルで、「国会で金をばら撒いていたろう!」と菅の発言に対し、ハマコーこと浜田氏に「小沢に頼まれて、渡したよ!」と切り返され、話からすれば、民主党は完全に小沢を切らない限り、機密費問題を追及すれば民主党は自爆してしまうはずだ。この記事を書いている人間はそんなことも知らんのか!
 
 
そして、何よりも問題なのは、この機密費のなかから、日本のインテリジェンス資金が細々と捻出されているらしいことを知りながら、機密費を糾弾する行為こそ、日本を取り囲む猛毒国家(米・中・韓・露・北朝鮮)を喜ばせ、日本のインテリジェンス活動の息の根を止めるものである。
 
それゆえ、この微妙な問題を意図的に問題化させるのであれば、中国のエージェント(もしくは米国の機関)が関与しているのではないかと疑ってしかるべきだ。また、意図的ではなく、この機密費の問題がインテリジェンス活動にと直結することに配慮できないのならば、国益に関し無関心な日本のジャーナリズムのレベルの低さの証明であり、日本のジャーナリズムの質の粗雑さにあきれ返ってしまう。
 
やわらちゃんの出馬の話など、どうでもいい問題だ。トヨタ問題が民主党の活躍で早期に終息したという話は一切聞いていない。もしかしたら、鳩山がバカを演じ、”日本は目の仇にしなくとも、自滅する国なので、ほっとけ”となったのかもしれない。もしそうだとしたら、確かに民主党が活躍したのかもしれない。
 
それにこの記事は間違っている。奥田氏の2代前の会長は、同じトヨタ出身の豊田章一郎氏だった(※正確には日経連との合併前の経団連会長)」ではなく、「奥田氏の2代前の会長は、同じトヨタ出身の豊田章一郎氏だった(※正確には経団連との合併前の日経連会長)」が正確である。「※」を使って間違えるのもまったく恥ずかしい話である。もしかしたらまだ間違っている事に気がついていないのでは???
 
仮に第二経団連ができたとしても経団連が慌てる事などあるものだろうか?いったいどんな不都合があるというのだ、現に日本には経団連の他に、経済同友会日本商工会議所 が存在し、その他にも、関西経済連合会とか国際経済交流財団など経済団体は無数に存在し、だからなんだと思うのは私だけか?第一経団連が自民党に献金し、第二経団連が民主党に献金する団体となって、将来公共事業は勝った方の企業団体に落札するようになるといなら話は別だ。だがいまのところありえないだろう。
 
全文上杉隆が書いたのではないと思うが、この記事を書いたジャーナリストの質は中国製並みだろう。
 
 
官僚や保守派を売国奴呼ばわりするこの記事は、官僚・大手メディア=守旧派=自民党=親米ポチと思考しているようだ。別確度で分析すれば以下の図式だ。
 
小沢支持者=左翼(全共闘の生き残り)メディア=かつての文化大革命支持者=彼らの愛国心=反米=中国隷属主義者
 
以下の記事は【溜池通信 】かんべえの不規則発言<2010年6月9日(水)>の抜粋である。日本のプロのジャーナリストの記事は無料で読めるこういったカンベイこと双日の吉崎達彦氏のHP以上のクオリティが無い限り、読み手は金を払わないであろう。いきなりスタンドプレイに走るのもわからないでもない、厳しい世の中である
○小沢さんは嫌いだし、鳩山さんは許せない、とかねてから思っていた不肖かんべえとしては、今週発足した菅政権の前途を祝福するつもりはないけれども、さりとて呪いたくもない。今のところは、まあまあ上手くやってるんじゃないかと思う。というより、これがまたまた短命政権で終わってしまうと、それこそ日本政治の対外的信用が地に落ちてしまうので、ここはひとつ頑張っていただきたい。
 
(略)
○それでは、現在の労働党はどのように誕生したのか。第一次世界大戦という国難を機に、ロイド=ジョージによる自由党と保守党の連立政権が誕生する。今風に言えば「大連立」だ。しかし戦後になっても連立はなかなか解消せず、この間に社会主義勢力であった労働党が、急速に台頭することになる。

○久々に連立が解消した1922年選挙において、保守党が大勝して与党となった。その翌年、ボナ=ロー首相が健康上の理由で引退すると、後継のボールドウィン首相はなぜか関税政策を争点に解散総選挙に打って出る。保守党は比較第一党となったものの、保護貿易政策は受け入れられず、「ハング・パーラメント」が出現する。そこで組閣の大命は、第2党となった労働党のマクドナルド党首に降下した。このとき、労働党内ではさまざまな意見が飛び交ったのだそうだ。(P66)

(1)わが党には政権担当能力はない。自由党と連立しよう。

(2)組閣して社会主義政策を断行しよう。保守党と自由党に反対されたら、解散して国民の信を問え。

(3)とりあえず少数与党で船出して、自由党の言い分もときどき聞こう。

(この意見の割れ方、いかにも左派政党らしくて面白いですな)

○結局、労働党は(3)を選択する。マクドナルド内閣は、柔軟で現実主義的な路線を採ったわけである。この内閣は短命に終わり、保守党による第2次ボールドウィン内閣に後を譲ることになる。どうやらボールドウィンの長期戦略は、労働党との政権のキャッチボールを続けて、自由党をじょじょに退潮させることにあったらしい。そしてこの間、労働党は少しずつ政党としての能力を強化していく。つまり出だしで欲張らなかったからこそ、安定軌道に乗ったわけである。

