Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、脳の外部記憶媒体としてこのブログを利用しています。2020/11/30以前はGoogle検索でキーワードを入れると常に上位にありましたが、日本のトランプ大統領デモを紹介した記事が米国でバズって以降検索アルゴリズムから排除され検索ヒットされにくい状態です。是非ブックマークをお願いします。このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

タグ:政治学



石原慎太郎都知事 「小沢一郎の正体」
湾岸戦争時私は自衛隊を派兵することに賛成でした、多国籍軍に義勇軍を組織し参加するなら自分が出征してもいいとも考えました。だが、あの時点の国内世論では、自衛隊派遣などとんでもないと考える人達が圧倒的多数でありました。日本の貢献は金しか出せない状況であった事実であるので、当時の自民党の選択としては、やむを得ない選択であったと思う。


小沢一郎の母が済州島出身との噂が出回っているが、都市伝説のようだ。しかし、議員秘書に半島出身者を使う事自体異常だ。鈴木宗男氏もムルワカさんが目立ちすぎて、胡散臭く誤解されてしまった。


ここで愛国者鈴木宗男氏の話は、立ち止まって聞く必要はあると思います。

私は、政治家なんぞは禽獣のごとき存在で、悪魔か怪獣であり、政治家に聖人君主のような倫理を求めることは無知蒙昧な民のすることだと思っています。そして今件は、日本の政治を舞台に中国インテリジェンスVs米国インテリジェンスの代理戦争で、世論をどう操作し合うか知恵を絞る戦いだと感じています。

まず私の立場を明らかにしておきます。小沢一郎が自民党離党後、日本に二大政党制を作るという小沢の理想、国会の定数削減などについて共感し、私は支持し、小沢の党へ投票し続けてきました。

昨年の衆議院選挙には熟考したうえで民主党に投票をしませんでした。権力奪取後の小沢一郎の中国や半島国への媚び諂う態度については、とても支持できるものではなく、日米同盟を危機な状況にしてしまった事に対して、私は国益を損じる行為と考えています。故に、今回石川議員の逮捕され世論に迎合して小沢不支持に回ったのではありません。

マスコミや世論は、近代デモクラシーの論理(=政治家は禽獣と同じ)と、儒教的論理(=政治家は聖人君主)とを、混同しているし、その区別がつかない。

近代デモクラシーの論理が中国や半島日本のような儒教圏で定着できない理由は、儒教的倫理観を政治家や中国であれば共産党員に求めてしまうからであろう。

子日、苟正其身矣、於從政乎、何有、不能正其身、如正人何(論語:子路第十三~十三)

子日わく、苟(いやし)くも其の身を正しくせば、政に従うに於いてか何か有らん。其の身を正しくすること能(あた)わざれば、人を正しくすることを如何(いかん)せん。

わが身を正しく律することができるならば、国の政治を行うことなど、わけなくできるさ。わが身を正せないような者には、他人の教化などできっこないやね。

以上論語の一節ではあるが、また孟子の一節に「人の禽獣と異なるゆえんのものは、人倫(道徳)あるにあり」とある。

「人と禽獣の異なるところは恥を知ることにある」とはまさに典型的な儒教的発想である。

しかし、このようには、絶対に考えないのが近代デモクラシーなのである。人間は本来エゴイスティックな生き物であるという西欧的考え方こそこれがデモクラシーの基本考え方出発点である。

君主論の中でマキャベリは、

政治思想は徹底したリアリズムと目的合埋主義の立場に立ち,政治学を神学や倫理学から解放し,政治学の自立化と世俗化をはかった。アリストテレスに典型的に見られるように,それまでの政治学は,倫理的な徳についての考察や「如何にして善く生きるか」という問題,あるいは「理想的な政体はどのようなものか」といった問題の考察と不可分だったが,マキャヴェリは、『君主論』において、政治的な判断や行為を宗教や道徳の世界から切断し,現実主義的態度を表明した。「人間というものは恩知らずで、移り気で、陰険で、危険にあうと逃げ出し、そのくせ転んでもただは起きない。利益を与えれぱ味方するが、いざ犠牲を捧げる段になると、たちまち尻をまくって逃出すものだ」と言った。

また近代政治学の基礎を築いたがホツプスは、

人間は自分が望むことをすることができる自然の権利を有しており、その原初的な欲求は「自己保存」であり、その目的を達成するための必要なすべての手段をこうじることができると考えました。

