天皇陛下は本日23日、82歳の誕生日を迎えられた。

これに先立ち皇居・宮殿で戦後70年の節目となった今年をふりかえり記者会見を行われました。

「さまざまな面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だった」と振り返えられました
戦争を知らない世代が年々増えていく中で「先の戦争を十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」と述べられました。

今上天皇陛下こそ日本の良心であり、平和を祈る日本教の大司祭を実践されておられるお姿は心から尊敬できます。陛下並びに皇后陛下の日々の精進と祈りには頭が下がる思いです。

知られざる今上陛下の逸話 
魚類学者である今上陛下。有名なエピソードのひとつにプラー・ニンという魚の話があります。

日本名「イズミダイ」または「チカダイ」とも呼ばれるこの魚、あまり耳馴染みがない名前ですが、「ティラピア(ナイルティラピア)」の名でいろんなところに流通しています。外来種で太平洋戦争後の食糧難の時代には貴重な蛋白源として重宝されました。

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見た目はクロダイのようであり、味も鯛の身によく似ていますが、海水では育ちません。淡水魚なのです。

時は昭和39年(1964年)、東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが行われた年の暮れのこと。当時皇太子だった今上陛下が美智子妃殿下とともにタイをご訪問されました。

当時のタイ国民は戦後混乱期の日本と同様に蛋白質不足に陥っていて、その解決策を魚類に求めていました。陛下は魚の養殖試験場を訪れになり、タイ国王ラーマ9世(プミポン国王)とも会談され、当時養殖研究されていた品種ではなく、ティラピアを育ててみてはどうかとご提案されます。

タイから戻られた陛下は赤坂御用池で育てられたティラピアを50匹、翌年の春にタイへ寄贈されました。ラーマ9世は宮殿の池でそれらを飼育します。
ティラピアの特長である飼育しやすさと旺盛な繁殖力で、またたく間に稚魚を増やし、1万匹もの数が養殖場に運ばれました。

結果、ティラピアはタイを代表する魚にまで浸透し、国民の栄養状態も改善。

華僑により仁魚という漢字がつけられ、タイ語でもプラー・ニン(ปลานิล)と呼ばれて親しまれています。
「仁魚」の「仁」は陛下の明仁の名からとったもので、「プラー・ニン」の「ニン」もやはり仁の字から来ています。ちなみにプラーとはタイ語で魚のことです。

タイ国民の栄養状況を改善したティラピアは、その後も活発に養殖が進み、昭和48年(1973年)には非常事態宣言が出されるほどの飢饉がバングラデシュで発生した際にもタイからティラピアが50万匹贈られました。

また品種改良もすすみ、ティラピアを交配させた「プラー・タプティム」という赤魚もタイでは人気を博しています。

いまやタイの輸出品目にまで成長したティラピアの養殖。そのきっかけを作ったのが今上陛下だったのですね。




 --今年は自然災害などいたましい出来事があった一方、日本人2人がノーベル賞を受賞するなど、明るい話題もありました。天皇陛下は戦後70年の節目に当たり、新年のご感想で「満州事変に始まる戦争の歴史を学び、今後の日本のあり方を考えることが極めて大切」と述べられ、パラオをはじめ、国内外で慰霊の旅を重ねられました。また、全国戦没者追悼式では「さきの大戦に対する深い反省」という表現を新たに用いてお言葉を述べられたほか、玉音盤の原盤や、御文庫附属庫の公開もありました。年明けには、フィリピンへの公式訪問が予定されています。戦争や平和への思いに触れながら、この1年を振り返るとともに、来年へのお考えをお聞かせください。

 「今年の自然災害としては、まず5月に鹿児島県の口永良部島の新岳(しんだけ)が噴火して、海岸まで達する火砕流が発生し、全島民が島から避難したことが挙げられます。火砕流は雲仙岳の噴火災害のお見舞いに行った時に見ましたが、海岸まで達する火砕流は本当に恐ろしい光景だったと思います。島民は幸い皆無事でしたが、まだ避難生活が続いていることに心を痛めています。

 9月には豪雨により鬼怒川などが氾濫し、8人が亡くなる大きな災害となりました。氾濫により多くの人々が家々に閉じ込められ、どんなにか不安な時を過ごしたことかと思います。自衛隊を始めとするヘリコプター等の救助活動により、人々が無事に救出されたことは本当に幸いなことでした。危険を伴う救出活動に携わった人々に深く感謝しています。水につかった家屋や田畑の復旧作業には多くの労力を必要とするもので、多数のボランティアが協力してくれていることをうれしく思っています。困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが日本人の中に豊かに育っていることを非常に心強く思います。後日、常総市の被災地をお見舞いしましたが、泥水につかった田畑が広がり、苦労して作物を育ててきた人々の気持ちはいかばかりかと察せられました。

