
あれから30年が経った、ネクタイを2本するファンションが流行らなくてよかった。
車は空を飛ばないし、ホバーボートも・・・まあぁ一応できたか。
3D映像フォログラムや指紋認証装置は出来たし、TVやスマートフォンは映画で
の予想を超えているし、マイケル・J・フォックス演じる主人公マーティ・マクフライ
の敵役ビフ・タネンのモデルのドナルドトランプがいまや米国大統領の有力共和
党候補というのはいったい誰が想像しただろうか(笑)。
私ごとだが、昨晩久々に横浜ケントスへ行って30年前へBack to the Pastしてきた。
ハマの40代から60代の大人が皆周りを気にせず踊り狂っていた。中には70代と
思われるご婦人と老紳士も交じっている。
S・A・T・U・R・T・U・R・DAY Night!S・A・T・U・R・T・U・R・DAY Night!
踊り狂っているうちにあの頃に気分はタイムトリップしていた・・・
The power of love is a curious thing
Make a one man weep, make another man sing
Change a hawk to a little white dove
More than a feeling that's the power of love♪
Change a hawk to a little white dove
More than a feeling that's the power of love♪
1985年10月就職も決まって、卒論を書いていた頃だった。ちょっと自慢の彼女と
エデンの園に住んでいた、なにもかにもが輝いていた。that's the power of love♪
踊りながら古き良き時代1985年10月21日にもし戻れたならと・・・思ってしまった。
Back to the Past
1985年強いアメリカを目指していたレーガン大統領のレーガノミクス1.0において強いドル政策を断行1ドル235円前後だった。その為、米国の自動車産業を筆頭にし
た輸出産業が日本の輸出攻勢で壊滅状態となり、1985年9月22日、行き過ぎたド
ル高の是正を目的としてニューヨークのプラザ・ホテルでG5(米国、英国、西独、
フランス、日本の5カ国蔵相会議)が開催された。
主要通貨の米ドルに対する秩序ある上昇が望ましいこと、為替相場は対外不均衡調整のための役割を果たす必要があること、G5各国は協力してドル安にすること
を合意した。いわゆるプラザ合意である。レーガン政権はこれにより小さな政府、
強い軍隊、弱いドルのレーガノミクス2.0に変わり、遂にはソ連との冷戦に勝利した
大きな時代の転換点だった。
プラザ合意の本当の狙いは米国の次の世界覇権国候補だった日本潰し以外の何物でもなかった。
ドルは円、マルクなどの主要通貨に対し急落、ドル相場の大幅な下落は国際収支の不均衡是正にある程度役立ったが、逆に米国内に深刻なインフレ懸念を生むなどの弊害をもたらし、為替相場安定を目指すルーブル合意につながったのだが、
それでも1987年はいまより円安の1ドル140円台だった。
ところが、日本はプラザ合意の円高も脅威の対応力を示し、工場の海外移転をは
じめ、驚異の順応力で、円高を止めるために行った金融緩和がバブル経済を引き起こし未曽有の好景気となってしまった。
しかし、これが後の日本の20年デフレの元凶だった、そして世界経済に与えたインパクトは後の経済史で大きく取り上げられるだろう。
Back to the Past
私は、バブル経済当時、政・官・財界まして、マスコミに国益とか国家戦略にまる
で無関心であったことに強い憤りを覚えた。国益に関心があったとしても経済的な
目先の利益にすぎないことしかマスコミには載っていなかった。
悪の論理―地政学とは何か 倉前盛通/著を読んだのもこの頃だった。いまは「地政学」とか「インテリジェンス」についてネットでも関心を持つ日本人も増えましたがが、当時の日本には「戦略思考」という発想で、維新の元勲たちと異なり国家百年