しかし、その自己保存の手段を個々人が自己中心的に行うと、それは、必然的に他者の権利を侵害することとなり、自己の権利獲得のための戦争と略奪の混乱が生じてしまう。人間は根元的には凶暴な動物である、とホップスは指摘します。

この混乱と破滅を裂けるために、互いに契約をして、ある程度、自分の自然的権利を放棄し、その契約を確実にするために、ひとりの支配者あるいは属している集団に権利を委譲する必要がある。

こうして社会が形成され、国家が形成され、個人の自己保存が図られるのだから、人は、権利を委譲した支配者に従わなければならない、と主張したのです。

そして、たとえ支配者が不正を行い、最悪の者であっても、支配者に権力が与えられる前の身勝手な戦争や略奪の状態に比べれば、それほど悪くはないと言います。

従って、彼にとっては、絶対王政は最善の政治形態でした。彼は唯物主義者でしたが、国王は地上における神の代理人であり、神は王を通してその意志を表明するのであり、国王の宗教が国民の宗教でなければならないし、宗教的自由の寛容は認められない、と語ります。

これは、国王のプロテスタントへの改宗によって生まれたイギリス国教会(聖公会)の姿勢ともなりましたが、絶対主義的な国家統一の観点の代表とも言えるように思われます。

ホップスは、人間の自然の権利としての生存権を認めましたが、その人間観が根本的に「性悪説」でしたので、何らかの強制的な制圧が必要だと考えたのです。

ホップスが『人間は人間に対して狼である』といい、人間は本来エゴイスティツクなものだから、権力者を監視しなくてはならない。そこにデモクラシーの出発点があるのだ。

政治家とは、「無制限の悪と暴力とを行なうことが正しいとされる」動物なのである。少なくとも、かくのごとき強い求心力を内包している。このこと自体は、古今東西をっうじて変わらない。ただ、デモクラシーの特徴は、このことを明確に認識し、このことを前提としてすべての制度が組み立てられていることである。

政治家とは、もともと悪と暴力が正しいとされる動物である。小沢一郎も、この権力を得る為に自民党を飛び出し、権力を得るために一種の求道者に化けた。権力を獲得するためなら、政治家は、どんなことでもする。しかもそれが正当化され、当人も信念をもってこれを断行する。私はこの権力を得るために求道者であった小沢を支持した。しかし、権力を得た小沢は怪物へと躊躇無く変身した。いや本性を現したといえよう。

前近代社会においては、王(将軍)の大権は存在したが、例えば寺社領地や堺など自治領や大名など特権が存在し、絶対権力を握る事はできなかった。江戸幕府も絶対王政に近かったものの、薩摩などの大大名領は特権へは大権が及ばなかった。ところが近代国家はデモクラシー絶対主義国家である。デモクラシーにおいては、全員が平等であるので、権力者は、権力を妨げる特権は存在しなくなってしまった。

権力者という怪物を監視するために、まず考え出されたのが、モンテスキューいらいの三権分立の思想である。分断して統治する、この恐ろしい「近代権力」をまず三分する。そしてお互いに牽制させる。

誰でも気づくところであるが、権力は恐ろしい怪獣だから、これを引き裂いてしまわないことには何をしでかすか分かったものではない。どんな代償を支払っても、三権は分立させなけれぱならない。

そして三権は、チェックス・アンド・バランシズのメカニズムでお互いに牽制しあうだけでなく、そのそれぞれを市民が監視する。

ところが日本においては、議会は市民が選挙するが行政に関しては、地方の首長は選挙できるが、国家の行政府は市民のチェックが及ばない。そこで大切なのがジャーナリズムによる監視である。

デモクラシー国家におけるジャーナリズムの役目は、天下の木鐸などという生易しいしいものではなく、天下の護民官でなけれぱならない。権力の作動を市民の名において拒否する力をジャーナリズムが失ったら最後、デモクラシーの息の根が止まる。

ところが「権力の監視」しているはずの日本のジャーナリズムが、デモクラシーを理解しておらず政治家に儒教的倫理観を求めてしまう。それが故に、日本の政治が逆に機能しなくなってしまっているのも事実だ。バブル崩壊以降、日本は国家権力と国民が総力を挙げて国家を再建すべき時に、政治の些細な贈収賄をめぐり空転し、前政権にいたっては漢字の読み書きまで問題にして国家の大局を歪めさせてきた。