○英国労働党の歴史を鑑とするならば、民主党もなるべくLow keyな路線を目指すべきであろう。何しろ今まで「オポジッション力」を蓄えてこなかったのだから。綱領を作るとか、外交・安保政策をまとめるとか、その辺の地道な活動が必要となる。英国労働党はそれをやったから、今日の姿がある。

○さて、鳩山政権の失敗から分かったことは、政権を安定させるためには次の4つが必要だということだ。

①安定した対米関係

②経済界との良好な関係

③財政規律の維持

④官僚機構の掌握

○まあ、これは「ほんの基本」というもので、自民党時代だって長期政権を築いた中曽根さんや小泉さんが実践していたことである。逆に言えば、あれだけ有能だった田中角栄も、①と③を踏み外したために短命で終わっている。首相たるもの、これは黄金律として銘記すべきであろう。

○その点、鳩山内閣の場合は、①普天間問題などでアメリカと不要に衝突し、②連合と蜜月、経団連を袖にして「アンチビジネス政策」を連発し、③マニフェスト至上主義で「子ども手当て」などを大盤振る舞いし、④官僚を相手に喧嘩を売った。これではダメの4乗である。

○菅内閣は、①~④の軌道修正を図っているようである。これは賢明な態度といえよう。とはいえ、あまり忠実にこれを実践すると、支持者の中から「これでは第2自民党ではないか」などという声が飛び出すかもしれない。まあ、いつの時代においても、現実主義路線というものはあまり人気を得ることができないものである。だから上手にやらなければならない。

○一例を挙げると、鳩山時代の官邸が機能不全に陥った一因は、事務次官会議を廃止したことであろう。あれがあったからこそ、省庁間の調整が図られ、政治日程が守られ、事務の官房副長官が機能してきた。菅内閣においては、できれば再開したほうがいいと思うのだが、さすがにそれは不評を買いそうだ。さりげなく、事務次官会議に代わるようなシステムを作れるかどうか。その辺がプロの政治というものではないかと、ワシは思うのだ。
これを読み、もう一度上杉隆の記事を読むと・・・
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その1からの続き
「ポチと同じ言葉」に激怒

小沢氏をさらに激怒させる事件が起きた。5月4日に沖縄を訪問した鳩山氏が、「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止カとして沖縄に存在しなけれぱならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」と語ったことだった。
 
小沢氏は敏感に反応したという。「抑止力なんて言薬を使っちゃ駄目なんだ。そんなことは歴代政権が絶対にいわなかったんだからな」自民党政権下でも、長く「米軍は抑止力」とはいってこなかった。安保条約上、米軍が日本に駐留する理由は、「日本を外国の攻撃から守るため」とされていたからだ。しかし、海兵隊はそもそも急襲部隊であり、極東有事の際に、他国の戦闘地域にいる米国人を救出することを第一の任務にしている。米国議会でも、国防総省は海兵隊について「日本の国土防衛のためにいるわけではない」と認めている。

 

日米外交史の上で初めて「抑止カ」が語られたのは、小泉政権下で進められた普天間再編論議の中で、「沖縄の負担軽減と米軍の抑止力を維持する」とその目的が説明されてからだ。日本防衛の役割を持たない海兵隊のために新たに巨大な基地を建設するという矛盾を国民に説明するための著しい言い訳であった。

「鳩山首相は、艮主党中心の『沖縄等米軍基地問題議員懇談会』の会長を務めていた。懇談会では海兵隊の性格について何度も協議しており、抑止力ではないことを十分に理解している。だからこそ、普天間の県外・国外移設は可能だと判断した(懇談会幹部)それを今になって、「学んだ」というのは、現行案に戻すために、小泉政権と同じ誤魔化しの論法をいわざるを得なくなったからに他ならない。

「安全保障には人一倍の関心と知識を持つ小沢さんは、”小泉ポチ路線”を大転換しようと誓った鳩山首相が、同じ言葉を使って対米従局路線に逃げたことが許せなかった」(前出の小沢側近)

そして閣議決定の前日、与党内で鳩山-小沢路線のまま「国外・県外」をめざすべきだという勢力が署名集めを始めると、「辺野古現行案」を押し通そうとする官邸との間で壮絶な抗争が起きた。平野氏は「倒閣運動だ」と署名つぶしに動き、官僚派の副大臣らが署名しないように党内に働きかけた。

そして翌日、公表された日米合意には、「辺野古」の文字以外にも重要な文面が加わっていた。
グアムに建設する海兵隊基地に、日本国内の米軍基地同様、「思いやり予算(在日米駐留経費負担)」を支払うことを検討するという内容だ。

「これは米軍の移転費用60億ドルの支払いを決めた自民党時代のグアム協定にもなかったもの。米側が強く要求し、岡田さんも北沢さんも、鳩山首相のせいで事態をこじらせた”詫び料”として検討を約束した」(外務省幹部)

