[チュニス 18日 ロイター] - チュニジアの首都チュニスのバルドー博物館で18日、銃を持った武装集団が外国人観光客らを襲撃し、同国のハビーブ・シド首相によると、日本人5人を含む外国人17人とチュニジア人2人が死亡した。
シド首相は、死者の中には日本人5人のほか、イタリア人4人、フランス人1人、ポーランド人1人、コロンビア人2人、オーストラリア人1人、スペイン人2人が含まれていると明らかにした。同博物館はチュニス中心部にあり、議会にも隣接している。
現場にいた観光バスの運転手は記者らに「彼ら(武装集団)は、観光客らがバスから降りると、いきなり観光客に向かって発砲を始めた」と証言した。
当局者によると、多数の観光客が博物館に逃げ込んだが、武装集団は観光客を人質に取って館内に立てこもった。その約2時間後、治安部隊が突入し、集団の2人を殺害、人質を救出した。武装集団の所属組織などは分かっていない。
テレビ映像では、治安部隊に保護されながら数十人が走って避難する様子が確認できる。中には高齢の外国人や、子どもを抱えて逃げる男性もいた。
ケリー米国務長官は、事件を強く非難する声明を発表し、安全で民主的な国づくりを目指すチュニジア政府への支援を継続する意向を表明した。
チュニジアでは2011年に政変が起き、リビアやエジプト、シリア、イエメンなどに波及した「アラブの春」の発端となった。チュニジアでは政変後、新憲法の施行や議会選が行われ、混乱の続く他国と異なり民主化のモデルとなっていた。
チュニジアの治安部隊は、米政府がテロ組織に指定するイスラム過激派組織「アンサル・シャリア」などと衝突したことはあったが、過激派の攻撃はアルジェリアとの国境近くなどに限られていた。
※日本人の死亡者はその後3人と判明

北アフリカで日本人が巻き込まれるテロ事件が起きた。
20年近く前1997年イスラム原理主義過激派が日本人10人を含む外国人観光客67人を殺害したルクソール無差別殺傷テロ事件を思い出したのは私だけではないだろう。隣国のアルジェリアでは2013年日本人10人を含む23人の外国人が犠牲となったアルジェリア人質事件も記憶に新しい。

チェニジアは2011年に始まったアラブの春と呼ばれる一連の民主化運動で唯一チ民主化のプロセスに成功しつつある国だ。イスラム原理主義者は民主主義の勝利を許せない、観光客を殺害してチェニジアの経済を疲弊させようという意図なのであろう。残念ながら、おそらくそのテロリスト達の狙いは成功してしまうだろう。

無実な人間を殺害して本当に神が喜ぶとテロリストは本気で思っているのだろうか?テロリスト達は地獄でその答えを悟ることになるだろう。

1994年自衛隊法改正で自衛隊の海外活動への道がひらけ、2013年に発生したアルジェリアでのテロ事件をきっかけに再度改正され、これまでできなかった邦人の陸上輸送が可能とはなっている。

ISISによって日本人二人の人質が拘束された際、「自衛隊の特殊部隊を派遣して救出できないのか」といった意見が聞かれた。これまでも、北朝鮮による日本人拉致事件の解決方法が議論されるたびに、「特殊部隊を派遣して北朝鮮から拉致被害者を救出しろ」といった声が出てきた。

今回の事件はチェニジアでの襲撃事件であったが、もし、ISISがヨルダンあたりで日本人観光客を人質にとり、彼らの拠点都市ラッカにでも連行したらどうなるであろうか?自衛隊が米軍と共同作戦で救出する以外手段がなかったらと考えると恐ろしくなる。

自衛隊に邦人救出は実行できるのか?自衛隊の特殊部隊には陸自の特殊作戦群、海自の特別警備隊がある。いずれも全国から志願した隊員が厳しい訓練を積んでおり、練度は非常に高いとされる。しかし、彼らの能力の高さと、部隊を海外での人質奪還に投入できるかというのはまた別の問題だ。

自衛隊が現在できることは、外国にいる邦人を本国へ輸送する任務だ。これは、自衛隊法第84条の3(在外邦人等の輸送)で自衛隊の任務として記され、自衛隊は派遣先の国で輸送する在外邦人等を保護し、航空機や船舶、車両まで安全に誘導輸送することになっている。

自衛隊の海外派遣の幅を広げる方向にある。2月27日に行われた安保法制での与党協議では、海外でテロに巻き込まれた邦人救出や邦人奪還を自衛隊が実行できるようにする自衛隊法の改正案を示している。

だが、自国以外で人質救出作戦を敢行したときの成功例は海外でも非常に少ない。代表例は、1976年にイスラエル軍がアフリカのウガンダで実行した「エンテベ空港奇襲作戦」である。発生国は救出作戦を認めていなかったため、国際法上は違法な行為とみられた。イスラエルが他国領域へ無許可で侵入した一方で、ウガンダも人質解放に努力するような積極的な姿勢を見せなかったため、双方ともに問われるべき国際法上の違法性が相殺された。

1977年に当時の西ドイツがソマリアで発生したハイジャック事件を解決するため警
察の特殊部隊を派遣し急襲したモガディシオ事件(モガディッシュ事件)などがあったが、現実にはそのような解決策はほぼ不可能だろう。
  
 イスラム国からの人質奪還へ特殊部隊を派遣するとしても、被害者がどこにいるかを知るのは難しく、日本政府にはその情報を集める力もない。最近になって、自衛隊の制服組を在外公館に派遣する防衛駐在官(駐在武官)の増員がにわかにいわれ始めたが、彼らが扱う軍事情報とテロ対策は領域が異なるため、どこまで有益かはわからない。

目標が判明したとしても、当該国の同意が得られるかわからない。同意が得られても、目標地点までどうたどり着くかが難しい。装備面からも実現性が乏しい。「市街戦に備えた現地の詳細な情報と協力がなければ、救出作戦を成功させるのは非常に難しいだろう。2014年12月には米軍ですら、イエメンでの人質救出作戦が失敗している。米軍の人質救出作戦失敗、米人質ら2人死亡 イエメン

かつてイラン・イラク戦争で約200人の日本人がテヘランに取り残されるという事件があた。1985年3月17日、イラン・イラク戦争のさなか、サダム・フセイン元イラク大統領は、「48時間後、イラン上空を飛ぶすべての航空機を撃墜する」と突如宣言。各国は自国民を助けに軍用機が迎えに行った。ところが、憲法九条のおかげで、日本人だけが取り残される事態となってしまった。結局、トルコがトルコ航空機を日本人の為に飛ばしてもらい、助かったことがあった。日本トルコの友情物語 
おそらく、今、安倍政権下同じことが起きれば、躊躇なく自衛隊機がイランに飛ぶことができるだろう。

しかし、また、在ペルー日本大使公邸占拠事件のようなことが発生したとしても、結局のところ、自衛隊によるテロによる人質救出は現状では難しい。

現状では、中近東~北アフリカへの観光は命懸けとしか書けない。