また、今回の問題は検察=米インテリジェンスVs民主党=中国インテリジェンスの構図で見るべきだと思う。

第二次世界大戦敗戦後、大手マスコミはGHQの検閲下の構造より脱却しておらず、依然米国の言論統制下にある。また、ネットジャーナリズムにおける小市民達の反応は、まちまちというか混乱しているようにも見える。反小沢的意見・親小沢的意見ともに米中のインテリジェンス活動の影が見える。

大きく大別すると反小沢=嫌中派、親小沢=反米派の傾向にあり、石原都知事のように反中反米路線のブロガーにとっては立ち位置が難しい。私もようやく反小沢側に立ち位置を置く決意をした。

だが、誤解しないで欲しい、たかだか4億円程度の金(小生にとっては1万円は大金である)で国家の体系を揺るがす騒ぎは喜劇でありどうでもいいことだ。日本の立ち位置を太平洋寄りとするか、東シナ海寄りに置くかが重要なのだ。私は、あくまでも東シナ海寄り(親中路線)に反対である。ゆえに小沢を応援することを止めたのである。

また、たかが4億円だろうと、個人資金でコツコツ積み立てたとの小沢氏の金銭感覚には違和感を感じる。小沢氏は実業家出身ではないのだから、個人資金が潤沢に積み立てられること自体異常だという感覚が無いらしい。仮に3億円が相続した資金であったとしても、そんな金は1.2回の選挙で消えてなくなるものである。秘書の給料や事務所経費を払って蓄財できた事自体不自然だと思っていないのであろうか?
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憲法記念日に日本国憲法について思索したことを翌5月4日に投稿しました。

君が代

君が代と日の丸、私はこの歌と旗を誇りに思い、この日本に生まれた事を神に感謝し、日本と日本人を心から愛しています。

私は現在の日本国憲法を改正すべきと考えている立場です。

契約宗教であるユダヤ、キリスト、イスラム教は、何を食べていいか悪いか、人殺しや窃盗がいけないことだと、事細かに信徒のマニュアルが聖典として存在するが、日本古来の宗教を基に出来上がった神道には、元々教義や戒律が無い。それゆえ日本にはこれら契約宗教は根付く事はなかったし、これからも無い。

伝来宗教である、仏教も儒教には本来厳しい戒律や礼が存在するが、日本に伝来した直後から、戒律をすべて取り払い換骨奪胎(かんこつだったい)され、神道と共生する日本教に作り変えられてしまった。

日本の宗教においては、道徳観を細かく規定する経典や戒律が無いに等しい。規律・道徳の類はすべて個人の保有する価値観、道徳観が優先された。いわゆるコモンロー(common law:一般的習慣)に道徳観を依存し続けていた。

聖徳太子の十七条の憲法というのがあるではないか、と言われる方もいらっしゃるとは思いますが、この内容は、聖徳太子の施政方針演説の色彩がつよい。確かに当時の一般的日本人が共有していた道徳的規範を基に文書として起したものではないかと思います。「和をもって貴しと為す」は、日本人のDNAに組み込まれた基本り、聖徳太子が発明した考えではなく、聖徳太子は、日本を治める基本であると見抜き十七条の憲法を起草したのだと思います。

聖徳太子信仰は存在したものの、十七条の憲法が日本国民の道徳的価値観に影響を及ぼしたのは、広く聖徳太子の業績が宣伝された明治期以降かもしれません。

聖典や戒律に頼らなくとも日本人には、古くから「お天道様が見ている」「お天道様には逆らえない」といった、日本人には自然に身についた道徳、自然道徳(Ddogオリジナル造語)が存在しているからに違い有りません。武士道や、商人道、といった~道といった類も、この自然道徳かもしれません。

本来、自然道徳が行き渡った日本には憲法すら不要である素地が有るのではないかと考えてしまうのです。

イギリスの例からして、本来憲法は成文法ではなく、慣習法にすぎない。極端な解釈をすれば、不要なものかもしれないものだと思います。

明治維新までは、庶民であれば村落共同体や、武士であれば藩や御家といった共同体が存在した。武士道は存在したが、葉隠れのような「武士道とは」といった経典は存在せずとも、道徳は保たれた。

しかし、19世紀の世界情勢が、日本を大きく揺さぶった。日本は、帝国主義全盛期の列強諸国による東洋の略奪蚕食を食い止める為、尊皇攘夷運動が起こった。鎖国が云わば当時のイデオロギーであった為、道徳回復運動として明治維新が成し遂げられたが、開国は避けられず、新政府は、新たな道徳を用意する必要性にせまられた。