小沢執行部の旧役員は、この"密約”が新内閣を揺るがす大きな問題になると指摘する。
「こんな合意は幹事長室にも説明はなかった。小沢さんが一番嫌うやり方だ。参院選が終わり次第、鳩山内閣を潰した張本人である官僚と米国追随のウィルスに汚染された大臣たちの“殺処分”が本絡化する」小沢氏の「鳩山切り」はまさにその嚆矢(こうし)なのだ。
 
http://www.uniqlo.jp/uniqlock/swf/blog_small.swf?user_id=Bo4uxIuSX6BfwXZCこの記事は小沢の秘書の作文ではないかと思うくらい、「小沢=正義=権力」
を軸に貫かれている。また、この文章は中国のエージェントが書いたと思うくらい反米、反日米同盟の視点で貫かれ、増大する中国の脅威という視点が一切無い。
 
第一、小沢が全てを掌握し、鳩山をコントロールしていたのなら、参議院選挙前に内閣支持率が20%を割るまで民主党の無能さを露呈させることが得策でなかったことぐらい、小沢はわかっていたはずではないか?一つの事実に対しそれは誰かの陰謀であると考える陰謀論的な無思考と底流では同じである。普天間問題を鳩山に任せたらどうなるか想像できなかった小沢自身の甘さ、間違いを糾弾すべきところ糾弾していない。
 
日米安保条約は、米軍に基地を使わせることにより、米軍から日本が攻撃されない為の条約であるというこの条約の本質がわかっていない。大東亜戦争において日米両国は多大な犠牲を払い、二度とその愚を犯さないための条約である。
 
もし、対米追随をやめたいのなら、何度も言うが、憲法を改正し、自立した国家として、策源地攻撃が可能な軍隊として自衛隊を国軍にしなくてはならない。日本が独自に中共軍や米軍と一戦交える事を覚悟するのであれば、対米追随を止め、日米安保条約を破棄し、沖縄から撤退してもらえばいい。
 
この記事にはそうした国の根幹にかかわる大事な視点を欠いたまま、内輪もめの楽屋話に終始し、天下国家や国家百年という思想に欠けた典型的左派ジャーナリストの駄文だ。
 
官僚が対米追随するその元凶は、官僚の個人的資質の問題ではない。その根源が現憲法であるという本質をこの記事では問題にしていない。問題を広い国際的な視点から内政問題を語ろうとしない、日本のジャーナリズムの限界が見えてくる。そして日本のジャーナリズムを批判している上杉やこのポスト編集部も目糞鼻糞を笑うようなものである。
 
次に以下の週刊ポスト記事がいかがわしいか批判する。

「一刻も早く”鳩山の首”を差し出せ!」と騒いだ官界・財界・マスコミ「守旧派連合」の売国奴たち

要するにこの国はいまだにアメリカの言いなりなのだ

大メディアは小鳩ダプル辞任劇に有頂天になり、「またもオレたちの前に政権が脆いた」とばかりに、はしゃいでいる。民主党に厳しい論調が目立つ日経新聞などは、総理辞任の速報を流した直後に、「鳩山、小沢辞任で株価急騰」という臨時ニュースまで流した(ただし、その日の株価は100円以上下げて終わった)。
 
しかし、これはとんだ見込み違いである。前項で述べたように、この政変は小沢体制の終わりではない。
鳩山政権を「処分」したのは小沢一邸氏自身であり、それは政権交代を短期に終わらせて旧体制…に戻したい大メディアにとっては、むしろ厳しい現実なのだ。

小沢氏が、輿石東・参院議員会長を伴って鳩山首切りに赴いた最後の夜、民主党首脳部には、断片的に切羽詰まったやり取りがメモとして伝えられた。その中にこんな言葉が含まれていたことを、恐らくほとんどのメディアは知らない。

「我々は本当にメディアとの戦いに腹をくくるしかない。今のような無責任でデタラメデタラメな報道とは、決撚と対演しなけれぱならない」 出席者の立場からして、鳩山氏が口にする言葉ではないだろう。小沢氏か、輿石氏か。いずれにせよ、メディアと全面的に対立する覚悟がなければ、この局面は打開できないと鳩山氏に詰め寄った言葉と想像される。それに対して、「私もそのことに関しては思いを致すところがある」と答えた言葉も伝わっているのだが、これは鳩山氏で間違いないと思われる。

内閣と党の表舞台から去る3人が、その最後の会談で「メディアこそが最大の低抗勢カ、守旧派だ」という認識を共有したのだとすれば、自分たちが退いた後の政権に対しては、報道におもねらない、その圧カに屈しないことを望んだということかもしれない。
 
大メディアが「守旧派」だという認識は正しい。ジャーナリスト・松田光世氏が、昨今のヒステリー報道の動機をこう読み解く。

「小沢・鳩山辞任のきっかけにもなった参院の国会空転は、まさに大メディアが固唾をのんで見守っていた放送法改正案審議が舞台となっていた。

この法案が成立すれぱ、『マスメディア集中排除原則』の見直しで、既存のテレビ局が独占してきた電波利権に風穴が空くし、テレビ局の資本の中身が透明化される。現実には、多<のテレビ局が株主の実態を偽装しているとされていて、その巨額配当金が様々な形で闇資金に化ける。一部は名義貸し株の配当や系列局の株をキー局が高値で買い戻すなどの方法で、地元の有カ政治家に流れている。