 今年の喜ばしい出来事としては、まず二人の日本人がノーベル賞を受賞されたことが挙げられます。大村博士の生理学・医学賞は、アフリカや南米で、人に感染すると盲目になる危険をもたらすオンコセルカ症を治す薬を地中の菌から作り出されたことなどの業績によるものです。私は以前、オンコセルカ症を患って盲目になった人々が連なって歩いている痛ましい映像を見ていましたので、この病気を治す薬が出来たということを本当にうれしく思いました。一方、梶田博士の物理学賞は、神岡鉱山の地下にあるスーパーカミオカンデにおけるニュートリノの研究で、ニュートリノに質量があることを見出されたことに対する授賞でした。11年前、スーパーカミオカンデを訪問したことが思い起こされました。お二人の長年にわたる地道な研究を誠に尊いものと思います。

 また、日本製のジェット旅客機が完成し、試験飛行が行われたこともうれしいことでした。かつて日本で戦後初めてつくられたプロペラの旅客機YS11の試験飛行を、羽田の空港で関係者と共に見守ったことが懐かしく思い起こされました。それから50年以上がたったわけです。

 今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。この戦争においては、軍人以外の人々も含め、誠に多くの人命が失われました。平和であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり、このことを考えると、非常に心が痛みます。

 軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として、民間の船の船員があります。将来は外国航路の船員になることも夢見た人々が、民間の船を徴用して軍人や軍用物資などをのせる輸送船の船員として働き、敵の攻撃によって命を失いました。日本は海に囲まれ、海運国として発展していました。私も小さい時、船の絵葉書を見て楽しんだことがありますが、それらの船は、病院船として残った氷川丸以外は、ほとんど海に沈んだということを後に知りました。制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。今年の6月には第45回戦没・殉職船員追悼式が神奈川県の戦没船員の碑の前で行われ、亡くなった船員のことを思い、供花しました。

 この節目の年に当たり、かつて日本の委任統治領であったパラオ共和国を皇后と共に訪問し、ペリリュー島にある日本政府の建立した西太平洋戦没者の碑と米国陸軍第81歩兵師団慰霊碑に供花しました。パラオ共和国大統領御夫妻、マーシャル諸島共和国大統領御夫妻、ミクロネシア連邦大統領御夫妻もこの訪問に同行してくださったことを深く感謝しています。この戦没者の碑の先にはアンガウル島があり、そこでも激戦により多くの人々が亡くなりました。アンガウル島は、今、激しい戦闘が行われた所とは思えないような木々の茂る緑の島となっています。空から見たパラオ共和国は珊瑚礁(さんごしょう)に囲まれた美しい島々からなっています。しかし、この海には無数の不発弾が沈んでおり、今日、技術を持った元海上自衛隊員がその処理に従事しています。危険を伴う作業であり、この海が安全になるまでにはまだ大変な時間のかかることと知りました。先の戦争が、島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならないと思います。

 パラオ訪問の後、夏には宮城県の北原尾、栃木県の千振、長野県の大日向と戦後の引揚者が入植した開拓の地を訪ねました。外地での開拓で多大な努力を払った人々が、引き揚げの困難を経、不毛に近い土地を必死に耕し、家畜を飼い、生活を立てた苦労がしのばれました。北原尾は、北のパラオという意味で、パラオから引き揚げてきた人々が入植したところです。

 この1年を振り返ると、様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。

 私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました。したがって、一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです。

 今年もあとわずかになりました。来る年が人々にとって少しでも良い年となるよう願っています」
天皇システムというのは権力と権威を分離した理想的な政治システムであると私は思うのであります。

当たり前のことでほとんどの人が気がつかないが、権威は天皇が、権力は内閣(議会)が持つことにより、日本では誰も独裁者になれない。これは天照大御神であろう日の巫女(卑弥呼)以来の日本の知恵である。日本で誕生した平清盛、源頼朝、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も独裁者にはなれなかった。

万が一政府が倒れて権力が宙に浮いたとしても、一時的に天皇が権力を預かり、新政府発足後、権力を戻すことにより、円滑に次の体制に入ることが出来るなどすばらしいシステムです。

天皇陛下は現憲法下で、日本国と日本国民統合の「象徴」とされ、主権の存する日本国民の総意に基づくものとされる。

国家元首であるか否かを別として、天皇陛下の存在は日本人である私にとって日本人としてのアイデンティティそのものです。

天皇陛下の会見を聞けばわかるように陛下は常に日本と世界の平和を望み祈っておられる司祭でもあられる。日本教という日本人の宗教的法王でもおられる。

キリスト教におけるローマ法王と同じ立場であると言っても過言ではない。外交的にも世界で一番権威のある地位である。天皇は英語ではEmperor=皇帝である。

外交上の序列では 
皇帝(emperor)≧法王(Pope)>王様(king)> 大統領(president)>首相(premier)

天皇陛下は世界最古の今に続く国の皇帝であって世界で最後の皇帝でもある。
更に天皇陛下は皇帝と法王を兼ねるので。外交的には世界で一番権威がある人物といっても過言ではない。