そこで、近代国家を建設するに為に、水戸学に始まる日本の尊王思想を基に急遽発明されたのが、天皇陛下を一神教の神に擬した、天皇教であった。天皇教においては、その道徳的戒律を教育勅語と国定教科書がその経典的役割を担っていました。

「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」大日本帝国憲法第三条、この天皇教が発明できたのは、古来からの日本の道徳である家族的秩序を国家に当てはめたからこそ憲法が機能し、日本は列強から国を守る事に成功できたと思う。

ところが大東亜戦争が終結後、絶望的な状況においても驚異的な強さを発揮した日本の復活を阻止する為に、戦前の道徳律の否定運動が行われ、戦前の教科書とともに、教育勅語が廃止され、天皇陛下が人間宣言をなされました。

その結果、終戦直後に日本は、道徳律不在の真性のアノミー状況に堕ちいってしまいました。そこに突如表れたのが不幸な事に「現:日本国憲法」であり、コモンロー(common law:一般的習慣)として定着した、「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」の思想から乖離した憲法が、新たな戒律・道徳として与えられてしまったのである。

とはいえ、古くから日本人は、穢れを忌み嫌う民族で、戦争は穢れそのものであり、この日本国憲法を道徳律として、受け入れられたのでした。ところが、憲法九条は、日本を従属国家に仕立て上げる為の仕掛けであること気がついたグループは、「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」の思想を持つグループと重複する事が多く、盲目的に道徳として受け入れた護憲派グループと、政治的要素が絡んだまま、道徳感も二つに割れてしまいました。両者の間には深い溝が出来てしまった。

私は、憲法を改正すべきと考える側の人間です。憲法九条は、政治的道具でもある。改憲派からすれば、平和憲法を道徳律と考えるグループのマスコミや日教組、戦後の進歩的文化人(死語だな)が、日本の道徳を破壊したと、感じてしまうのはそのためではないのだろうか?日本は、宗教も、道徳を共有すべき、共同体が死絶える寸前の、無規範なアノミー状態といえます。

憲法9条に加え98条『この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。』と、憲法前文の『これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。』が、日本人に憲法について思考を停止させた。

護憲側の人間にとって、憲法を墨守することは、自己の道徳観を護持する為の聖戦に等しい。改憲を考える側の人間にとっても自己の道徳を守りたいが故の主張であり。改憲問題は、一種の宗教戦争の側面を有する。その為日本では容易に憲法改正に踏み切れないでいるのである。これが日本の悲劇であると私は考えます。

それでも「現:日本国憲法」は、冷戦下のパックスアメリカーナ(アメリカによる平和の維持)の世界情勢においては機能していたかもしれません。冷戦後の世界秩序においては、「現:日本国憲法」機能停止状態に陥っていると私は思います。ソマリア沖で海賊に襲撃されている、他国の船を守れない憲法は、明らかに機能していない。機能していない憲法を補完する形で次々ご都合主義の特別法を作り審議していては、日本の政治が機能しなくなるのは当然の帰結ではないでしょうか?

21世紀の世界はグローバル化がすすみ、共産主義に続き資本主義が金融危機の対処によっては、退場の危機に曝されようとしています。資本主義は修正され21世紀も存続すると思いますが、日本においてはは過去の遺産でなんとか現在の大国としての地位を確保していますが、未来に対し希望や目標・展望が見えていません。

21世紀の新たなパラダイムの転換において、この状態を放置していくことに、私は強い危機感を覚えます。この絶望的なアノミー状態の収拾は、憲法を改正する事が、最も明確で正しい処方箋であろうと私は考えるのであります。

憲法を改正すると同時に日本と国民に対して21世紀の日本と日本人が果す目標とモチベーションが必要ではないか?そして、新たな新教育勅語となる道徳指針を、現在多くの日本人が共有している自然道徳に合わせ、成文化するべきではないかと考えます。

具体的には、21世紀世界に広がった日本的価値観(クールジャパン)を日本文化の優越性と捉え、我々日本人が古来より連綿として受け継いできた自然との共生や、江戸時代の閉じた社会で培われた、高度循環社会をグローバル化が進み閉じた世界となってしまった地球に再構築する崇高な運動を国家目標戦略と掲げるべきだろうと思います。(平和憲法などを世界遺産になどという、とぼけた芸人の意見などは片腹痛くなる。)