また、朝日、読売、毎日、産経、日経の5大紙による『5社電波本部長会議』、通称『5社会』が電波行政の方向性を決め、彼らが参加する電波監理審議会に諮問しないと政府方針も決められないという談合の仕組みが長く統いてきた。

そういう談合と裏金の構図を守りたい大メディア経営者は、この法案が消え去ることを望んでいた」そうした構図の中にいるかは不明ながら、かつて日テレ株の大量名義貸しが発覚した読売新聞グループ本社会長の渡辺恒雄氏がこの法案を強く批判していたことからみても、民主党政権により戦後初めて手を付けられた放送法の改正が、既存メディアを大いに怒らせたことは間違いない。

さらに、現在はテレビ局が諸外国の例から見ればタダ同然の低価格で独占的に使用している電波帯を、これも先進諸国の例にならってオークションにかけて販売しようという案も民主党内にあり、これにもテレビ局は猛反発していた。

日米政府の「マスコミ接待」鳩山政権が進めた記考クラブ開放に大メディアが強く低抗したことも、すでに多くの国民が知るところとなった。鳩山、小沢、岡田、亀井、原□前政権で大マスコミの袋叩きにあった面々が、すべて記者会見を記者クラブ以外に開放していたことは、果たして偶然なのだろうか。一方でマスコミが論客として重用した仙谷、前原といった大臣は、最後まで記著クラプだけを相手に会見していた。

記者クラプという制度は、マスコミが税金で官庁内に広い部屋と特権的に出入りできる権利を得、かつては電話も水光熱費もタダ、おまけにお茶くみやコピー取りをする女性職員まで税金で手配されていたという、メディアには非常においしいシステムである。しかし、重大なポイントはそれだけではない。クラプ所属メディアが特権と情報を独占することは、逆にその利権を与える官僚にとっては、そのメディアを自由に操れることを意味する。

省あって国なし、とまでいわれた亡国官僚たちが、ただのお人好しでメディアに利権をおすそわけするわけもない。当然、それは官僚による情報操作、政権支配をやりやすくする手段だと考えるべきだ。
大きな物議をかもした小沢氏に対する検察による捜査情報リーク間題は、それが先鋭化して現われたものだろう。また、普天間移設問題でも、本誌がスクープした「腹案」を漬したい官僚が、記者クラプに全く逆の報道をさせて、国民の目に「腹案」が触れないようにしたことも同じ構図だ。

見ようによっては、鳩山・小沢を辞任に追い込んだ「普天間問題」と「政治とカネ」は、いずれも官僚とメディアのタッグによって膨れ上がった問題だ。

だからこそ「記者クラブ開放は新内閣でもさらに進めるよう指示されている」(菅支持議員)のである。さらには、「小沢さんは選挙後には外務省と官邸の機密費疑惑を徹底調査する意向だ。もちろんマスコミに渡ったカネも表に出ることになる」(同前)というから、メディアは首筋が寒いはずだ。
 
もうひとつ官僚支配の弊害として見逃せないのが、徹底した「アメリカ従属」である。前項記事で詳細に述べたように、普天間問題では外務官僚、防衛官僚が手を組んで「腹案」を潰した。本誌取材では、米民主党のプレーンは、「アメリカにとって一番怖いのは、日本で反米世論が高まることだ。もし鳩山総理が強い決意で沖縄県外移転を押してきたら、オバマ政権は承諾したと思う。しかし、最後まで鳩山はそういわなかった」と明かしている。
 
では、「辺野古でなけれぱアメリカが納得しない」と鳩山氏を取り囲んだ官僚たちは自作自演だったのか。
また一方で、メディアにはアメリカの「日本通」とされる元官僚や元軍人が次々と登場したが、「彼らもまた日本の世論形成を裏の任務とする者たちだ。普段から目本のマスコミと親しくし、時には"アゴ・アシ付き”でアメリカに呼んで取材や研修という名の観光旅行をしてもらう」(同前)というのである。
 
鳩山が辞めたニュースが流れる前は前日のNYの下げで下落していた日経平均が鳩山辞任で反発したのは事実であり、鳩山辞任の臨時ニュースは流れたが、そのコメントの中で株価が反騰していることに言及するのは自然な流れであって、鳩山辞任万歳と思ったにしても、メクジラを立てる方が政治的である。
 
 
続く
 
 
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http://www.uniqlo.jp/uniqlock/swf/blog_small.swf?user_id=Bo4uxIuSX6BfwXZChttp://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.gif日本が今日のような不甲斐ない国となってしまった理由は、いくつか存在すると思う。
 
私が思う一番の原因は、大東亜戦争で敗退した日本が、再び気概ある国家として再生することを阻む目的押し付けられた、日本国憲法を、いつまでも後生大事に改正できないでいることであろうと思う。
 
憲法九条は、米国に押し付けられた憲法ではあるが、日本人、特に左翼の思想に共振する人達の情緒と実に合致しているのではないかと思う。
 
http://storage.kanshin.com/free/.s.150x150/img_1/17058/1290393059.gif日本の左翼思想のルーツは、無政府主義や共産主義ではなく、無責任な平安貴族政治と共通するのではないかと私は密かに考えています。井沢元彦氏の日本文化論である「穢れと茶碗」には、平安時代貴族たちが、穢れや怨霊から身を守る為に国家としての軍隊を廃止したり、死刑を廃止するなど、今日の日本人左翼の情緒と共通する政策を行い、国がおおいに乱れたことがわかりやすく書いてある。
 
