日本ではバッシングは社会の規範を保つ必要悪である! 舛添辞任に思う。
舛添が本日辞任した。2016年の年初から、メディアによる「バッシング」が起きている。ベッキーと“ゲス乙”川谷絵音の不倫騒動、SMAP解散騒動、国会議員の「ゲス不倫」、ショーンK学歴詐称事件、乙武洋匡5股不倫騒動、元”ファンモン”のファンキー加藤と”アンタ”柴田の元妻W不倫騒動など、メディアもネットも、日々誰かをバッシングを続け、不倫を詫びる芸能人を、何度も見ることになりました。だが舛添の辞任は当然の結果であると思う。
彼の血の半分は朝鮮人の血が流れていたせいなのか、日本人として、ごく自然にできるはずの、とりあえず謝罪することが問題が発覚した際にできなかった。
とりあえず謝ることができなかった舛添えを見て、最後は四面楚歌となって辞任になることが容易に予想できた。
舛添の公金横領は些細なものである、クレヨンしんちゃんの絵本とか、チャイナ服とか、家族旅行とか・・・・こそ泥程度の犯罪であるが、天下の大悪人として世間は断罪した。
舛添は保守側の論客とされていたが、中韓に媚びる舛添を保守側は早々に見切っていた。舛添は主に保守層側に叩かれた。一方安倍首相に汚い言葉でバッシングしているような、左翼・親韓・親中派は、舛添の行状について擁護こそしなかったが、
日本人の不寛容さは、もはやコントロール不能に!? 「舛添バッシングの過熱、日本人の不寛容性」舛添氏をバッシングする側の過剰な熱量には違和感を感じ、そのエネルギーが向う先に不安 とか、厚切りジェイソンが舛添辞職で「日本が失敗許さない」とか舛添批判をする日本人を上から目線で断罪してみせる記事が目立った。
おもしろいことに、舛添叩きを「いじめ」だと批判する識者らの意見をみると、上野千鶴子や津田大介が意見を出していた。
数年前から流れていた怪文書情報を改めて出すなど、一部マスコミは「全体としていじめではないか」という行動を取っていました。そしてそのいじめという意見に対し、辞任発表後「今考えると全体的にセコイ話で今後追求するのはどうか」などというやり過ぎ報道への対応分析を行っていました。
この舛添ついでに日本を批判する輩は、まるで何もわかっていない。舛添のバッシングは日本の秩序や規範を保つ必要悪なのだ!
同じ保守の立場ではあるが、その言説にまったく同調できない小林よしのりはやはり頭が悪かった、”集団リンチをまだ続けたかった愚民主主義”という記事を書いている。
日本は宗教が無いと言っても過言でない社会だ。しかし、宗教が無いのに、日本は世界一の秩序と規範を保っている。日本の犯罪発生率の低さや治安の良さは、西欧にはない、日本独特の「世間」の存在を考えないと説明がつかない。
歴史学者の阿部謹也一橋大名誉教授(故人)は、
”日本人は、依然として「世間」にがんじがらめに縛られている。犯罪は、「法」に反する行為であるはるか以前に、「世間がゆるさない」のである。つまり、犯罪者は「世間」から「はずされ」てしまう。日本人は「世間を離れては生きてゆけない」と思っているために、この抑止力は絶対である。”と分析する。
それゆえ、インターネットSNSで発言力を持つようになった個人の集合体である世間様は、世間の規範にあわせてバッシングしなくてはならないのだ。むしろ、バッシングせず放置するようなことは絶対に許されないことであると思う。
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