地球と人類の未来は日本が先頭になって守る、これほど崇高な目標とモチベーションは無いだろう。また、このスローガンはグリーンピースなどの誤った環境原理主義者に悪用されないよう、また過度に日本自ら環境原理主義に陥らないような安全装置も必要かもしれません。

目標やモチベーション無くして国家戦略の構築や国家の振興ができるはずもない、まして経済的な復興もままならないだろう。戦前のスローガン八紘一宇は、有る意味では崇高な理想であったと評価すべきであると、私は感じるのであります。今日において「八紘一宇」を正面から言えるのは芸人の鳥肌実中将ぐらいなもので、口に出してはいけない言葉として扱われる今日日本の現状は、けして正常ではないと思います。

今の日本において必要で、唯一の希望は憲法改正ではないか?憲法を改正することにより、閉塞感を打破し、日本に政治を取り戻し、日本を復活に導き、人類の未来をこの日本人の力によって切り開いていくことが出来ると私は考えます。

<余談>

本日の永田町や霞ヶ関~丸の内・銀座~九段といった地域は物々しい警備に固められていました。私と思想は近い筋の方々ですが、国旗を少し派手にフューチャリングしすぎた車で、少々懐メロ調の曲を大音量で流しつつ、正論を少々堂々と連呼されていました。見た目で人を判断してはいけません、彼らが言っていることは正論です。でも言葉に迫力がありすぎて、善良な市民の皆さんは内容を理解する前に、ビビッてしまうのには、少々困ったものです。芸人:鳥肌実中将のテイストを逆にを少しは見習うべきですね。(冗談半分です。)






【鳥肌実公式サイト】
http://www.torihada.com/


私もあの運動車(関係者の方はそう呼ばれます)に乗ってマイクパフォーマンスを是非やってみたいものだとも思うのですが、本気で憲法9条の改正を考える時には、少々趣味を変えられて行動もお控えしていただいたほうがいいのではないかと真剣に思っています。
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保守主義とは ブログ版-2


私の場合、幕末から明治期にかけての歴史観は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」~「翔ぶが如く」~「坂の上の雲」により形成されてしまっています。どうしても、幕末から明治期を俯瞰する上で、司馬史観のフィルターを通して江藤氏の作品を評価してしまいますが、最晩年に残した「南洲残影」( 文藝春秋)1998年は、帝国陸軍の本質にせまる、江藤氏の慧眼があったと思います。
しかしながら、西郷隆盛の死と、三島由紀夫の死、そして江藤淳の死はそれぞれ殉死ではあったが、それぞれ違う対象に殉死したと感じています。誰一人天皇陛下の御為に自刃したものではありません。南洲公は特権を剥奪された旧武士階級と、薩摩藩島津家のルサンチマンを鎮護する為に、英雄として殉死した。その結果、真の近代日本の誕生したものである。

三島に対する私の考え方は揺れている。保守主義が、親米保守(現実主義)と反米保守(理想主義)の溝が深まるにつれ、三島が夢見た然るべき日本の国体とは、如何なるものであったのか?米国の属国である日本の現状を三島が憂えたことは十分共感できる問題であった。その側面で三島は評価されるのであるが、日本が置かれた地政学的立場や、経済政治構造を踏まえた上で、三島は真剣に国を憂いていたのか私は疑問に思っています。

自衛隊に決起を促すより、日本国民に向かい、真の独立国とは何か?米国より脱却する覚悟があるならば、憲法を改正し、核武装を行う自覚・覚悟ができるまで、その作品によって日本国民を先導すべきであった。そして、今日まで命を永らえていたならば、私も、消極的な親米保守主義の看板を掲げることなく、反米保守主義者でいたかもしれない。結果として、彼の方法論が空想の域を出ることは無かった。

三島は、反米保守主義ではあるが、尊皇攘夷主義者でもない。三島は昭和天皇より、226事件の青年将校達へ、強い憧憬を持っていた。国士であるはずの、青年将校達が持つ彼らの無謀な空想主義を昭和天皇はその英邁な現実主義で葬り去ってしまった。三島の一連の昭和天皇に対し不敬な発言と「仮面の告白」の三島像すべてを勘案し考察する限りにおいて、三島の死は自己愛に殉じたものであると評価したい。