穢れや戦争を忌む平安貴族達の関心は政(まつりごと)にはなく、花鳥風月と歌の世界であった。平安中期以降、日本は国家としての組織は衰退崩壊していった。
 
例えば和同開珎によって萌芽した日本の貨幣文化も、皇朝十二銭で、朝廷は貨幣の発行を停止し、11世紀からはもっぱら絹が代用貨幣として用いられる時期が続いたことなどは、その最たる例であろう。
 
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/58/IMTFE_court_chamber.jpg/300px-IMTFE_court_chamber.jpg現、日本国憲法は、清国・ロシアを打ち負かし、米国までも一時は追い込んだ脅威の国日本を骨抜きにしようと画策した米国が日本に掛けた呪文であり、多くの日本人がその呪文の一つである極東軍事裁判(東京裁判史観)の呪縛から覚めることができていない。
 
かくも呪文が強力な原因は、現憲法が日本人の中に潜む情緒と共振するからに他ならない。
 
政権を執ってきた自民党は、長年憲法改正に踏み切れなかった。社会党やマスコミが、反対したしたことも大きいが、自民党自体に改憲する意思に乏しかったのだ。また敗戦のショックから日本人には「軍隊=穢れ」思想が紊乱してしまった為、多くの日本人は未だ呪文の存在すら知らず、東京裁判史観から覚醒できていない。
 
大東亜戦争直後GHQが仕掛けた呪いは、憲法に言うに及ばず、自民党というGHQ出先機関や、教育、マスコミの報道統制など、その黒魔術から戦後の日本は容易に解脱できないままでいる。
 
このマスコミなる無責任な怪物は、戦前においては軍部の御用を取り仕切り、戦後日本においては日本国憲法と共生関係といっていいであろう。
 
マスコミは冷戦が崩壊しても、改憲や核武装をタブーとして扱い、冷戦の崩壊よりも、政治改革や政治と金といった、瑣末な問題に終始し、大いに国論を沸かせるべき重要な問題を等閑(なおざり)として、日本の国益をいったいどれだけ喪失させたか計算不能である。
 
イメージ 1前置きが長くなりました。
 
今日の日本のマスコミは依然旧態依然とした利権構造であり、記者クラブはその最たるものである。これは私がこの後批判しようとする上杉隆が主張すことに対して、ほとんど同意で何等批判を加えるものではありません。
 
まずこの今週の週刊ポスト記事から批判したいと思う。上杉隆の記事と判断するが、週刊ポストの編集でどこまでが彼の文章か不明、その為記事として非難する。
 

小沢一郎の次なる「謀略9策」 

見まがうな新闇将軍「政界”殺処分”がこれから吹き荒れる

イメージ 2大マスコミは今回の政変について、「鳩山首相が小沢幹事長の党内影響力を奪うために、"抱き合い心中"を仕掛けたもの」とこぞって報じている。しかし、その説を真に受けれぱ、今後の政治の流れを大きく見誤ることになる――

小鳩ツートップのダプル辞任を、民主党内の反小沢勢力は大歓迎している。「小沢幹事長にも政治とカネの責任をとってもらい、一緒に辞めてもらうのに苦労したが、いうところなし。満点だ」
 
反小沢で知られる渡部恒三・元衆院副議長はそう語り、メディアも<首相退陣論に押され「幹事長も」道連れ>(読売新聞)などと、鳩山氏主導の、道連れ辞任説。を報じた。
 
しかし、果たしてそうなのか。自らの辞任や離党という思い切った行動で局面打開をはかり、死中に活を求めるのは、むしろ小沢氏の得意とする政治手法だ。17年前には自民党離党で細川政権を作り、昨年は代表辞任で政権交代を実現した。

しかも、昨年5月の代表辞任の際は、3月の秘書逮捕の頃に辞任の腹を固めていたにもかかわらず、選挙に最も効果的なタイミングをはかるために実行を2ヶ月待ったとされる。

http://img.47news.jp/PN/201004/PN2010042701000984.-.-.CI0003.jpg今回の辞任劇も、真相は小沢氏自ら仕掛けた政治戦略だった。今年3月はじめ、小沢氏は鳩山政権の行方について党幹部にすでにこんな不安を漏らしていた。
 
「このまま参院選を戦うのは難しいだろう。おそらく鳩山を代えなければならない局面がやってくる。その時は全部、オレがかぶるしかない」当時は普天間問題の方向性が出ていない時期で、社民党の連立離脱という事態もまだ起きていない。しかし、鳩山政権の統率カの低下は明らかになりつつあった。
 
政権の命違を握る普天間問題では、鳩山首相があれほど「県外、国外」移設の方針を繰り返し発言していたのに、その実現に動くべき立場の岡田克也・外相は「在日米軍を国外に、というのは考えられない」と再三にわたって発言。長島昭久・防衛政務官に至っては、「沖縄に海兵隊が駐留し続けることが、日本の安全保障の根幹」(3月1日)と語っていた。
 