エリザベス女王ですら天皇陛下と同席するときは上座を譲るし、当然米国大統領も天皇陛下が訪米する場合、空港へホワイトタイで出迎えるのが仕来りです。
※米国の大統領がホワイトタイで出迎えるのは、天皇陛下とローマ法王と英国君主のみです。

世界的権威のトップがキリスト教徒ではない、しかも非白人であるということは、日本だけではなく世界の人種・宗教のパワーバランスにおいて絶妙なバランスではないかと思うのです。 天皇陛下いなければ、第二次世界大戦後も依然白人でキリスト教徒が一番偉い状態であったかもしれません。

日本は今は平和な国ではあるが、日本に天皇陛下がいらっしゃる限り一朝事が有れば、日本国民は一丸となって団結しまた一暴れするぞと旧連合国や敵対国は感じさせている。日本は核兵器尾が無くとも天皇陛下と言う抑止力を持っているのである。

確かに大東亜戦争では米国に敗れはしたが、ロシア、清国に勝ち、中国大陸では圧倒的に強かった帝国陸軍、ノモンハンでも強大なソ連軍に対等に善戦した。第一次対戦では青島のドイツ軍を鎧袖一触し、真珠湾以降香港シンガポールで英国植民地を解放、インドネシアでもオランダに圧勝した。日本はアメリカ以外には天皇陛下の元一丸となって戦い負けなかったのである。

原爆が投下されるまでアメリカと世界中を敵に回しても尚日本は戦い続ける意思を終戦間際まで示したのである。終戦も玉音放送によってピタリと戦いが終わったのである。

今の日本人からすれば、天皇の名の下に日本国民が一丸となって戦争するってのは、まずはあり得ない話だが、もし何か事が起これば天皇の名の下に日本国民が一丸となって暴れるぞという抑止力効果が天皇陛下がいらっしゃるだけであるのである。天皇システムは日本人にとっては安全弁であるが、敵意のある他国から見れば存在そのものが脅威に映る、いわば核兵器にも勝るとも劣らない抑止力となっている。

日本は日の丸が示すように、日本人という民族は、太陽を象徴として、自らのアイデンティティを確立している。日本が外から日本を意識する必要が生じた時、日本人の象徴が祭り上げられる。これまでに天皇が実権を取り戻したことが、日本史上三回あった。大化の改新、建武の新政、明治維新の三つである。いずれの場合にも、日本が対外的な危機にさらされた時であったことは偶然ではない。

中大兄皇子(天智天皇)が大化の改新(645年)を行った時、日本は大陸と緊張した関係にあった。562年には任那(加羅)が滅亡し、663年には白村江の戦で日本と百済は唐と新羅の連合軍に大敗し、中大兄皇子は、唐・新羅の日本侵略に備えて、海辺の防衛を整え、飛鳥からより内陸の大津に遷都した。

後醍醐天皇が建武の新政を行う50年ほど前、元が日本を2回侵略しようとした元寇があった。この時朝廷は、日夜元軍滅亡を祈祷した。元軍は台風で壊滅したわけであるが、この大暴風は天皇の呪術のおかげだとされ、神国思想が広まっていた時期でもあった。

幕末から明治維新にかけては、日本は欧米列強の植民地化の脅威にさらされていた。江戸時代後半からロシアやアメリカが開国を要求したが、多くの日本人は尊王攘夷の立場を取った。武士は当時政治経済的には徳川将軍の傘下にあったが、日本の精神的統一原理としては天皇が担ぎ上げられなければならなかった。

天皇が実権を取り戻したというほどではないが、対外的に最大の危機に陥った太平洋戦争の際に、明治維新後の大正デモクラシーの時期には一時冷めていた天皇崇拝熱が極限に達したことは指摘するまでもない。
人間の社会では共同体が危機にさらされた時、一人の人物もしくは特定の集団にすべての罪を負わせ、共同体のメンバーが力を合わせてそのスケープゴートを生贄として屠ることにより、共同体の秩序を回復しようとする。
典型的なのは終戦後ドイツにおけるヒトラーとナチス幹部である。ドイツ国民は合法的にヒトラーとナチスを国家を委ねたにもかかわらずドイツ国民さらに欧州全体がユダヤ人虐殺の罪をヒトラーとナチスに押し付け自らは逃げ切ったのである。
先の大帝の時は天皇システムを無意識にスケープゴードに仕立てる卑しいマスコミや左翼政党およびその支持者達が責任論を言いたててはいたが、今上天皇に対してもはや責任論を言いたてる日本国民は少ない。
スケープゴートは、共同体にとって穢れた存在であるにもかかわらず、屠られることにより、聖なる存在へと祭り上げられ、共同体を統合する象徴として機能する。だから、日本国憲法で使われている「日本国民統合の象徴」という表現は、天皇システムがスケープゴートとしての機能を有しているのである。それゆえ天皇陛下は尊い、そして己の原罪を転嫁しようとする左翼や醜いシナ・朝鮮テロリストから守らなくてはならない存在なのだと思う。
天皇システムの意味を噛みしめると天皇陛下を戴く我々日本人はなんて幸せな国民であろう。