儒教論語と大アジア主義を語るのであれば、道徳教育を受けた江戸期の武士階層と明治~戦前の高等教育を受けた知識人軍人階級であるならばその共通規範は論語であり、大アジア主義者達は、皆論語の影響をつよく受けていることも事実である。ところが論語の本場である中国人が論語の理想に程遠い「無規範な民族」であることを見落としていた。そのことが、悲劇のはじまりで、第二次大戦の遠因でもあったと思う。武士道の聖書、葉隠れの主題である、理想的な死こそは、武士道の根幹を成す目標でもあった。

江戸期以前の武士は保守思想ではなくリアリストであったかもしれないが、日本の保守思想の根源を求めるのであるならば、太平記の楠正成、貞永式目の北条泰時まで遡る必要があるだろう。伝統的思想の基盤の上に論語が何世代にも渡って武士階級を教育していった結果が、武士道であり、保守思想の根源であった。尚、近代保守思想の根源に留めるなら、尊皇攘夷運動こそ、のその始原である。

幼少期に母親を亡くした江藤淳の精神思想には保守思想とは別に、常に自分を満たしてくれる愛を求め続けたのではないか?と感じさせられるものがあります。「妻と私」を読む限り、妻をなくして呆然とした初老の普通の男性の戸惑いがあるだけで、思想的破綻は全く感じない。「南洲残影」は、鎮台軍と、薩摩武士団の憧憬と憎悪が並立するその帝国陸軍の生い立ちと、226事件の底流に流れる滅びの美学、死への憧憬を三島の死に見つけたものであるが、江藤氏も死に対して憧憬があったのかもしれないが、江藤氏は愛に殉じたものである。江藤氏の保守思想の破綻との説にはまったく同意しかねる。

今週、文春文庫「山下奉文」(やましたともゆき)昭和の悲劇:福田和也(2008年4月)
を読んだ。山下奉文といえばマレーの虎「イエスorノー」エリート陸大卒であるにもかかわらず、東条英機らの統制派に組せず自らの出身母体である貧農出身の青年将校に同情し皇道派に担ぎあげられた経緯、第一次大戦を観軍武官として欧州で過ごし、欧米の力量を知りすぎ、最後まで開戦反対派でもあった。この山下像は、司馬史観とは別な視点、また山下将軍について様々な角度から検証された本であった。

所謂シンガポールの華僑虐殺事件を命じたその背景、悪役として演じなくなくてはならなかった憲兵達の苦悩を、改めて知りました。アジアの団結に程遠い状態で英米を相手に戦争突入してしまった日本。薄氷を踏む戦いに勝利し、大英帝国の終焉に立ち会わされ、晴れやかな気持ちとは裏腹に非力な日本陸軍を引き入らざるを得なかった山下将軍。フィリピンで絶望的な状況で少しでも将兵の消耗を減らす為の戦術を取らなくてはならないその絶望、慮ると苦痛です。

傷病兵を脱走兵と誤認して殴打した逸話も、苦痛ですが、我々死とは程遠い環境で、戦時中の善悪を弾劾できるものではない。そして戦犯として、自刃せず、作業服で処刑された山下将軍の死も、「南洲残影」に見る、陸軍大将西郷隆盛の死と繋がるものを感じました。なかなかの力作ではありました。

偉大な先達の血の上に今日の日本の礎があるにもかかわらず、憲法9条を守れと、叫ぶ護憲団体の人達は、そうした先達に対して敬意を払うどころか侮辱を重ねています。護憲団体は、革新系の人達と世間一般では呼ばれていますが、ある意味では、護憲団体も広義の意味では保守・守旧派であるといえよう。しかし、こういった人達を保守主義者とは呼びません。

井沢元彦さんの「言霊」「穢れと茶碗」などの著作によれば、古来日本人は、「死=穢れ」の思想を持ち、死につながる軍事は穢れたものと見なされ、平安時代の日本は、死刑も廃止され、国家として常設軍を廃止してしまった。これが平安末期の源氏と平氏の勃興につながるのだが、憲法9条はこの古来よりの日本の思想と合致してしまった為、容易に改正できない大きな理由でもある。護憲団体は日本古来の伝統思想に裏打ちされた保守的思想の団体とも思えます。改憲が未だに実行できないのは、GHQやその後のCIAの暗躍の成果ばかりではない。