閣僚でもない一政務官までが首相方針を真っ向から否定する事態は、小沢氏にとって許し難い光景だったに違いない。
 
小沢氏の「オレがかぶる」という"つぶやき。は、党幹部を通じて鳩山首相にも伝えられ、官邸をひどく刺激した。「鳩山さんは半年間の政権運営にはそれなりの自信を持っていた。そんなときに幹事長から、もう駄目かもしれない。"お互いに腹をくくろう山というサインが来たことにひどく狼狽し、次第に意固地になって空回りしていった」
 
本誌がいち早く報じたように、鳩山氏は早くから普天間基地を宮崎県の自衛隊・新田原基地など沖縄県外に移設する「腹案」を持ち、小沢氏や社民党、国民新党の首脳もその方向で日米交渉を進めることを了承していた。
 
 
しかし、ちょうどその頃から、鳩山首相は功を焦るように日米合意を急ぎ、交渉がこじれても執行部に助け舟を求めることはなかった。その結果、内々に与党合意していた腹案がありながら、最後は日米合意に「辺野古」と盛り込み、自爆したのである。
 
役人に取り込まれた閣僚たち
 
民主党内の鳩山退陣論が火を噴いたのは、社民党の連立離脱がきっかけだが、小沢氏は普天間問題ですでに「鳩山切り」を決断していた。鳩山-小沢コンビにとって普天間移設とは、他のマニフェストとは一線を画す、政権交代の象徴的意味を持っていたからである。
 
小沢側近の一人が語る。「この問題では日本が戦後ずっと続けてきた政治体制、国家のあり方を転換できるかが間われていた。小泉時代の自民党は外交・安保問題で米国への絶対的服従の姿勢を取った。その象徴が自衛隊イラク派遣であり、普天間移設による辺野古への巨大基地建設だ。
 
鳩山さんは歴代総理で初めて、基地移転先を『県外、できれば国外』と表明して『アメリカの属国』からの外交的自立をめざし、小沢さんも強くパックアップした。当然、旧体制の外務、防衛両省をはじめとする霞が関が強烈に抵抗することは分かっていたから、鳩山内閣の政治主導の真価も試される。実現すれば、官僚から、そしてアメリカからの自立という2つの政権交代の果実を国民に示すことができたはずだった」だからこそ、岡田外相や北沢俊美・防衛相が昨年末にさっさと「辺野古現行案」で決着させようとした際、小沢氏はわざわざ公邸に出向いて鳩山首相と会談し、「あんたが総理なんだから思う通りにやれぱいい」と鳩山氏の背中を押したのである。
 
ところが、鳩山氏の前に官僚たちが立ちはだかった、日米事務レベル協議の責任者は、外務省の梅本和義・北米局長と防衛省の高見沢将林・防衛政策局長だ。高見沢氏は橋本内閣の96年に「普天間返還」を合意した当時のSACO合意(※).梅本局長は小泉政権時代に「辺野古移設」を決めた時の日米交渉の当事者であり鳩山腹案をはじめ、官僚が検討した40か所の移転候補地を「米国が納得しない」とことごとく漬したのだ。
 
 
 
閣内では、「普天間4人組」と呼ばれた岡田外相や北沢防衛相、前原誠司・沖縄担当相、平野博文・宮房長官の担当4大臣のほか、反小沢派のリーダー格である仙谷由人・国家戦略相らが官僚と手を握った。この時点で対立の構図は、「腹案」を推す小沢執行部vs官僚をパックにつけた反小沢閣僚――となった。
 
基地移設をめぐる日米交渉が大詰めを迎えていた頃、閣僚たちが国外・県外移設をあきらめて、事務方が米国が要求していると説明する「辺野古現行案」を容認するように主張し、鳩山首相は孤立無援になっていたのである。
 
官邸の沖縄基地問題検討委員会メンバーで鳩山首相の側近中の側近、松野頼久・官房副長官が同僚議員にこう泣きついた。「政治主導なんて、とてもじゃないが無理だ」そして鳩山首相までも官僚派に飲み込まれた。 
 
<記事も その2 へ続く>
 確かに、この記事の推測通り、大手マスコミのシナリオの鳩山主導で仕掛けたのではなく、小沢が仕切のであろう。この点は私も当然”鳩山主導ではない事”位ぐらいは解る。
 
鳩山は沖縄訪問時には目の焦点が合わず、既に憔悴しきっており、安部・福田・麻生と歴代の”おぼっちゃま”総理と同じく政権を投げ出したいのは見え見えではあった。だが、鳩山主導で小沢を道連れに辞めるシナリオなど幼稚園児に書けないと考える方が自然であろう。前日まで悩みながらも麻生政権よりは何とか長く任期を全うしたいとも思っていた鳩山の行動原理の辻褄が合わない。
 
計画的に小沢を道連れに辞任をしたのならば、政界からの引退を宣言する合理的理由にならない。小沢を排除したかったのなら、その後自分が院政をするか、小沢抜きの民主党での自分の活躍の場を作ろうとするはずだ。その気配はまるでない。
 
故に、今回の真相は、小沢主導であることぐらいこの記事を読まなくとも承知している。
 
最後は「辺野古」に戻るしかないことはこのブログで再三書き、事実そのようになった私の個人ブログに比べ、「本誌記事がスクープしたと自慢している新田原基地の移転等の腹案」など、歴代自民党政権・米国・沖縄が13年を掛け話し合ってきた経緯を知っていれば、実現性ゼロで、それをスクープなどと自慢して、大手マスコミを批判する記事は失笑に耐えない。
 