の計を俯瞰できる政治家が居なかった。当時ほどではないが未だに長期的な視点で、未だにマクロで考えることが巧くないようだ。インドネシア新幹線を中国がほぼ
寄付するようなことまですると気がつかないようでは、未だインテリジェンスの力も
整備できていないようだ。
1985年のプラザ合意から始まったバブル経済は21世紀は日本の時代じゃないかと私を含め多くの日本人は夢想していた。だが所詮妄想にすぎなかった。
当時憲法九条を改正して軍事力を持てば日本が世界の覇権を握る可能性もある
のでは無いかと思い、無能な政府をを罵った。軍事力もなければ核兵器もない。
例えあったとしても、覇権を握る意思もなければ長期的国家戦略もない国が覇権
を握れるはずがない。
でも、日本は1985年より国家としては少しだけ普通の国家らしくはなってきたかも
しれない。
プラザ合意の円高でもびくともしない日本経済に驚いた米国に日本のアキレス腱
を徹底的に研究したとの話だ。アキレス腱は土地本位制による信用の創造の循
環の帯をき国際決済銀行基準(BIS規制)の強化で断ち切ることだった。米国は日
本のバブル経済崩壊スイッチを入れた。
土地の総量規制が行われ銀行の貸し剥がしが始まった。地価は下落し担保不足
でバブル崩壊・・・・GDPが世界一であることは、覇権国家であるための必要十分
条件ではない
日本は21世紀以降覇権を握る確率は潰えた・・・(かに見えた?)
2003年のBRICsリポート以降~つい2.3年前まで次のヘレモギー(覇権)をGDPが
急伸中成長中の中国が握ると信じきっている愚かな人達がいたし、今でもいる。
GDPが世界一であることは、覇権国家であるための必要十分条件ではない。なぜ
なら200年ほど前の1820年中国は推定世界のGDPの33%を占め世界一だったが、覇権国ではなかったではなかった。(※インド24.44%+英国2.88%=27.32%)
当時の最先端の科学技術、最先端産業を持っていたのは覇権国である英国であ
った。石炭火力と蒸気機関による鉄鋼などの産業は中国には無く、今の中国にも
世界先端産業もしくはその芽などは見当たらない。覇権国は軍事技術と直結する
最先端産業の主導権を握った国が覇権を握るのだと私は思っている。中国が覇
権を握る可能性は低いだろう。
Back to the Past
1985年ソ連は短命のアンドロポフ・チェルネンコ政権後、穏健なゴルバチョフが政
権に就いたばかり、米ソ冷戦による核戦争の危機は依然危惧されていた。
ノストラダムスの大予言「1999年7の月 空から恐怖の大王が来るだろう、アンゴル
モアの大王を蘇らせ、マルスの前後に首尾よく支配するために。」は30歳以下に
人には信じられないかもしれないか、常に新人類世代と言われた我々世代には完全に刷り込まれているものと思う・・・バブルの時の狂演は無意識に刹那に生きた
時代だったと思う。
1957年毛沢東は社会主義陣営の国際会議で「われわれは西側諸国と話し合いす
ることは何もない。武力をもって彼らを打ち破ればよいのだ。核戦争になっても別
に構わない。世界に27億人がいる。半分が死んでも後の半分が残る。中国の人
口は6億だが半分が消えてもなお3億がいる。われわれは一体何を恐れるのだろ
うか」と演説し、フルフチョフ書記はじめその場にいた各国首脳が呆れかえった。
2015年その毛沢東主義に回帰する習近平が中国の指導者だ。中国は世界の工
場としての役割を終えた。残された道は、内需を喚起して金融立国へ国家の構造
転換を図ろうとしているという情報もあるが、絵に描いた餅もいいところだ。もし、
中国が金融立国になるのなら、自国の官僚や富裕層が横領した人民元をドルに
換え海外に持ち逃げしないだろう。
Back to the Past
自分が若かったせいもあるがあの時代は本当に良かった・・・そう思うのは歳をと
ったせいなのだろう。
また年がいもなく踊りに行こう・・・一緒に誰か行きますか?