公明党=創価学会に至っては、宗教保守であり、226の北一輝は法華経の信仰が深かった。

日本における保守主義とそうではない境界は、時代により異なる仮説も成り立つが、保守する思想対象を持ち、急進的に変革に向かう思想に対して制動する思想であるように感じます。

それでは、「2008年を基準とした保守主義とは?」と考えると、反グローバリズム=反米主義=愛国主義(反米保守)、反グローバリズム=反米主義=親中国主義=新大アジア主義、愛国主義=反中国主義=親米主義(親米保守)、反グローバリズム=愛国主義=親米主義、・・・。組み合わせによって、自称保守主義者の思想を定義分類する意義が曖昧と感じる時代ではある。保守主義をあえて定義するのであれば、少なくとも天皇制を基軸とした国家体制を維持していく思想であると定義したい。

共産主義がソビエト連邦の解体とともに終焉したにも関わらず、現在も尚、環境原理主義や、(反原発主義者は今はいずこ?)護憲団体、反グローバル主義、新大アジア主義を隠れ蓑として、中共や半島の走狗としてゴキブリのごとく生きている腐れ左翼こそ、思想的な行き詰まりの権化である。そして、自分達の思想の崩壊を棚に上げ、場外から保守主義を罵倒しているのではなかろうか?

以上保守主義について考察した原文は、掲示板 阿修羅の雑談板 において、書き込んだ文章をブログ用にまとめたものです。


PS プログレッシブな日々って革新的な日々だけど....コンサバな日々に改名するかナァ。このプログレはプログレッシブロックのプログレで、前進の日々とご理解ください。
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保守主義とは

保守主義といっても、日本と世界では様々な保守主義が存在しています。
近代的保守主義・政治的保守主義・宗教保守主義、保守主義は、伝統主義者のように「古き良きものへの回帰」への希求をするものばかりではない。ネオコンもNeoconservatism「新保守主義」の訳であるので、保守主義の枠に入ると認識しています。

また日本においては、9.11以降、米国のイラク戦争への考え方の違いから、保守主義を反米保守主義(ナショナリズム)と親米保守主義(対米従属主義)の溝が深まり、日本における保守を大きく二つに分けて分類されています。

もともと、保守主義という言葉は、フランス革命後王政復古の機関紙を、「Le Conservateur」と名付けたことに由来するそうです。

保守主義とは、フランス革命後、その急進的恐怖政治に対して、英国の下院議員エドマンド・バーク(Edmund Burke)が、『フランス革命の省察』を著し、フランス革命を全否定して、フランス革命をイギリスに波及させない思想を、保守主義の誕生とする説がある。
結局、軍事力で制圧する対仏戦争を主導するための思想書として成立している歴史がある。単なる伝統主義とは一線を画す思想であると私は思う。

保守主義とは、革命による急進的変化を嫌うが、単に現状維持を主張するものではなく、ただし、変革を受け入れるにしても伝統や歴史的背景、そこに連なる共同体の存在。宗教的連続性を尊重した上で、変革を容認する思想であると考えています。

また、フランスでの王政復古派は、フランス革命における行き過ぎた民主主義による腐敗と暴力に対峙する思想として勃興してきたものである。

政治には理想と現実に常にギャップが生じるものです、民主主義の理想と現実のギャップの結果、ギャップを埋めるものとして、保守主義思想の発生した歴史的背景があると思います。

日本では、保守主義を、反米保守主義(ナショナリズム)と親米保守主義(対米従属主義)に二分して保守主義を論じるのが今日的傾向ですが、違和感を感じています。

私は自分の思想を、消極的な親米保守主義と自己規定していますが、親米でも反米でもない保守主義者であると考えています。世間一般的な保守の分類に従えば、反米保守主義的立場をとる、江藤淳や、三島由紀夫と自民党主流派に代表される親米保守主義は対峙する思想であるが、私が定義する消極的な親米保守主義とは、双方ともに相容れないものではない。吉田茂より連綿と続く自民党主流派の親米保守主義も反米保守主義もけして二律背反なものとは思わない。

個人的には消極的親米保守主義ではなく、正統保守主義であると宣言したいところだが、西部邁氏の「真正保守思想」と宣言するほど傲慢ではないので、個人的思想を消極的親米保守主義と便宜的に自己規定している。

現在の日本において、反米保守主義政治を成就させるには、ハードルが高く、現実的ではない、「理想主義」であると思う。日本は、憲法を改正し核武装をする覚悟をして、きちんとしたインテリジェンスを持ったうえで、国益を最優先する真の保守政治家と、国際社会を認識できる選挙民によってのみ、反米保守主義は成立するものであると考えています。