 つづく
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新「日本鎖国」繁栄論
p153~156
http://brandlogistics.up.seesaa.net/image/dejimazu.jpg日本人の倫理感を突き詰めていくと、そこにあるのは「そんな汚いことなんかできない」という美的感覚であり、芸術感覚である。こうした美的感覚や芸術感覚を持たず、何でも理論とお金に換算して考えることしかできないのが近ごろのアメリカ人で、それに染まった人が権力を握ったのは不幸なことだった。しかし、大蔵省の人たちはさらに倫理観がなかったのだから「以夷制夷(いいせいい)」と思えば改革はよいことだった。

こんなアメリカかぶれの日本人が跋扈して、アメリカの要求に唯々諾々と従ってお先棒担ぎをするのを見ると、いっそのこと日本は鎖国したほうがいいのではないかと考えたくもなる。日本が好きで、日本人がつくるものは素晴らしい、ぜひ欲しいと一言ってくる国には長崎の出島のような場所をつくって、そこで交易して、日本を悪しざまに言う国や日本をむさぼり尽くそうという国は一切相手にしない。

そのほうが日本国および日本人のためになるのではないか。そういう意味で日本が管理貿易をするのは大歓迎である。

250年間にもわたる長い間、日本が鎖国を続けたのは、そもそも外国と交流する必要がなかったからである。生活に必要なものはすべて日本国内にあって、文化水準.教育水準も世界最高峰であったから、諸外国と交易する必要がなかった。

http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/zusetsu/C33/c3325.jpg仕方なく開国したのは白人勢力が軍事力で略奪主義をするからで、渋々と開国したのが明治維新だった。日本国民は不安と自由化の喜びの二つをもって国際社会へ乗り出したが、それでもわずか50年で当時の列強と肩を並べて、第一次世界大戦では戦勝国になり、続いて第二次大戦ではイギリスを破るほどの強国になったが、アングロサクソンのもう一方の雄・アメリカにはコテンパンに叩きのめされた。

大戦後はアメリカの傘の下で安心して経済復興に専心したところ、それにも成功したがアメリカは日米貿易摩擦以降、再び日本から略奪しようとし始めた。

特に一九九〇年代のバブル崩壊の不況では、白信を失った日本人がアメリカの主張するグローバル・スタンダードを身につけなければだめだと考えるようになったが、これも間違いだった。

徳川幕府は国内の平和と統一を守るため、外国思想-特にキリスト教伝者や植民地主義者や個人主義者は、国外追放かまたは帰国禁止にしていたが、それが江戸時代の鎖国であった。

http://www.news.janjan.jp/column/0811/0811060901/img/photo10.jpg日本列島の上で一億人が暮らしていくには、仲間意識を持って日本人同士で仲良くやっていくのが一番いいという考えである。
富団強兵政策はそのためのもので、侵略のためではなかった。昔も今も日本人の気持ちは変わっていない。それをアメリカ人は分かっているのかどうかが日本人の最大関心事だが、アメリカには短兵急に日本から利益を得ようとする人がいる。

そうしたアメリカの強欲ぶりにあきれて、もうアメリカとは付き合いたくないと考える日本人が増えてきているが、それまでの対策は、

①安易にしゃぶられない主体性を持つこと
②主体性確立までの時問かせぎに何かをすること
③ときどきは鎖国も選択肢に入れること
 
などがあると考えると、これは江戸から明治へのジャンプに際して志士や知識人が討論したことの復活である。国際社会の荒海を生きぬく日本丸の苦労はまだ続いている。
 
団塊の世代の屈折したアメリカヘの憧れ
p162~165
http://www.page.sannet.ne.jp/tsekine/image8.jpg白洲次郎と言えば、白いTシャツにジーパンを穿いて、足を組んで座っている写真を思い浮かべることと思う。とても明治生まれの日本人には見えないが、残念なことにその着こなしはアメリカ人そのものである。
私たちは日本人なのだから、アメリカ風の着こなしがうまくなる必要はない。
白洲次郎に罪はないが、彼を必要以上に賛美する人たちは、Tシャツ&ジーパン姿のその先にアメリカを見て、そこにある理想のアメリカに憧れている。
戦後のGHQの日本占領政策がみごとに成功したというべきか、戦後生まれの日本人には骨の髄までアメリカ・コンプレックスが染み付いてしまったようである。
チョコレート、コカ.コーラ、ハンバーガー、ジーパン、自動車、ミュージック、ジェームズニァィーン、ハリウツド映画……生活必需品から娯楽にいたるまで、アメリカ文化に憧れて育ったのが戦後世代である。
その代表が団塊の世代で、彼らに共通しているのは意識・無意識のアメリカ礼賛と、日本文化は滅びゆくものだという考え方らしい。安保体制に異を唱えたわりには、彼らのライフスタイルが目指すところはアメリカンだった。
アメリカの生活風習は自由主義と民主主義と個人主義の輝きをもっていると見えたのである。その根底にある「有色人種蔑視」「男尊女卑」「弱肉強食」などなどの精神までは見えていなかった。
その結果、彼らが成人して日本社会の中枢を担うにつれて、アメリカ的人間関係と日本伝統の人間関係の矛盾が発生した。この矛盾をどう克服するか。
言語は不完全なので、あまり役に立たない。それは当然のことでアメリカ的人間関係はアメリカ英語で表現され、日本的人間関係は日本語で表現されているから一言葉だけをつき合わせても分からない。
技術の世界であれば実物を見せ、人間関係であれば実際にぶつかってみなくては分からない。
「クビにする」は英語では「ファイアー」だが、その実際は同じではない。
http://blog.arcstyle.com/archives/image/08082001.jpg「コンプライアンス」は日本語では「法令順守」だが、英語では「従順」の上に加えて「卑屈」の意味まで加わっている。したがって組織と組織の間では使われるが、個人が個人に対して使う言葉ではない。
英語の「アクシヨン」や「イニシャティブ」には人に命令する意味があるから、これを「構造協議」と訳したのは外務省の誤訳である。多分、日本国民に対して、外務省は対等にやっていると思わせるための意識的な誤訳である。
というわけで、言葉による相互理解には限界があることを白洲次郎など対決の第一線にいる人は分かっているが、第二線にいる人は分かっていないのである。
第一線ではまず、相手が実力と認める実力を身につけることが大切である。
ただし、私の場合、経済解説を舞台にして論争するのであれば「相手が実力を認める実力」は下らないと思っていた。そんな大それたことを思えるのは、
①日本経済がアメリカより成功している。
②経済学用語は昔から誤訳されている。
③日本経済と社会はアメリカより先に進んでいるので、最新現象については日本語はあるが、英語はまだない。
④日本人は誰でも賢いので呑み屋の会話のほうが学会報告よりすぐれている。
等々の事情によるもので、日本人に生まれてよかったと毎日ありがたく思っていた。ともあれ、日本式のあ・うんの呼吸や、人と人との間を重んじる習慣が駆逐され、アメリカの契約方式やマニュアル方式が浸透してきた。
それから成功はしなかったが、アメリカ仕込みの成果主義なるものが流行したのもその結果である。偏差値教育もそこに加えていいだろう。
21世紀は栄誉ある孤立の時代
p179~180
20世紀は戦争の時代と言われ、第二次世界大戦の終焉後も、世界で100近い戦争や紛争が起きていて、21世紀になっても戦争は続いている。世界中の至るところで争いが起きているが、日本はこの62年間(2010年で65年間)、戦争を起こさず、1人も戦死者を出していない。(厳密には朝鮮戦争時に掃海作業中に海上自衛隊員が殉死している)

江戸時代と現在の日本ほど平和と繁栄が長く続いている国はない。
これを見て世界の国々は日本化を学ぶようになると考えるのは日本的で、外国には外国のやり方があるから簡単にそうはならない。日本を叱りつけて富を捲き上げようとする。そこでヨーロッパは孤立しても何とか暮らせるようにEUを着々とつくっている。日本は日本主導の「第二国連をつくれ」とはかねてから主張しているところだが、中国を恐れて参加する国が出てこないなら、日本一国で孤立すればいい。これこそ栄誉ある孤立で、それは早い話が「鎖国をしろ」である。

そう言うと、「日本の食料自給率は低い。どうやって食べていくのですか?」と聞いてくる人がいるが、努力すれば解決の道はある。エネルギーは原発で供給する。食糧はバイオテクオロジーで生産する。日本が持っている技術力と市場力を活用する。防衛力強化にもそれを用いる。
これで鎖国をしても1億2000万人の安全と安心は確保できる。

鎖国をする一番のメリツトは、日本をいじめる国、略奪しようとする国と付き合わなくていいことである。農薬漬けの食品、狂牛病・烏インフルエンザにかかった肉も食べな<ていいのだから、食の安全は今以上に高まるはずである。
極端なことを言えば、私たちの世代が戦後すぐのころに食べていたようなものを食べればいい。里芋の煮転がしや焼いたメザシなどで日本人は十分生きていける。それが嫌な人は、天ぷらが食える程度に働けばいい。要するに、日本は天ぷらが食える程度に何かを輸出して、その分だけ外貨を獲得すればいい。
私も出来る事なら、ソフト鎖国をしたいものだ・・・・
しかし、現実的には夢のまた夢・・・ 日本に足らないのは教育と、未来への希望と夢だ!
鎖国を夢見るのも一興かもしれません。
 
メタンハイドレードでエネルギーは自給できるかもしれません。食料は人工培養肉やバイオテクノロジーで合成する技術を確保できたら鎖国は可能かもしれない。
 
22世紀までに鎖国する準備が出来る頃には日本の人口も江戸時代の終わりの3000万人台になっているだろう。22世紀鎖国完成を夢見るのも日本の長期国家戦略としては正しいかもしれません。
 
本書のタイトル世界が江戸になるには、ちょっと難しすぎる。日本は激しい戦国時代を経験したが、天皇が国家の中心にあったからこそ分裂せずに太平の江戸時代を迎えることができた。だが、世界は不幸な事に天皇陛下はいないし、宗教も分裂している、世界が江戸時代を迎えるには地球の人口が10億人以下になるような不幸な災害が訪れない限り残念ながら難しいだろう・・・
 


 
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