日本に親米保守政治の路線を引いた張本人である宰相:吉田茂の選択は、間違っていなかったと思う。敗戦後荒廃した国家を建て直す選択としての、親米保守政治は非常に現実的な選択であった。東西冷戦下、軍事的負担をアメリカに肩代わりさたことにより、経済再建を優先することができた。吉田茂は、「戦争で負けても外交で勝ったこともある」とか「金さえ儲かれば条約でも何でも結ぶ」とGHQに対して放言をした伝説からも、吉田茂の姿勢が窺われます。

日本国憲法の果たした役割は、昭和26年のサンフランシスコ平和条約締結当時の時勢からすれば、非常に現実的な選択であったと思う。平和条約締結と同時に結んだ日米安保条約改定前にさっさと改憲するべきであったのが残念である。60年安保反対闘争の時勢の空気を知らない世代である私からすると、空理空論かもしれないが、朝鮮戦争終結後55年体制が出来る前に改憲するべきだったのだろう。

自民党の中でも改憲派として、鳩山一郎、河野一郎、岸信介が存在したが、改憲は果たせなかった。大勲位:中曽根康弘氏は健在だが、2代目3代目ときたらまったくデキが悪い。現役では中川秀直、平沼赳夫だが、正直頼りがいが無い。

江藤淳は、この改憲を実行しようともしない自民党政治に幻滅した保守主義者であり、「閉ざされた言語空間」(文春文庫)において、不法な状況下で新憲法が想起され、米国が極東軍事裁判の正当性を保つ為、占領下日本の検閲を周到に用意し実行されたか告発している。GHQによる検閲がもたらした、日本人の自己破壊の増殖が、今日自民党を跋扈する、護憲派親米保守議員たちである。

改憲を阻んできた、吉田茂の流れを汲む池田勇人、佐藤栄作、大平正芳、宮沢喜一、現役では加藤紘一、河野洋平、山崎拓、古賀誠、谷垣禎一(名前を打ち込むだけで無性に腹が立つ。)安倍晋三は、村山富一誕生に手を貸しているので、純粋な改憲派ではない。護憲派の議員は、保守主義者に分別していいものか疑問が残るし、親米主義者であるともいえないメンバーだ。

反米保守が、嫌米主義者ではない記述を発見した。江藤淳は、「保守とは何か」(文芸春秋)において、日英同盟が対等な同盟関係であったのは、日清・日露の戦役で勝利した愛国的軍、板垣退助らの自由民権運動以来の政党政治、旧制高校出身の官僚があって上に天皇がいて、国家としての体をなしていた。日米同盟はその点及ばない。日米同盟において対等な同盟国として責任感をもって行動するのであれば、21世紀の半ばまで心配のいらないのではないかとの内容を著しています。

江藤淳がとりあげた「南洲残影」の西郷像と、司馬遼太郎の「翔ぶがごとく」の西郷像には、多少の差異はあるが、合成された私の西郷像は、維新前の西郷も超現実主義者でもあり、革命者でもあり、同時に維新後は保守主義者であった。維新後の西郷は、滅び行く武士階級の守護者として祭り上げられ、太政官政府に対して後の民権運動や大アジア主義思想へ連なる、反政府の保守主義者と定義できる。

玄洋社:頭山満は、日本における民間の国家主義運動の草分け的存在となり、後の愛国主義団体や右翼団体に道を開いた。その思想はやがて、226の青年将校=陸軍皇道派、そして三島由紀夫へと受け継がれていった。理想論的保守主義(現在の反米保守)の源流は、彼らが保守した思想とは水戸学的尊皇攘夷運動の残像であったかもしれない。

保守の思想は、けして守旧の発想ではなく、国家開闢より続く伝統に裏打ちされた現実主義の政治でもあり、明治期の反太政官政府主義、大アジア主義、更には、明治期に新たな思想としての武士道も含まれるのではないだろうか。三島由紀夫や、江藤淳、小林秀雄、西部邁、西尾幹二の思想それぞれが保守主義であることに間違いは無い。例えば西部邁氏が、真正保守思想と自称するのも理解できるが、保守思想を細分化した故に、不毛な対立を招くことだけは避けてもらいたい。

保守主義とは ブログ版-2へ続く。http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/10752004.html
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